そして進める。
「また着れるようになるかしら……?」
「プライド様。ご心配せずとも今日で視察は終わりです」
生地もいくらか伸び切ってしまっている。そして何より、十四歳の子どもの姿になる機会さえなければもう二度と袖を通すこともない。
贈ってもらった品をプライドが大事にする気持ちはわかるが、ここは見目だけ繕って保管しておこうとマリーは判断する。王族に一度でも袖を通されたのならば服としても本望だ。
ロッテが急ぎ布切ハサミを用意するように扉の向こうに控える侍女達へ伝える中、プライドはむぎゅうと胸を押さえる両腕に力を込めた。
元の姿に戻っていると気付いた瞬間に慌てて押さえたが、ステイルの前でボタンが弾け飛ぶという恥を見せなくて済んだだけ良かったかと心から思う。ステイルもステイルで一目散に瞬間移動してくれ、互いの自衛の勝利だと思う。
それでも真剣な話をした直後にこんな解散の仕方になるなんてと、閉じた口の中を噛んだ。
─ まさかあんなにも気負わせてしまったなんて。
『だから貴方も、どうか一人で責を被らないで下さい』
ついさっき、ステイルに告げられた言葉を思い出す。
ステイルが水面下で断行をしていたのが自分の為だということはプライドもわかっていた。最終的には誰かの為に動く彼に、信頼の方が強かったからこそ指摘も言及もしなかった。奪還戦であれだけの蛮行を行ってしまった自分の過去を振り返れば、ステイルの方が安心して託せる。単純に自分への評価の低さよりも、過去のステイルによる功績に裏打ちされた判断だ。
そして今回、ステイルの母親であるリネットとステイルの再会。
規則に反せずその上で二人にできる限りのことをしたいと思った自分の策は概ね上手くいったと思う。自分の所為でステイルを母親から引き離してしまったのだから、自分が再会の責任を取るのも当然だと考えた。
何より、二人を会わせたいと思ったのは間違いなく自分自身の独断だ。
ステイルが自分を守ってくれるように、ステイルと母親を守りたかった。バレてその責任全てを負うことも、ステイルの母親に報復や憎悪の目で睨まれる覚悟もことを荒立てられてしまう最悪の展開も覚悟できていた。
あくまで〝自己満足〟で〝独善〟でそれでも、この再会は親子お互いにとって意味のあるものだと思えた。
だが、その所為でステイルに重荷を負わせてしまったと。プライドは胸を押さえる手でぎゅっと拳を握る。
自分にとってのステイルと違い、自分が彼の信頼に足らなかった結果かとも考えたが、目を強く閉じて自身で否定する。
ステイルが自分のことを信じてくれていることもわかっている。ただそれでも、優しい彼は自分の為に責任を被られることが耐えられなかったのだろうと改めた。
自分がステイルならと全て委託してしまったのと異なり、ステイルは〝もし〟と責任を被る側のことを考えてくれた。ステイルを安心させたくて言った言葉なのに、不用意な発言で逆に彼を苦しめてしまった。
今回は誰の命もゲームのルートも国も関係ない、だからこそ自身の決断だけで動いても良いと思えた。
〝プライド〟という自分個人が、ステイルにそうしたいと思っただけのことなのだからと。しかし
─ 次からは、聞かなきゃ。
誰かに心配をかけたり力になりたいという想いを無碍にするだけでなく、庇われた本人を傷つけることになるならばやはり伝えるべきだったと今は思う。
自分に庇われることで今は傷付いてくれる人がいるのだと、もう一度思い出す。ステイルだけではない、自分の身近にいてくれる存在は全員自分のことを想ってくれていると知っている。
さっきだって自分の悲鳴を聞きつけて駆けつけてくれた彼らは職務の為だけじゃない。自分のことを心配して青い顔で駆けつけてくれた。
いつもきちんとした身なりをしているアーサーが、扉を開けられてから殆ど時間も開けずに駆けつけてくれたことも振り返ってみれば嬉しいと思う。それほど自分の為に必死になってくれたということなのだから。
「それではプライド様、お背中失礼致します」
ハサミをいれます、と。侍女から受け取ったハサミを手に背中へ回るマリーにプライドも背筋を伸ばす。
