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【アニメ2期決定!】悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。〜ラスボスチートと王女の権威で救える人は救いたい〜  作者: 天壱
嘲り少女と拝辞

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Ⅱ455.義弟は証する。


『母さんなら大丈夫、もう悔いはないわ。……だから、決して会いに来ては駄目よ』


もう忘れかかっていた優しい声が、脳裏に蘇った。

鮮明過ぎる十一年も昔の記憶にも関わらず、蔓のように繋がり溢れ出た。

その日は晴れていて、人目も少ない早朝に迎えの馬車が来た。まだ子どもだった友人達は当然、大人だって殆ど起きてこない時間に訪れた馬車は七年間の人生で見たどんな馬車よりも豪奢で煌びやかでだった。

だがその美しさに反し、俺の目には重い牢獄のように映った。

奇襲にも耐えられるよう強固に作られた馬車が、絶対逃げられないようにする堅固さにしか見えなかった。

「城からの命令です」と、初めてそう言われた日から俺の素行は褒められたものでなかったから当然だ。特殊能力で迎えに来た衛兵達から逃げ続け、家中の瞬間移動できる物を何でも良いから彼らの頭上に落とし続けた。嫌だ帰れと初めて喚き、怪我人が出ても母さんに止められてもとにかく抵抗し続けた。俺が義弟候補でなければ、衛兵を怪我させた罪で捕らえられていたかもしれない。


『王配殿下の計らいのお陰でこうしてちゃんとお別れもできたし、沢山貴方を愛せた。この二週間、……いいえ。この七年間、母さんは世界で一番幸せだった』

何度も惜しむように繰り返し頭を撫で抱き締め、たくさん見せてくれた笑顔がその日だけは見ても胸が温かくならず冷え切ったままだった。

父さんが死んだのは俺が二歳の時。それこそ顔も覚えていない。流行り病で、本当に仕方がないことだったと母さんは言っていた。

父さんが死んでから女手一つで俺を育てて幸せと言えないほど辛い時だってあった筈なのに、力いっぱいの笑顔でそう言ってくれた。

俺の方からも最後の別れでは意識的に笑って、思い付く限りの気持ちは伝えた。どうか元気で、身体を大事にして、ずっと大好きだよと何度も何度も繰り返した。もっと色々なことを最後に言いたかったのに、何度も浮かぶ願いと気持ちはそればかりだった。


『だからね』

そう言って、一度その手を引いた。

髪の毛一本一本静かに引いていく感覚が、肌に残った。思わず俺の方が胸が締め付けられて掴んでしまいたくなったのを、降ろしたままの拳を握って堪えた。母さんが泣くのを我慢してくれているのに、俺がそんなことをしちゃ駄目だと子ども心に思った。

俺の低い背に合わせ、腰を下ろしてしゃがんだまま母さんは膝に手を降ろした。俺も最後だけでも笑いたかったのに、どうしても逆の感情ばかりで笑えなかった。もともと感情を出すのが苦手で、泣くのを我慢するだけで精一杯だった。


哀しげに揺れた瞳と、そして俺と城の迎えを前に気丈に振る舞い笑ってくれた。いつものように撫でられた頭の感触に、これが人生で最後になるんだと茫然と思った。

言い聞かせるように俺の腕に手を添わせ、反対の手で前髪をそっと掻き上げ耳に掛けてくれた。その動作一つ一つが惜しくて、悲しかった。

額に指が触れた時、風邪を引いた俺の熱を測ってくれた日を思い出した。もう風邪が引いても母さんがいないと、一人になるのだと思い知った。


『プライド様に尽くし、私のことは忘れてお城で幸せになりなさい』


俺の幸せを世界中の誰よりも願ってくれた人だった。

前夜には、朝を恐れて寝つけなかった俺とベッドに入って一緒に寝てくれた。瞼の向こうで、俺が寝入ったと思った母さんが身体を震わせ一人で泣いていたことも知っている。あの日だけじゃない、俺が養子になることが決まった日から毎晩のように母さんは隠れて泣いていた。


最後まで涙を見せないように、俺の前では笑い続けてくれた。

「母さんは大丈夫」「ステイルは心配しないで」と言いながら、……「泣きたくなったら我慢しなくて良いのよ」と言いながら一番泣いて、耐えて、苦しんでくれたのがあの人だと子どもの頃から知っていた。

