問い、
「ハリソン副隊長。お尋ねしても宜しいでしょうか」
にっこりとした笑みの先は長テーブルの一番端、ステイルから見て一番遠い対角線上に座る近衛騎士だった。
飲みながらで構いません。と先に断るステイルに、それでもハリソンは口をつけようとしていたグラスを一度テーブルに置いた。
まさか自分がそこで話題を投げられるとは思わなかったハリソンの目が僅かに丸くなる。さっきまで大して興味がなかった話題とやり取りを殆ど聞き流していた彼は、脈絡すら想像がつかない。
プライド達の極秘視察。その締め括りでもある打ち上げに、ハリソンを誘ってみようと最初に提案したのはアランだった。
基本的に騎士同士の個人的な飲みに参加しないハリソンを今までは必要以上無理強いもしなかったが、今回くらいはとアーサーに提案すれば後は簡単だった。演習後にハリソンを見つけたアーサーからの飲みの誘いにハリソンが断るわけもない。
一言即答したハリソンは、アランの部屋に入ってからも一人でただ存在だけし続けていた。突然潰れだすアーサーをはじめ、気落ちしている様子のステイルにもエリックにも大して構わない。
一人ジョッキに口を付けては一番端で落ち着いていたハリソンは、落ち込んでもいなければだからといって上機嫌でもなくあくまで通常通りの平温以下だった。
アーサーに呼ばれたから参加しただけで、何を聞きたいわけでも話したいわけでも酒を必要以上飲みたいとも思わない。あくまで自分は任された任務をやり遂げただけで、そしてやり遂げることは騎士として当然の義務だ。
何でしょうか。そう淡々とした声で返すハリソンは、姿勢だけを正した。いつもと変わらないハリソンの反応にステイルは笑みを固定したまま口を開く。
「……僕に、何か〝言いたいこと〟はおありでしょうか。もしあればこの場で構いませんので、どうぞ」
ステイルの静かな口調に、アーサーの肩が右側だけぎこちなく上がった。
ステイルが何を言いたいのかはすぐにわかった。この場で、という発言に本当に良いのかと言いたくなる。あの時、姿が見えないだけでハリソンも確実に〝居た〟のだから。
そしてここにいるのは自分だけではない、他の近衛騎士達もいる中で万が一のことを考えればステイルの立場を危ぶめるかもしれない。
冷たい汗が額から数滴伝ってしまう中、問われたハリソンからはすぐに応答はなかった。
ステイルに呼びかけられたことに瞼の開き具合が変わっただけで、表情にそれ以上の変化はない。
冷たいようにも気にしていないようにも軽蔑しているようにもと、見る人間の気の持ちようでどうとも見える表情はステイル以上に崩れなかった。
含んだ様子のステイルの言葉にカラム達も口を閉じて二人を見比べる中、数秒置いてからハリソンが瞼を元の位置まで降ろす。
「…………なんでも宜しいのでしょうか」
「ええ、どうぞ」
ハリソンの言葉に、アーサーの口が「い」の形に引き上がる。許可を得たハリソンに遠慮というものがないことは、この場の誰もがよく知っている。
マジで言うぞこの人‼︎と叫び出したくなりながらステイルに見開いた目を向けるがやはりステイルは笑顔を保ったままだった。
ステイルとしても、最初から覚悟はできている。むしろ変に噂がねじ曲がって広まる前に処理すべきだと考える。説得でも謝罪でも条件でも、…………相談でも。ただ、それを自分とハリソン間だけで済ませたくはなかった。たとえ近衛騎士達の前で知られることになろうとも。
第一王子から了承を得たハリソンは、本当にそこから迷いはなかった。言いたいことと言われれば、今はないわけでもない。むしろステイルが自ら言って欲しいというならばと、そのまま表情一つ歪まさずやはり淡々と口を動かした。
「何故、ステイル・ロイヤル・アイビー第一王子殿下がこのような粗末な場所に居られるのでしょうか」
………………、と。
予想とは大きく異なった問い掛けに、ステイルは笑みのまま今度は無意識に固まった。
肩透かしを受けたような気分に、アーサーも口の端が片方痙攣する中でアランがテーブルから身を乗り出す方が先だった。