それ以上は動かないように意識しながら、視線の先に置かれたままの通学リュックへ視線を向けた。散らかったままのそれを、手の空いたロッテが片づけるべく持ち上げる。
「プライド様、中身は全てこちらで処理させて頂いて宜しいでしょうか」
「!例の物が入っているから、それは元の場所に置いておいてくれるかしら?あと、……ノートも」
例の物、に数日前にプライドが持って帰って来た発明だとロッテもすぐに理解した。
当時、ステイルの特殊能力で姿を現したそれに自分だけでなくマリーも危険物ではないかと慌ててジャック達衛兵を呼んでしまったことを想い出せば仄かに頬が染まった。
単なるプライドの私物と聞いた時はほっとしたが、勘違いして大騒ぎしてしまった日のことは未だに恥ずかしい。
唇を絞りながら一度目を伏せるロッテは、リュックから両手でカメラを取るといつもの棚に飾る。
次にノートを手に取りながら、少しだけ首を捻る。生徒としてふるまう為に用意された庶民向けのノートだが、これも取っておきたいのかと少しだけ不思議だった。まさか城で家庭教師に教わっているプライドが、学校の授業で記録に残しておきたいものがあったのかとまで考えれば興味も沸く。
チョキチョキと慎重に背中へ刃をいれられるプライドに「こちらには何か大事な記載が?」と尋ねてみる。
本来であれば侍女がそこまで深入りすることはないが、プライド相手であればとうに親密な間の彼女らにその程度の遠慮はない。
ロッテの問いに苦笑いを零しながらも「ええ、まぁ」と言葉を濁すプライドは、絶対にノートの中身は誰にも見せられないなと思う。
処分を委託するのも不安であれば、燃やすのも勿体ない。自分にとっては学校生活最終日の思い出の一つだがロッテ達に
筆談で告白されたなど言えるわけもない。
最終日、マルクを始めとした男子生徒との筆談を思い出せばプライドは背中以外も擽ったくなった。
肩が僅かに上がってしまえば、ハサミを入れるマリーから動かないで下さいと注意を受ける。ロッテがノートを机の上に置くのを目だけで見届けながら、プライドは静かに授業中の筆談内容を優秀な頭で思い返した。
『ジャンヌ知ってるか?お前すげぇモテてるの』
最初の取り留めもないやり取りから、急にそんなことを投げてきたのはマルク・ポワソンだった。
さっきまでは身内や友達の面白かったことや、わざと変な絵やちょっとした冗談を綴って来た彼からの言葉に、最初はそれも冗談だと思った。『そんなことないわよ』と笑い混じりに一言書き返せば、返事が来るのは早かった。
『好きなやついる?』
女子にも同じようなことを聞かれたなと思い出しながら、少しだけ返答に困った。
無難に「いいえ」と言うべきか、それともいっそステイルのように恋人設定でも作るべきかと考えた。しかし自分は教師に恋人探し設定を伝えていると思えば、最終的には「まだよ」と中間寄りの答えを選んだ。
『じゃあ俺と付き合う?』
可愛らしい〝冗談〟に、思わず「ポワソンったら」と言葉が漏れた。
悪意は感じられない隣の笑顔に、可愛い冗談と受け取ってペンを走らせた。『私にはもったいないわ』と一言書いて終えた。
社交界でも王侯貴族からの口説きや恋文自体には慣れているプライドも、そこで動揺することはなかった。むしろ第一王女との関係を望んでいるという背景のない彼からの言葉は、本気に取れないと同時に嬉しくもあった。冗談でもそういうことを言ってくれるのは、最低の悪意でなければ残すは好意だ。
ジャンヌからのやんわりとしたお断りに、まだ本気に取られていないことを確信したマルクは次の一手を打ち込んだ。
『ジャックとフィリップもモテるんだぜ』
ライバルから押す作戦と、そして本人なりの軽い揺さぶりだった。
しかし、プライドからすればあまりにも分かり切った事実でしかない。知ってるわ、と思わず笑いまで零しながらペンを握った。
『そうよね』から始まり、そこからは揺さぶりどころか鼻が高い気持ちで長文を走らせた。
