Ⅱ431.騎士子息は手を振り、
「ティアラ、ステイル。ありがとう、またこんな時間にごめんなさい」
「とんでもありませんっお誘い頂いてすっごく嬉しいです!」
「アーサーも用事が終わったら合図をよこす筈ですし、先に進めましょう」
夕食を終え、近衛騎士も去った後。
彼らはまた〝そこ〟へ集まった。
……
「本日はありがとうございました。こんな遅くまで申し訳ありませんでした」
「いえ、……その、自分もいろいろ話したかったンで」
深々と規則正しく礼をするノーマンに、アーサーもぺこりと片手を添えた頭をそのまま下げた。
騎士であるノーマンが宿に帰ってきたのは深夜と呼んでいい時間帯だった。学校の放課後時間にはライラに会い、日中の休息時間にはケーキ屋に二度目の予約と母親への面会に行っていた彼が戻ってきたのは今日が初めてだった。
演習を終えてからはすぐに騎士団演習場から飛び出したノーマンだが、その後にも食料の調達を経由した結果城下の端にある宿までは時間が掛かった。
アーサーがブラッドの元に行ったことは当然把握しているが、もう帰っているだろうと目測の甘かった彼にとって扉を開けた途端二人に迎えられたのは予想外だった。
アーサーが午後休を取ってからすでに長時間が経過している。
「おかえりー」と伸びやかな笑顔で手を振るブラッドにもすぐに返事ができなかった。それよりも何故ここにまだ隊長がという言葉が喉から出かかった。そして理由は単純明快である。
ベッドに二人仲良く横並びに座っていれば、弟の話し相手に人の良いアーサーが切り上げることもなく何時間も付き合ったことはすぐにわかった。
「こちらこそすンません。長くお邪魔しました。もう帰ります」
「何故そこで隊長が謝られるのですか?お邪魔も何も僕がブラッドの子守りをお任せさせて頂いた立場です。確かにこれは騎士団の任務ではありませんが、今回の場合は遅くまで寄り道した僕に非があると思われます。あと僕はあくまでアーサー隊長の部下なのでなんでも謝るのは止めてくださいとお願いした筈ですが」
すみません、すンません、すンま……ッはい。と、流れるように棘を刺してくるノーマンにアーサーもベッドから腰を上げたもののまたペコペコ頭を下げてしまう。
完全に気を抜いていたところで現れたアーサーに、ノーマンも半分混乱もあった。驚かされた衝撃で八当たるように、言葉を選ぶ余裕も抑える余裕も今はない。
己より背の低いノーマンに、背中を丸くして謝る聖騎士の姿をブラッドは膝に頬杖をついて眺めた。
兄と聖騎士二人のやり取りを見るのは初めてだなと思いつつ、自分の想像通りのやり取りにゆるやかに笑んだ。兄の性格は上司以上によくわかっている。
アーサーが謝れば謝るほど小言が続く兄とそして頭を下げずにはいられないアーサーに、とうとう最年少が声を上げる。
「もー、兄ちゃんってばそのへんにしておきなよぉ。アーサー隊長さんは僕の為に付き合ってくれたんだから」
それよりお腹が空いたよ、と続ければ次の瞬間には「すまない」「すみません」とブラッドへの謝罪が二人重なった。
一緒に食べませんかー、とブラッドは軽く誘ったがそこはアーサーも断った。突然お邪魔した上に、二人分の食料を自分が手をつける気にもならない。ノーマンが帰ってきたのなら、自分がいない方が兄弟水入らずで落ち着いていられるだろうと思う。
それでは失礼します、とまた最後に頭を下げるアーサーにノーマンも今度は礼をする。ありがとうございました、お疲れ様です。と続け、アーサーへと扉を開けた。
「またねー、最年少騎士隊長さん」
「うっす。……またお邪魔して良いっすか?」
ブラッドさえよければ、と付け加えながら視線を配るアーサーに今度はノーマンも正直に目を見張った。また?と、弟の発言へ訂正をいれようとした寸前にアーサーからの肯定だった。
こんな時間まで弟と一緒にいて、まだ話すのかと丸渕眼鏡を空いている手の中指で押さえながら見返した。
ブラッドから「また僕に会いに来てくれるんだって」と柔らかな声で言われれば、唇を一度絞った。結構ですと遠慮したい気持ちと、しかしもともと他に話し相手を持てなかった弟にはありがたい申し入れだと理解する。顔を顰め、睨むようにアーサーとブラッドを見比べれば片方は表情筋が緊張で強張り、片方は満面の笑みを兄に返した。
