Ⅱ396.見かぎり少女は見張る。
「!待て、そこで止まるんだ」
ブラッドの案内で私達が辿り着いたのは、燃え盛る家々のどこからも離れた場所だった。
ブラッドのお母様を抱えながら周囲を注意深く見回したカラム隊長の言葉に、私達も足を止める。
並んでいた私に腕の動きだけでしゃがむように指示してくれたカラム隊長に、アーサーも一拍遅れてから肩を貸したブラッドを下へ引っ張るようにして一緒に岩陰に隠れた。
火事現場から離れているお陰で、ここまで来ると大分空気も澄んでいる。川の近くということもあって涼しい空気が喉に通った。ここなら火事に巻き込まれることは先ずなさそうだ。……このまま何も起こらなければ。
「人影が見えた。ゲイル君、君はお母さんとこっちに」
案内をする為に岩影のすぐ手前に座ったブラッドをカラム隊長が一度退がりもっと離れた岩影の奥へと手招きする。
気を失っているお母様が丁重に地面へ横にして寝かされると、ブラッドも姿勢を低くしたまま指示通りにお母様の傍らで膝と付いた。
アーサーも気になるようにちらちらブラッドを見ていたけれど、それからは岩影からそっと川の方へ顔を覗かせた。カラム隊長が引き止めたということはきっとこの先に村人と人身売買組織がいるのだろう。
アーサーの横へ並んで様子を覗くカラム隊長に私も続きたかったけれど、移動しようと腰を浮かせた途端「ジャンヌもそこで」とアーサーとカラム隊長から揃って止められてしまった。私に向けて開いた手をぴっしりと伸ばす二人に、渋々と再び腰を下ろす。ブラッド達と同じく岩影からも数歩離れた位置にしゃがんで武器だけ握る。
向かう途中でカラム隊長から聞いた話によると、ステイルは今は騎士団長の元でお留守番中らしい。
秘密裏に近衛騎士であるカラム隊長を私の元に送る代わりに、王族をこれ以上戦場に増やすなと尤も過ぎる騎士団長の条件だ。あくまで〝巻き込まれた立場〟の私達を、騎士団長も救助すべく全力を尽くしてくれている。
どうやらステイルは崖上にいた時点で、私が村にアーサーと突入することは想定済みだったらしい。お陰で合流したカラム隊長からも「村へ降りた時点で火事が起きたと……」とそこの部分に関してはお咎めは受けずに済んだ。流石ステイル流石策士。
ただそのステイルもパウエルの行方不明とエリック副隊長との分断は予想していなかった。
ここにステイルがいれば、試しにパウエルの元へ瞬間移動できるかやってみて貰えたのに。個人の元へ瞬間移動するには色々条件もあるステイルが、このひと月でパウエルの元へも瞬間移動できるようになったかは私にもわからない。
カラム隊長も一般人が巻き込まれていることはステイルから聞いていたらしいけれど、行方不明もエリック副隊長が捜索する為に別行動を取ったことも初耳だったからこれには驚いていた。
「……君さ、ジャンヌって言ったっけ?」
ぼそっ、と囁くような声に肩が震える。
顔を上げればブラッドが私の耳元へ手を添えながら話しかけていた。ライラちゃんと同じ柿色の濃いオレンジの髪に、ノーマンと似た畝り気味のふわっとした癖っ毛と水色の瞳をした垂れ目の青年。間違いなく、第二作目の攻略対象者ノーマンだ。
まさか彼から話しかけてくれるとは思わず、唇を絞ってコクコク頷く。
ゲームより幼いながらに綺麗な顔が間近にいてちょっとびっくりしてしまう。私の返答ににこっと笑うノーマンはこの状況を忘れてしまうくらいに可愛らしい。そしてドギマギする。
「さっきはありがとうねぇ。兄ちゃんの知り合いなの?」
「え、ええ……。学校でライラちゃんと仲良くなって……」
知らず知らずのうちに顎を反らしてしまいながら、座った姿勢を崩す。
ここが彼のご自宅かカフェか屋上だったら、こんな風にお話できて嬉しかったのだろうけれども今は状況が状況だ。
