Ⅱ381.無頓着少女は登校する。
「ではいってきます」
いつものように挨拶をかけ、ギルクリスト家を出る。
休日が終わり、今週でとうとう最後の学校生活だ。エリック副隊長が開けてくれた玄関の扉を十四歳の姿になったアーサーとステイルと一緒に抜ければ、もう見慣れてしまった外の景色が広がっていた。
暫くの距離はあくまでジャンヌとして話しながら、ギルクリスト家から充分離れたところで話題を戻す。今日の予定についてはエリック副隊長もそしてアーサーも近衛騎士同士で情報共有されていて知っているけれど、改めてこの四人で話すのは今日が初めてだ。
「ならケメトに聞けばそのグレシルって奴の居場所もわかンだろ?」
「ああ。だから昨日ヴァルにもカードで先に指示は送っておいた」
私達からの説明を頭で纏めたアーサーの言葉に、ステイルも軽く息を吐いて答えた。
二人のやり取りを聞きながらエリック副隊長が苦笑を浮かべている。
数日前から私達もといジルベール宰相が探している重要参考人グレシル。まさかの彼女とケメトは、昨日まで二日間ずっと一緒だった。
ケメトの話だと一度郊外にも出て往復していたということだったし、しかも裏稼業に絡まれたのは下級層の裏通り。どうりで衛兵も見かけない筈だ。
昨晩ジルべール宰相からの報告でその衝撃的事実を知った私達は、早速今日の放課後に改めてケメトから話を聞くことになった。
ステイルは夕食を終えたら速効で瞬間移動で連れてこようと言ってくれたけれど、もう一日で二度も城を訪れているのにまた呼びつけるのは流石に不憫と私とティアラで留めた。代わりにステイルから指示のカードをヴァルに瞬間移動で直接送ったし、これで放課後には改めて話が聞ける筈だ。……本当に、まさかグレシルの標的がケメトになっていたなんて。
いや、まだ標的とは限らないしただの友達という可能性もある。でも、ケメトが話していた裏稼業に襲われた事件も正直相手がグレシルだと知ると本当に捕まった彼らの言い訳通りなんじゃないかとも思えてしまう。
まだ直接会っていない今、グレシルはゲームのイメージがどうしても拭えない。
ケメトが狙われていたらと思うと気が気ですらない。……本当に彼女をどうすれば。
唯一の安心材料は彼女がまだ他の後ろ盾は得ていないらしいことだろうか。
ゲームではバッドエンドになると、攻略対象者はレイの黒炎で重傷を負って学校を手に入れたグレシルにより主人公も退学処分。レイ以外のハッピーエンドルートでは怒り狂ったレイに黒炎の餌食にされたグレシルにとって、そういった攻撃性の高い後ろ盾がいないことはこちらとしては幸いだ。
「俺も抜かった。ケメトの話を聞いた時点でその少女のことも鑑みるべきだった」
「いや無理だろ。名前を知ってたわけじゃねぇし、よりによってケメトの友達じゃ結びつかねぇよ」
難しい表情で眉の間をぐぐっと寄せて反省するステイルにアーサーが一刀をいれるのを私もうんうんと頷いた。
流石にそんな偶然があるなんて思わない。しかもケメトは一度もグレシルの名前すら言わなかったもの。ケメトもセフェクも学校で何があったとか、友達とどんなことして遊んだとかそういうことは話してくれていても具体的な友達のことはあまり話さないから余計にだ。
それでもステイルは自分で納得がいかないらしく、歩きながら腕まで組んでしまう。きっとどこかに気付ける機会をあったのを逃したのだと振り返っているんだろう。
昨晩も、ケメトのことがわかってからずっと「俺が気付くべきでした」と呟いたり私まで謝られてしまった。誰も気付かなかったから連帯責任なのに。
「今日は放課後に学校の外周も回るんでしたよね。ケメトも確か学校の前で会ったと話していましたし、もしかしたら見つけられるかもしれません」
重くなりかけた空気を払うようにエリック副隊長が、明るめの声で話を切り替えてくれる。
私も全力で乗って「そうですね」と笑顔で返した。ケメトも校門の傍で会ったり話していたのなら今日も会える可能性は充分ある。
ケメトがまだ狙われているなら余計に学校の近くで待ち伏せているだろう。……そうじゃなくても、ケメト以外の標的を学校の傍で探している可能性はある。
本当にこんな近くに潜んでいたなんて。今日ケメトに会って他にも彼女と出会う心当たりの場所を検討づけて貰えれば良いのだけれども。とにかく、今日の放課後は重要だ。
「放課後は宜しくお願いします、エリック副隊長。また放課後までお付き合いさせてごめんなさい」
「!いえ、これくらいは当然ですから。確か今朝はカラム隊長もご一緒すると記憶しています」
