Ⅱ383.騎士隊長は待っている。
……何かあったのだろうか。
そう、カラムは一人考えた。
特別教室を確認するプライド達の付き添い件護衛として、騎士団長であるロデリックから許可も得て一限前から訪れた。約束より早めの時間から三年の階を見回りし、そして頃合いになってからは一つ上の階である特別教室の廊下を巡回する形でプライド達を待ったカラムだが、未だに誰も訪れない。
階段の踊り場まで行ってみはしたが、朝の時間帯は貴族の生徒が行き交う為に必要以上に注目を浴びてしまう。騎士であり講師でもある自分に悪い顔をする生徒はいないが、あまり自分の存在を主張するのもいけないだろうと今は階段からも離れた壁際に控えていた。
貴族生徒の為に様々な用途の教室が揃っているが、生徒が集中している教室自体は一つのみ。
そこに一年から三年の生徒が集約されている。最初は空き教室の安全確認も行ったが、何度も確認しては不審に思われる。今はなるべく気配を消してプライド達の合流を待つしかなかった。
想定していたよりも大分長い待ちぼうけに、彼女達の安否だけが気に掛かる。
アーサーも瞬間移動を扱うステイルも、送迎にはエリック、校内ではハリソンもいる。無事ではいるだろう、ならば何か想定外の自体に足止めを受けているのかを考えながらも、壁際に寄りかかることなく姿勢を正し待つ。
まだ授業開始までには時間も優にある為、教室から離れた専用教室へ向かう生徒もいる。邪魔にならないように目立たないように、しかしプライド達にはすぐ気付かれるようにと壁際に佇むカラムだがそれでも「おはようございます」と挨拶をしてくる生徒もいる。
中にはいつもはいない筈の騎士の存在に何か問題でもあったのだろうかと鑑みるように沈黙のままちらちら視線だけをくれて横切る生徒もいる。そんな彼らの前で背中を正し、堂々と佇み待つカラムのその横を
なんなくプライドは過ぎ去った。
「…………………~っ」
唇を結びながら敢えて無言でカラムを横切ったプライドは、心臓を押さえたい気持ちをぐっと堪える。
ネイトに借りたゴーグルを嵌めたまま階段の踊り場から廊下に出たプライドは、すぐにカラムを見つけた。目立たないように普通の歩速で歩きながら、いつ彼が自分に気付くかと動悸を耳まで響かせ続けていた。
しかしどれほど近付いてもカラムは佇んだまま他の生徒と同じように気が付かない。本当ならば廊下に出た時点に手ぐらいで挨拶はされた筈なのに、ちらりとこっちを見た後はもう目もくれない。この緊張感は自分だけでなく背後の壁影でこちらを覗いているであるアーサー達も一緒だろうと振り向かずとも背中で確信する。
どれくらいの距離まで大丈夫だろうと歩み寄り、袖が擦れ合うほどすぐ隣を横切ったが、カラムは声をかけるどころか振り返ることもしなかった。
あまりの心拍にカラムに背中を向けてからはっと煩い心臓を両手で押さえたプライドは、一メートルほど過ぎてから音も無く立ち止まる。
あまりにも綺麗に上手くいってしまった緊張感と興奮で、別教室の扉前で気配も消した彼女はそっと踵を返し振り返る。身体は壁に添って横に向いているが、首から上は自分達を待ちわびて階段へ向けているカラムの後頭部がとても貴重に思えた。基本的に自分の背後に控えていることが多いカラムが、こんなにも無防備な状態である。
ネイトの発明恐るべしとプライドは思いながら、いつ声を掛けようか悩んでしまう。こんな機会は滅多にない。
わっと声を掛けてみようかと最初に子どものような発想が思い浮かんだが、騎士相手のカラムにそんなことをしたら反射的にも身構えられかねない。相手は背後を取られることすらない騎士である。背中をドンと両手で突いてみようかとも考えたが、それもやはり身構えられてしまう。
なんとなく気配を自分からも消したまま、壁際に立つカラムの横に並んでみる。同じように壁へ背中を向け、五十センチより更に半歩距離を詰めたがやはり気にされない。本来ならばこんな近くで女生徒が立ち止まればカラムも気にするはずなのに、全く気付かない。
カラムと違い壁に寄りかかりながら、あまり驚かせないようにと考えながらうろうろと首を左右に揺らして考えれば、影で様子を窺っていたステイル達が先に動き出した。
