Ⅱ452.騎士隊長は応える。
─ さて、残すはどうするか……。
教師達と改めて別れを告げ、職員室を後にしたカラムは僅かに歩を速めながらも考える。
三限後には盛大過ぎるほど有終の美を飾られた彼は、今左肩に大柄な手提げが二つと更に花束まで抱えていた。学校に訪れた時には前日に城下へ降り王都で買い付けた教師達への感謝の品で荷物が多かったカラムだが、今はその時に運ぶために下げていた手提げの中身がほぼ入れ替わっていた。
世話になった教師達へ挨拶も含めて全て自分の手贈れたことは幸いだった。
本来ならば会えなかった教師には机に言付けと共に置いておくか、もしくは他の教師に託させて貰おうと考えていた。王弟であるセドリックの最終日でもあれば、一講師である自分の最終日に時間を割くことなどできるわけもない。
教師達から評判が高かったことはある程度自覚もできているカラムだが、まさか前倒しで三限後に教師講師全員が惜しんでくれるとは思わなかった。お陰で無事全て自分の手で渡し挨拶もできたが、……同時に自分の方も手荷物が増えるばかりだった。
カラムが最後にと贈り物を用意していたのと同じように、教師達もまたカラムへ用意していた者は多かった。結果、プレゼント交換のような形で贈った品と引き換えに受け取った教師からの気持ちはカラムの荷物を膨らませた。
せめて右手は空くように左側だけに荷物を集中させたカラムだったが、このまま帰る気にはなれない。
表向きはもう講師としての引継ぎを終えた今、校門を潜っても問題はない。しかし今日プライドが放課後も予定をいれているのも把握している。
この一か月少なからず生徒教師を関わってきたプライドなら、惜しむ相手も多いのだろうとカラムは思う。護衛にはハリソン、そしてアーサーが付いている筈だが、騎士団長からも演習への合流が遅れることを許可されている今、自分もせめてプライドがいる間は学校に居たいとも考える。
あくまで講師、親戚の同僚というだけの立ち位置である自分は放課後も校内で一緒に行動するほどの理由が今は無い。しかし今までのことを考えても、万が一のことを考えれば学校に控えていた方が都合も良い。
取り合えず学校を惜しむていで校内巡回でもしていようかと考えるが、盛大に送り出されてしまった今はもう一度ここで巡回中に贈ってくれた教師に鉢合うのも気まずかった。
せっかく今日まで無事に不審を与えず講師として過ごせたのだから、最後まで彼らの同僚として後味良く終えたい。
引継ぎと打ち合わせを終えた後も続いた理事長との茶のみ話をあのまま途中で切り上げなければ、ここまで手持無沙汰にはならなかった。しかし
「……やはり校門まで行くか」
ふぅ、と小さく息を吐きながらカラムは廊下の窓から中庭を眺めた。
一階廊下のこの位置からでは校門までは見えないが、そこまで行けば校内に残留している教師達には先ず鉢合わせずに済む。更に校門にはセドリックだけでなく、その護衛でアランとそしてエリックも既に待機している筈だ。ならば、自分も加わって軽く雑談するくらいならば不自然にもならない。
エリックは勿論のこと、護衛中のアランもセドリックと共に会話をすれば無礼ではない。他の王族相手ならば難しいが、既に式典以外でも何度かやり取りをしているセドリックならばむしろ嬉々として戯れに付き合ってくれる。
教師や生徒に会ったとしても、退勤や下校直後であれば問題ない。プライド達とも鉢合わせることもなければ、同時に何か緊急時には間違いなく駆けつけられる場所だと思えばそこでカラムの行動も決まっ
「おりゃっ!」
「!……」
勢いの良い発声と同時に、カラムもまた勢いよく振り返る。
贈れて聞き覚えのある声だと思った時には、既に視界の先に声の主を捉えた後だった。
自分に向けて前に蹴り出していた少年の足を最小限の動きだけで右手に受け、次の攻撃が来ないことを確認してからそれ以上の構えは止めた。