「ええ、姉君と僕達で朝の特別教室ももう一度確認しておこうと思いまして」
右手を胸の前で控えめに振って検挙に返してくれるエリック副隊長にステイルが顔を上げた。
アーサーのフォローとエリック副隊長の話題逸らしのお陰で少し持ち直したのか、気持ちの切り替えがついたように説明してくれるステイルにエリック副隊長も「なるほど」と柔らかい表情だった。
そういえば、最初の頃よりもエリック副隊長も大分私達の姿になれてくれたなと思う。最初の頃は子ども姿の王族に緊張していたのに。
ちょっと感慨深くエリック副隊長の顔を見上げていると、途中で急に顔付きが変わった。柔らかな表情からぎゅっと表情筋に力が入った顔にどうしたのかしらと思う。唇を結び顔ごと向きを変えたエリック副隊長の視線を追えば、すぐにその理由を理解した。
「……キースさん⁇」
進行先に、見慣れた男性がフラフラとこちらに向かって歩いている。
遠目でもわかるよれた上着とゆっくりとした足取りのキースさんに、私達の方から接近するのは早かった。ギルクリスト家からは大分離れた筈だけれど、キースさんの前で王族として話すわけにはいかず私達も互いに示し合わせる必要もなく口を噤んで身構えた。
エリック副隊長の表情が変わった理由も納得だ。近付けば近付くほどエリック副隊長の弟さんであるキースさんだった。
俯き気味で背中を丸くして歩くキースさんにまさか具合でも悪いのかと心配になる。でもエリック副隊長の方を見上げてみれば全く心配している様子はない。むしろ呆れるような溜息まで吐いてから、真正面に歩く弟を見やった。
「キース!道の真ん中で下を向いて歩くな。また仕事帰りか?」
「あ~~に~~き~……」
少し強めな口調のエリック副隊長に、キースさんから地の底からのような低い濁った声が返される。
一瞬ゾンビの復活かと思ってしまうような声に思わず私の方が肩を上下させてしまう。アーサーも目をまん丸に開いてエリック副隊長とキースさんを見比べる中、ステイルも顎と一緒に背中も引き気味になる。
若干恨みでもありそうな気配に不穏な気配まで感じ取る。とうとうキースさんを眼前に立ち止まり、そっとエリック副隊長の大きい背中に隠れた。
ステイルとアーサーも一緒に背後に引く中、エリック副隊長の袖を掴めばその肩が一瞬だけ上下に揺れた。私達三人に立ちはだかるキースさんを丸投げされたことがわかったのだろう。でもここはお兄様であるエリック副隊長に任すしかない。
「……っキース?俺はこれからジャンヌ達を送ってくるから、お前は家に帰って休んでろ。今晩また話を……」
「兄貴ー……俺の手帳返せ……ほん~と頼むから……」
エリック副隊長の言葉を最後まで聞かず、次の瞬間にはキースさんがまるで溶けるゾンビのように正面からのしかかった。
抱きついたとも見えるけれど、どっちかというと倒れこんだという方が近い。力なく両腕をべったりとエリック副隊長の肩に垂らし、そのまま踵が浮くほどつま先まで体重を傾けている。
流石騎士のエリック副隊長なだけあって潰されずにその場で受け止めていたけれど、行動は予想外だったのか「わ⁈おい!」と大声が上がった。
直後には弟さんの背中を抱き留めたけれど、重さとは関係なくたれ込んだ弟さんの顔を覗き込むべく背中が大きく反る。キースさん、本当に瀕死だ。
アーサーも心配して「大丈夫っすか⁈」と手を伸ばしてキースさんに触れたけど、変化はない。その様子にそういえばこの前もこんなことがあったなと思い出す。確か、ステイルの誕生祭後の……。
「キース!キース‼︎ジャンヌ達を送れないだろ!その話は後にしろ!」
「返せ……ほんとマジ返せ……無理……もう無理……昨日どんだけ俺が仕事しまくったと思ってるんだよ……もう飽和してんだよ……」
どうしよう、本当にゾンビというか死霊化している。
一生懸命キースさんを自分で立たせようとするエリック副隊長に、キースさんが見事にへばりつく。
どうやら最近も仕事が忙しかったらしい。新聞社で働いているキースさんだし、ステイルの誕生祭の時と同じようにセドリックの誕生祭でも記事で大忙しだったのだろう。服と疲労困憊ぶりをみると昨日も帰ってなかったのかなと思う。
我が国の民になったセドリックの初の誕生日パーティーに、城下街では一部お祭りだったし書く内容には困らなかっただろう。話題性だけでいえばステイルの誕生祭よりも凄まじかった可能性がある。……うん。ゾンビにもなる。
しかもキースさんの呟きを聞くと、エリック副隊長に没収された手帳の不在も辛いらしい。
