Ⅱ442.嘲り少女は伝える。
「ハァ⁈ジャンヌ達までって……なんでだよ‼︎」
ガッチャン!と勢いのままに手を付いたテーブルが食器ごとけたたましい音を上げた。
王弟という注目と悲鳴の震源地が食堂に入った後だからこそ目立ちはしなかったが、それでも周囲の生徒を振り返らせる程度には目立ったネイトにプライドは大慌てで止めに入る。
しーっしーーーっ‼︎と掠れた声を繰り返しながらテーブル越しのネイトへ手を伸ばす。狐色の目を吊り上げたネイトは両手をついたまま椅子を押し立ち上がっていた。
あまりに大っぴらな態度で取り乱す彼を、隣に座るパウエルが肩を掴み押さえる。落ち着け、と低めた声を掛ければネイトもぴくりと身体を短く震わせてから我に返った。パウエルを怒らせて怖いことはもうよくわかっている。
唇を結び、無言でまた席に座り直すネイトにプライドも早口で「本当に突然ごめんなさい」と表情を萎れさせた。
「家の事情は話せないの。だけど私達もどうしても戻らないといけなくて……」
「僕らもつい昨日決まったばかりなんです。ディオスとクロイには一限後に伝えましたが、ネイトやヘレネさんにもきちんと伝えておきたいと考えこうして報告させて頂きました」
お爺様の話題から学校退学へと切り出したプライドに、ネイトが狼狽えるのも当然だった。
ぐるるッと椅子に座った後も睨んでくるネイトに、プライドに続きステイルも応戦する。こちらにも誠意を見せるつもりは充分あるのだと示すステイルだが、それでもネイトが納得できるわけもない。
つい今朝カラムがいなくなることに元気づけてくれたジャンヌ達に自分達も今日までと言われれば裏切られたような気持ちにもなる。テーブルに置いた両手の手袋がぎゅっときつく音を漏らした。
戸惑いをあらわにするネイトに、パウエルも今は肩に手を置くだけで様子を見守った。自分だって何も知らずネイトと同じ立場で言われたら取り乱す自信がある。こうして宥めることができるのも、既にステイルと別れを惜しめたからだ。
「まさかセドリック様だけじゃなくてジャンヌちゃん達まで今日で最後なんて……。寂しくなっちゃうわね」
比較落ち着いているヘレネも目が丸い。
あまりに突然の事実に灰色の瞳を皿にして呆けてしまったが、ネイトが取り乱している間に染み入るような寂しさが胸に積もった。
頬に片手をあてながら、最後には儚い溜息が落とされる。自分にとってもジャンヌ達は親しい相手である。特にジャンヌは貴重な女友達であることも重ねれば、細い眉が余計に垂れた。哀しさをそのまま露わにするヘレネの表情に、それだけでもプライドの胸がズキリと矢を刺されるように痛んだ。
「で、でもお向かいのレイと一度約束がありますし、その時にもしかしたら」
「ハァ⁈ずりぃ‼︎俺ん家も知ってるくせに‼︎」
実際ファーナム家にまで行く暇があるかは分からないがこの場の気まずさ緩和の為にもと言い訳を考えたプライドに、再びネイトが牙を向く。
先ほどと全く同じようにテーブルに勢いよく両手をつこうとしたが、今度はパウエルに「やめろって」と両肩を掴まれ止められた。二度目の制止に今度こそギロリとネイトが睨みあげたが、パウエルも寄せた眉で返すだけである。気持ちもわかるし、つい先ほどまともな会話をできるようになったばかりの相手をこれ以上脅かしたくもない。
ステイルから、たまたま先の約束があっただけだと説明を重ねられたがそれでもネイトの顔は険しい。立ち上がることもテーブルを叩くことも許されない今、代わりに顔いっぱいに力を込めて不満を訴えた。
あまりにわかりやすく態度に出ているネイトに、ヘレネも「だと良いわね」と言いながらそれ以上はネイトの顔色を横目で確認してしまう。ディオスがむくれている時にも似た態度に、このまま泣いちゃうんじゃないかしらと心配でそれどころでなくなってしまう。
