Ⅱ439.王弟は応じる。
「セドリック様っ‼︎あの、これ、先日は本当にっ……とにかく気持ちです‼︎」
無数の伸ばしてくる手から、また一つセドリックは右手で受け取った。
手が十本合っても受け取りきるのは困難であるほどに、彼の周囲にはいつもの数倍は女生徒が集っていた。男子生徒も当然いるが、遠目で見たい話せればと思う男子生徒と違い女生徒は必死だ。
ただ見るだけではなく、その手に握る手紙を届けなければならないのだから。
セドリック目当てで特別教室から降りてきた上級層生徒もその数と勢いには圧倒された。
「あらまぁ必死なこと」と手紙を渡すだけで精一杯であろう庶民を心の中で少なからず見下す者もいるが、あまりの数に特定の女生徒へ厄かみも持たない。
教室内や社交界であればセドリックへお近づきになろうと企てる令嬢は、このような大勢の中での一人になるわけになどいかない。それこそ庶民であれば雑踏の一人だが、令嬢であれば恥知らずである。
今も大勢の女生徒達に揉まれないようにと、食堂へ近づくこともできずにセドリックという渦中を追う足も止まったままだった。王弟の人気はわかっていたつもりだが、この数とまさか手紙を渡すなどという手法をしてくる一般生徒へ視界いっぱいにチラつく封筒を遠巻きに見学する。
あのように雑踏の一人として喚き、手紙だけでもと主張する礼儀知らずを王族が恋愛対象としてみるわけがない。むしろ煩わしく思って当然だ。
女性であるにも関わらず大声で騒ぎ、動物のような自己主張しかできず、特別親しくもないのに馴れ馴れしく近付き護衛の騎士にも目もくれず突撃する。
ドレスに皺ひとつ作ることすら許されない令嬢にとって、王女を煌びやかな世界で見てきた王族へそのような姿自体許されない。しかし
「エルシー、先日というのは八日前のことか?スプーン程度気にするなと言っただろう」
感謝する。そう言って手紙だけを受け取ったセドリックは中等部の一般生徒へ微笑みかけた。
名前を憶えられていたことも、たった一度セドリックの進行先にうっかりスプーンを落としてしまった時のことまで覚えられていたことも、その微笑みだけでも生徒は頭が真っ白になりかけた。
歓喜のあまり悲鳴すら出ず口を両手で押さえて放心すれば、その間にまた別の女生徒の波への飲まれて姿も消えた。代わりにまた前に出る女生徒達が次々とセドリックの名前を呼んでは手紙を差し出す。中には言葉は交わせずともと、人と人の隙間から手紙を伸ばし渡そうとする生徒も多い。
その中で、顔をしっかり確認できる生徒の手紙をセドリックは順々に受け取った。
一歩一歩亀の歩みで進みつつ、一人でも多くの生徒から手紙を受け取ることを優先する。今朝からすれ違う度に一般教室の女子生徒から手紙を渡されてきたセドリックには、早々に慣れた作業だった。
「ダーナ、お前が勧めてくれた本だが先日城の図書館で見つけたぞ」
「プリシラ、その髪型は初めて見るな。俺の為にめかしこんでくれたのか?よく似合っている」
「ファニー、ディオスとクロイと同じ学級だったそうだな?これからも二人をよろしく頼む」
「ベティ、初日にはお前の勧めてくれたスープを選んで良かった」
「おぉマクシミリアン!二週間前に席を譲ってくれたな。お前との話も楽しかった」
手紙を受け取っては間違いなく初対面ではないと確信して別れの挨拶を掛け、遠目の男子生徒でも気が付けば大きく手を挙げ声を張る。
一度でも名乗られれば忘れるわけのないセドリックにとって、有象無象の筈の生徒は全員顔見知り同然だった。手紙を受け取り、ほんの一瞬のささいな関わりすら覚えていると語られる女生徒を卒倒させながらもまた一人と手紙を受け取っていく。
