そして準備する。
「本当に大丈夫なのですかっ、エリック副隊長」
宮殿の廊下でティアラは心配そうに近衛騎士を見上げた。
王配の執務室でプライド帰還報告を受け、やっと休息時間を得たティアラはまっすぐにプライドの元へと向かっていた。部屋に行っても見張りの衛兵や控えの侍女以外誰も居らず、入浴中である姉の元へ訪れやっと最初に兄と近衛騎士達に合流できた。
ジルベールの特殊能力も解け着替えを終えたアーサーも、今はいつもの姿だ。
水を吸った長い髪だけが三つ編み状態の形状を若干残したまま一本に絞られている。
プライドの近衛に一秒でも早く戻る為にも自分の髪を顧みる余裕などなかった。ただでさえエリックは濡れた格好のままプライドの護衛を担っているのだから余計にである。
そして合流したティアラも一番に心配したのはそのエリックだった。入浴中の姉とそして乾いた服を着ている兄とアーサーと違い、一人だけ湿りきった格好をしている騎士が心配になる。
「はい、大丈夫です。先ほどタオルも侍女からお借りできたので、これくらいは」
プライドから返還された自身の上着を肩に羽織りながら笑うエリックは、プライドの着替え中暖炉でできる限り乾かされた上着だけが少し温かかった。
部屋前でプライドの着替えを待っていた時からステイルにハリソンとの交代をと提案されていたエリックだが、たかが服が濡れた程度でプライドの傍から離れたくもなかった。しかも温かい建物内にいる自分はまだ良い方だと思う。
今頃、村で殲滅を終えたアランを初めとする一番隊や他の騎士達は濡れながら後処理と保護活動に追われているのだから。濡れた服程度で風邪を引くほどやわな鍛え方は彼自身していない。現時点で寒気もくしゃみもない。
しかし室内で一人濡れた格好である彼は誰の目から見てもあまりに寒々しかった。
一体何があったのですか、とティアラは聞きたくても今は城内とはいえ廊下である。下手な会話もできないと視線をうろうろさせてからエリックの手を取った。濡れた手袋だけ外した彼の手は、あまりに冷え切っていた。
「きゃっ⁈」と短い悲鳴を上げた後、そのまま自分の両手で挟みながら賢明に温度を分けようとするティアラにエリックも自然と顔が綻んだ。ありがとうございます、濡れてしまいますよ、と言いながらも王女の優しさが何より身に沁みる。
アーサーも先ほどから偶然を装いつつエリックに触れては風邪が引かないようにと密かに注意を払い続ける。
「お待たせしてごめんなさい。……!ティアラ、貴方も待っていてくれたの?」
お姉様っ!と開かれた扉から現れたプライドに目を輝かせる。
温かな湯船にも浸かり身嗜みも整えられたプライドは、ティアラの見慣れた姿だった。ほくほくと湯気を立たせて笑い掛ける姉に駆け寄る。「貴方まで待たせてごめんなさいね」と頭を撫でてくれる姉の手は髪越しでも温かさが伝わってきた。
まだ何があったかは聞いていないティアラだが、傷一つない姿にそれだけで胸を撫で下ろす。きゅっと甘えるようにプライドの腕にしがみつけば、ほわほわと姉の身体の温度と一緒に花のような甘い香りが心を落ち着かせた。そして
「お姉様っ、エリック副隊長がとても冷え切っていて……本当に本当に凍っちゃっているみたいなんですっ」
「ッ⁈いえ、決してそれほどでは!」
突然の自分の話題にエリックは両手を振って否定する。
ただ雨に濡れたくらいで、ステイルにもアーサーにも、そしてティアラにも心配されてプライドにまでこれ以上気を遣われたら今度こそハリソンと交代である。
湯浴みへ向かう途中にも「寒くはありませんか」「誰か代わりの騎士と交代を」「着替えを」とプライドにも何度も気遣われた後だ。
ティアラの言葉を受け、プライドの視線も素直にエリックへと向いた。