自分も寂しさは一緒だが、我慢できないという一点において上回るネイトのことの方が頭の重点に置かれる。既にディオスとクロイにジャンヌが話した後であれば余計に今は目の前の少年が気にかかった。
そう考えている間にも事情を説明するステイルの言葉の一点が、耳に引っ掛かった。あらそれならと、おもむろに頬に当てていた手を降ろす。
「もしエリック副隊長さんの家経由で文通ができるのなら、私もジャンヌちゃん達と文通したいわ」
ねぇネイト君、と。
レイとの約束の日に、アムレットからの文通依頼の返事を手紙でファーナム兄弟に預ける予定だと告げられた途端の便乗に、流石のステイルも息を詰まらせた。そう来るか、とまさか大人しいヘレネからも便乗が挙げられたことは予想外だった。
更には手紙など書く性格ではないネイトにまで話を振れば、聞いていたパウエルまで「あ」と一音を零した。
きょときょとと瞬きを繰り返すネイトも、二秒時間をかけてからヘレネの意図を読み取った。文通、という形でもジャンヌ達とつながっていられる方法を提示され、決断までは時間もかからなかった。
ファーナム兄弟とアムレットに頷いてしまった以上、ヘレネの提案に対抗する言葉を持たないプライド達に次の波が襲い出す。
「俺も!俺もじゃあそれしてやる‼︎絶対返せよ⁈すぐ返さねぇと許さねぇから‼︎」
「いやジャンヌ達も都合があるし遠いしすぐに返事は無理だろ……。……けど、俺も良いか……?アムレットが出す時、俺も一緒にフィリップに出させてもらって、返事くれたら絶対返すから。お前らに書けたらその、すげぇ嬉しい……」
「急がなくても良いからね。ジャンヌちゃん達からのお手紙ならディオスちゃんとクロイちゃんと一緒にいつまでも待つわ」
いえ、その、うっ……。
口の中だけで籠る一音一音が第二波第三波に飲み込まれていく。そうしている間にも最初にネイトが背負っていたリュックからノートを丸々一枚ビリリと捲り破り、そこへ大大的に自分の住所を書き渡した。
前のめりになるネイトと目をきらきらと希望に輝かせるパウエル、そしてほぼ確定のような発言で気遣いをかけるヘレネにプライドも断ることが難しい。特にパウエルに至っては第三作目フィルター且つステイルへの思い入れを知っているから余計にである。
テーブルを挟んだ向かい側の熱量を感じながら、椅子が傾きかけるほどに背中を反らした。自分も彼らとの別れを惜しんでいた分に断りにくい。
ちらりとステイルへ視線を向ければ、彼も彼で眼鏡の黒縁を押さえて俯いていた。ジャンヌとディオス達との事情をネイトに説明する為とはいえ、要らない墓穴を掘ってしまったことを顧みる。自分だってパウエルとやり取りできるならそうしたい。しかし、その中継地点にされるのは現段階で
「…………ギルクリストさん家の、返事によりますね……」
〝ジャンヌ、他にも手はありますから〟と。その言葉をこの場では言えず飲み込んだ。エリックの家を経由せずとも、ディオスとクロイ経由で城に、そして城にいる〝親戚の〟アラン経由で自分達にという建前もある。しかしここで二人がセドリックの使用人とネイトとパウエルに説明するのもややこしくなる。
ここはもう全員断るか、全員に頷くしかない。
そう判断したステイルの絞り出した声に、プライドも枯れた笑いだけで返すしかなかった。たった二、三人なら未だしも一か月だけの約束だった間借りが、仮郵便みたいに上げられたことが申し訳ない。セドリックの名のものとに国内郵便も考えられてはいるが、正体を隠している自分達には「城宛てに」と言えるわけもない。
