Ⅱ424.見かぎり少女は困惑する。
「申し訳ありませんエリック副隊長。兄のことを話さずに……、あまり気を回せてしまうのも申し訳なくて」
いえっ……‼︎と、エリック副隊長が断りながらも背筋を伸ばし直した。
ディオスとクロイからの是非我が家にとラブコールを一身に受けたネルが次に歩み寄ったのはエリック副隊長だった。アーサーが慌ててネルから隠れるように位置を変えれば、エリック副隊長もレイからネルへと正面に向き直りアーサーを背中に隠した。ステイルも自然な動きで一緒に並んでアーサーを隠す中、ネルが深々と礼をすればエリック副隊長も同じく礼で返した。やっぱり上官の身内としてのネルには緊張感も違うらしい。
きらきらと目を輝かせる双子を左右に付けたまま、頭を上げたネルは少し照れるように笑いかけた。
「兄がいつもお世話になっています。優秀な部下が大勢いることも聞いています。私はこの通り一介の講師でしかないのでどうぞお気になさらないで下さい。兄もそのつもりですから」
……今は私の直属刺繍職人だけれども。
そう思いながらも、今は口を閉ざす。それこそエリック副隊長もご存知のことだ。どちらにせよ、エリック副隊長が必要以上に下手に出る理由にはならない。
エリック副隊長もピシリと背筋を伸ばしたままではあるけれど、一拍置いてからは了承の言葉を返していた。わかりました、といつもの柔らかな言葉の後に手を差し出せばネルも嬉しそうに握手を交わしていた。
知っていたとはいえジャンヌとしてはただただ驚くことしかできずぽかんと口を開けて二人を見上げていると、そこでネルから視線が投げられた。
可愛らしいウインクが投げられ、口を結んでしまう。言葉にされずともネルから「驚いたでしょ」の悪戯っぽい一言が伝わってくるかのようだった。思わず笑ってしまいながらステイルに視線を合わせれば、彼も肩を竦めて苦笑していた。アーサーに顔を向けられないのが残念だ。今はなるべくネルからの注目を向けるきっかけはつくりたくない。
ジャンヌ‼︎と今度は別人物から呼びかけられる。ディオスがネルの隣から私の方へ飛び込んできた。
今回は抱きつく素振りはなく、もともと近距離から一歩半分距離を詰めてきたディオスはきらきらとした目をそのまま私にも向けてくれた。
「ジャンヌすごいね‼︎なんでこんな人ばっかり紹介してくれるの⁈副団長さんがお兄さんなんて絶対すごいよ‼︎‼︎」
「君ほんとに普通の知り合いいないの?」
絶賛してくれるディオスに続き、クロイが一歩詰める。
こちらはもう目の煌めきは落ち着いたなと思いつつ、やっぱりその指摘が入ることに苦笑う。いや今回は知らなかったのよとジャンヌとして否定しようと口を開けば、それよりも先にディオスが弟に歯を向いた。
「なんだよクロイ‼︎良い人紹介してくれたんだから良いだろ‼︎」
「そりゃあディオスはアランさんをまた呼んでってジャンヌに頼もうとしてたもんね」
「っ……そ、それはそうだけど……‼︎」
まぁまぁまぁ……。とディオスが言葉を詰まらせたところで宥めながら間に入る。もうこのままじゃ私達そっちのけで喧嘩コースだ。
クロイの言葉に、そういえばレイのことを相談された時に覚えがあるなと思う。あれももしかしてアラン隊長出動をお願いしたかったのだろうか。二人にとって傍若無人のレイとライアーに対抗できるのはきっと騎士ぐらいしか想像がつかなかったのだろう。
自分達もセドリック越しに会っている筈なのに私を通しちゃうところがなんだか奥ゆかしい。……いや、単純に王族のセドリックを前に頼み辛かったのもあるかもしれない。
