Ⅱ457.嘲り少女は使う。
『……ようするに景色とかを紙に映せる物なんです。リネットさんとはあまりお話ができなかったので、せめて思い出にと思って』
〝カメラ〟とはまだ呼ばれないその発明は、プライドが発案した時点でジルベール達には勿論のこと取引を交わしたレオンにも好評だった。
まだ大国であるフリージア王国でも貿易大手国であるアネモネ王国にも存在しない発明だが、プライドの発案通りにネイトはそれを作り上げた。そして使用限度回数三回のそれを、プライドは今日の今日まで一度も使わずに重宝し続けた。
全ては、今この時の為に。
まるで示し合わせたかのように前世のポラロイドカメラに告示したそれは、持ち運びにも苦はなくアーサーがリュックに入れて持ち運べるほど手軽な物体だ。絵師を雇えない民にとって、ボタン一つで鮮明な〝姿絵〟の景色を切り取れる発明はそれだけでも大発明と言える。
キミヒカのシリーズでも、カメラが登場した昨品はある。ただし中世らしい白黒だ。それをネイトは一つ飛ばしカラーの写真をその場で焼くカメラを特殊能力で生み出した。
女子寮に訪れてからすぐプライドにカメラと写真の説明を受けていたリネットも、取り出された奇妙な鉄の塊にすぐそれだとわかった。リュックに入れて運んでいたアーサーは勿論のこと中身を知らされていたステイルも同様だ。
てっきり最後の視察で思い出の記録を残したい為に持ち込んだのだと思っていた。女子寮へ向かったところで、そこに住むアムレットとその発明を使いたいのだとしか考えなかった。
まさかアムレットではなく女子寮の寮母とは思いもしない。
「女子寮が正面じゃありませんけれど、この場で撮……使わせて貰ってもいいですか?」
目立っちゃいますし。と、肩を竦めて笑うプライドにリネットも戸惑いつつ頷いた。
目も充血し、目の周りも顔まで赤く腫れた顔は女性であるリネットにはあまり見せられない顔でもある。しかし、この場でそれを気にする人間は本人も含めてどこにもいなかった。
何の変哲もない背景を振り返って確認しながら、どんな体勢で良いかもわからずにゆっくりを崩れ切った体勢から腰を上げた。すぐには足に力が入らず地面に手をついても動けなかったところで、ステイルがそっと手を差し出し背中を支えた。
女性の扱いに慣れた様子の息子に気付きつつ、口元で小さく笑みを浮かべたリネットは「ありがとう」とだけ返してゆっくり立ち上がった。
母親からの嬉しそうな声に、それだけでステイルは唇を少し噛んだ。こくん、と自分でも手慣れていることを気付かれたことが恥ずかしくなり頷きだけで返してしまう。
そっと自分の足だけでも立ち上がれたリネットは、土で汚れた裾を中腰になってぱらぱらと叩いた。
これからジャンヌの発明で何をするのか頭では理解しつつも、時間稼ぎでもするように何度も時間をかけて裾を叩く。
これから姿絵を残す。今まで絵師など雇ったことがないリネットも、姿絵は当然知っている。そしてジャンヌがそれをどうしてまだ一回しか会っていない自分と使おうとしてくれているのかも。
その期待で静かに胸の鼓動が早まると同時に、……言いようのない不安に胃の中身がぐらぐら揺らされた。
〝それ〟が、違反行為なのかどうかもリネットには検討が付かない。
第一王女である彼女が黙認という形で配慮してくれた結果なのか、それとも違反行為には抵触しないのか。
偶然出会っただけなら許される、しかし意図的に会えば両者に厳しい罰則が下る。
彼女の配慮は当然自分も全財産を手放してでも欲しいものではあったが、同時にその罰則の所為で一番の生き甲斐であるステイルとの手紙まで禁じられる危険は侵したくなかった。
今まで何度も埋められない〝ステイル〟という存在の喪失感を埋め、救いになったのが手紙だったのだから。
そして、手紙の存在をプライドが知っていることもリネットは把握している。最初の手紙で、ステイルがそう教えてくれたのだから。あの噂の我儘と有名なお姫様が、と最初は目を疑った。
「フィリップ。使い方は大丈夫?覗いて合わせて、ここを押すだけで大丈夫な筈だから」
「大、丈夫です……。ですが良いのですか?こんな、貴重な……これは貴方が彼に贈られたもので」
良いの、と。
はっきりと今度はプライドからステイルの言葉を遮った。