君か、と呆れ混じれに息を吐きながら右手の甲で受けた少年の足を引っ込めさせ、自分も手を降ろした。左肩に抱えた手提げを持ち直し、花びらが廊下に落ちていないかを確認してから身体ごと少年へ向き直る。空いた右手の指先で前髪を整えながら、伸びた姿勢で少年を見下ろす。
「ネイト、背後から人を蹴ってはいけない。場合によっては相手に予期せぬ怪我を負わせる可能性もある」
「うっせ‼︎カラムだから蹴ったに決まってんだろばーかばあああか!」
べーっ‼︎と力いっぱい舌を出して見せるネイトに、カラムは一度だけ眉を顰めた。
今更ネイトのそういった行動へ苛立つことはないが、それよりもネイトが目に装着しているゴーグルに目がいった。いつもは額に乗せているそのゴーグルが今は彼の目にかけられている。
一瞬目が飛び出していると錯覚する特徴的なゴーグルだが、今はただ形が珍しいだけではないこともよくわかっている。プライドに使って見せたように、また自分の存在を隠して背後を取られたのかとカラムも理解した。
正面から歩いてきた生徒には気が付いたカラムだったが、それがネイトとも気が付かなかった。せめて思考中でなければ、彼のその膨らみきったリュックで気が付けたかもしれないと思いながらもやはり彼の発明は優れていると考える。プライドに横切られたのと同じく、ネイトとすれ違ってもそれが彼だとまでは認識できなかった。
彼の発明であるゴーグルを使われた結果、完全に見逃してしまっていた。
その後にすれ違った生徒がすぐ自分の背後へ振り返り攻撃を繰り出そうとしたことはカラムも気配で気付けたが、それがネイトだと認識できたのはその声と姿を確認してからだった。
足に蹴りを入れてこようとしたネイトだが、少なくとも「おりゃ」とわざわざ声に出したことを考えると本気で攻撃をしようとしたわけでもないだろうとカラムは推測する。騎士である自分に今まで攻撃を一度も成功させていないネイトなら、一声でも上げればすぐに防がれることくらいは分かるはずだと。
「相手が誰であっても、そういう行為は褒められたものではない。親しい仲であれば許されるということでもない」
「…………」
今後仲良くなった友人にも決してしないこと、と続けてカラムに叱られてもネイトは口を結んだままだった。
それよりも「親しい仲」とすんなり自分との関係を認められたことに頭がいってしまう。あくまで自分から口にしてやりたくはないが、同時に否定はしない。ふーん、とつい言ってしまいたくなるのを唇をきつく閉じて隠した。
無言で返すネイトにカラムも「返事は?」と催促したが、ゴーグルの奥がきらりと輝いた気がするだけだった。取り合えず反省をしていないことは、ゴーグルの奥は見えなくても少年の顔つきから返事の前にわかった。
あ、うん。と全く説教自体が頭に入らなかったネイトだが、少し怒っているようにも見えたカラムに慌てて適当に口が出た。
何がわかったのかと確認しようかと一瞬考えたカラムだがそれはやめた。ゴーグル自体も人と話すなら外しなさいと言いたいが、何よりこんな時にもなって彼に説教だけで終わらせたいとは思わない。それよりも話すべきことは別にあると、と考え直しながら「安易に暴力は控えるように」と改めて告げた口で一度閉じ、また開き直す。
「ところでネイト。ジャンヌから話は聞いたが、君が作ったゴーグルをとても喜んでいた。やはり素晴らしい能力と腕前だ。ジャンヌによく似合い、今もついゴーグルで君を見逃してしまった。騎士である私が君を見逃すなど、普通はあり得ないことだ。君の腕がそれほど優秀で才能溢れている証拠だ。今度もその使い方だけは決して間違えないように」
不用意な大量生産も控えて欲しい。
そう続けたカラムの言葉にも、今度はネイトも素直にこくりと頷いてしまった。
ふにゃりと口角が勝手に緩んでしまえば、目のきらめきを確認するまでもなく顔全体がにやぁと笑っている。きっとここでゴーグルを外させれば、狐色の目が星のように輝いているだろうと思いながらもカラムは気付かないふりをする。
