そして押し通される。
「アムレットもきっと喜ぶと思います。だけど、どうか私の分はお仕事の方で頑張って下さい。ネル先生の素敵な才能がたくさんの人に見て貰えることの方が私は嬉しいですから」
心からの言葉をそうジャンヌから告げられれば、ネルの目がうっすらと潤んだ。
そんなことまで言ってくれるなんてと思いながらも、まさか城の仕事が入ったとは言えないことが歯痒いを通り越して心苦しい。服を大事そうに抱えるジャンヌごと言葉の代わりに抱き締め引き寄せた。
突然の抱擁にプライドも思わず声を漏らして目が限界まで開いた。ふぇ⁈と上がる中、ネルに突然抱き締められたことに思考がすぐにはついていかない。
「本当に本当にどこまで天使なの⁉︎」
貴方の為ならいくらでも作っちゃう‼︎とそう叫びながらむぎゅうううっと細い腕で抱き締められ、紫色の目が白黒する。
抱き締め返したいが、腕の中のドレスを手放せずされるがままになってしまうプライドは頭の中で何度も「天使⁇天使⁈」と謎の言葉を反芻した。
一瞬ティアラかアムレットと間違っているのではないかと反射的に思ったが、ここにはどちらもいない。せめてヘレネだったら納得できたのに、今抱き締められているのは間違いなく自分である。
深く抱き締められたせいで金色の三つ編みが垂れたまま鼻にぶつかったが、それも今は気にならない。まさか自分が今世で天使呼ばわりされるなど思ってもみなかったプライドには未知の体験だった。
目の前でプライドを引き寄せ攫われたエリックとアーサーも、相手が相手のため防ぐに及ばなかった。
行き場のない手を意味もなく小さく浮かせるが、目の前でプライドを抱き締めているのはあくまで正体を知らない女性講師。しかも自分の上官である副団長の妹だ。
しかも本人は抱き締めながら涙までうっすら浮かべているのを見れば、ここで引き離すことは不可能だった。半分だけ口が笑ったまま、プライドがネルの腕に飲み込まれるのを眺めてしまう。
まさかその抱き締めている本人が自分の雇い主だと知れば、どうなってしまうだろうと思えば笑った口がそのまま引き攣った。
顔が固まったままエリックがステイルに視線を向ければ、ステイルもステイルで同じような表情をしていた。エリックと目を合わせ、それからまたプライドへと目を戻す。
その影でこっそり存在を潜ませていたアーサーも、覗き見た瞬間に片手で額を押さえ深く息を吐いてしまう。クラークに自分の妹がプライドを抱き締めて「天使」と呼んだと話したらどんな反応をするかと考え、そこで止めた。最近のクラークから既に溜息を吐く数が増えていることにアーサーは気付いている。
気が済むまで「天使」を繰り返したネルが時計を確認するのは、それから三分経ってからだった。
「!そろそろいかなきゃ」と手を離し、突然ごめんねと雇い主の頭を撫でて髪を整えたネルは急ぎトランクの口を閉じ立てた。
「じゃあ私はこれで今日は失礼するわね。長居しちゃってごめんなさい」
「!あら、もっとゆっくりしていって下さい。これからお茶もいれますから」
トランクを持ち直し、帰宅の準備を整えるネルをヘレネが引き留める。
下見と契約こそ滞りなく終えたが、まだ全然ゆっくり持て成せていない。本来であれば家の内覧を見たところで居間で話しながらお茶でも出そうと考えていたが、契約書やライアーとレイの乱入にその暇もなかった。
今からでも……と台所へ向かおうとするヘレネだが、そこで「ごめんなさい」とネルから丁重に断った。これから早速引越の準備も、それに縫合作業にも戻りたいと伝えながらゆっくりとトランクを転がす。
廊下へ向かうネルに、プライドも見送るべく振ろうとした手をぴたりと止めた。自分達も来訪者である。
「私達もこれで失礼します。ディオス、クロイ、ヘレネさんお邪魔しまし」
「え、ジャンヌは残るでしょ」
「ジャンヌはまだ居るんじゃないの⁈」
挨拶を言い終える前に、双子が同時に声を合わせた。
貰った服を抱き締めながら帰ろうとしたところを、まさかの揃って引き留められプライドもつい足が止まる。え⁇と一音を返す間に今度はディオスに両手で右手を包むように掴まれた。
ネルが「じゃあお先に」と仲の良い生徒達に手を振れば、ヘレネが見送りにとその後をついていく。プライドもそこに続こうと思っても、しっかりとディオスとクロイが前に立って阻んだ。
「だって約束したじゃんか!遊びに来るって‼︎僕らずっとジャンヌが来るの楽しみにしてたのに‼︎」
「アムレットには女子寮まで招かれたくせに僕らは下見に付き合って終わり⁇なにその差ずるくない?」
うぐぐぐぐぐ……、とディオスの無垢な眼差しだけでなくクロイからまで責められプライドは背を大きく反らす。てっきり家を軽く見においでくらいの話だと思っていた。
ええと……と口籠もりながら思考する。今日は城に帰ってからやりたいことも、と思ったが確かに約束したのも事実。そしてこの先ジャンヌとしてファーナム家にお気軽に訪問する日の保証などないと思えば、簡単に「また今度」とも言いにくい。