馬車に乗せられた後、家から離れた捉えられなくなったほど遠くなった母さんの影がしゃがみ込んだ瞬間は忘れられない。見送る最後の最後まで笑顔を耐えてくれた優しいあの人に、足りなかったものなど何もない。ただ








最後に見た、哀しげな笑顔が忘れられなかった。









「……愛しています」

言ってしまった。

そう、口に出た直後に急き立てられた。だがもう引き戻せない。

目の前で俺と同じ漆黒の瞳を向けている人はもう聞いてしまった。小首を傾げて、何かしらと尋ねられれば昔に戻ったように表情の動かし方がわからなくなる。顔中の筋肉が硬って、心臓だけが激しく収縮するのが苦しい。

駄目だとわかっていたのに、堪らず口に出てしまった。あの時と同じ、最後に見てしまった笑顔に胸が引き絞られた。視界が滲んで、溢れて。あんなに見たくて見たくなかった母さんの泣きそうな笑顔が、また上手く見えなくなる。

もう顔を俯けるどころか、目を逸らすこともできない。こんなことをしたら、気付かれてしまうと頭ではわかって、……わかっているのに。どうしても言わずにはいられなかった。



あの時と同じように笑う、母さんに。



「……っ、愛して、います」

その表情を、やり直したい。

声が痞えて、濁る。鼻の奥がツンと痛くて溺れているような錯覚まで覚える。俺もあの人もどんな顔をしてるのか、もうわからない。

何も、まともに伝えられなかった。ただ思いついた言葉を繰り返すしか出来なかった。

滲んだ視界で、両手に力が入らない。力なく垂らしたまま、目の前の人を見上げ続ける。瞬きしたら、大きく溢れて視界がまた開いた。顔に力が入ってると気づけたのは、歯を食い縛っているのを奥歯の軋みで響いてからだ。


視界の先でいつの間にか母さんの瞳が酷く揺れていた。

両手で口を覆い、さっきまでの笑顔が嘘のように強張った表情で崩れ服が地面につく。ハ、ハ、と過呼吸のような息の短い荒さにこの人のこんな姿を見るのも初めてだと思う。さっきまでは一筋もなかった汗を頬や首筋まで湿らせ、まるで怯えるように全身を目に見えるほど微弱に震わせる姿に胸が刺すように痛んだ。

拒絶かと、反射的に過った瞬間呼吸が本気で止まった。瞬間移動してしまいそうな思考を必死に噛み殺し、口の中を飲み込んだ。


「っ、今も…………ッ変わらず……」


自分の声が、もうガラついていた。

ただその短い言葉を絞り出すだけで胸が苦しくて、ただ言いたいだけなのに熱が入ってしまう。

ス、テ、と。

確かに母さんの口からその二音が聞こえた。口を覆った両手を激しく腕ごと震わせながら掠れる声で聞こえた瞬間、また込み上げた。その名で呼ばれたい、と一瞬だけ沸き上がりそうな欲求を押さえて溢れる雫を零しきる。

頭だけが変に冷静なのに、目も身体も上手く動かない。思考ではいくつも考えているのに、この身体ができることが少なすぎる。


あれだけ勉強したのに、学び、ヴェスト叔父様の元でも鍛えられ、国一番の天才とまで呼ばれた筈なのに。なのにもう今はただ、……ただもう、この言葉に縋るしかなくて。

首を、横に振る。意識を込め、はっきりと母さんにも誰にも伝わるように大きく振って否定する。それだけで簡単に雫が散って、頭がクラついた。振った頭でもう一度母さんを見れば、揺れた目元に大粒を溜めていた。

俺は今、どれだけ不出来な嘘の顔で笑っているのだろう。


「違います。僕は、フィリップです……庶民で、お爺様、ッと山に住、でて…………っ」

あんなに嘘も方便も得意になった筈なのに、続かない。

枯れてしまった声で絞り出せば、途中で嗚咽になりかけた。唇まで震えてきて、目を必死に開けば開くほど溢れる涙に目が刺される。塞がれ首筋まで湿った。汗なのか、涙なのかもわからないほどにいつの間にか首元まで湿り切っていた。

