そして見送る。
「?駄犬……、……!……ッ⁈」
本に夢中で全く気付かなかった。
半分仮面で視界は常に片方狭く、その視界を本に費やしていたレイには周囲の人だかりすら気にならなかった。
下校すぐの人集りの煩わしさで他生徒からのタイミングをずらして下校を始めた彼は、本を片手に余計帰る足は遅かった。
視界に入ったディオスとクロイに少しだけ視線を上げたレイだったが、小さく零した言葉が直後には息を引くように止まった。
見開く視界の先には、いつもは校門端に佇んでいた王族が何故か親し気にファーナム兄弟と並んでいる。不思議そうに自分を見る金色の王族と更には水晶のような丸い目で口をいの字に歪めるディオス、そしてあからさまに嫌そうに眉を顰めるクロイだ。
双子のヘアピンでの見分けもついていないレイだが、その表情だけでどちらがどういう性格の方かは明らかにわかった。
何故、あの駄犬と噂の王族が一緒にいるのかと。疑問に思った時には足が止まっていた。
仮にも最近検挙されたアンカーソンの令息でもある自分のことを、まさか王族自らが駄犬にまで聞きまわっていたのかとも考える。今まで昼休みに一度も食堂へ訪れなかったレイは三人の関係性を全く知らない。
「?ディオス、クロイ。彼がどうかしたのか」
そしてセドリックもまた、今まで一度も会ったことのない人物へ僅かに眉の間を寄せる。
明らかに顔色を変えた二人と、高等部では見なかったことから中等部と見られる青年。服自体は上等なのに着古している恰好に、資金繰りに険しい下級貴族の一人かとセドリックは宛てをつける。
まさか既に自分の知らないところで中等部貴族からの嫌がらせでも受けていたのかとセドリックが二人とレイを見比べれば、その顔色を見たクロイが今度は先に「違います」と否定した。
「知り合いってほどではありません。セドリック王弟殿下が気になさるような人でもありません。ただ、僕らが一方的に嫌いなだけです」
「ッ一方的じゃないだろ!レイだって僕らのこと馬鹿にしてくるじゃんか‼︎あいつですセドリック様。あの、前にジャン」
「ディオスばか!…………。……以前僕らの友人と一方的に付き合って、速攻で振られた人です」
遠回しに流そうとした言葉に、うっかりジャンヌの名前まで出して食って掛かるディオスを止めたクロイが仕方なく簡単に説明する。
明らかに王族を味方に回しているからとはいえ、目の前で〝振られた〟と言われたその発言だけはレイも整った眉を険しくさせた。「おい待て」と低い声で唱えたが、言い切るよりもセドリックが大股で歩み寄る方が先だった。
セドリック様⁈と思わず声を上げるディオスとクロイに構わず、立ち尽くすレイへと見開いた目で歩み寄る。
クロイの短い情報で、充分にセドリックの記憶内にある〝ジャンヌと付き合い騒ぎを起こした青年〟は検索できた。あの時のあの青年かと思いながら手まで延ばせば、レイも王族相手に歯向かえずに半歩下がるだけになる。
触るなと反射的に攻撃したくなったが、それをすれば今度こそ自分はこの場で騎士に捕らえられる。
そう数秒の葛藤をする間に、とうとうセドリックの手が眼前で止められた。
「お初に御目にかかります。ハナズオ連合王国が王弟、セドリック・シルバ・ローウェルと申します」
するりと伸ばしてきた握手を求める手に、レイは瑠璃色の瞳を片方だけ大きく瞬きした。
何故、今の説明で自分に握手などを求めるのか。少なくとも決して褒められた紹介を双子からはされていない。
ディオス達からしても、ジャンヌに付きまとった男に、あんな嫌な奴にまでセドリック様は何故握手を求めるんだろうと心の中で首を傾げてしまう。
しかし、嫌味の欠片も感じられないほどにセドリックの両目の焔は煌々と燃えていた。
王族に真正面から握手を求められ更にはその背後に見覚えがあり過ぎる騎士が佇んでいることにも遅れて気が付けば、レイも嫌々でもその手を掴み返すしかなかった。双子はどうでも良いとしても、アランに自分は色々知られ過ぎている。
本を閉じ、左手で持ち替えてから聞き手でセドリックの右手を握り返すレイは改めてセドリックを見つめ返した。今の自分のみすぼらしい格好を嗤いにきたのかそれとも学校を脅かしたことへの報復でも与えようとしているのかとまで考えた時、セドリックの口がひそやかに開いた。
「…………アンカーソン卿のことは私も聞き及んでおります」
こそり、と潜めた声に覚悟していた筈の両肩が大きく上下した。
まさかこんなところで報復が来るとはと思いながら、レイは表情には出さず歯を食い縛る。昨日は家に騎士の身内を連れてきたと思えば今度はどんな手を使ったのか王族まで吹っ掛けてきやがってと鋭くした眼光で双子を睨む。
その瞬間、また黒い焔が込み上げてきそうな感覚に自分でぞわりと背中が冷えた。流石に王族へ火を放つことはレイもしたくない。
せめて距離を取ろうと握手を交わした手を引っ込めようとすれば、逆に強く握られ引き寄せられた。
「そして、今はいち生徒としてやり直されていることも。私にできることがあるかはわかりませんが、何かあればご相談ください。城の門番伝てにでも」
今度は堂々と言い放った声に、レイは目の前で手を叩かれたかのように困惑した。
さっきまでの敵意が嘘のように散っていく。意味が分からない。てっきり圧力の一言でもそのまま掛けられるのかと思えば、その前に公言用の台詞を掛けられた。
しかも「ご相談ください」と言いながら今度は両手で自分の手を握り返してくる王族に首を捻りたくなった。しかしそうしている間も「最後にご挨拶ができて良かった」と変わらず明るい笑みを自分に向けてくる。