代わりに笑みで返すと、彼が頷いてくれたことに先ずは一言感謝を返した。
使いどころを間違えると危うい彼の発明だが、逆を言えば窮地を救う一手にもなり得る。騎士団でも欲しい腕だとは思うが、……今は大量生産の結果悪用される恐れを重視した。彼自身が発明に悪意がない以上、未然に防止することが講師である彼と関わった自分の責任である。
数秒はその口角と頬の火照りだけでわかる彼の高揚感に水を差さず待つ。数秒待つと、とうとう「やっぱすげぇだろ?」と声だけでも浮き立ったとわかる音が零された。
「やっぱ俺すげぇよな?な⁈ま、まぁ俺もわかってたしジャンヌ達も褒めてたし知ってたけど⁈俺天才だし!!でもカラムもやっとわかったなら褒めてやっても良いぜ??俺の発明すげぇよな??でも欲しいって言ってももうジャンヌのはジャンヌのだけどな?!あっあとジャンヌのあのゴーグルも別に色とか別に理由はねぇから別に勘違いすんなよ?!あっ、あああとでもとにかくすげぇだろ?!だろ?!カラムだって俺に勝てなかったんだからな!な!!」
堰を切ったように早口でまくし立てるネイトの声が、だんだんとその声量も勢いとともに上がっていく。
何度か訂正や相槌をその場で打ちたくもなったが、そこは控えた。湧き上がる気持ちをそのまま言葉にしてくれる彼の一言一句を聞き取りながら、笑みだけで応え続ける。
最後には自分へ同意を求める一声と共に両手で拳を握るネイトに、心から微笑ましく思えた。出会った時には気付けなかった彼の重荷だが、解放された今はどうかその笑顔のまま自分の才能にも向き合い続けて欲しいと思う。
やっと言いたいことを言い終わり、二度目の誉め言葉を待つように身構えるネイトにカラムは小さく咳払いをしてから頷いた。「そうだな」と、素直に自分がネイトのゴーグルで二度も標的を見逃したことを認めながら手を伸ばす。
背の低いネイト相手に少し腰を落としながら、その肩へと優しく手を置いた。
「だからこそ大事にしてくれ。才能も、能力と技術も、そして己自身もだ。決して安くはない。君の才能ならば将来きっと私を優に超えるほどの人を救うこともできるだろう」
視線の行き場のわからないゴーグル越しに目を合わせ、そして笑う。
自分の発明と特殊能力の凄まじさに舞い上がっている少年に、注意や戒めはいくら言っても足りなかったが今はそれよりもその重要性と可能性を示唆した。
否定の言葉は受け入れにくいネイトだが、自分への賞賛であればその言葉も素直に飲み込めた。しかも自分を叱ることの方が多いカラムが、真正面から強い笑みを向けてくれたことに思わず肩にも喉にも力が入った。
嬉しい筈なのに今度は上手く言葉が出ない。むぎゅううと、怒られた時以上に強く唇を絞るネイトは、こっくりとまた大きく頷きだけで返した。それに「良かった」と肩を二度叩いたカラムは再びネイトに合わせていた腰を上げて背を伸ばした。
「君はジャンヌ達から話を聞いたか?今日が何の日か」
「……。……最後。……」
急激に声まで絞られたネイトは、そこで一度頷いた首のまま俯いた。
挨拶はできたか、と続けて問えば低めの頷きを返したネイトに安堵したカラムだが、同時にやはり彼にとってもジャンヌ達との別れは惜しみたいものだったのだなと考える。
もともと、ネイトを助けようと関わったのもプライドであることを考えれば、確認せずともわかったことだった。少なくともこの一か月カラムの目で見た限りは、ネイトが親しげに話しかけていた相手はプライド達だけなのだから。
優しい両親と近所の医者とは良好な関係を築けている彼だが、学校に本気で取り組むことを決めた以上人との関わりもこれを機会に学んでいって欲しい。もう一人ネイトと取引を行うアネモネ王国の第一王子も思い浮かんだが、彼は友達というには敷居が高すぎる。