食い縛ればカタカタと震える歯の音に、必死に呼吸を整える。笑おうとする口端が、口角が痙攣して笑う顔ごと引き攣った。


─ ここで、俺が自らステイルだと認めるわけにはいかない。


フィリップ、とその名だけで母さんの目がまた大きく見開いた。

震えるままの手で口を覆いながら、それでも俺から視線を離さない。勘付くのもおかしくない。母さんは俺とフィリップが友人だったことも知っている。一緒に遊んだことはなくても、…………互いの辛さを理解し合える存在だったから。

こくり、と。母さんが大きく、そして続いて小刻みに俺に何度も何度も頷いた。「そうね」「そうよね、そうよね」とボロボロと涙を零しながら遠いものを見るように俺を見た。俺を〝フィリップ〟と認めると同時に、全部わかったのだと理解する。


そうね、そうだった、そうよ、そうよ、と何度も何度も言葉が思いつかないように同じような言葉を繰り返し、しゃくりあげた喉と嗚咽をまるで発作のように繰り返した。ごほっ、ごほッ、う゛、あ゛ッ、あっ……‼︎とあまりにも激しい咳に手を伸ばしたが、それ以上動けない。こんなに触れたいのにその一歩の勇気が出ない。

長い黒髪に触れる数センチで止まってしまえば、母さんは咳き込んだまま背中を丸めて蹲った。


─そして母さんも、今呼んではいけない。あくまで俺達は〝他人〟でしかこの再会は許されない。


髪の毛一本にすら触れる勇気が出ない手に、身体が石像のように硬直する。

ごほっ、う゛ッと嗚咽が混じり苦しそうにする母さんに周囲の生徒達も騒ぐのがうっすら聞こえた。間近なはずなのに遠すぎる声に、次の決めていた筈の言葉が出てこない。

まるで記憶全てを落としてしまったような感覚に、小さくなっていく母さんに触れられない胸の痛みと同時に、頭の冷たい部分が静かに思う。




あの日も、こうして泣いていたんだと。




「…………それでも……、……」

言葉の途中で風の吹くような音になり、消える。

俺が馬車で連れていかれたあの日。小さく影にしか見えなかった母さんが、こんな風に一人で泣いていたのかと思った途端自分だけが夜に突き落とされたような感覚に飲まれる。


俺の為に耐えてくれて、必死に笑顔を見せようとしてくれた母さんをこんなに小さくなるまで泣かせてしまったのだと。記憶より遥かに小さな母さんが、俺が元の姿であればもっと弱弱しい姿なのだと気付けば張り裂けそうになった。

考えれば考えるほど涙が止まらず落とすことしかできなくて、俺まで喉がヒクつき始めてきた。

唯一の家族に置いて行かれて、どれだけあの日の母さんが悲しかったか。父さんを亡くして、それでも俺を守ってくれてあんなに愛してくれたのに。唯一の家族だったのに、こんな風に母さんを一人で泣か



「ッ大丈夫っすか⁈」



母さんしか見えなかった世界に、銀が走った。

俺の横にいたアーサーが、手を伸ばして母さんに駆け寄る。ひきつけを起こしたかのように小刻みに身体を震わせ咳き込み続ける母さんの背中の背中を摩り、同じように片膝を付いて呼びかける。

その瞬間、いつの間にか過去に戻ったような感覚から目が覚めた。アーサーが触れた途端、まるで今さら気が付いたように病気とかだったらと不安が過って直後に安堵した。アーサーが母さんの横にいるだけで、視界の先が現実だと理解する。

何度も母さんの背中を摩り、母さんが蹲る姿にアイツまで苦しそうな顔をする。お前は関係ないだろうと言いたかったのに、……俺に視線を向けた途端笑んでくる。


「大丈夫だ」と。優しい言われた一言で、今度は俺の喉が酷く込み上げた。

さっきまで俺を支えてくれていたくせに、俺より先に母さんに手を伸ばすなんてと捻くれたことを無理やり思考が思う。息子の俺よりも、…………俺の、代わりに寄り添ってくれているアーサーに死ぬほど救われる。