階段の踊り場から姿を現し、ネイトの発明に関心の色を隠さないままカラムへ向けて歩み寄る。待ちかねていたステイル達の登場に、カラムもすぐに気づき身体ごと向き直った。顔だけでなく背中全体をプライドに向けてしまったのも気付かずに、訪れた三人へ小首を傾げる。
「フィリップ、ジャック。ジャンヌはどうした?それにネイト。何故君が……」
背後のプライドに気付いていない。
常に緊張感を緩めない騎士の見本のようなカラムが、背後に無言で佇むプライドに気付かない様子にステイルとアーサーは意識的に表情を抑えた。唇を絞り、苦笑しそうな顔を意識的に止める。
先頭をずんずんと歩くネイトだけが悪戯成功と言わんばかりのニヤニヤ顔を隠さずカラムを見返した。自分の発明の威力をプライドにもジャック達にも見せつけられたことに鼻高々に顎を反らしながら「ばーか」と失言を最初にカラムへ投げかける。
しかしカラムからすれば、失言よりもプライドがいないことに戸惑いが隠せない。
ステイルはともかく護衛でもあるアーサーまでプライドから離れていることになる。自分の質問には答えず無言で歩み寄ってくる二人に、本当に何があったのかと思考を巡らせる。その場で待っていられず自分からも彼らに一歩踏み出し歩み寄る。ネイトの額にゴーグルが無いことは気付いたが、今はそれどころでは
「あっの、カラム隊長……?」
ぐっ、と。
突然自分の左手の裾が引っ張られた。
ちょうど前髪を押さえた右手と反対の手が背後から引かれ、思考が結論に辿り付く前にカラムは振り返る。自分のすぐ背後に、深紅の髪を頭の上で丸くまとめ上げた少女が立っている。それがプライドだと気が付いた瞬間、カラムの心臓が一度大きく飛び跳ねた。
「なっ⁈」とひっくり返りそうな声を漏らした直後には、上体から大きく反らし動揺のあまり一瞬身構えかける。相手がプライドであると思えば思いとどまったが、中断した脳の行動命令に全身が振り返った体勢のままピキリと硬直した。
踏み出した足が床から二センチ上のまま浮き固まったまま、自分の左袖を摘まむ少女に目が釘刺さる。自分より遥かに低い身長で、ゴーグル越しに上目で覗き込んでくる少女に取られた左裾だけでなく肩まで強張った。
愛らしい。と、場違いにも一瞬そう思ってしまった自分の頭を理性が次の瞬間には叩き変える。
「なっ、ぜここにっ⁈……まさか、いや……⁈」
ステイルの瞬間移動、とも思ったがこのタイミングでそれをする意味がわからない。学校内で正体はもちろん特殊能力を隠しているステイルが、ネイトの前で他の生徒の目にも入るかもしれないにも関わらずそんなことを無意味にするとは思えない。
意識的にプライドから視線を外し彼女の背後の廊下へ向けるが、どうやっても階段以外で侵入した方法がわからない。一体どうやって、いつの間に背後を取られたのか。それとも自分が無意識に呆けてしまったのかと様々な可能性を考えるカラムは、ステイル達とプライドを丸い目で何度も交互に見比べた。
動揺している様子のカラムに、ステイルもとうとう素の笑みが滲み出た。アーサーも堪えきれず種明かしをする前からペコリと大きくカラムへ頭を下げる。どういった理由があろうとも、先輩騎士であるカラムに悪戯を仕掛けてしまったことを申し訳ないと謝罪を示す。
「なっ!わかったろ⁈カラムも気付かねぇんだぜ⁈やっぱすげぇだろ俺の発、ッモガ⁉︎」
「カラム〝隊長〟です。それ以上は大声で言わねぇ方が良いっすよ」
うっかり発明を貴族のいる教室で大々的に宣言しそうなネイトを口を押さえて止める。
アーサーに突然背後から手を伸ばされ、目を皿にして振り返ったネイトは「なにすんだよ!」と怒鳴ったがそれ以上は言い直さなかった。もう自分の発明の価値も以前よりは自覚している。
ばしっ!とアーサーの腕を叩き落としながら、塞がれた感覚を拭うように拳でこする。
発明……?と口の中だけで呟くカラムに、プライドは自分のゴーグルを指でトントンと叩いて示した。
「ネイトが貸してくれたんです。掛けていると存在感を消すというか、私って気付かれにくくもなるらしくて……ごめんなさい。効果確かめてみたくて、わざと無言で通り過ぎました」
