そしておさまる。
「ッ何、しやがるライアー‼︎すぐ戻るっつってぐだぐだまたどうせ口説いて」
「はいはいはいはい浮気した俺様が悪い超悪い‼︎だから今は引っ込もうなぁ⁈ヘレネちゃんは逢引きイチャつきで忙しいから今日は外で食おうぜ‼︎な⁈」
レイの首を正面から腕で引っ掛けたまま無理矢理廊下へ引き戻していこうとするライアーにレイも歯を向く。何を隠してやがると言いながら、無理やり顎の角度を変えてこちらを向いた。
翡翠色の瞳とバチっと目が合えば、見開いた直後一気に釣り上げられる。
「おい‼︎なんでこんな所にジャンヌがいる⁈手ぇ出そうとしてるんじゃねぇ変態野朗‼︎」
「だ‼︎か‼︎ら‼︎俺様をそう呼ぶんじゃねぇ老け顔仲間‼︎」
まさかの展開に状況説明が欲しいのか、ライアーに掴まれたまま足をバタバタさせてもがくレイにライアーも声を荒げる。
チラリと私の方に目を向けたライアーだけど、自然に逸らすと今度こそレイを回収しようと後退し始めた。ライアーは記憶を取り戻す前は覚えていないことにしたいのだし、きっと私達のことも覚えていない振りをしたいのだろう。
そう考えると今さっき目を剥いたのも騎士のエリック副隊長じゃなくて私に対してだったのかなとも思う。だって私もエリック副隊長のすぐ傍に居たのだもの。あそこまで目を丸くしてずっとこちらに気付かないとも思えない。
構わず引き摺り回収していこうとするライアーに、とうとうレイからギリッと歯軋りする音が聞こえた。
聞いた途端背筋が冷たくなるのと同時にライアーも顔ごとレイに向け覗いた。ボワリと、黒い炎が小さくだけれどライアーの袖や周囲に灯り、流石に彼も両手を離す。次の瞬間にはライアーが慌ててレイの眼前で手を叩いた。また猫騙しだ。
何やってんのお前⁈と叫んだ時には袖部分は掻き消えたけれど、お陰で彼の右袖がまるっと焦げていた。
拘束を解かれ、パンパンとライアーに取り押さえられた服の皺を払って伸ばすレイは反省の色はない。フンと鼻を鳴らすとそのまま真っ直ぐ私達の方に歩み寄ってきた。今回は床を焦がさなかっただけマシだろうか。空中に零れていた黒い焔もいつの間にか消えている。
「おいジャンヌ。何故お前がここにいる?」
「ファーナム姉弟にお招き頂いたのよ。それよりも二人揃って人の家に押し入っては駄目でしょう」
「俺様の屋敷に乗り込んできた奴に言われたくねぇな」
うぐっ。
予想外にもっともな切り返しをされ、少しだけ背中を反らす。
ガンガンと歩速を変えず近付いてくるレイと私の間にアーサーが入れば、その前にエリック副隊長も立ってくれた。ステイルが私の横に並びつつアーサーをネル先生からも隠してくれる。
流石に騎士の壁は特にレイも戸惑ったのか、エリック副隊長の眼前で足が止まった。
エリック副隊長をぐっと見上げ、眉を狭めて睨み上げる。まさかここで能力使って戦闘にならないわよね⁈と胸を両手で押さえ付けて待てば、私とエリック副隊長を交互に見比べたレイがおもむろに口を開いた。
「……何故騎士がこんな所に居られるのでしょうか」
流石に騎士相手には言葉遣いも選んでいる。
それでも嫌々という印象は抜けない声だけれど、少なくとも黒い焔はもう出ない。
背後からライアーが「ヘレネちゃんの恋人恋人⁈」と叫びながら再びレイを回収しようと手を伸ばし、そして弾かれた。叩かれた手を額に当ててぐったりと息を吐くライアーが少し不憫に見える。
敵意なのか警戒なのか目を釣り上げるレイに、エリック副隊長は「ジャンヌ達の保護者代わりだ」と少しいつもより強めの口調でレイを見返した。堂々とした背中で守ってくれるエリック副隊長がもの凄く心強い。
拮抗するようにエリック副隊長とレイ、その背後には回収を諦めたように脱力するライアーで一度その場が固まった。
数秒の沈黙に、クロイが大きく肩ごと息を吐いてから動き出す。さっきまでのやりとりに一人だけずっと椅子に寛いでいたネルへと歩み寄った。
突然近付いて来たクロイに、ネルも丸い目で見返せばクロイは立ち往生するライアーとレイを手で差し示した。
「……僕らの向かいに住んでる人達です。食材分けてくる代わりに夕食を食べに来ます。レイは学校の三年生徒の自己中心で俺様な迷惑男で、ライアーっておじさんは姉さんのこと狙ってるけど基本女好きの変態らしいです」