「ジャンヌ達とは君も親しくなったばかりだ。近しかった相手が居なくなって寂しく思うのは当然だ。だが、君を良く思う相手は今後も増える。その相手とも今後仲良くやって欲しい」
「……カラムも」
「?……」
不意に返された予想外の切り替えしに、今度はカラムも首を小さく捻った。
カラムも、今度上手くやれよという応援か。それともカラムもジャンヌ達と会えないのは寂しいかという意味か。それとも職員達との別れか、またはネイトとか。会話の文脈以上に、ネイトの性格上後者だろうかと検討を付ける。
当然、学校での講師としてのひと時も、関われた教師や生徒との日々が終わることに全く何も感じないわけではない。しかし、もう良い大人であり騎士として死別も経験しているカラムにとっては「寂しい」と落ち込むほどのものではない。だが、同時に全く寂しさを感じられないわけでもないと思い直せばカラムは正しくネイトへ返す言葉を決めた、その時。
「カラムも今日で最後なんだろ」
ぼそりと呟くように落とされた言葉にカラムは目を丸くする。
てっきり他の生徒教師と同様にネイトもそれは知った上のことだと思っていた。しかしまるで知らなかったかのような言い方に、入学当初の彼の境遇を改めて考えればそれも納得できた。
昨日のアレもそういうことだったのか、と考えながらネイトの言葉に一言返せば、更に彼の首が沈んでいった。
頭の上に見えない何かが乗せられたような重さに、カラムも頬を指で搔いてしまう。彼が最初から知った上での付き合いだと一方的に思っていたが、知らなかったのならば悪いことをしたと思う。彼がそれなりに自分を信用してくれていることもわかっている。
せっかく生活が安定してきたところでジャンヌ達だけでなく、講師側の知り合いまでいなくなれば心細さに拍車がかかって当然だ。
いやしかし、と。そこで一つ持ち直したカラムは口を開く。「しかしまた会え……」と再び中腰で語りかけようとした瞬間、途中で遮るように「別に!!!!」とネイトの喉が張り上がった。
「俺はどうでも良いけど?!!」
ガンと殴るような未成熟の声だったが、虚勢に近いその大声にカラムもすぐに本心ではないと理解した。
ぎぎぎ、とネイトの口に力が入っては歪む。八重歯がむき出しにされ、吊り上がった眉も見れば怒っているように見えるが単に突き放す為の顔の強張りではない。
てっきり「なんで教えてくれねぇんだよ!」と方向違いに苦情を受ける方向もあり得たと考えれば、こうして自ら単独でも平気だと威勢を放つのは良い方向だとすらカラムは思う。
彼らしい送り出しの言葉だ、と思いながら荷物を持ち直した。職員室からもそこまで離れていない廊下で、いっそ場所を変えようかとも考えたがそれを待たないようにネイトは更に声を荒げた。
「ッ俺すげぇだろ!!?」
突然また先ほどと同じような問いを張り上げるネイトに、カラムは頷きで返した。
それだけでは足りないようにまだゴーグルの向こうで睨んでくる少年に、二拍置いてから「天才と言ってもいいだろう」と本心から重ねた。
その言葉に一瞬だけ身体が震えたように見えたネイトだが、すぐに息を全身で吸い上げた。
「俺カラムよりずっとすげーし!!?馬鹿力で脳筋のカラムと違って俺なら発明で壁も歩けるし高いところからだって降りれるしすげぇ人とだって」
それ以上は言わないように、と。
発明という単語のみならず、ついレオンのことまで言ってしまいそうなネイトにカラムは人差し指を口元で立てて示した。突然のカラムからの引き留めに、むぎゅりと口を結んだネイトだが間もなくして再び「それに!!」と更に響く大声で目を強く絞り唾を飛ばす。
「ジャンヌだって褒めてくれたし背後だってとれるし金だって稼げたし、カラムと違って俺は天才だし才能あるし他の奴らよりずっとすげぇしなんでもできるしあと十年したら絶対ジャンヌよりもフィリップよりもジャックよりもカラムよりもすげぇ奴になってそしたらお前らだって俺に頭下げることになるかもしれねぇし俺の方がッ金持ちで偉くなるかもしれねぇし!!それぐらい俺の、ッはすげぇし!!本当はもっと世界中が喉から手が出るくらい欲しがって欲しがってたまらなくなるぞ!!?そしたらカラムなんか百年働いても絶対買えなくなるぞ!だからっ……」