「ハリソン!粗末は余計だろ粗末は!」と声を上げる中、ハリソンは耳を通すが頭にいれない。それよりも心からの疑問への返答をと真っすぐにステイルへ視線を向けていた。
アーサーから飲み会に誘われ承諾した時点で、内密にと口留めと共にステイルが訪れることも聞いていたハリソンだがそれで全て納得というわけでもなかった。以前にもこのアランの部屋にステイルが集合したことはあるが、あれは情報共有の為だ。
しかも今回も明らかに他の近衛騎士達とも馴染んでいる。ステイルとアーサーが友人関係であることはもう理解しているハリソンだが、ここはアーサーの部屋ですらなければ自分や他の騎士もいる。
ことと次第によっては、王子と平然と同席するアーサー達の方へこの場で腕を振るうことも厭わなかった。今も大人しくしていたのは、あくまでステイル自身の意思で訪れた様子とそしてアーサーからの紹介だからだ。
これがアランに連れ込まれての飲みの席で、ステイルが頼まれて訪れた様子であればこの場で剣を抜いていた。しかし実際は
「僕の意思です。アラン隊長達には僕からお願いした上で、こうして時折内密に飲み会に参加させて頂いています。近衛騎士の方々にお邪魔して申し訳ないと思ってはおりますが、何卒こちらの方は多めに見て下されば幸いです」
何かあればすぐ瞬間移動で戻ると自身の特殊能力故の外出も伝えるステイルに、ハリソンもそこで頷いた。
ステイルの意思の上であれば、あとは自分の知るところでもない。更にフォローするようにステイルから「とても過ごしやすくて気に入っています」と言い切れば、ハリソンも一言の後に何事もなくジョッキを口元へ傾け直した。
既に一度は騎士団全体で公式に王族三人と一夜を過ごしたこともある為、それも個人の延長なのかと適当に結論付ける。
しかし、気の済んだハリソンとは違いステイルの方はまだ落ち着かない。
「そうではなく、…………例えば今日の放課後の件などは?」
「ありません」
とうとう自分から告白まがいのことを言うステイルに、ハリソンはやはり一言しか返さない。
返答の為に一度淵から唇を離したが、返せばすぐにまた飲み出した。先にステイルから飲みながらと許可を得た今、王子の会話途中で飲むことも気にしない。
あまりにも淡々と返すハリソンに、ステイルも一度言葉を失った。てっきり自分と母親らしき人物の接触について一言くらい言及があるかと身構えていたのに、全てなしだと言われてしまったことに空いた口も閉じ切らない。以前にアーサーがハリソンを「わかんねぇ」と言っていたことが鮮明に頭で蘇った。
会話の本筋こそわからずとも、二人のやり取りを聞いていたカラム達も放課後に何かあったらしいことだけを察した。そしてステイルがそれについてハリソンに何かを確認したいことも。
しかし、歯牙にもかけないハリソン本人の姿になんとも自分達の方が気まずい空気になってくる。事情を知っていれば補助でも間に取り持つこともできるが、それも今はしようがない。
唯一二人の事情を知るアーサーも、言葉数の足りないハリソンと自分から地雷を踏みに入るステイルにどう言えば良いか考えあぐねていた。
部屋全体の沈黙だけで返されたハリソンは、まだ話せということかとジョッキをテーブルに置いたまま握る。
しかし、本当に自分がステイルに言いたいことなど何もない。敢えて言うならば何故そんな問いをするのかという質問返しだ。
それとも今更になって近衛騎士任命について挨拶でもしろということか、もしくは自分〝に〟何か謝罪をしろと言いたいのかと全く違う方向に思考を回す。
どうでも良い相手であればこのまま無視しても良かったが、王族でありプライドの義弟相手に粗末な真似もできない。考えすぎて僅かに眉が寄ってきた時、ステイルから「ハリソン副隊長は」と言葉が投げられだした。
「ハリソン副隊長は、……放課後の件で僕や姉君をどう思われましたか」
「どうも思いません」
ザクリと、まるで突き放すような言葉に別方向からステイルは矢を刺されたような気になる。