『ジャックはすごく男らしいもの。すごく強くて足も速くて力持ちで、だけどそれ以上に優しい人なのよ。周囲の人にも気を遣ってくれるし嘘が苦手なくらい正直な人なの。裏表なくて真摯に向き合ってくれて、世界一勇気があってどんな時だって護ってくれる人よ』
嘘偽りのない気持ちで綴った言葉はマルクを撃沈させるには充分だった。
遠回しに自分には到底叶わない相手をジャンヌは好きなんだと告げられたと判断し、その時点で一人肩を落とした。
ジャックが選択授業とその直後の昼休みで脚光を浴びたことがあるのをマルクもよく知っている。
まさか目の前の少年を振ったとすら思いもしなかったプライドは、更に彼の心へ塩を塗った。
『フィリップは頭が良いのよ。勉強だけじゃなくて全てにおいて賢いの。子どもの頃から私ばかり頼ってべったりで恥ずかしいくらい。なんでも安心して任せられるし頼れるし、どんな問題でも解決して助けてくれる凄い人よ』
だから女性にモテるのも当然だと。そう思いながらいつの間にか二人自慢を、片思いしてくれている相手に突き付けた。
あまりにも誰の目から見ても惚気にしか聞こえない二人分の絶賛情報にマルクも「そりゃあ好きになるよな」としか返せなかった。
あまりにも最初と比べてマルクの字体に覇気がないことにプライドも、うっかり能天気にほめ過ぎたと後悔した。
もしかしたらマルクの好きな子が二人のどちらかに恋をしているのだろうかと斜め上の誤解をしたままに、その後からは自分から積極的に別の話題を投げた。
遠回しに玉砕したことと、恋敵の圧倒的強さに落ち込んだマルクからの応答はそこからは一気に激減し授業終了十五分前には自然停止した。
二限目の選択授業ではクラスメイト男子に栄誉の玉砕を称え励まされ、ステイルとアーサーが合流するまでに、マルクの口からジャンヌはやっぱり二人のどっちかが好きらしいという情報が男子生徒間で共有された。
そして冗談半分の予防線で告白し本気にも取られなかった勇者は、もう隣に座れる気力がなくなり早々に席交換を提案したほどだった。
そして次の三限で譲られた生徒は、マルクにとって一番の親友であるマクシミリアンだ。
『ジャンヌのこと好きになったから、付き合ってくれない?』
今度は更に直球だった。
親友を不憫にも相手にせず振ってしまったジャンヌへ若干の意趣返しもあった。彼自身もジャンヌのことは好みだったが、マルクのように本気ではない。更に親友の好きな子であれば応援するくらいの軽い気持ちだったからこそ、その告白も直球ながら真剣ではなかった。どうせ断られるんだろうなと予想の上での投げかけだ。
プライドもまさか最初の一文目でそんなことを言われるとは思わず驚いたが、しかしすぐに冗談だろうと判断し「ごめんなさい」とだけ書き返した。
まだプライドにとって、いくらか筆談を交わしたマルク以上にその少年のことは知らない。どうして好きになったかの理由すらわからない。
プライドからの返答にも予想通りだった彼は、怯む間もなく一投を何度も放り続けた。
『どうして駄目?俺のこと好みじゃない?』
『そういうことじゃないわ』
『じゃあどういう奴だったら断らない?』
『私の家を乗っ取ろうとしたり部下を見捨てたり私へ嘘の好意をぶつけたり私の大事な人を傷付けたりしない人』
『俺もそんなことしないよ』
『あとは王子様や騎士様みたいな人かしら』
淡々とお互い大した熱もない会話は、落ち着いていた。
短い文同士での会話は、授業に集中しながらも気が付いたら書かれていた返事に少しペンを走らせて終わった。
あまりにもポンポンとした返答に、プライドもやはり彼の告白も冗談だったのだなと思った。
一言一言をぐりぐりとほじくってくる少年に、つい最後は教師に言ったのと同じ途方もない恋人理想像を投げかけた。またこれで教師のように彼が呆れてくれれば良いとすら僅かに思った。しかし
『じゃあフィリップとジャックはそういう人なんだ?』
ぎくり、と。
一瞬二人の正体がバレたかと思った。しかし、改めてお互いの会話を確認すれば、違う意味だと考え直した。
まぁ間違ってはいないと思いながらプライドはそこに『そうね』と肯定だけで返した。
そのまま授業に目を向けていたが、少しすると今度はつんつんとペンで腕を突かれた。