二人の横で唖然としていたアーサーから「エリック副隊長の家もご都合があるので、マジでどうなるかはわかりませんけど……‼︎」と遅れて応戦が放たれたが、そこで期待が半減してくれたのは事情を知るパウエルだけだった。
「良いって言わせろよ。ジャンヌ達どうせそのエリックって騎士とも仲が良いんだろ?カラムが隊長ならカラムに頼んで副隊長に言うこと聞かせろよ」
「エリック〝副隊長〟とカラム〝隊長〟です。ッつーかそォいう問題じゃねぇンすよ。隊長だからってなんでもかんでも部下に命令できるわけねぇでしょう⁈」
「なんでだよ!隊長の方が偉いんだろ?」
「カラム隊長が立場の弱い相手に強制するような人じゃねぇことはアンタもわかってンじゃねぇんすか」
んぐ。
アーサーとの攻防にそこでネイトは次を飲み込んだ。ジャックにまで鋭い眼差しで窘められたことも怯んだが、あまりにも正論で言い返されたことが一番効いた。
ここで「そんなことねぇし」とは嘘でも言えないし言いたくない。ぐぐぐと食い縛った歯で顎の角度を上げて返す手を探すがすぐには出てこない。
そのギルクリスト家が頷いてくれないならジャンヌ達と連絡が取れないという以上、ここは決定打が欲しくてたまらない。今日でジャンヌ達は最後となれば、本当に一生会えなくなるかもしれないのだから。
じゃあお前らの親戚は、と。もとはと言えば彼らの親戚も騎士だったことを思い出して提案するが、それも「アランさんもすげぇ良い上司なんで無理やりとか絶対しません」と両断される。強制力は強くとも、本気で嫌がることからは必ず逃がしてくれる人間だということは騎士団であればだれでもわかることだ。
アーサーにしては両断も押しも強い言い方もする姿に、プライドもステイルも半分笑った顔で見つめてしまう。相変わらず騎士のことになると強い、とも思うがここまでアーサーに叱られまくるネイトも貴重だと思う。
なんでただの親戚にそんなことわかるんだよ、と言いたくなったネイトだがあまりにも断定する言い方に躊躇った。ジャックの眼力に全て潰される。
他に、他に何か手はないかと考え巡らせる間に、一秒二秒三秒の沈黙で今度はヘレネが「あらあら」と柔らかく口を開きだす。
「なら、駄目だった時は仕方ないわね。騎士様もお忙しい仕事だし、寂しいけれどまた城下に来た時は」
「ッあ!じゃあ‼︎じゃあ俺の発ッ……作ったのやる!それやる代わりに手紙させろよ!!」
「ネイト。貴方はいい加減能力便りと腕を安売りする癖を直してください」
ヘレネに次は言わせまいと手を挙げ遮るネイトに、ステイルが溜息混じりに声を冷やした。
ネイトの発明。確かにポスト化及び仲介地点にさせてもらうには充分な代金だとはプライドも思う。しかし、ステイルの言う通りだ。自分のゴーグルもそうだが、彼はあまりにも気軽に大盤振る舞いし過ぎる。
レオンとの取引で余裕が出たのも理由の一つだが、それでも何かと言うことを聞かせるたびに発明一個で解決しそうな言動は一縷の不安も覚えた。ネイトが何を作ってどう使い誰に渡すかは本人の自由だが、安売りすればまた第二第三の伯父に目をつけられかねない。
俺の勝手だろ‼︎と次の瞬間には強気に声を張り上げたネイトだが、肩を落とすステイルにプライドも苦笑いをしてしまう。やはりこのゴーグルを返すべきかと考えながら、貰った物を付き返すのもと二種類の良心がせめぎ合う。
指先で額のゴーグルを確かめるプライドに、そこでヘレネも「作ったの」と言葉を伏せたネイトが何を指しているかを理解した。
「そういえばジャンヌちゃんのゴーグルもネイト君が作ったのよね。こんな素敵なの貰ったらきっと皆喜んじゃうわ」
「ッだろ⁈」
きらっ、とネイトの目が丸く輝く。