視界がまた塞がって、涙を指では足りず手の甲で拭えば眼鏡が落ちた。もっと、立派な姿を見せたかったと思うのに十四の姿で泣いて、母さんに手も伸ばせない自分が酷く矮小に思えて消えたくなる。

手を伸ばそうともう一度動かしても、距離は近いのに遠い。震える肩も涙を拭うこともできる距離の手が届かない。……そして届かなくて良かったんだと思い出す。


「…………今も、変わらず愛しています。いくら月日が経とうと、……変わらない」

決めていた筈の言葉を、再び紡ぐ。

自分でも抑揚のない声だと自覚しながらも、今度こそ迷わず紡げた言葉に母さんの肩が激しく上下した。母さんなら、……俺を愛してくれた母親なら絶対にこの言葉に気付いてくれると確信できた。

息子と言わずとも、名乗らずとも、……母さんの息子であることを認められずとも、絶対に。

紡ぐ俺に、俯きながら母さんが顔ごと覆っていた両手をゆっくりと降ろしてくれた。目の周りも鼻も、頬も全てを泣きはらして紅潮させて苦し気に顔を歪めている。…………やっと、その顔を見れた。




ずっと俺の為に耐え続けてくれていた泣き顔を、正面から。




「十年経とうと百年経とうと、心から貴方を愛しています」

やっと詰まらずに、言えた。

濡れた目を俺に向ける母さんの息を引く音を聞きながら、今度は心から笑えた。さっきまでの拍動が嘘のように心臓の音が遅くなり、涙が止まらない。

喉を鳴らし、嗚咽を零し、泣き腫らした顔で俺を見つめる母さんへ手を伸ばす。母さんの背中を支えてくれるアーサーへ握手するような感覚で伸ばせば、嘘のように遠かった距離に手のひらが届いた。

頬に手を添え、昔と変わらない長い黒髪を耳へと駆ける。昔は俺の手が小さかったのに、と薄くなっている記憶と照らし合わせて思う。鼻を啜り、抑揚のない声で話してしまうのはきっと俺も昔と同じだ。


「愛しています。……愛しています」

何度言っても足りず、飽きない。

同じ言葉を繰り返しながら、この言葉を言う時だけ乗せる感情が温まった。口にするよりも何度も何度も書き綴った言葉は、目の前にいる女性と一緒に繰り返し続けた言葉だ。何度言っても足りないほど、別れ際に零し落とした言葉を十一年間ペンで繰り返した。

今度は口を覆う余裕もないように、母さんは両手を地面に付いたままだった。苦し気に歪めた唇で何かを小さく唱え、音にはならなかった。それでも泣き顔を見せてくれる母さんに、まるであの日やり残したことを辿るように言葉を続ける。

もう、俺の正体を確信してくれている母さんに必要ないと理解しながらも、他でもない俺が贈りたい。




母さんへの手紙に書き綴り続けた言葉を、この口で。




「明日の僕も愛しています」

俺と同じ潤む黒目から、大粒がまた溢れた。まるで子どものように肩を細かく震わせながら、俺を見る。

プライドのお陰で許された母さんへの手紙。

母さんからの手紙は月一回、母さんへの手紙は俺の誕生日に一回。八歳の誕生日から、何度も何度も繰り返し続けてきた。他でもない母さんが、…………いつも俺にそう繰り返し送り続けてくれたから。



〝愛している〟と。



最初の手紙から、綴られた言葉に何度も何度もそう繰り返された。

子ども心にはただその気持ちが、母さんが俺を愛してくれている気持ちが嬉しかった。

だが、八歳の誕生日を前に夜更かしして初めて母さんへの返事を書いた時に……気付いた。

俺と母さんの手紙は、極一部の人間にだが内容を確認されている。城の極秘情報を流していないか、俺に何かを強要するような唆すような言葉を、規則を破るような節はないかと事細かく。

既に特別処置が許されているだけで、親子の関係が断じられた母さんは容易に〝母さん〟とも〝母親〟とも〝息子〟とも書くことができなかった。

だからこそ、親子として呼べない分を〝愛している〟の言葉で埋めてくれた。俺を息子と呼べずとも自分を母親と名乗れずとも、それでも変わらない愛情を繰り返して手紙に込めてくれた。