温かい湯に浸かった自分と違い、今も冷たい服を羽織っているエリックに向き直る。すかさずティアラが「ほら、こんなにっ」と先ほどまで自分が決死に温めようとしていたエリックの手を片方取った。ティアラに温められ、気持ち程度マシになった温度だが冷え切っていることに変わりない。
第二王女の手を安易に振り払うこともできず代わりに背中を反らすエリックだが、その間にプライドが早足で距離を詰めてきた。大丈夫ですか?と尋ねながらティアラが握るのと反対のエリックの手を取り、妹と同じように両手で包む。
「!本当に冷たい……。ごめんなさいエリック副隊長、やっぱり寒かったですよね」
ティアラとは比べものにならないほど温めきられた手がエリックを襲う。
細眉を垂らしながら自分を見上げる彼女は、今は十四才ではない成人女性の姿だ。しかも風呂上がりすぐ至近距離にこられた所為で花のような甘い香りが鼻に直接香る。冷え切った手がまるで暖炉に当てたかのように温められる。
いえ、とんでもありません、と擦れた声で返したが、あまりの熱量に上手く言葉が出なかった。
ティアラが自分の平温な両手では温度が足りないと、今度はエリックの手を自分の頬に当てだした。
小さく柔らかな感触と、最初にティアラの手に触れた時以上の温かさがじわりとエリックにも沁みたが、次の瞬間にはそれを知覚することもできなくなる。隣でそれをやった妹に倣うように、今度はプライドまでエリックの手を自分の頬へと添えだしたのだから。
王女二人の頬にそれぞれ自分の手が添えられ、一体何が起こっているんだとエリックの頭に過ぎる。
硬直するエリックに、とうとうティアラが「こちらの手も」と自分のとった手をプライドへと差し渡してしまう。プライドも、ティアラより物理的に温まっている自分の方が良いと、何の疑問もなく受け取るプライドはそっとエリックの両手を自分の頬へ添えさせた。
プライドの両頬から温度を分けられ、柔らかな頬の感触と共にプライドがあまりに近い。ただ目の前に立っているだけでも彼女の温かい温度がふわりふわりと空気を隔ててエリックを温める。
信じられないほど、手どころか身体の芯まで熱が火照り出すのが単にティアラとの体温の違いとはエリックも思わない。
ぶわりと顔まで赤らんできたエリックに、プライドも少しは熱を分けられただろうかと息を吐く。
暫くこうしていたいが、流石に廊下の真ん中では話もできない。湯上がりの身体にエリックの手はひんやりと冷たくもあったが、同時に心地良かった。今はもう自分と同じくらいの平温まで戻ったかなと思ったところでゆっくりと手を離す。
「すぐに騎士団演習場へ向かいましょう。騎士団長にもお会いしたいし……」
「待ってください姉君。湯冷めしますから、一度部屋に。それにまだ俺もティアラも詳しいことは聞かせてもらっていません。間もなくジルベールも来ることでしょうから」
きちんと情報を整理してから説明すべきです、と。
先を急ごうとするプライドを、ステイルが押し止める。口裏合わせをする為にもこのまま彼女を騎士団長には会わせられない。
さっきまでは緩みそうな口元を意識的に結びながら見守っていたステイルだったが、このまま騎士団に向かわせるわけにはいかなかった。今後の騎士団長との話を纏めるにも、プライドから事実を聞く必要がある。
ステイルの言葉に、確かに今回はアーサー以外状況がバラバラだったと省みるプライドも急がせたい足を止めてそれに頷いた。
ティアラが「私も聞きたいですっ」と腕にしがみつけばもう自分の部屋に戻るしかない。
「わかったわ、一度部屋に戻ります。その間に馬車の手配を。エリック副隊長、アーサーも暖炉の傍で温まってくださいね」
そう言いながら、自室へと戻るプライドにアーサーは一声返しながらエリックに目を向けた。
空っぽの声で返事こそしたエリックだが今や高熱を持てあましている様子に、アーサーはそっとまた彼の背中に触れた。
しかし万物の病を癒やす特殊能力者の彼にもこの熱は治せない。