更には顔も出せずに手紙を差し伸ばす女生徒も必死である。王族が手紙を受け取るだけならまだしも、正体不明な提出物は自衛の為にも受け取れるわけがない。中には手だけを見て「アンバーか」と正体までも特定したセドリックだったが、基本的には正体不明の手紙は受け取らない。受け取るのは
「はい。はい、はい、はい、はいっと。は、……あー!すみませんそれは受け取れません‼︎はい次の人ー」
次々と腕だけでセドリックへ直接渡される贈り物や手紙を受け取っては安全を確認するのは騎士のアランだ。
ハリソンがいない為、危険物の可能性がある差出物は全て代わりに受け取るアランだが、だからといってここにハリソンがいればとは思わない。
セドリック自身が最後の別れを惜しんでいる今、生徒を逆に威嚇してしまうハリソンがここにいれば惨劇すら起こりえる。
次々と手紙を代理で受け取っては、手紙の重さだけで安全性を判断するアランは一枚一枚薄い手紙がすぐに手の中で分厚く嵩張っていく。セドリックが受け取った手紙も加えれば、到底騎士一人で受け取れる枚数を超えていた。
セドリックに直接話せずとも、気持ちだけでも受け取って欲しいと思うファン生徒は多い。そして代理で受け取るアランの代わりに手紙を抱えるのが、学校で王弟に新しくできた友人兼従者役の双子だ。
「えっ⁈ごっごめんなさい僕ら直接は受け取れないですアラン隊長かセドリック様に……」
「アラン隊長、その束貰います。セドリック様も三枚以上は僕らが受け取りますからご遠慮なくどうぞ」
既に半分以上が埋まってしまっている大きな布袋を抱えるディオスと、そしてアランとセドリックから溜まった手紙を受け取ってはディオスの布袋へ詰めていくクロイの協力によりなんとか手紙受け取りは成り立っていた。
本来であれば大勢の護衛と従者がいるセドリックだが、今いるのはこの三人だけだ。
護衛は問題ないとして、手紙の受け取り手伝いにファーナム兄弟がいてくれたことはアランにとってもありがたかった。自分一人でも手が足りない。
一歩進んでは十人以上の生徒から手紙を差し出され、中には真っ赤に女生徒を卒倒させるセドリックを護衛する手も抜けない。
今朝から手紙への差出しがすさまじかったセドリックは、今日は昼休みから待ち合わせの食堂前ではなく特別教室まで迎えに来てくれとファーナム兄弟にも頼んでいた。こうして自分が食堂まで簡単にはたどり着けなくなることも、手紙が自分で抱えきれる数でなくなることも人気に自覚があるセドリックには予想済みだった。
「いやーお前らいてくれて本当助かった。悪いけど食堂までこのまま頼む」
「はい。ですけど、ディオスと違って僕は手も空いてますし手紙も受け取りますよ」
「いやいや良いって。「なんで受け取るのがセドリック様じゃなくてお前なんだー」って逆恨みされても困るだろ」
受け取らなくて良いから、と。クロイへの返事に二人の安全も考慮してくれるアランにディオスとクロイは同時に一声を返した。
あくまで二人が受け取るのはセドリックか、もしくは騎士である自分が安全を考慮した物のみ。それ以外を他者から直接受け取ろうとすれば、不意打ちで危害を加えられる可能性もある。
セドリックの従者役である二人を護ることもアランは大事だが、任務はあくまで王族の護衛である。最小限双子に危険を冒させないためにも、受け取る作業だけは自分の仕事だった。
紙の重量だけでずしりと腕が重くなってきたディオスだが、それでも細い足で床を踏みしめた。
持てないほど重くなったらクロイも布袋を広げて半分持つ約束だが、もうちょっとはいけると自分で思う。まさかまた力仕事をすることになるとは思わなかったが、セドリック宛ての手紙ならと思うと大事で苦ではない。
どれも同じ封筒だなと気付けば、この前の選択授業後に女の子達がくれたのと同じかなと思う。