「そっかぁ」と零すブラッドが、続いて「このハンカチもありがとう」「君強いね」「あっちの銀髪の子も」「彼氏?」「僕のことどこまで聞いてる?」と柔らかな声で質問してくる間も気が気じゃない。
なんとか一言一言返して精一杯になる私は目の前のブラッドとゲームのブラッドを照合する。うん、この感じとかすごくブラッドこの上ない。
「さっきとか格好良かったよ。火の中で言ってくれた言葉とかすごく嬉しくて。もう本当にあのままどうにかなっちゃいそうだったか」
「ッジャンヌ!……すンません。…………えっと、母親さんの方は大丈夫すか……?」
声こそ潜めていたけれど怒涛のお喋りタイムに、アーサーが間に入ってくれた。岩影から低い姿勢のまま素早く駆け寄って文字通り私とブラッドの間に移動する。
私に話しかけた後にすぐは言葉が思いつかないように視線を落としてからお母様の心配をするアーサーに、ブラッドが「大丈夫」と笑って返した。私も改めてお母様を見れば、ちゃんと深く呼吸しているのが胸の浮き沈みでよくわかる。顔色も良いし魘されてもいない。
そうですか……、とほっと息を吐くアーサーに私からも話題を投げるべく、前のめりに川の様子はと尋ねてみる。
私達の位置からは見えないけれど、カラム隊長と一緒に岩影向こうを確認しているアーサーはしっかり把握している筈だ。今も岩影でカラム隊長が鋭い眼差しで様子を伺っている。
ひと声返した後、アーサーは詳しく状況を説明してくれた。
「やっぱり情報通り川の対岸に結構な数の人達が膝をつかされて捕まっているようでした。老人も女性も子どももいますし、多分全員だと思います。ンで、見張ってる連中の他にも結構な数で……」
甘く見ても村人の数より多い。そう断言するアーサーに、やっぱりカラム隊長が倒したのは一部だったと理解する。
村全体を攫おうとしているのだから、相応の数で攻め入ったに決まっている。こんな人数がどうやってフリージア王国に、とも思うと同時に……恐らくという予想もある。あくまでゲーム通りだった場合だけれども。
てっきりゲームをやった時はパラレル前提の時間軸なんて気にしなかったし、ラスボスプライドの圧政中で治安が悪かったからが一番だと思ったけれどこの調子だと違うらしい。まずこの時期ならラスボスプライドはもう死んでいる。
なら、少なくともブラッドにもプライドは関わっていないということか。半分ほっとするけど、半分残念だ。いっそラスボスプライドの所為だから現実ではファーナムお姉様みたいに改善されていたら一番良かった。
馬車に乗り込ませる動きもないことから、きっと村を焼いていた彼らの帰還を待っているのだろうとカラム隊長からの推測も教えてくれた。
確かに銃を持っている人もいたし、彼らも下っ端だけではなかったのだろう。
「応援もそろそろくる筈なので、それまでは様子を見ます。もし連中が動くようだったらカラム隊長が時間を稼ぎますが、ジャンヌ達はこのまま動かないで下さい」
ここなら安全です、と言い切るアーサーにちょっと言葉を飲み込みつつ頷く。
それなら私がブラッド親子を守るからアーサーもカラム隊長の応援に……と言いたいけれど、そうもいかないのもわかっている。
カラム隊長一人でも連中に負けないとは思うけれど、捕まった人達の安否や取り逃しまで保証は難しい。ここにエリック副隊長が駆けつけてくれればと思うけれど、最悪の場合私はここから銃で応戦しよう。
そう考えている間にもブラッドからは「うんわかったー」と伸びのある返事がきた。
目を向けるとにこにこと笑う彼は、アーサーにも愛想の良い笑みで手を小さく振っている。それを受けた途端、アーサーの顔が引きつり顎を反らしたけれど。