せっかくのネイトから借りた発明に、何かしらそれらしい悪戯成功の功績をつくりたかったが何もできないままカラムに背中を向けられてしまった。引き止めるように彼の裾を掴めば、もうそれらしい悪戯をする間もなくバレたとプライドは心の中でちょっぴり残念に思う。
周囲に聞こえないように、こそこそと説明しながら細い眉を垂らすプライドはまだ片手は裾を摘まんだままである。
ぺこりと小さく頭を下げる動作も合わさった上でそれを言うのは少々反則なのでは、と考えながらカラムを眉に力を込め目まで絞り堪える。こんな所で顔色に出すわけにはいかないと自分を律しながら「そうか……」とだけ絞り出した。
つまりは自分が見逃したわけでもなく、ネイトの発明の仕業ということ。その事実だけを最前に置いてから、心臓に悪い彼女の手を左裾からそっと自分の手で降ろさせた。丁寧な手つきと自然な動作に、カラムの反応の方ばかり注目していたプライドは全く気付かない。
ステイルが少し悪戯心でにっこり笑いながら「申し訳ありませんでした。僕らも気になって」と続けて謝罪すれば、アーサーも「すみませんでした!」と今度は勢いよく声を響かせてしまった。
アーサーの覇気のある声に、やんわりと貴族生徒の注目を浴びる。しかし今はアーサーの元気な声とその注視の眼差しが幾分カラムの頭を冷やすのを手伝った。深呼吸で一度整え、それから気を取り直す。
「……なるほど。事情はわかった。注意していた筈だが確かに全くジャンヌとも気付かなかった。そのまま見学すると良い。講師を驚かせることは褒められないが、ネイト。ジャンヌに気遣いをしてくれてありがとう」
特別教室の前へ足を進め、カラムはプライド達へ見やすいように音もなく扉を開いた。
悪戯はともかく、これならプライドの危険も防止できると考えればこの場には最も相応しい発明だと考える。
言われるままにぴょこりと顔を出してプライドが教室を覗き込めば、今度はネイトに視線を変えた。
褒められない、と言われた時はむすっと唇を尖らせたネイトだが、最後に肩を叩かれれば正直に肩が上下した。見上げれば怒っていると思ったカラムが優しい笑みで自分を見てる。
どういう話の流れかはさておき、それでも貴重な発明をプライドに貸した思いやりを汲み取られたことにブワリと気恥ずかしさで顔が熱くなった。
褒められるのは嬉しくてニヤけたが、そこまで気付かれたくはなかった。一気に熱を放出するように口で捲し立てる。
「は、ハァ⁈べっ別にそんなんじゃねぇし⁉︎ただ俺の発ッ、が!すっげぇしついでにカラムびびらせてやりたかっただけだし‼︎どーだびっくりしたろ‼︎」
「廊下で大声を出さないように。ああ、確かに驚いた。騎士である私が気配にも気付けなかった」
「だろ⁈すっげーだろ⁇……あ、もっもし欲しくても頼まねぇと作ってやらねぇから!」
「ありがとう。だができるだけ大量流通は控えて欲しい。悪用されたら大変なことになる。私が頼める立場ではないが、君の腕が本物だからこそだ」
「えっ、あっ。……あったり前だろ⁈もともと俺のだし⁉︎ジャンヌだから貸してやっただけで、それにもう俺には必要ねえし⁈今は授業もちゃんと受けてるしさぼってもねぇし!」
「それは良かった。あともう少々声を控えるように」
途中で抑えた筈がまた衝動に比例してうわ上がるネイトに、カラムは腕を組みながら笑みで返した。
プライドが貴族の教室を覗き込んでいる今、あまり声で注目を浴びるわけにはいかない。
しかしカラムに褒められた上に会話ができたネイトが舞い上がっているのは、ステイルとアーサーにも火を見るより明らかだった。
最初は確実にプライド目当てで教室前で待っていたであろうネイトが、今は目もくれずカラムにかまって欲しがっている姿はいっそ二人の目にも微笑ましい。カラムも言葉遣いはさておき自分へ一生懸命話してくれるネイトには気持ちも穏やかだった。
「カラム隊長ですら気付けないとなると、貴方の教室前で張っていたジャックも気付けなかった筈ですね」
「あッ⁈あの時もこれ使ったンすね⁈」
「だってお前らあの時は怖くて気持ち悪かったんだからしょうがねぇだろ」
やはりか……と、ステイルは眉間に皺だけ避けて眼鏡の黒縁を押さえる。