ディオスもまた選択授業後に数人の女子からは手紙を貰っていた。しかし、その大部分が「可愛い」「褒めてくれてありがとう」といつも言われることと同じだった為、いまだにそれが恋文だったという自覚はない。
重い手紙の山を抱え歩きながら、亀の歩みでしか進まずすぐに立ち止まるセドリックに早く食堂に着かないかなとも思う。しかし同時に、そのセドリックと生徒の会話を聞けばもっとこうしていたいなとも思った。
……すごいなぁ。
純粋に、ディオスはそう思う。
今まで自分達がお付きになってから、セドリックが大勢の生徒へ挨拶をしたり声を掛けているのは見てきた。しかし、頭の良いディオスでもその全員は覚えられない。いつ、どんな時に会ったのかなんて問題外だ。
どこかで会った気がするなとは思っても、たった一目や一言二言話した相手を覚えるなど不可能だった。セドリックが呼びかけた相手で自分も覚えているのは自身のクラスメイトを覗けば四人や五人程度だ。
ただでさえ、セドリックの周りには毎日入れ替わり立ち代わり大勢の生徒が集まっているのだから。
ディオスとクロイが従者役を担ってからは二人に構うようになったセドリックだが、それでも他生徒を無碍にしたことは一度もない。
一度知り合った生徒には必ず声をかけ、少しでも関われば名前を聞き覚えるセドリックの社交術はディオスの目にはきらきらと輝いて見えた。
自分も大人になったら、もっと頭が良くなったらあんな風にできるようになるのかなと漠然と思う。
「…………ちょっとディオス、ぼやぼやしないで。勝手に手紙ねじ込まれたらどうするの」
「!あ、ごめん」
口を開けてセドリックの横顔を凝視してしまっていた兄に、クロイは肘で突く。
兄が今の尋常ではない記憶力を披露するセドリックに何を思ったかは、大体は予想できる。自分もセドリックのそういうところは最初から凄いと思ったが、同時に自分達もどうかと考えれば「無理に決まってるでしょ」とも思う。
王族なら皆あれくらい人の名前と顔を覚えるのが得意なのかもしれないが、それも子どもの頃からずっと天才みたいな教師に教わっていないと無理だと思う。自分は未だ同学級生徒以外一人も思い出せないのだから。
最近文字を覚えたばかりの自分達が今更王族のそんな領域まで行けるとは思わない。ただ
「感謝する。しかし目が赤いぞ?体調が悪いのならば無理はするな」
「すまない、食べ物は受け取れない。しかしお前のことは忘れないぞシェリル。その菓子の店にも今度取り寄せよう。菓子が好きだと言っていたな、お前の見立てならば間違いもあるまい」
「初めて声をかけてくださりましたね。二十二日前には卒倒されておられたので心配しました。最後に声を聞けて良かった」
「俺も寂しく思う。何を隠そう登校初日最初に話しかけたのはお前だ。良い生徒に巡り合えたものだと思う」
「…………まぁ、格好いいけど」
ぼそり、と。そうつぶやいたクロイの独り言をディオスは聞き逃さなかった。
今までディオスの友達とすら自分から親しくしようとしなかったクロイだが、少しは興味ぐらい持ってみようかなと頭の隅で考える。こんなことを当たり前みたいにできる王族の傍に、そして近づきたいと思うのなら今のままで止まって良いわけがない。
誰とも人見知りせず仲良くできる社交的なディオスが子どもっぽく見えていたのに反し、自分とは違う庶民の生徒相手に分け隔てなく友好的に接し笑いかけるセドリックの姿はクロイの目にも間違いなく格好いい大人に見えたのだから。
自分とディオスを見つけてくれたセドリックのようになりたいと思えば、余計にだ。
また城でお会いできるからとはいえ、自分達も女子生徒達みたいに手紙を書いておけば良かったと。小さくクロイは後悔した。




