Ⅱ437.嘲り少女は難航し、
「〝手を引いてくれたその人は私の憧れでした〟〝その人は毎晩のように私へ愛を語ってくれました〟〝その人は雄々しく逞しく〟〝嗚呼、貴方はきっと私の気持ちに気付いてはおられないでしょう〟……」
その人は貴方です。と、講師の先生が詩的な声で最後を言い切った。
二限男女別選択授業。もともとひと月で選択授業を一通り受ける為、今後選ばなければその一回が最後の授業にもなりえる選択授業。特に私に至っては今日で学校最後だから間違いなく全ての選択授業が最後になる。
今日まで様々な選択授業を受けてきた私達だけれど、まさか最後の最後にこれが残っていたかと思ってしまった。ジルベール宰相や上層部と授業のカリキュラムはいろいろ相談したから覚えはあるけれど、最後の一科目となるとすぐには頭に浮かばなかった。
今更になって四限の授業後に退学をとロバート先生にお願いしたことを後悔する。こんな千載一遇の機会を彼女達に放置させてしまうなんて。
「〝何千の夜貴方を想い、枕を濡らしましたでしょう〟〝愛しくて恋しくて私はカーテンの向こうに無数の想いを馳せ生きてこれました〟〝貴方こそが私を支える全てです〟」
きゃあ、と何人かの女子生徒から可愛らしい囃し声が聞こえてくる。
講師が朗読する本の内容に全員が夢中だ。前世ではこの年頃の子でも冷ややかな眼差しの方が多かったけれど、今世では反対だ。中には目をきらきらさせて両頬に手を当てている子までいる。
これは人気の授業になりそうだなと今から思う。一段落分読み終えると、講師はまたパタリと閉じて別の本を開く。これで五冊目だ。
次々と朗読されていくものは数文でもどれも魅力的で、本に触れない子には真新しい表現も多い。私が読んだことがあるものもあって、選別が素敵だなと思う。ティアラとも気が合いそうだ。
そんなことを思いながら、私はこれからの授業に今は少しどきどきしてしまう。
教科はさておき、まさかお試し期間である初日にこんな変化球が投げられるとは思わなかった。最後の五冊目を朗読し終えた講師の先生は、たっぷり長い一呼吸分の余韻を置いてから閉じた本を教卓に積み置いた。
今まで触れてきた授業の文学とは異なる種類に、生徒達の反応が上々であることを確認してからほのかに笑む。女性の気品たっぷりの先生は、朗読後だからか自然と色っぽさまで醸し出している。……レオンに慣れている私にはもう普通だけれども。
「参考は以上になります。それでは今度は実際に書いてみましょう。配った紙に皆さんで自由に〝恋文〟を書き、完成した人から手を挙げて呼んでください」
文字がわからない人も気軽に言ってくださいね。とちゃんと内容は内緒にしますの意味も込めて唇の下に人差し指を当てた講師、ジュリエット・モンタギュー先生は女子生徒全員の心を見事に授業で掴んでいらっしゃる。
恋文……つまりはラブレターだ。さっきまで先生が朗読してくれたのはその参考となる物語上の恋文内容。こんな感じに書いてね、といういろんな意味で参考になり過ぎる例文だけれど、勿論この授業科目は〝恋文〟ではない。授業科目は〝手紙と文字〟だ。
宛先人によって変える手紙や書状の書き方や単に文字を書くだけではなく〝綺麗に〟字を書くためでもある授業。男女共有の授業にしても良いくらいのこの上なく健全な授業科目だ。
ただ、〝字の美しさを極める〟という部分からも、男性よりも女性に必要とされる科目内容と我が国では判断された。実際は男性も字の綺麗さも書状の礼儀も大切だけど、やっぱりまだこういうのは貴族でないと女性の授業という意識が強い。
そして今回一回目の授業でジュリエット先生が授業開始早々に言ったのが「本日は恋文を書いてみましょう」だった。流石女の子だけの授業というか乙女ゲームの世界というか……と思いつつ、流石に十四歳では恥じらいもあるしあまり受け入れられないんじゃないかとも思った。……けど、何度も思うようにこの先生は掴みが上手かった。
『恋文とはいえ相手は誰でも構いません。架空の人物を想定するのも面白いでしょう。ここまで読んだ本の人物に沿って書いてみるのも楽しいと思います。……因みに、皆さんは今日が何の日かはご存じでしょうか』