息の続く限り捲し立てては肩で大きく息を吸い上げまた吐き出すを繰り返す。
ネイトの怒鳴り声を一つひとつ聞き取りながら、生徒が全員出払った後で良かったとカラムは思う。そうでなければ聞かれて誤解を受ける部分も多い。職員達には聞こえただろうかと、一瞬だけ目で職員室方向を確認したが人の気配もない。
ネイトが強がっていることはカラムもわかっている。
今日で最後だからこそ自分との別れを惜しむようにと寂しさを裏返す。ネイトの発言全てが本音とまでは思わないカラムだが、それでも彼の発言を聞くと一縷の不安も過った。
自己肯定感が薄れていないことは良いことだが、捲し立てるうちに声と一緒にネイト自身への評価も過大化していることに気付く。本音ではなくとも、一般人に聞き流せない発言をしてしまうことは危険でもある。
ジャンヌが高等部生徒に恨みを買ったように、誤解や悪気のない言葉が人の心を串刺し矜持を傷つけることもある。自分の発明がすごい、すごいと口にすればするほどに彼がいつか発明の特殊能力に秀でた自分を〝特別以上の存在〟に、それ以外を劣等として見てしまうことだけは避けなければならないとカラムは
「~ッ、だ、から!やる‼︎」
ぼすん、と。
そう言って突然背中のリュックを自分に叩きつけてくるネイトに。
右手で反射的に受け止めながらも、今だけはカラムも自分の耳を疑った。
口でぎゃんぎゃんと捲し立てながら小さな背中に背負っていた膨らみ切ったリュックを片腕から降ろして持ち直したネイトは、一度言葉を切ったところで振り舞わすようにしてカラムへぶつけてきた。「やる」の意味が何なのかはカラムも両手で押さえた攻撃の塊で理解はする。しかし、その意味に本気かと思えば瞬きも忘れた目が大きく見開かれて瞼もなくなった。
ネイトのリュックが、事件以来久々に今日だけは大きく膨らんでいることはカラムも会った時から気付いていた。
伯父を検挙してからは自分の身の丈にあった荷物量しかリュックに詰め込めてこなかった大きさだったのに何故と、状況さえ違えば最初に指摘していてもおかしくなかった。
そして再び膨らんだリュックの中に何が詰まっているか、それこそネイトの性格を知れば誰もが想像つくことだった。今もカラムが僅かに指に力を込めるだけでガチャリと金属音が擦れ、更にネイトが反対の肩ひもを抜く形で完全にリュックをカラムへ手放せばその拍子にガチャガチャンッ!と複数の金属や塊がぶつかりずれ合う音か聞こえてきた。
怪力の特殊能力を使っていないカラムだが、それでも手に持つリュックの中身がなかなかの重量だった。
最初に彼と出会った時よりも重いかもしれない、と頭の隅で考えながらリュックを一度は右手で持ち直す。レオンとのやり取りを経ても尚自分の発明の貴重性を全く理解しきれていないようだと思いながらも、同時についさっきネイトが自分の発明をどれだけ凄いか語っていたかも思い出す。
つまり彼はこの発明の凄まじさと高価さもある程度わかった上で自分に譲ってくれようとしているのだと。
良いのか、と否定よりも先に確認を選んだ。
さっきの自慢も虚勢も全ては自分にこれを渡す為だったのかと思えば肩の力は自然と抜けた。しかし受け取った物の正当価値を考えれば躊躇わないわけもない。レオンに余裕をもって取引をしているとはいえ、軽く音を聞くだけでも一体いくつの発明が入っているのかと思う。
「別にいらねぇし!!俺天才だからこんなの何時でもいくつでも作れるし!!練習で作って余ってゴミみてぇなもんだから貧乏なカラムに押し付けただけだから!!」
「ゴミなわけがないだろう。君がその手で作り上げた物だ」