やっぱりアーサーもこの状況での彼の反応にはちょっと疑問を感じている部分があるのだろう。無理も無い。ゲームの設定を知っている私すらこうなのだから。
お願いします、と吃り気味に頭を下げたアーサーはそのまま今度は私の耳に口を近付けた。私からも耳を傾ければ、こそこそと手を添えながら「大丈夫すか?」と心配してくれる。
「さっきからちょっとブラッド様子がおかしいっつーか……。最前線も危ないですし、俺こっちで見てましょうか?」
「平気よ、心配してくれてありがとう」
また何かあったら教えて。苦笑交じりに言いながら、むしろ私が彼のことは見てないとなと思う。
アーサーがいてくれたら心強いけれど、距離も大して離れていないし今は村の人に何かあった時に動ける人員が一人でも多い方が良い。それに私から直接この目で川の向こうを覗きにいけない今、アーサーの橋渡しが必要だ。
それでも少し心配気味に私とブラッドを見比べたアーサーは、ゆっくり後ろ向きに下がりながらカラム隊長の元へ戻っていった。
カラム隊長とアーサーが気配を消して岩陰から様子を窺っている間、私も私でエリック副隊長か他の騎士が後方から駆けつけてこないかと背後を振り替え……
「ッぶ、ブラッド⁈」
どこ行くの⁈と思わず名前を呼んだ後にも抑えた声がひっくり返る。
アーサーがカラム隊長の方に戻った途端、四つん這いになったブラッドがこそこそと村人とは逆方向へ向かって忍び足しているところだった。姿勢を低くして岩陰に隠れながら完全に逃げる体勢だ。
私の声に顔だけで振り返るブラッドは「しー」と笑顔で口元に人差し指を立てて見せた。
だめよ!と彼の服の裾を引っ張って止めるけど、それでもブラッドはコソコソと何処かへ行こうとする。非力な私じゃ彼を止められない。声を抑えながら「騎士様呼ぶわよ⁈」と怒ればやっと逃げるのをやめてくれた。
気を失っているお母様からも離れるわけにいかず、ぐいぐいとブラッドを再び私の方に引っ張り込む。なんとか座り直す形で私に身体ごと向けてくれたブラッドの手を握りながら、もう一度問い掛けた言葉を繰り返す。
「どこ行くつもり?」
「えー、用を足しに……我慢できなくって。ほら、ジャンヌ女の子でしょ?」
「それならジャックを呼ぶわ」
「うーん……ごめん、ジャンヌ。見逃してくれない?」
やっぱり嘘だったのか。あっさりと言い訳を認めたブラッドは私に握られた手を振って両手でパンと合わせると目元だけでなく眉まで垂らして笑い掛けてくる。可愛いおねだりのポーズに見えるけれど、この状況では何もかも違う。
想像は、つく。けれど、敢えて「どういう意味?」と言葉にしてみれば首を横に傾けてまた困り笑顔で口を開いた。
「母さんだけ見ててよ。騎士が見ててくれれば安心だし、ジャンヌは気付いたら消えてたって言っといて」
「ブラッドはどうするの?安心だと思うならここに居ましょう」
ブラッドの水色の瞳を見つめ返しながら間髪入れずに返す。
そんなにこにこ笑ったからって見逃せるわけもない。振り払われた手でもう一度ブラッドの腕を掴みながら、さっきまで世間話のようだった会話の意図を理解する。きっと最初から彼はこうするつもりだった。
意思を込めて細い腕をぎゅっと握ったら「痛いよぉ」と全く痛そうになく肩を竦めて言われた。それでも彼の怪我をみると、しまったと思い少しだけ緩める。でも絶対離さない。
返事を待つべく唇を結んで釣り上がった目で睨む私に、ブラッドも軽く溜息交じりに肩を落とした。諦めたように首を一度垂らしてから、顔を上げた時にはまたお得意の笑顔で私に向き直る。
「僕だけ先に逃げるから」
「絶対だめです」
行かせるものか。
その意思を新たに、もう一度私は彼を掴む手に力を込めた。