『どっちが王子様でどっちが騎士?それとも両方⁇』
遊んでいるな?とプライドは判断した。
完全に男子が女子へちょっかいをかけている時のやり取りだ。自分でもわざと叶わないような夢見物語の理想相手を設定しただけなのに、完全に夢見少女と判断されてしまったと。
にこにこと楽しそうに笑ってくる少年にそれは確信だった。本当は自分の方が年上なのに!と言いたくなりながら小さく頬を膨らませ、それから紙面も見ずにペンだけ伸ばして書き綴った。
『フィリップが王子様でジャックが騎士よ。昔からずっと変わらないわ』
「やっぱり」と、そう笑い混じりに言われた瞬間、プライドも机の下から足だけで小さく彼の机を蹴った。
かつん、と授業のさまたげにはならない音と振動に、青年は「ごめんごめん」と笑いながら謝った。それからは大人しく『フィリップは大人っぽいよね』『ジャックはあれ絶対特殊能力者だろ』と二人の話題をしながら筆談を終わらせた。
恋愛話ではあまりに淡泊だったジャンヌからの返事が、二人の話題に切り替えた途端に『フィリップは昔から大人びていたわよ。冷静だから私も怒られることがあるわ』『あれは毎日の努力の結果よ、格好良いでしょ?』と流暢になったことに、その少年も結論はマルクと同じところで固まった。
そして最後に四限での青年は、ジャンヌの片思い説にも撃沈しなかったメルヴィンだ。
個人的にジャンヌに恋をしていた他の男子生徒と違い、純粋に頭も良くて美人で人気者のジャンヌと筆談でも良いから話してみたかった。まだ文字も思えきれていないたどたどしさで書いてくれる筆談に、プライドも穏やかな気持ちで付き合った。
しかし、結局は他の男子生徒と同じ情報を共有している一人だ。
『ジャンヌはフィリップとジャックのどういうところが好き?』
いくらか筆談を重ねた後に問われたそれに、今度は冗談やからかわれているとは思わない。
ただ柔らかい空気の青年に、もしかしたら男子でそういうゲームに巻き込まれているのかな程度は考えた。しかし三限目の問いとは違い、二人の良いところだけ答えれば良いその問いはプライドにも返答は難しくなかった。
『フィリップは優しいところよ。人の為にたくさん頭を回していつだってその人を喜ばせたくて頑張っちゃうところ。時々やり過ぎちゃう時もあるけれど、そういうところも好き。それにすごい努力家なのそういう所はひけらかさないの』
『ジャックは格好良いところよ。いつでも正しくて助けてくれて本当に不可能も可能にできるくらい強くて優しくて勇敢なところ。無理しちゃうんじゃないか心配になるけど、最後はちゃんと帰ってきてくれるの』
二人のことなら書いても書いても書き飽きない。
にこにこと上機嫌でそう書けば、少年も口元で笑んで頷いた。最初から自分ではジャンヌに相手にしてもらえるどころか、目に留まることもできないとわかっていた彼にショックはない。
ジャックとフィリップどちらが彼女の本命かはわからないが、そんな二人が親戚なら他の男子が相手にされないことも納得できた。
ゆっくり、ゆっくりと文字を読み、時間をかけて字を書いた二人の筆談はそこで授業終了となった。最後の最後もう時間が終わると察した少年が残したのは。
『僕もジャンヌのことが好きです』
まるで、昼休みに二人へ届いた恋文のような一言にプライドは一度だけ目を大きく見開いた。
しかし慣れない字で書かれた精一杯の嬉しい言葉に、思わず満面の笑みで直接「ありがとう!」と彼に返した。
「プライド様、背後から失礼致します」
記憶の中に没頭していたプライドは、マリーの言葉に肩が上下する。
いつの間にか綺麗に背中の布地を大きく開かれ、圧迫感から解放されていた。一言返しながら首だけで振り返り、今度はロッテとマリー二人に手伝われて服を脱ぎ降ろした。
ちらりと机に置かれたノートに視線を投げ、それから着替えを続行する。
三人の男子生徒に冗談や親しみと意味は違えど告白され更には赤裸々に二人の自慢を書き綴ってしまったノートは絶対に誰にも見せられないなと改めて思いながら、ドレスに着替えた。
Ⅱ44