ヘレネから「ではまた学校で」とネルへと見送る言葉が廊下から聞こえれば、完全に帰りそびれたと理解した。
ネルを見送りそびれたことに少し首を垂らし、また上げる。
「ちょっとだけなら……?」
白のワンピースを抱える手に力がこめながら、ステイルへと視線を向ける。
プライドの視線に、もう少しここで過ごしたいという意思を汲みステイルも肩を落としてから時計を見た。取り敢えず驚異であるネルが去った今、アーサーも隠れる必要はなくなった。
「あと三十分くらいなら良いでしょうか」と保護者役であるエリックへと投げかけた。アーサーもエリックの影から隣に並び、プライドにも見えるように頷く。
三十分程度であれば充分に午後休までに猶予はある。エリックからも合意の言葉が返されれば、プライドもほっと息を吐き双子へ笑い掛けた。
「じゃあ勉強会しましょうか?最近雑談ばかりであまり進められなかったものね」
「それ家じゃなくてもできるでしょ。まさかアムレットとも部屋で勉強だけしてたわけじゃないよね?」
まさか恋バナをしていたとは言えない。
クロイの指摘に唇を絞ったプライドは、「ソレモソウネ」と返しながらそっとドレスを二つに折って持ち直した。もっとコンパクトに畳みたかったが、自分の手じゃ綺麗に畳める自信がない。
完全に手の中で持てあましているプライドに、ステイルがそっと無言のままそれを受け取った。彼女の代わりに空中で器用にワンピースを畳み直す。アーサーのリュックに詰め込んでも良かったが、貰ったばかりの服へ皺をつける恐れを鑑みればやはり手に持つことが最善だった。
すかさずエリックが「俺が」と言葉を選んで進言すれば、小さく畳んだワンピースを両手で預けた。
「僕らの部屋来なよ‼︎まだ今日は見せてなかったよね⁈」
ぐるんっ!と、次の瞬間にはステイルの首が痛むほど勢いよく回った。
エリックの傍らに立っていたアーサーもこれには「俺も行きます!」と訪問して初の響く声を上げた。クロイから冷ややかな眼差しで「いや当たり前でしょ」と明らかに顔色を変えた二人を見返すが、プライド本人は気付かず「いいわね」の快諾である。
満面の笑みでそれに応えるディオスは、そのまま掴んだ片手だけを離し、右手でプライドの手を引いた。ネルにも紹介していない自分達の部屋を最後にプライド達に見せたのは、部屋をリフォームされた時だけだ。
当時はお世辞にも片付いたとはいえない部屋だったが、今は胸を張れると思えば今すぐにでも自慢したかった。
「ほらジャックとフィリップも早く早く!騎士様も是非‼︎僕らの部屋二階なんだ!」
「ッあ、の!取り敢えず危ないンでジャンヌから手を離して下さい‼︎」
「階段の手なら僕が貸しますから‼︎」
「えっ良いよ僕が貸すから!ねっ、ジャンヌも嫌じゃないよね!」
ディオスも全く疚しさはない。ただただ家に来たお客さんに部屋を自慢したいだけだ。今も当然のようにプライドと手を繋ぐディオスに、アーサーとステイルもそちらばかりに目がいってしまう。
二人の指摘にもディオスは悪びれない。プライドからしても仲良く手を繋ぎたいだけの純粋さに肯定の一言しか返せなかった。
それより急ごうと残り三十分を満喫する為にプライドの手を引きディオスは廊下へ飛び出す。
いつもの調子でまたフィリップとジャックを敵に回しかねない行動を取る兄に、呆れながらクロイも追いかけた。
「ディオス、女の子の手を握るのもやめなって言ったでしょ」
「今はジャンヌだし良いじゃんか!」
「「ジャンヌだから駄目なんです!!」」
クロイの「ジャンヌだから駄目なの」を上塗る声量で、引き留めるステイルとアーサーの声が重なった。
あまりに同じ発言を言った二人に流石のクロイも「うわ」と引いたが、廊下でネルを見送った後のヘレネには微笑ましく映る。あらあらと口元を押さえて笑いながら、階段前で女の子一人を取り合う四人を眺めてしまう。
エリックが最後に廊下に出れば、「騒がしくして申し訳ありません」と謝った。家主でもある長女にいえいえと笑顔で首を振られても、苦く笑って首を摩ってしまう。エリックの目から見ても、ディオスからプライドを引き剥がすべく慌てて階段前で引き留める第一王子と聖騎士の姿はあまりにも十四歳の姿が馴染んでいた。
「見てみて‼︎こっちが僕の机とノートで、こっちがクロイの……」
「ッちょっと‼︎僕の引き出し勝手に見せないで‼︎」
「見せたくないものでもあるのですか。逆に興味を引くだけですよ」
「テメェが言うンじゃねぇよフィリップ」
「偉いわ、ちゃんと家でも二人とも勉強しているのね。……?これだけ綺麗に纏めていたら私達との勉強会はもともと」
「「それは別だから」」
本当にただの〝友人同士〟のやり取りに。
微笑ましく三十分見守りながら、極秘視察の名残惜しさをほんのりとエリックは感じた。