ネイトと知り合ったばかりの頃。一度朝にプライドと共に三人で教室前でネイトを待ったが、いつの間にか既に彼は教室にいて始業の鐘が鳴るまで気付けなかったことを思い出す。気を張っていた自分やプライドのみならず、騎士のアーサーも気付けなかったことは疑問だったが先ほどのプライドとカラムを見れば納得である。てっきり発明の靴で窓から侵入したのかとも考えていたが、どちらにせよ壁移動する靴もゴーグルと合わせてこそ誰にも気付かれずに逃亡を可能にする。
窓から出入りする生徒など、本来噂になっても良いくらいである。
気配も気付けず、プライドをカラムの目からも素通りさせることができるネイトの発明は恐ろしいものだと改めて思う。
カラムの懸念通り、悪用されれば透明の特殊能力者よりも厄介になりかねない。……しかし、と。そこでステイルは一縷の思考が頭に過ぎり意識的に口を閉じる唇に力を込めた。
その間にもプライドがゆっくりと前のめりに覗き込んでいた体勢から背筋を戻していく。
「……ありがとうございます、カラム隊長。それにネイト。ゆっくり見れて満足したわっ」
既にもう二度は確認した教室をプライドが確認終えるのはすぐだった。
ちょっと肩を落としたまま笑い向き直るプライドに、やはり予知した生徒が見つからなかったのであろうことはカラム達も聞かずともわかった。
行きましょっ、と早々に退散すべき踵を返すプライドにネイトは首を大きく傾ける。もう?と、他の教室も見れれば良いのにと思ったが、それ以上の部屋は貴族の生徒以外は禁制のプライベートルームである。流石に騎士の付き添いがいても目立つ。
待っていたカラムの記憶でも、他に目新しい生徒が入っていった覚えはない。奥に居るのは今まで教室でも見た、ごく普通の貴族生徒だけだ。
階段を降り、改めて待たせたことと付き合って貰ったことの謝罪と礼を告げるプライドだがそこでふと階へ降りる前に足が止まった。そういえば……とゴーグルをかけたまま考える。
「あのっ、ネイト?このままもう少しこれ借りてもいいかしら?すぐ戻るから!三年の教室もちょっと見たくて……」
「?別に良いけど」
ぱちりと大きく瞬きで返すネイトに、プライドは小さくガッツポーズをした。
もともとは二年の教室を巡るつもりだった彼女だが、予定をこの場で変更したことにステイルとカラムも納得し言葉は出さず頷いた。確かに確認するなら今が好機である。
ステイルから「では僕とネイトはここでカラム隊長と待っているので」と言えば、残されたアーサーも一拍遅れて気が付いた。
今のプライドなら、何の心配もなく三年の教室を覗けるのだと。そして、ステイルはともかく自分なら万が一気付かれても唯一問題ない。
……これでやっとセフェクの教室もちゃんと確認できる!
そう思えば、プライドは期待でゴーグルの淵に両手を添えた。
今まで一番恐れて二回とも最も雑な確認になってしまった二組と、セフェクに見つかることを恐れて早々に退散していた他教室も今なら何の憂いなくじっくり見れる。アーサーも変装し、自分もネイトの発明のお陰で存在を隠せるのなら今しか無い。
四年前の正体を知られたくないステイルとプライドと違い、アーサーなら同行して万が一セフェクに気付かれていてもプライドさえ隠せれば良い。
行きましょっ、と意気揚々と三年の教室へ足を動かすプライドにアーサーも続いた。
二人が向かうのを見送ってから、ステイルはカラムの影に隠れるように位置を変えつつ、踊り場の隅に三人で移動した。流れるように置いてけぼりにされたネイトも、カラムとの会話で暇はつぶせる為今は文句も大してない。しかし、カラムの背後からじーっと自分を見つめてくるフィリップの眼差しに少し片方だけ肩が疼いた。
「…………なんだよ?」
「いえ。……因みに、例えの話ですがあのゴーグルで普段使いに見えるような目立たないデザインは製作可能でしょうか。そしてその場合の対価の具体的なご希望があれば。あくまでもしもの話ですが。」
はぁ⁇と、まるで自分の商売相手である隣国王子のような質問に何の冗談かと首を捻るネイトだったが、ステイルは一向に真面目である。
出来ることなら潜入視察が始まる前に三つ購入したかったと思う程度には。