にっこりと陰りのない笑みで返すプライドに、アーサーも無言で見つめながら二歩下がった。ステイルが撮る邪魔にならないようにと、レンズの中に自分が写らないように必要以上に離れる。
アーサーもまた、どこまでの範囲が王族の規則で許されているかはわからない。不安げに眉を寄せながらプライド達を見比べるアーサーに、そこでステイルは顔を向けた。
「ジャック。お前も入れ」
「は⁈……ッいや!俺は要らねぇだろ‼︎」
突然投げられた指令に、アーサーも肩を上下して首を振る。
勢いのあまり長く束ねた三つ編みが武器のように大きく振られ、銀縁の眼鏡が落ちかけた。友人の母親の姿絵に、自分が入るなんてあまりにも余計過ぎる。
それなら息子であるステイルが一緒に映るべきだとも考えたが、一層違反行為になる気がする。なら、自分は少しでもステイルの母親だと結びつかないようにする為のカモフラージュかとも考えたが、とにかく結論が出ない内は首を振る。ただ自分が眉間に力を込めて見つめていたから姿絵に入りたいと勘違いされた可能性も大いにある。
身体の正面で指を結んで佇むリネットも、突然のアーサー指名に少しだけ目を丸くした。アーサーと一緒に入ること自体は全く構わないが、一体どういう姿絵になるのだろうかとだけ疑問が浮かぶ。
慌てて首を振り拒むアーサーに、ステイルはまだ少しだけガラついた喉で言葉を続ける。
「心配するな。情報開示であれば規則に反するが、俺ではなくお前なら一緒にいる証拠が残ったところで問題もない」
しかもお前はジャックだ、と。あくまで庶民の青年という意味で規則に抵触しないことを示すステイルにアーサーも肩を狭くする。
規則に反することはあくまで義弟と〝家族〟との接触。
第三者による双方どちらかの情報開示。王族となった養子が元の家族と意図的に会うことや、元の家族と関係をわざと繋ぎ合わせるような行為が禁じられている。しかし、偶発的な接触や家族でない第三者が家族と接触すること自体は禁じられはしない。
アムレットが将来城で働くことでステイルと接触することに問題がないのと同様に、アーサーもまたリネットとの接触は禁じられない。
問題は〝ステイル〟の家族としてのリネットと関わり、彼の情報を提供することだ。
あくまで姿絵に双方揃っただけでは規則違反には触れない。国の法律も城の規則も違反行為も全てステイルの頭には入っている。特に自分の身の振りが関わる義弟の規則は、禁止事項と灰色領域に関しても理解しきっていた。…………機会さえあれば、と。そう考えたことは数知れない。
自分が庶民ではなく貴族の出身であれば、確率として十年以内には母親と偶発的に再会程度は果たすこともできていたかもしれないのに考えたこともある。
アーサーも、他でもない義弟における規則をステイルが網羅していないとは思わない。そして今ここで自分を騙すために偽っているとも思えない。
ただ、それなら今度は自分が映る必要がわからなかった。プライドが、その発明で撮れた姿絵を誰に渡したいかなんて考えなくてもわかる。なら余計に自分は、他ならないステイルが一緒に映れないのに彼を差し置いて並ぶことなどできな
「頼む」
「…………わァった」
真剣な眼差しが光り、漆黒の一閃をアーサーへと差した。
冗談でも耐えているのでもなく、真摯にただ〝そうして欲しい〟のだと訴えかける濡れた瞳と、眉の間まで力の籠った表情だ。
静けきった声で言われた言葉は、懇願のようだとアーサーにはわかった。首の後ろを摩り、背中を少し丸めながら数歩離れた位置からリネットへと駆け寄る。「すみません、失礼します」と頭を下げながら銀縁眼鏡の蔓を両手で支え、位置を調節した。
ステイルの身内とはいえ、まだ初対面の年配女性を相手に肩をくっつけるわけにもいかず隣に並んだ。
高身長のアーサーは十四歳の姿でもリネットと背が近い。写真の撮り方など知らず、姿絵のように直立不動で姿勢を正すアーサーにプライドも少し笑んでしまう。
ステイルに並び、後ろ手を結びながら彼がシャッターを切るのを待つ。ネイトからも聞いて操作を把握しているステイルはカメラを構え始めると、押す前に二度指でボタンの位置を確認した。
覗くレンズの向こうがブレていないことも靄がかっていないことも確認する。三回しか間違えられない、という事実とは別に緊張で深呼吸を行った。