今日だったのは、偶然だけれども。
結果としてクラスの女子全員が大方やる気満々だ。まさか他のクラスにも同じことを言っていたんじゃないだろうかと思うと、……今日が思った以上に大変なことになるなと思う。
先生も先生で提案だけで具体的に言わないのも強制しないのがなかなかずるい。お陰で本来ラブレターなんて言われて書きたい年頃じゃない子達も含めて今私達のクラスはなかなかの夢見気分だ。
授業内容も、先生が教えてくれた手紙の書式を基盤に後は自由に書くだけ。その後に読み聞かせてくれた見本内容を参考にするかしないかは自由。
先生に確認して貰って合格を貰えたら、その後には女性であれば誰でも憧れるであろう綺麗な便箋と封筒が貰える。一人一枚セットだけだけれど、手紙を書く機会すらないであろう彼女達には憧れの品だ。
授業に気持ちを乗せる為にご褒美まで用意している先生は本当に抜かりない。ステイルもアーサーもいない今、私も周囲の子に合わせて書いて早々に本書きをしてしまえば良いだけなのだけれども、ここで大きな問題がある。
……普通の恋文が、出てこない。
前世では全く縁のなかった恋文。けれど、今世では意外にも縁は多かったりもする。……ただし、貰う専門だけれども。言葉にするとすごく嫌な感じだ。
ただそれが全て本命とか熱のこもった手紙かと聞かれると、そこはまた別の話になる。どれも私個人にというよりも〝フリージア王国の第一王女当て〟なのだろうから。
ただ文章だけ見ればどれも見事に情熱的な手紙だ。全部王侯貴族からの書状だもの。特にレオンと婚約解消してからはそういった手紙も増えて、私も読まずに破棄するのが忍びなくて届いたものは全て目を通している。
正直、さっきまで朗読された恋文台詞よりも甘くて熱情で恥ずかしい言葉もたくさん綴って頂いている。……そして返事は書いていない。もともとあくまで交際目的であって交流目的のものじゃなかったから、私も返事を書こうとも思わなかった。
その結果、いまペンを手にする私の頭に浮かぶのは貰った恋文のような甘たるい言葉ばかりだ。
ただの手紙だったら書く相手も書きたいこともたくさんあるのに、恋文とテーマを貰ってしまうとどうにも難しい。いっそ婚約者候補に向けて書いてみようかしらと思ったけれど、そんな授業中の課題で書きましたの手紙なんて失礼極まりない。あの三人なら迷惑とまでは言わずとも笑いながら受け取ってくれるだろうけれど、彼らのファンならまだしも婚約者候補の立場でそれはない。
本の人物を想定といっても、どの本も内容全て覚えているから逆に想像しては書きにくい。だからって今まで貰った恋文みたいな内容を突然書いたら確実にませているとまた目立ってしまう。……本当に、普通の恋文ってなんだろう。
少なくとも先生には恋文に見えないと。手紙を書く練習はセドリックともしたけれど、恋文は担当外だった。
セドリックのティアラに向けての恋心とか、アムレットのパウエルへの恋心とか書いた方がずっと書きやすいし楽しいとは思う。流石に失礼過ぎるからしないけれども。でも先生のあのお勧めに乗るのは無理だ。
「もしどうしても気が進まない子は恋文くらい熱烈な感謝を家族に」
「ねぇねぇ、ジャンヌはどんなの書いた?」
「!え、ええそれがまだ全然思いつかなくて……」
ジュリエット先生が呼びかけてくれる最中に、突然前方の女の子から話しかけられる。お陰で途中から上手く聞き取れない。
アーサーの座っていた席が無人の為、こちらに振り返った女の子の姿がはっきり見えた。確か、ハリエットだ。今までも何度か話しかけてきてくれたり慰めてくれたこともあった子だなと思う。今も私が難しい顔をしていたから気にかけてくれたのだろうか、優しい子だ。
にこにこと笑いながら、椅子を下げてアーサーの机に肘までついて「そうだよねー」と身体ごと前のめりにこちらに向けてくる。
紙とペンまで持って、完全に教卓に背中を向ける体勢だ。授業中の良いのかしらと少し焦って目だけぐるりと動かせば、結構他の子も席ごと移動したりお喋りし合っている。先生も全く注意せずに、むしろ輪の中に入っているしどうやらおしゃべりも問題なさそうだ。真面目に恋文内容を考えすぎて気付かなかった。