不意打ちのヘレネからの賞賛にさっきまで吊り上がりかかっていた目が変形した。他の面々と違い、現時点で自分を褒めてくれてばかりのヘレネには距離もぐっと縮まった。
また響く声に今度はセドリック達のいる渦中まで届きかけたが、そこで止まった。全く何の計算もなくにこにこ微笑むヘレネの表情にそれだけでネイトの気持ちは無限に回復される。
ちょっとまずい、とプライドもこの瞬間に思った。ネイトとヘレネが仲睦まじくなることは良いことだが、今このタイミングは不吉な予感しかない。ステイルに指摘されたばかりのネイトから〝自重〟という言葉が転がり落ちていくような気がする。
「喜ぶよな⁈まぁそりゃあ俺は天才だし!当たり前だけど⁈ジャンヌん家のお爺さんもギルル……なんとかの家の奴らも喜ぶよな⁈欲しいよな⁈」
「ええ、喜ぶと思うわ。ネイト君はすごく優しい子なのね」
「は⁈べ、べつにそういうんじゃねぇし?!!!そんなこといっても何も出ねぇからな⁈」
まるで今から出しますよの振りのようだとプライドは思う。
このままだと本気でエリックの家に発明をドドンと積みそうだと思いながら、プライドも血流が下がっていくのを感じた。
贈るのは一行に構わないが、安売り大盤振る舞いだけは今のうちに釘を刺しておかないと大変なことになる。
完全に弟達へと同様に〝飴〟を惜しみなくネイトに差し出すヘレネに、ステイルとアーサーも同時に顔を見合わせまた二人を見比べた。もとはパウエルとネイトを引き合わせる為だったが、予想外の化学反応がここに居た。
「ネイト君は優しいしご飯もたくさん食べられるしお友達想いですごく良い子だわ。ジャンヌちゃん達もこんな素敵なお友達がいて自慢ね」
「べっ……‼︎ま、まぁ⁈俺はすげぇし⁈お、おおお前もどうしてもって言うなら何か作ってやっても」
「ううん、お姉ちゃんはそんなのがなくてもネイト君と仲が良くなれただけで嬉しいわ。ジャンヌちゃん達もきっと同じよ」
ね?と、にこにこと女神の笑顔で小首を傾げて同意を求めるヘレネに、プライド達も勢いのまま頷いた。
発明がなくともネイト自身に友人としての価値があることは変わらない。しかし、それよりもすんなり自然にネイトの発明を断った姉の言葉に驚いた。
てっきり「まぁ嬉しい」と疑問も抱かず受け取ると思ったが、よくよく考えれば双子の弟達の姉であることを思い出す。
発明を断られたことと、しかし仲良くなれて嬉しいと褒められたことにネイトも戸惑いすぐには言葉が出ない。「えっ、あ、じゃあ」と漏らしながら頷いてくれたプライド達をちらちら見る。
自分と仲良くなれて嬉しいと、その言葉にじわじわと顔の熱量が増してきた。
可愛らしく照れている少年を愛しく思いながらヘレネはまた微笑みかける。
「だからね、大丈夫よ。ジャンヌちゃん達もこんな素敵なお友達を忘れるわけないもの。もしお手紙ができなくてもきっとまたネイト君に会いたくなるわ」
「…………俺に⁇ジャンヌが??ジャックとフィリップも???」
そうよ、と自信満々に頷くヘレネに、今度はプライド達も全力で大きくネイトへ頷いて見せた。
いつの間にか風向きが変わっていることを感じ、口を結んで見守る体制になる。パウエルも腕を組みながら、自分に背中を向けヘレネに夢中なネイトを注視する。以前自分が怯えさせてしまった時は全く言うことを聞くどころか反発されてしまったのにと思えば、ヘレネへの態度の違いは火を見るより明らかだった。
「それにネイト君はすごい工作ができる子だから、またジャンヌちゃん達が助けてって頼りに来てくれるかもしれないわ。ネイト君は格好良い男の子だからきっとジャンヌちゃん達を助けてくれるわよね?」
「……うん」
こくん、と小さくうなずいたネイトに、偉いわ!と両手をぱちぱち叩いて褒めるヘレネにプライドは顎が外れそうだった。