それから押す、その直前に「行きます」と二人へ呼びかける。カメラ越しとはいえ、自分へ呼びかけてくれる息子へほんのりと笑みが零れたリネットとそして少し固さの抜けない真顔のアーサーがステイルを見返した時。
カシャッ、と。プライドの耳には聞き覚えのある、軽やかな音が鳴った。
ほんの一瞬だけフラッシュで光り、目を瞑った気がしたアーサーは撮り終えた直後すぐにステイルへ駆け寄った。発明の出来自体を確認するのも初めてである彼は、どんなふうに風景が姿絵になって切り取られるのかもわからない。
逆にリネットの方が、撮った後ももう終わりなのかもわからず首を一人傾けた。駆けるアーサーへ続くように彼女もステイルへと遅れて歩み寄った。
シャッターを押してすぐ、カメラの下部から写真が出てくればプライドもステイルの肩から覗き込んだ。
前世でもポラロイドカメラに触れたことはあるプライドだが、本来のように紙から浮き出てくるものではなかった。機械や化学薬品ではなくネイトの特殊能力によって映し出された写真は、カメラから出てきた時点で鮮明な画像を映し出していた。
絵師による姿絵とも全く異なる、似せた絵ではなく光景そのものを切り取ったかのような鮮明過ぎる画像にリネットだけでなくアーサーとステイル本人も息を飲んだ。姿絵よりもその鮮明さは〝転写〟の特殊能力に近い。
こんなに小さな紙に、細部まで映し出されたそれを姿絵と呼んで良いのかすら躊躇うほどの鮮やかさだった。白黒ですらなく、アーサーの蒼い瞳からリネットの漆黒の瞳も全て目に映る彩り通りに映し出されている写真にプライドは流石はネイトだと目が輝いた。リネットの微笑む表情も、アーサーの見開いた眼力も綺麗に切り取られている。
写真を手に取ったステイルは、そっと自分の服へと仕舞いこんだ。なくさないようにポケットへしまいながら、そこでカメラを持ち直す。
「……今度は、やってもらえますか?」
そういつもよりか細い声になりながら、リネットへとカメラを両手で差し出した。
直後には「良いのですよね?」と確認するようにプライドへ目を合わせたが、彼女からは笑みが返ってくるだけだった。ステイルからカメラを差し出されたリネットは大きく瞬きを繰り返しながら両手で受け取った。
中を覗いてボタンを押す、と単純操作であることを横でプライドに説明を受けながら、最初は覗き口よりレンズの方を覗き込んでしまう。
持ち方を確認し、あとはボタンを押すだけと理解をすればそこでやっとリネットからも返事がステイルに向けられた。
「勿論よ」と頬を紅潮させ柔らかく微笑んでくる母親に、またステイルの視界が滲んだ。
まさか手紙以外で〝王子〟相手以外の口調をもう一度母親からかけて貰える日がくるなど思ってもみなかった。昔からねだることは少なかったステイルだが、それでもねだった時は今のような優しい笑顔で返してくれた日を思い出す。
そして唇をきつく絞り笑顔で返したステイルは、さっきまで母親が立っていた場所へと今度は自分が移動する。
二人の手を、掴んで。
パシリ、と。
背中を向けると同時に手を掴まれたプライドとアーサーは、殆ど同時に間の抜けた声を漏らした。
まさか二度もと意表を突かれるアーサーも当然ながら、次も今度はリネットの隣で様子を見ていようと思っていたプライドも目を皿にする。しかし有無も言わせないようにぐいぐいと掴んだ手を写真の定位置まで引っ張ってくるステイルに、一歩目の足が動かされてから「わた、私も⁈」と声を上げた。アーサーに至れば「次こそ俺要らねぇだろ!!」と声を荒げる。
ステイルの母親相手でも緊張したのに、次はプライドと一緒の姿絵になるなどその事実だけで緊張が跳ね上がる。しかしステイルはアーサーの苦情は受け流し、プライドにだけ顔の角度を変えるだけで目を向けた。
「ジャンヌも、俺とであれば一緒の姿絵も問題ありませんよね?ジャックと同じく、親戚の俺が貴方と一緒にいることも当然ですから」
「えっ、あ……それはそうだけれど、その…………私じゃ……」
「俺が居て欲しいんです。………………お願いですから居て下さい」
惑うプライドの言葉を僅かに早口で上塗るステイルは、最後だけ弱弱しい声で二人の手を握る力を強めた。
背中を見せ、俯きながらそれ以上顔を見せられないように正面へ向き直すステイルの手は、大した強さで握っていないにも関わらず酷く震えていた。