「ッちょっと待て髪留め二本‼︎俺様の紹介だけ嘘ばっか言うんじゃねぇよ‼︎」
淡々と告げるクロイにライアーが待ったをかける。
聞いているこちら側としては大変わかりやすい説明だったけれど、言われた方は堪ったものじゃないだろう。レイが「誰が迷惑男だ」と重なるように言い返したけれど、完全に無視されていた。
ファーナムお姉様が「そんなことないわよ」とやんわり否定し、ディオスはクロイの隣で「さっき話した人達です」と言葉を続けた。
ディオスだけでなくアムレットからも話を聞いているであろうネルも納得したようにゆっくり頷いた。丸い目でライアー達を見つめているネルに、クロイは一人肩を落としてから「さっき言い忘れてすみませんでした」と謝った。
「ここに住んだらこの人達ももれなく付いてきます。煩いし遠慮しないし迷惑だから僕らもなるべく追い払いますけど、嫌だったら考え直して良いです」
変わらずの抑揚で告げるクロイに、次の瞬間ディオスとお姉様から「えっ」と声が上がった。
紹介忘れはさておき、ここまで来てお断りの可能性を考えたのはクロイだけだったのだろう。ディオスがなんでだよ!と声を荒げても「いや僕だったら借りたくなくなるし」と容赦無く両断する。まぁ確かに今のクロイの紹介じゃあ住む気が失せてもおかしくない。
サインを書く前に最終判断を迫られたネルは、さっきまで握っていたペンを一度テーブルに置くと椅子の上で身体ごとレイ達に向き直った。
エリック副隊長の眼前から視線をネルへと映すレイと、そして美人の存在に少しだけ気を持ち直し手を振るライアーを正面に向ける。
「もちろん構わないわ。賑やかな食卓は嫌いじゃないし、大人の男性も出入りしてくれる方が防犯として良いと思うの。お互い仲良くできるのなら食費の折半も経済的ね」
パッと生徒に向けるのと同じ明るい笑みを浮かべてくれるネルにディオスとファーナムお姉様が照らされる。
良かったーと声が続く中、クロイだけが若干心配そうに眉を寄せて身を引いていた。
ディオスとあまりにも反対な表情が気になっていると、顔をこちらに向けたクロイが早足で私達の方に接近してきた。怒っているようにも見えるくらい険しい顔でステイルの隣に肩がくっつくほど近付いてくると、私とステイルに向けて「あの人大丈夫なの⁈」と聞いてきた。どうやらファーナムお姉様と同じほんわか系統が増えるのではと案じてくれているらしい。
まぁ気持ちはわかる。こうして私達がこしょこしょ話をしている内にもライアーが「へー!ここに住むのか」と意気揚々とネルに歩み寄ってくる。
レイがライアーを諫めるように怒鳴るけど、突然のライアー接近に当の本人のネルは椅子に座ったままにこにこと笑って全く怖じけない。結構派手な頭と人相のライアーにちょっとくらい引いてもいいくらいなのに。
「宜しくなぁネルちゃん。いやーヘレネちゃんだけでも花があるってのにもう一人美人が増えるなんて最高じゃねぇか!今夜からはつまり両手に花で飯もさらに美味くなるって」
「私の兄はフリージア王国騎士団副団長のクラーク・ダーウィンです」
ピシィッ……と、空間が軋む音が頭に響いた。
にこりと笑ったままのネルを残して、全員の顔が一気に引き攣り強張る。流石のカミングアウトにファーナムお姉様まで笑顔が固まっているし、あのレイまで口を結んだまま表情筋がぴくりとも動かなかった。
私の前に立つアーサーの肩がこれ以上ないくらい強張っているけれど、エリック副隊長の動揺は背後から見てももっとだ。こちらは知っていたとはいえ、表向きはたった今真実を知ったことになるのだから。
いの一番に「君普通の知り合いいないの?」とか怒ってきそうなクロイも今はディオスと同じくらい丸く若葉色の瞳を開いて動かない。特に一番フリーズをかけられたのは今まさにネルへ笑い掛けていたライアーだ。
頭を掻いた姿勢のまま全身固まっている。目の前の可憐な女性から予想外のカミングアウトを聞けば、耳を疑いたくなるのも無理はない。
「あ……の、ネル……ちゃん?いや俺様急に耳がおかしくなったみてぇなんだが、……いまなんつった??」
「私の兄はフリージア王国騎士団副団長を務めているクラーク・ダーウィンですとお伝えしました。……驚かせてごめんなさい。だけど兄からは必要あればそう名乗るように昔から言われていて」
副団長ーーー!!!