策士のステイルさえこれには舌を巻きたくなる。ジルベールのような人心掌握術とも異なる手腕で、自然とネイトを掌握してしまっている。しかも擽ったいように頭も小さく掻くネイトが俯いても、ヘレネは全く変わらない。
優しい子ね、偉いわ、格好いい、流石男の子ね、と繰り返しながらひたすらネイトを褒める彼女は完全に計算もない天然の為す技だった。
ネイトを惜しみなく褒める言葉から途中で「お姉ちゃん嬉しいわ」と入ったところで、そういえば話し方がディオス達への口調になっているとプライドとステイルも気が付く。
「そ、そうよ。ネイト。私もネイトにまた会えるのを楽しみにしているわ。困った時は頼らせてくれると嬉しいわ」
「ヘレネさんとジャンヌの仰る通りです。僕も貴方の才能は知っていますので、今後も是非よろしくお願いします。正当な対価を約束します」
「あッの、自分もエリック副隊長に断られても一回は頼んではみますから……!自分もネイト達と話せないのは残念ですし……」
ヘレネの飴教育に、今が機会とプライドに続きステイル、アーサーも抑揚を上げて言葉を掛ける。
わかっていた筈なのに、やはりネイトには鞭ではなくこちらなのだと思い知る。誠心誠意、嘘偽りない気持ちでネイトを賞賛しつつ説得を試みた。
未だヘレネへ俯き気味になったままのネイトの顔がゆっくりと上がっていく。耳が一番赤くなりながら、顔色もそれに準じていた。
ジャンヌが自分に会うのを楽しみだと言ってくれたことも。フィリップに認められたことも、ジャックに「話せないのは残念」と言われたことも嬉しくて熱くなる。
「そ、そうだわ。これね、三人にも今までのお礼に……」
この流れで!とプライドの目配せにすぐリュックを持つアーサーも応じた。
プライドのリュックから取り出し、そして自分ではなく彼女の手からとそれをプライドに三つ手渡した。
そしてプライドから差し出されたそれに、ネイトだけでなくヘレネやパウエルも目が丸くなる。小さな可愛らしい包みの中身に想像もかたくない。彼らが中身を開くより先にプライドは両手を合わせ笑いかけた。
「フィリップ達と蜂蜜クッキーを作ってみたの。良かったらおやつにでも食べて」
大したお礼にもならないけど!と心の中で叫びながらプライドは笑いかける。
昨晩、女子力チートの妹とステイルと共に作った品だ。何かしらお礼をしたいと思っていたプライドだが、あくまで庶民のジャンヌとしてできるお礼を考えたら手製以外思い浮かばなかった。
蜂蜜、という言葉にパウエルは思い出したように大きく瞬きをしてプライドを見た。王女様がお菓子作るのかという衝撃もあったが、やはり一番は以前の自分の発言である。
パウエルの視線に気付きながら、プライドは敢えて今は三人一人一人に同じだけ笑みと視線で返した。
アムレットにも渡したから大丈夫‼︎‼︎とあくまで自分にやましさも後ろめたさもないことを再確認しつつ、心からの笑みで三人に今日までの感謝を示した。
両手で受け取ったネイトも今だけはこの場で雑に食べる気にはならない。パウエルとヘレネがそれぞれ「ありがとな」「ありがとう嬉しいわ」と伝える中、唇を尖らせるように絞り黙した。
落ち込むのとは反対の理由で三人と目を合わすことを躊躇ってしまうネイトだが、そこでふと別方向の視線に向きが変わった。振り返れば今まで背中を向けていた相手であるパウエルが頬杖をついて自分を凝視していた。
あまりに近く、見開く強い空色の眼差しに一瞬吸い込まれるように息を飲む。「なんだよ」と言えないほどの迫力に見返すだけで止まってしまえば、パウエルが「お前」と閉じていた口を開き出す。
「すげぇなぁ……」
「…………へ?」
思っていたどの言葉とも異なる感嘆に、ネイトは間の抜けた声しか出なかった。