「ディオスとクロイは、私にとっても大事な友人になります。何卒今後も仲良くして頂きたい」
「…………勿論です。ところでお話は、それだけで宜しいでしょうか」
とにもかくにも目の前の謎の王族から離れたい。
もともと双子と仲良くなった覚えもないレイは余計に声が低まった。未成年の自分より遥かに背の高い王族を至近距離で見上げながら、言葉だけは整える。揺らめく金色の髪がチカチカと目に引っ掛かりながら、つい最近もこんな風に王族に話しかけられたものだと思い出す。
あの時も興味津々も淀みない眼差しを向けられたものだと思い返せば、王族は皆こういう能天気な連中なのかとも考えた。しかし裁判以外、王族になどその二人にしか直接会ったことがない自分にはそれ以上はわからない。
「ええ、引き留めて申し訳ない」とセドリックもすんなりと両手の力を緩める。…………が、
「ちなみに。一つだけお尋ねしたいのですが」
緩めた手に反し、セドリックの顔がぐいと前のめりにレイへと近づいた。
あくまで強制はしないという意思表示に拘束は緩まるが、代わりに高い鼻先がレイの芸術的な仮面に微かにぶつかった。王族にしてはおかしすぎる距離の詰め方に、レイも顎だけでは足りず背中ごと反らして顔を険しくさせてしまう。
「なんでしょうか」と掠れかけた声で返す中、自分の半歩を追うようにセドリックが自分へ半歩寄っていることに泳がせた視線で気が付いた。
やはりまだアンカーソン家や自分の陰謀について疑いたいことがあるのかと表情を険しくさせるセドリックを見て思う。だが、自分はもう言えることは既に裁判で言い尽くした後で
「……ディオスとクロイの件の〝友人〟と一時でもお付き合いもされていたというのは事実なのでしょうか……⁈」
「…………」
ハァ?と、相手が王族でなければ発していた。
真面目な顔で何故そんな生徒間の色恋を気にしやがると、疑問が浮かんだがそれよりも目の前の王弟の鋭い眼光が気になった。
真面目を突き抜けて殺気立っていると言っても良いほどの鋭さに、思わずレイも喉を鳴らしてしまう。それほど過保護に思うほど、ジャンヌに懐いている双子が大事なのか、と先ほどの友人発言を疑いながらもそう考える。
ついさっき校門前でやったのと同じように、どうせ駄犬その一が王族にジャンヌのことで泣きついたのだろうと検討づけながらレイは同じく抑えた声色で口を開く。
「誓って、そのような事実はありません。そちらの騎士殿も、ご存じのように、あれは、庶民相手に少し、戯れてやった、だけのことです」
一言一言こまめに区切りながら噛み締めるようにはっきりと断言する。
周囲を様子を伺っていた生徒達は一体何の返答なのか見当もつかない。例のアンカーソン関係か、と検討をつける貴族もいるが正解に辿り着ける者はいない。
発言をした途端、目を微塵も逸らさず自分と合わせたレイにセドリックもそこで静かに安堵した。アランやファーナム兄弟からも誤解だったことは聞いているが、やはりやらかした本人から聞かないと安心できなかった。
ほんの一秒でもそんな事実がよりにもよって彼の中にあるのだけはセドリックも避けたかった。
レイの言葉を、自分の絶対的な記憶に上塗りさせるように重ねて書き込みながら「そうですか」と突然の問いにだけ短く謝罪の言葉を掛けた。今度こそ両手を離し、しかし代わりにその肩へ重々しく手を乗せ叩く。
「ですが、今後の為にも二度とそのような戯れはされない方が良い。いつか、それを後悔と来る日が来ぬように」
…………愚かだった俺のように。
そう助言を続けたい気持ちを喉の奥でぐっと抑え、セドリックはレイから踵を返した。
校門で並ぶディオス達へと歩み寄り「まだいてくれたのか?」と自分に遠慮せず姉と共に帰るように促した。
レイの返答は聞こえても潜ませたセドリックの声は聞こえなかった二人は、セドリックが何故レイなんかという疑問はまだ解消しない。しかしこれ以上姉を待たせることもできず、少し裾を引きずるような気持ちのまま今度こそ校門から立ち去った。
ディオス達の背後を歩くことが不快なレイも、少し間を置いてから校門へと再び足を動かした。いっそ面倒だから一度広場で本を読んで時間でも潰すかと考えたその時。
「あー、そういやぁレイ」
校門を抜けようとした自分に、また引き留めてくる。
しかし声だけで嫌でも誰かわかってしまったそれに、レイも眉を寄せながら目を向けた。もうこれ以上時間を費やしたくないと示すべく身体ごとは振り返らずに目だけで睨む。ただでさえ王族に無駄な足止めを食らったのにお前もか、と思考の中だけで悪態吐く。
視線の先には、さっきまで黙ってセドリックの護衛に準じていたアランが瞬きをしない目で首だけを向けていた。
いつもの定位置である校門脇に逸れるセドリックに順じつつ、顔と視線だけをレイに向ける。本来であればこのまま何も関わらず見送ろうと思っていたアランだが、先ほどの断言に少しだけ気になった。
睨んでくるレイに、自分はそんなに時間を掛けないと示すようにヒラヒラと手を振りながらアランは軽い口調で投げかけた。
「ジャンヌ達から聞いたか?」
「??…………」
何がですか、と。
あまりにも軽すぎる口調で、あまりにも気にかかる問いを投げてきたアランにレイはゆっくりと身体ごと向き直った。
最後には「別に、用事もありませんから』と。アランからの話と気遣いも一言両断した彼は、今度こそ足早に校門を後にした。