宝物っていうくらいだし、本当に大事なものなのだろう。仕事関連じゃないとエリック副隊長は言っていたけれど、この様子だともしかしたら愛用品か御守りみたいなものだったのかと心配になってしまう。
今もエリック副隊長が頑として断っても「手帳……手帳……書くことが……」とぶつぶつ呟いて垂れ下がっている。もともと私の所為で没収されちゃったようなものだから申し訳なくなる。
「だから代わりの手帳に書けば良いだろ!」
「あの手帳じゃないと駄目だって言ったろ……俺の趣味だ……生きがいだぞ……。……まじで返せ今すぐ追記したい……」
「ッあと三日だ!大人なんだから我慢しろ!」
「兄貴……知ってるか?……三日って七十ニ時間あるんだぞ…………」
怨念が。
いい加減にしろ!と怒るエリック副隊長だけど、キースさんは本当に瀕死なのもあるのかまったく自立しない。
エリック副隊長が、今は持ってないここにはないと説得を試みてもスライムのように剥がれない。私達をこれ以上待たせるわけにはいかないと判断したのか、とうとうエリック副隊長はキースさんの両肩を自分から掴むと力尽くで引きはがした。
「しっかりしろ!」と声を上げてキースさんの眼前で喝を入れる。
「ジャンヌ達が学校に遅れるから!どうせまた何日も寝てないんだろ?家で休め」
「兄貴が手帳返」
「だから!今ここにはないんだ‼︎自分でちゃんと立……ッああもう!恥かいても知らないからな⁈」
もう譫言のように唱えるキースさんに、エリック副隊長は大きく首を横に振った後間髪いれずキースさんを米俵のように肩へ担ぎ出した。
ぐわっと大人一人が肩に担がれる瞬間を子どものアングルで見るからびっくりする。突然担がれてキースさんがどう言うかと思ったけれど、それどころか見事に無抵抗だった。
べたーと伸びた腕がエリック副隊長の背中越しに私達の頭上に垂れてくる。思わず悲鳴を上げながら見上げれば、本当にホラーのように顔色の悪いキースさんが薄目でこっちを見ていた。もう意識が定まっていないのか「わー……プライド様だ……」と私を見ながら垂れた手で頭を撫でてきた。実際は間違っていないのだけれど、多分思考と言動が合っていない。もしくは睡眠不足の幻覚だ。
「す、すまないけどこのまま学校まで送っても……?流石にこのまま捨てていくのは」
いやそれは構わないのだけれど‼︎⁈
言葉に気をつけながらも歯切れ悪く眉を落とすエリック副隊長に、私は頷きながら二人にも目で確認する。
二人も引き攣った口元のまま、言葉もなく複数の頷きで返していた。やはりこの状態のキースさんを放置するのは心配なんだろう。
頷く私達に「すまない……」と絞り出すような声で頭を深々下げるエリック副隊長は、きっとキースさんがいなかったら「申し訳ありません‼︎」と言いたいのだろうなとわかった。でも、もともとキースさんがここまで粘る手帳を没収されたのも私の責任だ。
もうエリック副隊長の家よりも学校の方が近いし、これは学校まで連れて行くしかない。……騎士に連行される犯人みたいになっているけれど。
「それよりその、……キースさんは大丈夫ですか?やはり新聞社って凄く大変なお仕事なんですね……」
「いえ、これはどちらかというと禁断症状だと思います……」
はぁ~~……と、重い溜息を吐くエリック副隊長に察して知るべしとそれ以上は深く聞けなかった。
エリック副隊長も手帳を没収した本人として気にしてもいるのかもしれない。
行こうか、と再び学校への道を歩き出した彼に私達は口を噤んで足を動かした。もう半分死んでいるとはいえキースさんの前で本来の会話をすることもできない。
王族の護衛に部外者を担ぐのが気になるのか、エリック副隊長の表情も顔色まで次第にぐったりとしていた。私達から別の話題を投げても、若干遠い目での返答だ。
さっきの明るく空気を変えてくれたエリック副隊長が、装備に呪われたように覇気がない。こうして弟さんの面倒を見てあげているエリック副隊長は謝るどころか素敵だと思うのだけれど。
「あの、エリック副隊長……本当にお気になさらず……」
「ありがとう………」
いつもの口調にできないこと自体が息苦しそうなエリック副隊長が、それでも返してくれた言葉はやっぱり落ち込んでいた。
あと三日、されど三日。グレシルのことや残りの攻略対象者のこともそうだけれど、本当の本当にエリック副隊長とキースさんにも相応のお礼をしないとなと気持ちを新たにしつつ私達は学校へ向かった。
……ここまでキースさんを消耗させる手帳の中身も、改めて少し気になった。