そんな二人にとってネルは理想の住民だろう。ネル自身はか弱い乙女でも、副団長の威光は凄まじい。
ふふっ、と笑んだ音が聞こえたと思えばエリック副隊長と再挨拶を終えたネルがいつの間にかこちらを眺めていた。「ジャンヌ達にも私の兄のことは話してなかったの」とファーナム兄弟に一言告げてくれたネルに、双子もぱちりと同時に瞬きした。
「自慢の兄よ。今度ジャンヌ達にも機会があったら紹介するわね」
ごめんなさい。そう心の中だけで唱えながら私は笑みを返す。
楽しみにしています、の言葉にちょっとだけ罪悪感を覚えつつ気持ちだけはしっかり受け取った。副団長を自慢の兄と呼んでくれるのは嬉しい。……だけど、なら余計にどうして家をこんなにも出たがるのだろう。
「是非たくさん呼んでください‼︎」と両手に力拳を握るディオスを見ると、本当に困ってたんだなぁと再認識する。そのままネル先生の手を両手掴んでぐいぐいとテーブルへ引っ張っていく。今度こそ契約成立だ。
テーブルへ先回りしたクロイもネルの椅子を引き、ペンを手に取り手渡した。ファーナムお姉様も未だきょとんとした表情ではあるけれど、取り敢えず滞りなくネルが住むことが決まったことには安心したらしい。クロイがネルの次に引いた椅子へゆっくりと腰掛けた。
そこでふと視線を感じ振り返ってみれば、エリック副隊長が向きを変えた隙間からレイが腕を組んでこちらを睨んでいた。
その背後ではライアーが半笑いで頭を掻いている。ポンポンと反対の手でレイを落ちつかせるように彼の肩を叩くけれど、本人は石像のように微動だにしない。仮面に隠されていない方の眼がギラリとこちらを向いていることから察して、やっぱり一番に文句を言いたいのは私になのだろう。
ネルの台頭に出鼻を挫かれたお陰でさっきよりは落ち着いたようだしと、私から一歩ずつ歩み寄る。気付いたステイル達も一緒に付いてくれる中、睨むレイを私からも上目に睨み返した。
なに?と言葉にすれば、眉を寄せた顔のままレイから低めた声が返される。
「何故お前がここにいる」
「見た通りよ。ネル先生が新しい居住場所を探していたからその紹介の為に来たの。ディオスとクロイ、それにヘレネさんが私とアムレットの話を聞いて協力に名乗り出てくれたの」
とても助かったわ、と。変わらずの問いを投げかけてきたレイになるべく具体的に説明する。
この子はちゃんと話さないと勝手に自己完結してまた怒りかねない。大体どうして私達がいるのがそんなに気に食わないのか。
まさか私達がレイ達を追い出そうと作戦中とでも思われたのだろうか。……まぁそうだとしてもレイとライアーの自業自得感は否めないけれども。
「貴方達こそ随分とファーナム家に御厄介になっているそうじゃないの。彼らは特待生を維持しないといけないのだからあまり迷惑をかけないで」
「元々俺様は頼んでいない。ライアーが女気に飢えて俺様を巻き込みやがっただけだ」
鼻を鳴らすレイは全く非を認めない。ライアーが戻ってもそういうところは相変わらずだ。
むしろ自分が被害者と言わんばかりにふんぞり返ってライアーへと顔ごと動かし差し示した。私も釣られるように顎を上げれば、ライアーが険しい顔で一度だけレイを睨んだ。こちらも不機嫌かなと思えば、……次の瞬間にはニマァと満面の笑みが私に向けられた。
「なんだぁ?レイちゃんまさかこの子に惚れてやがんのか?あージャンヌちゃん、だよなぁ⁇いやーやっぱレイちゃんも男だねぇ、わかるぜぇ良い女ってのは先に唾付けとかないといけねぇからなぁ。確かに良い女になるぜ絶対。あのガキんちょだったレイちゃんが恋なんざ俺様嬉しいぜ!だがまずいぜレイちゃんほら見ろ背後にもう二匹恋敵が付いてやがる」