さっきと相反した言葉だと理解しながらも大事な部分だけはあくまで否定する。
商業的価値を置いても、ネイトが作った品を本人がそう言ってはならない。そして実際、カラムが受け取った物は決して〝余った〟ものでも〝練習〟で作ったものでもない。ネイト自身が昨晩にあるだけつめた発明も、そして一晩かけて作った新作も詰め込まれた物なのだから。
『次頼んでも遅いんだからな⁈』
『次といっても明日で最後なのだが……』
昨日、カラムから不穏な言葉を聞いてしまった時から。
最後、という言葉に不安を感じ教師に念のため尋ねてみればすぐに知ってしまった。明日でカラムが最後だと聞けば、ネイトの思いつく方法で返せる方法もできることもたった一つだけだった。
カラムから突然水を差されたことに、思わず「うるせええええ!!」と怒鳴って歯を剥く。さっきよりも短い怒鳴りにも関わらず、息が激しく乱れては頻度も増えた。
ハッ、ハッ、と切らす息を食い縛る歯の隙間から零しながら身軽になった肩で息をする。
「カラムはいっつもうっせぇんだよ!!脳筋!!堅物!!!最初っから俺のを始めてみても平気な顔で掴まえてくるし!!」
牙を向き、ゴーグルの向こうを尖らせ睨む。
最初自分の違反を見つけたのがカラム以外の講師だったら絶対に閃光弾と傘で逃げ切れたと今でも思う。ジャックも化物染みてはいるが、ネイトの目には一番天敵といっても良いのはカラムであることに変わりはなかった。
何度逃げてもゴーグルを使って抜け出しても鍵を開けて忍び込んでも隠れてもすぐに見つかってしまったことは完全な敗北だった。
アネモネ王国の王族にも認められたくらいの腕である自分の発明がことごとく敗れた。しかも、いくら発明を見せてもジャンヌ達のようには驚いても目を輝かせてもくれない。
『ただし、もう安易にその発明は見せない方が良い。君の才能が凄まじいからこそだ』
「俺のすっげーのいくつ見ても「だが」とか「簡単に出すな」とかうっせぇし!!量産するなとか誰にでも見せびらかすなとかすげぇ物作ったら普通は褒めるだろ!!そんなんだからっ……」
男子寮で発明を見せびらかしても、カラムは褒めても注意してもその間全く取り乱さない。
褒めてくれたと思えば自分の発明を隠すか控えることを進めるようなことばかり言ってくる。そして現に、両親からそういう言いつけを過去に破ってしまった結果自分は伯父に利用されていた。
自分のことを全然知らない癖に、見通したように言われたのが悔しいほどに腹立たしかった。
親が自分の安全を思って言ってくれたのと同じように、カラムもそうだということがわかったから余計に嫌だった。
まるで自分の今の境遇が自業自得だと言われてるようだった。町の衛兵も大人も誰も無関心で助けてくれなかったのに、目の前の小煩い騎士は頼んでもいないのに自分の心配ばかりを言ってくるのが胸をフォークでチクチク刺されるように気持ち悪くて目を逸らしたいくらいに痛かった。
本当なら、一度くらい自分の発明を前に他がどうでも良くなるくらい凄い凄いと手放しで褒めさせて驚かせてみたかった。まさか〝明日〟でいなくなるのだと知るその日までは。
王族にも認められて高額にもなる凄い発明を前にしても、絶対に手放しで褒めてくれるのではなく危険か隠すべきか作るべきか作った自分にとって不幸か幸かと聞いても頼んでもないことを必ずといって良いほどチクチクチクチク言ってくるカラムだからこそ
「……だから。お前なら絶対まともに使えるだろっ……」
突然威勢を失った声は、最後は噛み締めるまま静かに零れた。
グローブを嵌めた小さな両手をまっすく肘まで伸ばし、カラムが右手で受け止めたままのリュックを押し付ける。ぐぐっ、と微かではあるが自分へと向けられる圧にカラムはリュックを掴んだ指に少しだけ力を込めた。
使い古されたリュックに詰め込められたそれが自分への信頼の証でもあるのだと充分に伝わった。単なる感謝の証ではなく、自分だからこそ託してくれたのだとその気持ちこそが何よりもカラムの胸を温めた。