ただでさえヘレネに褒められジャンヌ達に褒められお菓子をもらったのにパウエルにもそう言われ、どう反応すれば良いかわからなくなる。ぽかんと空いたままの口で固まれば、パウエルは真剣な眼差しでネイトへ一度瞬きを返した。
「ジャンヌ達に頼られるし認められて……。………………良いなぁ」
パウエルの目から見ても正体を隠しているプライド達が、それでも嘘を言っているとは思えない。
ステイルを追って城でいつか働きたいと思っている自分にとって、自分より子どものネイトがそこまで言われることが素直に羨ましい。
ネイトの発明を詳しくは知らないが、それでもプライドが愛用するようなゴーグルを作り、今からでもステイル達の役に立てる才能を持っている。
自分の目標に、現時点でネイトの方が近い位置にいるのだろうと考えれば尊敬しかなかった。空色の瞳がきらきらと瞬き、真っすぐに自分より年下の少年へ注がれる。
純粋な、心からの賛辞だとネイトには疑う余地もなかった。自分への見方が百八十度変わったことを肌で感じ、今度ことネイトの全身が発熱した。ただ褒められるだけじゃない尊敬の眼差しにまだ免疫がない。
「は、ハァ⁈おおおおおおおお、俺は天才だから当然だし!!?ジャンヌ達が頼るのも当たり前だろ⁈」
「だよなぁ……。お前の発明すげぇって俺にも話してたし。本当にすげぇ奴だったんだな」
俺なんかよりずっと。
その言葉だけは胸の中にとどめつつ、パウエルはわずかに笑う。目の前で真っ赤に茹るネイトも気にせずに、純粋に思ったことを口にする。
最初は不真面目で勝手な奴だと思ったが、今は才能が溢れた彼が光って見えた。自分の特殊能力など些末だと思えるほどに甚大な才能を持っている少年だ。
ふんぞり返った筈が直撃で褒められたネイトの顔も、とうとう緩み出す。ふにふにと頬が柔らかくなれば、少年らしい笑顔に近くなった。
その笑みにパウエルも頬杖を突いたままニカッと笑い返すと、やっぱりステイル達の知り合いは良い奴ばかりだと改めて確信する。
「明日も一緒に食おうぜ。ジャンヌ達いないと俺も昼休みは暇だし、付き合ってくれると助かる」
「それは素敵ね。お姉……私も一緒に食べて良い?ディオスちゃんとクロイちゃんも紹介するわ」
すごく良い子達なのよ、と。両手を合わせてパウエルに続くヘレネに、ネイトが大きく瞬きが止まらない。
「え」の一音が繰り返されながら左右に座る二人を首が忙しく何度も見比べる。今日が最初で最後だと思ったのにそんな提案を受けると思いもしなかった。
まだ開いた口が緩んだまま治らないネイトに、プライドも「良いじゃない!」と明るい声で加わった。
「ヘレネさんもすごく頭の良い人なのよ。ネイトはまだ勉強で難しいところがあるのでしょう?」
「あら、ならわからないところはお姉ちゃんが教えてあげる。年が近いしディオスちゃんとクロイちゃん達の方が良いかしら?二人もとてもお勉強が上手になったのよ」
ジャンヌちゃん達のお陰でね、と。そう続けながら嬉しそうにプライドへも微笑みかけるヘレネに、ネイトも視線を合わせた。
謙遜するように苦笑で返すプライドに、ステイルもアーサーもネイトへ視線を合わせて頷いた。それが良い、とその意思は三人も互いに確認するまでもなく同意である。
人付き合いの良いパウエルと勉学で優秀なファーナム姉弟ならネイトも安心だと思う。一度は不安に感じたヘレネと、そしてパウエルとのネイトだったが結果としてはよく纏まってくれている。
二人に褒められ嬉しそうに子どもらしい表情を浮かべるネイトを見てもそれが最善だった。
良いけど、と。
照れを隠しきれないようにはにかみながら返したネイトの言葉に、プライド達も静かに胸を撫で降ろした。
Ⅱ43