最後にひょいひょいっと手で払うようにステイルとアーサーに向けるライアーは見事に迷いない。
あまりにも初対面と違う扱いを受けた二人はまた目が皿だ。トーマスさんとは違い過ぎるのだから無理はない。私もあまりの白々しさに驚く振りをするまでもなく顔が笑い混じりに強張った。
やっぱりアーサー達のことも私のことも初対面で通すつもりらしいと頭の隅で思う。
記憶を取り戻す関連に関わったことでの口止めはお互いの約束だけれど、記憶喪失時のことを覚えていないことにしたいのはライアー本人の強い希望だ。結果、私達もあくまで初対面で貫き通すつもりらしい。
記憶が戻ったことは聞いて知っていても、まさかの態度と自分達を知らない様子のライアーに二人も面食らう。
「冗談じゃねぇ。俺様がこんな野良猫や山犬に構ってやるわけがねぇだろ。あとそこの山犬は二匹ともただの番犬だ」
ライアーが覚えていないと思っているレイも、彼の意図をある程度読んで口裏を合わせている。……なんだかすごくややこしい状況だ。
ライアーもこうなるとわかっていたから早々に退散したかったのもあるのかもと今更理解する。しっかり見事に知らぬ存ぜぬを通してくれているけれど、事情を全部知る私相手だと特にやりにくいだろう。
あまりにもライアーの苦労が気になり過ぎて、レイの失言も頭に入ってこない。ステイル達も今回は失言へ反応はない。やっぱりトーマスさんからの変貌ぶりの衝撃が強いらしい。
「ばっかだなぁ兄弟。野郎なんざ下心がねぇ奴いるわけねぇだろ。グズグズしてる内にしっぽり奪われちまっても文句は言えねぇぜ」
「テメェのその空っぽの頭からどうにかしろド変態が」
肩に腕を回して寄り掛かってくるライアーに、レイが吐き捨てる。
あまりの悪口にライアーからすかさず苦情が入ったけれど、もうレイは無視をした。「そんなことより」と話を戻すように声色を少しまた落ち着ける。
「お前の人脈はどうなってる?騎士の次はその身内まで連れ込みやがって。次は王族でも呼ぶか?」
まさかもうセドリックを招待したことがあるなんて言えない。
純粋な疑問か嫌味のつもりかはさておき、実はちょこっと的を得ているレイに私も表情筋を意識した。何言ってるの、としらばっくれながら首を横に振って見せれば顎の角度だけが上げられた。
ギラリと瑠璃色の眼と睨み合いながら対峙すれば、また低めた声が続けられた。「ちょうど良い」とその言葉を皮切りに。
「俺様にも紹介しろ」
……は?
端的過ぎる発言に、思わず一音が溢れかける。いま、この子なんて言った⁇
意味がわからず解説を求めてステイルに視線を向ければ、こちらも眼鏡の黒縁を押さえながら眉を寄せていた。やっぱり私の理解不足ではないらしい。
ライアーもわからないのか、レイの肩に肘を乗せたままパチリと何度も瞬きで見返している。「え、なに誰に惚れた?」という彼の軽口もレイは一瞥もくれず無視をした。
「どういうこと、かしら?何を紹介して欲しいの⁇」
私達は明日で自主退学だし時間もないんですけど‼︎‼︎と心の中で叫びながらも尋ねる。まさかここに来て再びレイに依頼を受けることになるとは思わなかった。まるでゲームの段取りだ。……乙女ゲームだけれども。
詳細を求める私に一度口を閉じたレイは、また鼻息を高らかに鳴らした。
「 」
そう告げ、詳細を語る彼に私は思わず口から引き攣った。
その要望にパッと浮かんできてしまった人物に、思いっっ切り躊躇った。