まるで自意識過剰だとも、完全に見捨てられたようにも聞こえる言葉と低温の声に今度こそ笑みがなくなった。瞬きもできないまま見返す中、見守っていたエリック達も逆にステイルの方が地雷を踏まされたということを理解する。
あまりにもハリソンの短い返答に完全に振り回されている様子と、喧嘩を売っているようにも聞こえるその返答に、アーサーも覚悟を決めて首を伸ばす。
「はっ、リソンさんは、その、……あのことは騎士団長や副団長に報告とかしてますか……?」
「必要ない」
やはり一言だった。
取り合えず問題行動と判断すれば必ずその二人には報告しているであろうハリソンが言わなかったということは、とアーサーが息を吐く中でハリソンは余計に怪訝に眉が寄る。
放課後の、と断定されたから丸ごと答えたが、具体的に放課後のどの件を差しているのかも自分にはしっくりこない。ステイルが尋ねたことということはあの辺かと女子寮での一件を思い浮かべるが、それをどうして探ってきたり多忙な身である騎士団長と副団長に報告したか尋ねてくるか自体わからない。
それはどうして、とハリソンの短い返答にも慣れたアーサーがさらに食い下がれば今度こそステイルも望んでいたまともな返答が構築された。
「王族が何をされていようとも単なる護衛が関することではない。考えるべきでもなく民に害もなく違法行為でもなければ興味もない」
自分には関係ないと、その一言を二言以上で紡いだハリソンに、ステイルは大剣で切り付けられたような気分になる。
近衛騎士としてある程度プライドやそしてステイルとも物理的距離が近いハリソンだが、あくまで自分は護衛でしかないと思う。もし王族自ら民に危害を加えるなどであれば動くと思うが、そういうことでもない限り王族が何をしようとどうでも良い。護衛であって、補佐でも従者でもないのだから。
プライド相手なら未だしも、セドリックやレオンなど一般的な王族相手であればお茶を汲もうとも思わないのと同じだ。
そして、それをハリソン本人から突き付けられたのはステイルも少なからず軽蔑される以上の衝撃があった。
アーサーと友人であり、他の近衛騎士達とも打ち解けていたから感覚が麻痺しかけていたのだと自覚する。
確かに本来、護衛とはそういうものだ。万が一王族が目の前で不正や闇取引を行っていても、護衛は見て見ぬ振りをするか護衛に徹するというのが一般的ですらある。
少なくとも王族同士の規則違反を目撃して、騎士個人が提言すればそれは騎士の方が〝私情〟を挟む行為になりかねない。余計な口をはさむのは二流以下という考え方もある。護衛の本分は守ることだけだ。
完全に自分一人で身構えていた事実に、ステイルは顔全体が引き攣ってしまった。そうですか……と枯れかけた声で返す。
そして、あからさまに動揺をしているステイルに容赦するハリソンでもない。
「〝女子寮の女性〟が王族に危害を加えようとすれば当然粛清致しました」
ゴフッ‼︎と、今度こそステイルの表情が崩れ噎せこんだ。
さっきまで言葉を伏せて細心の注意を払い選んでいたのに、隠すどころかハリソンから直球で刺されたことに拳で胸を叩いた。
酒を含んでいれば噴き出していた。〝フィリップ〟の正体と事情さえ知ればあのやり取りに彼女が何者であるかも察しがつく筈の上で、自分の母親を「当然粛清」と発するハリソンに今更恐ろしさまで覚える。
女子寮の女性、という言葉にアラン達も興味深く耳を傾けてしまうが、それ以上は何も言えない。女性とだけ言われれば、それが何者かなど年齢も含めて想像もつかない。ただ、プライド達が何らかの理由で女子寮へまた訪れたのかと考えれば例の同級生関連だろうか程度の予想しかできない。
ドンドンドンと喉でも詰まらせたように胸を叩きながら小刻みに噎せこむステイルに、アーサーがバシンと強く背中を叩いて止めた。何故ステイルが噎せこんだのかもわからないハリソンは、
女子寮寮母が何者かも未だ気付いていない。