ステイルの言葉に、プライドもそれ以上は拒めない。口の中を飲み込み、彼の視線がもう自分に無いことを理解した上で頷いた。自分の意思がどうであろうとも、ステイルが居て欲しいと思ってくれるのなら今の自分には断れない。
了承の意思を込めて自分からステイルの手を指で握り返せばピクッ!と小刻みにステイルの肩が震えた。
力尽くであればステイルの手も振り払うことも踏み留まることもできたアーサーも、強くは拒まない。
言葉で抵抗はしても敢えて四肢は抗わなかった。自分と母親を並べた意図は分からずとも、今こうして自分とプライドも一緒に写って欲しがる相棒の気持ちがほんの肌触り程度の感覚だが理解できた。プライドに合わせて震えるその手を自分からも力強く握り返し足を前後に動かす。
ほんの数メートル先のそこにステイルが足を止めれば、二人も彼を挟むように並んだ。
ステイルが自ら手を離しても、その距離を離さない二人はそれぞれステイルの肩にぶつかるほど距離が近い。背中を向けた状態から、カメラを持つリネットの方へ身体ごと振り返ればプライドとアーサーも同じように身体を向けた。
三人がそれぞれ肩を寄せ合い並ぶ様子に、リネットから「じゃあ押しますね」とうっすら聞こえる程度の声量で呼びかけた。
その瞬間、プライドはステイルの腕に両腕でぎゅっと密着するようにしがみ付き、アーサーもステイルの肩へと腕を回して前のめりに重心をかけた。
全く示し合わせ素必要もなく、ただただ同じことを考えた二人の行動が必然的に揃った。
示し合わせるまでもなく二人から急激に距離を詰められ絡まれたことに、ステイルの目が丸くなる。母親から呼びかけられた瞬間まで静かな笑みを浮かべて見せていたのに、今は目が零れ落ちてしまいそうなほど開いていた。
アーサーの顔が首を回せば鼻の先に、そしてプライドの顔は頬が擦れ髪が掛かるほど近くにきて何度も首を回して確かめてしまう。
しかし何度見ても二人の距離は近い。むしろステイルの反応を楽しむように、見比べれば見比べるほど二人の顔が笑んでいた。
「ほらフィリップ笑わないと。私達が仲良しだってわかるようにしたいでしょう?」
「折角なら〝故郷の恋人〟も居りゃァ良かったな」
さっきまでの惑いが嘘のように胸を張るプライドと、そしてティアラもいればと潜めた声で言ってくるアーサーにステイルは息を飲み、目を見張る。
笑わないとと言いながら腕の力を強めてくるプライドに顔を赤らめそうになり、またその言い回しでからかってくるアーサーに言い返したくもなる。予想外の二人の行動に驚愕すると同時に、……緊張の糸がぷつりと切れた。
ふはっ、と。眼鏡の黒縁を押さえながら、満たされきった幸福に顔が耐えきれないほどに緩んだ。胸の底から込み上げる気持ちのままに短く声を漏らして笑えば、その横顔にプライドとアーサーも同時に互いの顔を見合わせた。
震える腕も肩も、肌を通してとっくにその不安と共にプライドとアーサーへ伝わっていた。
ステイルのおかしそうな笑い顔に、二人もそこで緊張の糸が緩む。笑って、笑え、ともう一度それぞれステイルに呼びかけながらカメラへ目を向けようとした瞬間、……それよりも前にパシャリとシャッター音が鳴らされた。
えっ!!?と、誰もカメラを見る前にシャッターを切られたことに驚愕顔が揃えば、カメラの向こうではくすりと嬉しそうに微笑むリネットがカメラを目線から降ろしていた。
「こっちの方が素敵だったから」と告げるリネットに、今度はプライドが「もう一度お願いします!」と慌てて声を張り上げた。既に一枚の写真がカメラから生まれる中、人差し指を経ててもう一度を所望するプライドにリネットも二枚目の写真を一度服の中へしまった。カメラの所有者、そして第一王女の希望にリネットももう一度カメラを構える。まさかの高級品とはリネットに知られないように、ステイルとアーサーも表情に気をつけた。
「3.2.1……」
パシャッと。丁寧に秒読みも込めて撮られた写真は、今度は三人揃ったカメラに向けた笑顔の写真だった。
本当に十四歳のような無邪気な笑顔に、三枚目を手に取ったリネットは思わず先に笑んでしまう。
写し出されたのはどんな絵師にも掴まえられない、ほんの一瞬の笑みだった。