どんな高額で有能な発明よりも、彼からそれほどの信頼を示して貰えたことが誇らしい。ひねくれた言葉であれど、自分にその口で示してくれたことが嬉しい。
「間違わねぇってわかるし」とまるでついでのように呟いた少年の声は、口調に反した重さを宿していた。
「全部絶対すげーので、二三回使ってもまた絶対欲しくなっちまうぐらいのだから。その、……使い方とか、また欲しくなったとか、……ら、…………俺の家来たら分けてや、……らねぇこともねぇし」
物凄く頭下げて必死にどうしてもって言うんなら。
いつもの素直じゃない言葉で隠したくなったが、その前に別のものが零れかかった。意識的に唇を絞り、口の中を何度も細かく飲み込む。
言いながら勝手に視線がカラムから落ち、目どころか顔ごとまた足元に引っ張られてしまう。リュックを降ろす前よりも丸くなった肩と背中は余計にネイトを小さく見せた。
覇気のなくなったネイトの言葉に「そうか」「ありがとう」と一つ一つネイトの耳が拾えるように様子を見ながら続けたカラムだったが、肩を叩きたくても今は両手が塞がっていた。今奇襲を受けたら反撃に苦労するかもしれないと職業柄頭の隅で考えてしまいながら、一度彼の前で片膝を付いた。
身長の低いネイトの頭の位置が近くなる中、カラムは床へ左肩の手提げを一度下ろした。花束以外にも教師から受け取った餞別の品が零れんばかりに詰められたそれをネイトは視界の隅で確認した。絶対そのどれよりも、自分があげた発明の方がびっくりするし良い品だと本当は胸を張って大声で自慢したい。
口数が少なくなっていくネイトに、カラムは手提げの中を手探った。そして指に引っ掛かるものを確かめると、上の物を零れ落とさないように留意して引っ張り出す。
「ネイト、私も用意していた」
肩を限界まで強張らせ息を荒く歯を食い縛るネイトに、カラムが取り出して見せたのは真新しいリュックだ。
他の一般生徒も使っているのと遜色変わらない、ごく一般的なそれはジャンヌ達が使っていたリュックとも同じ物だった。ネイトの担いでいたリュックが親からのお下がりで大人用かつ大荷物用だっただけで、ジャンヌを含める一般生徒が担いでいるのとは違う。
まさか発明ごとリュックを自分が貰うことになるとは思ってもみなかったカラムだが、こうしてみると丁度良かったと思う。真新しいリュックの口を開くと、今度はネイトから受け取った膨らみきったリュックを開き中から彼のノートやペンだけを探して出す。「これは勉強に必要なものだろう」と確認を取りながら、勉強道具や昼食の包みをネイトの目の前で真新しいリュックへと詰め替えていく。
「明らかに君の背中には合っていなかったから気になっていた。もう学校では発明よりも勉強に忙しくなったのだから、この大きさでも充分だろう」
もともと伯父の一件を終えてからは、そのリュックも大きさに相応した量しか詰められてなかった。今後勉強に必死になればなるほど休み時間も発明より勉学に費やす必要の方が大きくなる。ならばいっそリュック自体を普通の物に変える方が良いと考えた結果の贈り物だった。自分にリュックを丸ごと譲ってしまうのなら、余計に今後必要になると考える。
最後の一個までネイトの私物のみを詰め直し、両方のリュックの口で閉じたカラムは新しいリュックをそのままネイトに両手で差し出した。
しかし、俯いたまま両手を握り拳で下ろしたままネイトは受け取るそぶりすら見せない。どうしたのかと、カラムも少しだけ不思議そうに眉を上げたが、その顔を間近で覗き込めばすぐにわかった。
再びリュックを床に置き、正面からネイトのゴーグルに指をかけると「外すぞ」と一声かけてからそれをもとの額へと持ち上げ戻す。同時に
ぱしゃりと、大粒の水滴がゴーグルの溝から溢れ落ちた。
歯を食い縛ったまま、狐色の目は開かれた状態で赤く充血しきっている。