「……隊長さえ宜しければ。僕は別にかまいません。といってもこの宿も次の住まいを見つけるまでの仮宿ですが」
いつかはここを引き払う日が来る。
母親は他の村の人間と同じように保護所に暫く滞留できるが、それでもブラッドの為にも安心できる家を早々に見つけなければならない。まさか新しい家にまで通ってくるつもりはないだろうと考えながら、ノーマンは眉を寄せた顔で了承を返した。
ありがとうございます、とまた頭を下げてくる上官に言いたい指摘がまた増えたが、これ以上長引かせるわけにもいかないと意識的に止めた。いいえ、それでは。と最後の挨拶を告げて、退出するアーサーを見送った。
廊下を歩き、角を曲がるところでもう一度こちらを振り向いてくるアーサーに、ノーマンも規則正しく礼で返す。ぺこり、とまた隊長自ら頭を下げて角の向こうに姿を消してから寄せた眉がまだ戻っていないことに気が付いた。
指先で眉間を摩り伸ばしながら、ゆっくりと扉を閉める。
指が引っ掛かり丸渕眼鏡がずれたが、そのまま眉間に押さえて鍵をかけた。扉に背中を預け、溜息にも聞こえる大きな息を吐きだしながらずるずると買い物を入れた袋ごと床にしゃがみ込む。
「…………またやった……」
胸の中だけで自分へ唾を吐きながら、ノーマンは一人項垂れた。
任務でもないのに上官がわざわざ休息を押して遅くまで弟の面倒を見てくれた。腰の低さや言い回しなんてこんな時くらい良いじゃないかと後から後から湧いては脳内で自分を責め立てる。
どうしてこういう言い方をしてしまうんだと自己嫌悪に頭を抱えたくなる兄を、ブラッドはけらけらと笑いながら眺めた。ブラブラとベッドの上から足を振りながら「やっぱ兄ちゃんだなぁ」と眉を垂らして笑う。兄のその性格も当然ブラッドは知っている。
ベッドから降り、しゃがみ込む兄に歩み寄るブラッドは食料の紙袋だけ受け取るとテーブルへと移した。受け取った時からいい匂いがするなと思えば、やはり出来立ての匂いがする。
抱きかかえた時の伝わったほんのりとした温かさからしても、今なら身体も温まりそうだと思う。一個一個テーブルに並べては村ではなかなか見れないおいしそうな料理に声を上げた。しかし次々と料理が出てくる紙袋に、これだけあれば三人分にはなったんじゃないかと思う。明日自分の朝食と昼食分をいれても多い。
きっと自分に何が良いか思いつく限り買ってきてくれたのだろうなと理解しながら、最初の一個を吟味した。これかな、これかな、と人差し指を弾ませ選ぶ間、ノーマンはずっと座り込んだままだった。
「兄ちゃんも食べようよー。せっかく買ってきてくれたのが冷めちゃう」
「わかってる……。……ああクソ、なんでこう僕は……本当に最後まで……」
「どれにする?」
「……。……ハァ……」
「いつもより長くない⁇」
帰宅早々に出鼻を挫かれた兄に、ブラッドは首を捻った。
いつもならこれくらいで持ち直すのにと思いながら尋ねるが、ブラッドほどでなくともノーマンも実際は現状に思うことは多い。そんな中で手助けをしてくれた隊長相手に失礼な態度で巻き返してしまったことに、いつも以上に気落ちが重くなった。
ここが自分一人だったらベッドに両膝をついて突っ伏したいと思うが、今は弟の前である。ただでさえ辛い状況な筈の弟にまでこれ以上情けない姿を見せられないと、三度自分に頭の中だけで言い聞かせたノーマンはそこでやっと立ち上がった。
ずり傾いた眼鏡の位置を直した手で頭を抱え、ちょうどいい位置に置かれた椅子に腰を下ろした。
空腹を訴えていながら手をつけずに自分を待ってくれていた弟に一言謝ると、適当に並べられた一つを手に取った。
ノーマンが選んだ途端、ブラッドも食べる前から頬を緩ませて決めていた一つを手に取る。包みを外し、香ばしい香りを鼻孔いっぱいに味わってからぱくついた。
美味しい、美味しいと言いながら食べる弟の笑顔にノーマンも少し気が晴れた。遅れて自分も包みを外して料理を頬張りながら、今はこれ以上考えないようにしようと頭を整理した。
それよりも、昨日より口数が多くなったブラッドが、美味しく食事を食べていることに安堵する。
これもアーサー隊長のお陰だろうかと考えながら、ある程度嚙み切ったそれを飲み込んだ。