困り笑いを浮かべながら首を傾けるネルの発言に、私は胸の中だけで絶叫する。まさかの‼︎まさかの副団長からのご許可済み‼︎しかも〝必要あれば〟ってつまりは、そういうナンパや面倒事に巻き込まれそうになった時にということよね⁈流石は身一つで国を出た猛者‼︎
笑顔の裏でネルがきっちりとライアー達を牽制する必要がある人物と見なしたことを思い知った私は、口角が引き攣ったまま戻らない。だけど同時に納得もする。
国外だろうが異国だろうがフリージア王国と騎士団の噂と威光はそれだけで大概の相手が戦く。しかも副団長ともなれば個人的に敵に回したくない人物に決まっている。
もちろん嘘だと思われる可能性もあるけれど、わざわざそんな可能性がある人物に手を出そうと思う人は少ないだろう。……まさか当の副団長が実際はあんなお花屋のお兄さんみたいな穏やかな人とは知らないから、余計に。
ステイルがそっと足音を消して私の隣からアーサーの隣へと移動する。
無言のまま肘でちょいちょいと付けば、言葉も要らずにアーサーがこっくりと頷いた。どうやらアーサーも副団長の牽制台詞については知っているらしい。
「今後は、私もお世話になるからにはファーナム家に協力させてもらいます。ですから食事以外ではあくまで節度を持って、彼らの勉強時間を合意なく疎外することはなるべく控えてください」
先ずは家に押し入るのは止めて下さいと。きっぱりとした口調で言うネルは、完全に講師の口調だ。
仲良くしましょうからのボディーブローのような叱責に、ライアーも開いた口が塞がらない。サァーと血色まで悪くなっているのも見間違いではないだろう。目の前にいるお姉さんが騎士の恋人どころか身内そのものだと知れば気分は虎の尾を踏んだようなものだ。
「今後兄夫婦を招く約束していますし、……引越しの時には兄にも頼んでみます。大事なお向かいさんへの〝ご挨拶〟を」
きゃあああああああああああああああ……
まさかのご本人出動。もうライアー達には拳銃を突きつけられるよりも恐ろしいだろう。
暗にネルから「嘘じゃないわ本物の副団長よ」の証拠が現れると宣言されてしまった。ディオス達からどこまで聞いているかわからないけれど、取り敢えず元裏稼業のライアーと卒業まで問題を起こせないレイにとって一番敵に回したく近づない相手だ。虎の威を狩る……というよりも龍の威を借りているくらいの破壊力だろう。
絶句したまま固まるライアーに、そこで初めてネルが席から立ち上がった。
姿勢を伸ばしてもライアーより遥かに小さいネル先生だけれど、いまは彼女に向けて背中を丸めていたライアーと視線も近い。「脅かすようなことを言ってごめんなさい」と肩を竦めながらフフッと笑いを溢すネルは、今優しい表情で彼らと目を合わせた。
「もちろん本当に仲良くしたいと思っています。ライアーさんはヘレネさんともお友達みたいですし、私も〝友人〟として仲良くしていただけたら嬉しいです」
宜しくお願いします。と、そう最後に締めくくってぺこりと頭を下げるネルに、さっきまでの勢いのあったライアーも気の抜けた言葉しか返せていなかった。
ネルが求めるままに手を差し出し、握手する。背中の丸さの所為か、圧倒されているせいか今だけはライアーがトーマスさんに見えてしまう。……というか、うっかり素のトーマスさんが出ているという方が近い気もする。
レイもネルを睨んでこそいたけれど、今度は悪い口も叩かなかった。多分、彼にとっても副団長の妹は脅威なのだろう。エリック副隊長の方を再び横目で見上げると小声で「本当に恋人ですか」と確認までし出した。……まぁ、騎士関係者の女性となればそう思うわよね。
エリック副隊長が違うと一言と同時に首を横に振れば、またちょっと怪訝な表情のままだった。彼の中では私達がアラン隊長ではなくエリック副隊長といることも疑問だろう。熱が少し冷めたように見える彼に、今度は私から話しかけてみようかしらとアーサー達の背中から顔を出す。すると、その横をクロイが駆け足で過ぎ去っていった。
突然動き出したクロイに瞬きを繰り返して見返せば、ネルに向かっていた。既に兄のディオスは彼女の横で目を輝かせて見上げている。
ライアーと握手を終え、再び椅子に掛けようとする彼女に双子揃って目配せもなく同時に声が上げられる。
「「いつ引越して来てくれますか?!!」
今日にでも!明日にでも‼︎と最後だけディオスとクロイの言葉がズレる中、その眼差しだけは二人揃って瞬いていた。
取り敢えず大歓迎には変わりない。
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女身一つで危機を回避してきた用の
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