嵌めたままのゴーグルの中でいつから目を溺れさせていたのかと思いながらカラムは何も言わない。元の定位置にゴーグルを上げ戻した後は、自由になった右手で今度こそポンポンと優しくその肩を叩いた。
微弱な振動にも関わらず、それだけで俯けたネイトの両目から新たな大粒がボトボトと零れては床で弾けた。
ひっぐ、えっぐ、と隠す必要がなくなったと思った瞬間にか細い喉が痙攣し出す。ゴシゴシと乱暴に半そでの腕で目を擦ったが、目だけでなく目の周りまで赤くなる以外は何も変わらなかった。
また腕を降ろし離せば何度でも大粒が床に落ちてしまう。ゴーグルを嵌めたまま、涙だけを受けとめ続けていた目はとっくにカラムから貰えたものの輪郭すらわからないくらいに滲みぼやけきっていた。
ゴーグルを取られて視界が開ければ、今度ははっきりと何を貰えたかわかってしまい余計に溢れて鼻まで啜った。
「また、私の休息日には時折学校に顔を出させてもらうだろう。その時にはまた近況を聞かせてくれ」
理事長にも許可は頂いてある。と、ネイトのしゃくりあげる音と啜る音に紛れてしまわないように音が引くのを待ってからカラムは柔らかい声でそう告げた。
ネイトに今日で最後だと確認された時に言おうとした言葉を、改めて言い直す。引継ぎで理事長と最後の打ち合わせを行ったカラムだが、同時に今後も敷居を跨ぐ許可も得ていた。教師達に指名までされて必要とされた以上、せめて非番の日だけでも時々顔を見せて話を聞きたいと頼めば理事長も喜んで了承した。
また来る、と言葉にしてくれたカラムに、ネイトはズズッと大きく鼻を啜り上げて目を皿にした。ぱちぱちと大きく瞬きを繰り返しながら、自分を見上げるカラムと目を合わす。
「……本当だな⁇嘘じゃ、ねぇよな??」
「ああ本当だ。私もまた、君の成長を楽しみにしている」
とぎれとぎれにガラガラ声で尋ねるネイトに、カラムも大きく頷き笑いかけた。
良かった、と最初にその言葉が胸に浮かぶと同時に、「なら早く言えよ」と鼻を穴を膨らましたくもなったネイトだが安堵した途端にまた別の涙があふれ出してすぐに喋ることができなくなった。
顔だけが嬉しいままに崩れて笑いながら、笑みに細まった目から大粒の涙がこぼれてきて頬に伝う。鼻まで垂らしてしまうが、顔中の筋肉が緩み切って今は駄目だった。
ひっく、ひっくと引き攣った喉の音だけが頼りなく零れ続ける中ネイトのその表情に、やはりあの判断は正しかったとカラムは思う。
あくまでネイトたった一人の為ではなく、教師達からの期待と自身の希望も含めた上での相談だったが、やはり学校の中ではこの生徒のことは気がかりである自分を自覚する。
プライドから昨日ネイトの話を聞いた時から、彼が自分に会いに来てくれるであろうことは予想できていた。そして、四限前になっても会いに来なかったからこそ、理事長の茶の時間も切り上げネイトと合流しやすいように職員室からも出たのだから。
最終日だと思っていた彼の善意に応えられるものは全て応えたかった。そしてそれで良かったと思う。
今も、自分が詰め直した小ぶりのリュックを彼の両肩にかけさせてみれば、文句ひとつなく両肩にかけるネイトは今までになく素直だ。ハンカチを取りだし、彼の顔を拭いてから改めてカラムも自身の荷物を一つ一つ持ち直す。手提げ二つに、大柄なリュック一つ、最後に花束を掴んだところで、カラムは付いていた片膝から立ち上がった。
「校門まで送ろう。一人で帰れるか?」
当たり前だろ、と。途切れ、濁り、ヒクつく喉でネイトは少しだけいつもの口調に戻っていた。
しかしそのまま空いた手をカラムに差し出されれば、躊躇する一瞬の後に無言で掴み返した。幼子のように手を引かれ、歩幅の全く違う相手に合わせられながら大人しく校門へと向かう。
また負ぶられても良かったけど、と心の底で小さく大事な日を思い出した。
Ⅱ420.198
 





 
 