そして俺も同じだ。最初の一通目で間違えてから、手紙の本題の前後に何度も何度も代わりに愛していると書いた。母さんと呼べなくても、それでも俺の気持ちは変わらないのだと〝愛している〟と繰り返し続けた。許される言葉でひたすらに、……親子でなくなっても変わらず母さんを愛していると伝え続けた。


「十年後の僕も、愛しています」

ポタポタと母さんの頬と顎から雫が、落ちる。

喉を鳴らし、時折大きく肩を振るわぜ嗚咽まじりの音を零すが、今はもう真っすぐ俺を見てくれる。

その表情を眺めながら、俺は笑う。あの時できなかった笑顔を母さんに見せる。

胸が苦しいのに温かい。今この一瞬だけ死んでも良いと思えてしまうほど、この時間に満たされる。昔は表情を作るのが苦手だったのが嘘のようだと自分で思う。

震える唇でまた空のまま唱えられたそれが、俺の名を呼んでいるように思えて。

次の言葉を告げる前に泣きながら母さんに笑って返した。途端、また母さんから大粒が零れた。


「…………ずっと変わらない」


頬に添えた手から、身体を前のめる。

その途端、アーサーがわかったかのように母さんの背中から身を引いた。気を利かせられたことも今は腹立たない。十四歳の身体で片膝を付き、両手を広げれば小さくなった母さんの背中を少なからず包むことができた。八歳の頃よりは、遥かにずっと。

母さんと呼べなくても、俺がかけがえのない人としてこの人を愛していることは変わらない。この世界に俺を産み落とし、今も変わらず愛し、……大事な人達に出会わせてくれた大事な人だ。


包んだ両手の中で、母さんがまた嗚咽を零して震え出した。「ス」とその音だけを何度か霞ませた音で繰り返して、必死で堪えてくれているのだとわかる。

母さんの言葉に返せない代わりに、俺は抱き締める腕の力をぎゅっと強めた。何度も何度も手紙越しに香って来た母親の香に、目を閉じる。濡れた顎が母さんの肩までを湿らせながら深く呼吸をする。

〝母さん〟も〝会いたかった〟も言えない代わりに、俺達の唯一を繋げてくれた手紙に書いた最後の一文を俺は声に出す。

ちょうど手紙を俺が書いてから十年だったあの日、今までの手紙で一番誇らしい気持ちで母さんに贈った。




「十八になっても、僕は変わらなかったでしょう?」




自然に笑えた。

社交界のような母上に見せるような綺麗な顔じゃない。泣き笑いながらの顔はきっと顔に赤も差してみっともないだろう。

だがそれでも誇りを胸に笑ってしまえば、母さんが一瞬だけ信じられないものを見るように目を光らせ、そしてぐっと絞らせた。

抱き締めた至近距離で首だけ動かし鼻が付くほど見合わせれる中で涙の粒が止まり、また倍量溢れた。


十年前の手紙に書いた通り、……ちゃんと。今もずっと俺は、間違いなく母さんを心から愛している。


その誇らしさに、言葉にしただけで口元が緩んだ。

母さんが俺の背中に強く腕を回し声を上げて泣き出す中、俺も目頭が再熱したまま目を閉じ続けた。母さんに書いた手紙は全部中身を覚えている。何度も何度も母さんが安心してくれる言葉を、喜んでくれる言葉を、……俺が一番伝えたい言葉を考え絞り出したから。

今ここで、もう一度十年前の手紙を唱えたい気持ちをぐっと堪えた。




〝たとえ何年経っても、十年でも百年でもずっとずっと愛しているから〟




最後の別れから、十一年。自分の口で、母さんに心からの言葉を言えた。


Ⅱ147.146

Ⅰ13

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― 新着の感想 ―
[一言] 今までで1番号泣した話。 水分不足で干からびるかと思いました。
[良い点] 昨日から何回も読み返しています。 この温かな感動がもう、本当に涙が止まらないです。 ずっと読み返しています泣 更新、楽しみにしています! [一言] 毎日の楽しみです。 無理せず、頑張ってく…
[良い点] めちゃ泣けますね(´;ω;`) 今までの箇所で出た話も色々ここに繋がる部分があるのかと思うと凄くて頭が上がりません! [気になる点] こんなに愛し合ってる親子を引き離すなんてどう考えてもよ…
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