「放課後に護衛対象が何をされようとも我々は守るだけです。その間、第一王女殿下が同級生に告白されようとも頬に口付けを自ら施そうともステイル・ロイヤル・アイビー第一王子殿下が女性を泣かせようともその後を姿絵を残そうともアーサー・ベレスフォードが女子寮から出てきた同級生を」
そこまでで。待ってください‼︎と。
直後にはステイルとアーサーから同時に制止が放たれた。
二人の言葉にハリソンもすぐに言葉を中断したが、全く表情は変わらない。どの場面か確証も持てないままだった為、全てまとめて羅列を試みた。二言以上話したのに止められてしまっては絞り出せない。
結局のところ彼らがどうしようとも自分は構わない。
アーサーが同級生生徒と話す為に護衛を離れた時は少し眉を寄せたが、あくまで校内であの時は自分が護衛についていた。
アーサー自身もプライド達から射程距離以上は離れていない。彼ならばあの程度の距離からすぐに異常があれば駆けつけられると考えれば大した文句もない。
そう考えながら口にした言葉だったが、ハリソン以外は完全に騒然としていた。言葉だけ聞き取っただけでも、プライドの告白や口づけの件もエリック達は初耳だ。更にはステイルが女性を泣かせた上で姿絵を残したなど言葉だけ受け取れば最悪の人間の所業にも聞き取れる。
しかも最後は王族ですらないアーサーの個人的な出来事まで暴露しかけたハリソンは完全に地雷を踏み抜くどころか投げ散らばす行為だった。
本人は悪意もなければ見たままのことを端的に口にしただけだが、その場の全員の心臓を危ぶませるには充分だった。
あまりにもな言い方をされたステイルが、ハリソンの発言を〝敢えて〟かそれとも〝気付いていない〟のかと滝汗を流しながら思考を回す中、アーサーも最後まで言わずに止められたとはいえバクつく胸を服越しにわし噛む。
ハリソンなら自分が女生徒相手にお断りしていたことも聞いていたかもしれないと、それ以上は公言されたくなく声を荒げてしまった。
二人揃って近衛騎士達の反応と誤解が恐ろしくも気になる中で身を強張らせるが、彼らの一番の注目は現時点でステイルとアーサーのことよりも前半部分だった。
「やっぱりあったのか⁈」「どうするカラム」「私に聞くな‼︎子どもの仕業だろう‼︎」とエリック、アラン、カラムも今は口も止まらず手一杯になる。
まさかステイルが泣かせた女性の姿絵を残させたとは思わないこともあるが、それ以上に前半の情報が強烈過ぎた。
「……それらの件については、全面的に黙秘して頂けますでしょうか…………。誤解を、招かないためにも」
承知致しました、と。
ステイルからの頭の重い言葉に即答するハリソンは、顔色どころか眉一つ変えなかった。
元より興味のないことに対し、口留めも何もない。
しかし、ハリソンが口留めを受けたことでアラン達も中途半端な情報に瞼を強く開いたままだった。ステイルもその視線を感じ、肩幅を狭めながら表情筋に力が籠ってしまう。まさか口止めをそちらで使うことになるとは思いもしなかった。
僅かに意に反して眉の間が狭まっていることを自覚しながら「後でお話しますので少しだけ心の準備をする猶予を下さい……」と弱弱しい声で返した。
聞かれてしまった以上、アラン達へもこの場である程度誤解だけは解くべきだと思うがハリソンに撃墜された後には言う気力もまだ戻らない。
取り敢えずプライドに告白した男子生徒の身の潔白と、自分は生徒から〝伝言を女子寮の寮母に任された〟だけとアーサーに至れば個人的なことなので問題なしと伝えようと整理がつくが、その考える頭が凄まじく重い。
ステイルの言葉にそれぞれ了承を一言ずつ返したカラム達も、今は目が丸い。承知致しました……と言いながら、疲れ切った様子のステイルに半分口が笑ってしまう。
ハリソンの言葉足らずが第一王子にすら猛撃だったとはと頭の中で思う。
「あーー、それでエリック。お前はどうしたんだよ。なんか疲れてただろ」
半ば本人自身も忘れかけていたエリックの背中をアランが軽く叩く。
本日で、無事ラス為連載開始から五年になります。
皆様、本当にありがとうございます。
心からの感謝を。




