Ⅱ370.女は見つけた。
「いや、……駄目だ。俺は絶対に」
「なに怖気付いてんだベン!別に殺して埋めるわけでもねぇだろ⁈」
とある青年達に、少女は思う。
〝ああなんて恵まれた人達なんだろう〟と。
広場の片隅に座り込み、物乞いをするでもなく口論をしていた。ああでもない、こうでもないと言いながら薄汚れてはいたが立派に衣服と呼べるものを着ている。
こんなところで呑気に口喧嘩なんてできるなんて、きっと家族もいて暮らしも上手く回っているからだと。
青年達は仕事へ向かう前だった。学校に通った後、家へ帰る暇もなく仕事場へ直行する彼らは学校に近い広場で足を止めていた。青年の提案に、何度も何度もベンと呼ばれる青年は首を横に振っていた。
「お前こそ何言ってるのかわかってるか?何度も言うけどこれは犯罪だぞ。チャド、俺達はそんなことをさせる為にお前を学校に誘ったんじゃない」
「見ただろお前もアン達の問題用紙‼︎そのジャンヌって奴は俺らだってわかんなかった問題全部まるっと解いちまったんだ!そんな奴と同じ学年のあいつらが特待生を取れると思うか⁈」
チャドの言葉にベンは口を結ぶ。
自分の妹と彼の弟、もともと学校ができる前から家で勉学に励んでいた二人は兄達の目から見ても頭が良い。庶民に産まれ、先に育った兄が家計を両親と共に支えたお陰で勉強する時間に恵まれた。
そして特待生試験。学年で上位三位までに食い込めば、食事も金も住む場所まで保証される。
毎日妹達が距離の離れた家から通う必要もない。奨学金もあれば、在学中ずっと彼らの大好きな勉強に集中できる。幼い頃から勉強に前のめりだった二人が今よりずっと良い暮らしができる。
特待生にも絶対受かってみせると目を輝かせた妹と、友人の弟に叶って欲しい気持ちはベンにもある。
「しかもだ‼︎ジャンヌは騎士の親戚がいるんだろ⁈俺らみたいに金に困ってるわけじゃねぇ!噂じゃ校門に迎えに来てる騎士はその親戚の部下だ‼︎」
「同じ噂でいえば銀髪は⁈俺とお前でどうやってジャンヌを妨害できるんだ⁈お前も自分で言ってたろ‼︎噂の銀髪に俺達なんかで勝てると思うか⁈」
ギシギシと胸に黒いものが滲み出すのを感じながら、とうとうベンは歯を剥いた。
今回の話を持ってくる前に、チャドがクラスどころが高等部中でジャンヌについての噂を聞き回っていたのをベンも知っている。ジャンヌという生徒と行動を常に共にしている黒髪の少年と銀髪の少年。銀髪の生徒、もしくはジャンヌが当時高等部で女生徒目的の不良生徒を追い払ったと言われている。
ベンは喧嘩など口論以外したこともない。時折暴力沙汰を起こすチャドでも、高等部三年二人を負かした相手に勝てる気はしない。そんな相手をどうやってと、消去法で断る理由を作る。
「アン達が言ってたろ⁈そいつらの学級は二限が男女別だ!その間にジャンヌだけちょこっと捕まえりゃあ良いんだ!俺が聞き回った限り高等部ボコったのは銀髪だけだ!」
「じゃあ何処に捕まえるんだ⁈守衛に今は騎士も見張ってるのに校外に連れ出せるか⁈校内なら生徒か教師に見つかるに決まっ……てる、だろ」
言葉が詰まる。
言いながら、ベンの脳裏に思い出してはいけないことが浮かんでしまった。教師と職員室へ資料を運ぶのを手伝った際、偶然聞いてしまった。高等部二階の空き教室の鍵がどれで、どこに保管されているのかを。
『二階空き教室の鍵ならそこに置いてくれ』
あれを使えば確かに見つからない。内側から鍵を閉めれば万が一にも覗き見る生徒もいない。……しかし、だからといって犯罪の片棒を担ぎたいと思わない。
喉の奥より先で押し込み、あくまで友人が諦めるのを待つ。ここで自分が乗らないと断っても、最悪チャド一人が断行して下手をする可能性がある。退学どころか犯罪者として捕らえられるかもしれない。
乱暴者のチャドではそのジャンヌをただ捕まえるだけでなく手や足を出すことも充分考えられた。
目の前でニ階空き教室の存在を知らないチャドが顔を苦くさせるのを見ながら、諦めろ諦めろと頭で念じる。すると今度は足りない頭で「いっそ手を怪我させるのは」と妄言まで言い出す彼に冗談でもやめろと怒鳴った。
手は二本ある。都合良く利き手だけ故意にバレず怪我させるのは難しく、更には怪我をさせるなどすれば取り返しがつかない。しかも相手はいつもチャドが殴り合っている不良でもない、そして裏稼業でもない罪もない子どもだ。それを特待生を邪魔するだけに止まらず怪我までさせるなどと
「折っちゃえば良いのに」
突然、何の脈絡もなく少女の声が間に入った。
先ほどまでは互いの声しか耳に入らなかったそこに割った声へ、二人は同時に振り返る。見れば、そこには妹弟と歳の近そうな少女が立っていた。大人びた雰囲気と女性らしい身体つきから少し上くらいだろうかとベンは考える。互いに熱が入っていた為、至近距離まで歩み寄っていた存在に全く気が付かなかった。
犯罪の相談にも聞こえる会話を聞かれた戸惑いに、二人も最初は言葉が出なかった。代わりに話しかけてきた少女を上から下まで穴が開くほど凝視する。
青みがかった緑の長い髪と暗緑色の瞳を持つ少女。靴を履いていない、衣服すら上下の繋がった布一枚で汚れきっていた。薄い布越しでも一目では未成年と思えないほどの豊満な膨らみと細い腰の輪郭がわかる。きりりと眼差しが吊り上がり気味な少女は顔こそ整っているが、その風貌は間違いなく下級層の人間だった。
「だってその子ずるいじゃない?なんでそんなに恵まれてる子がもっと良い想いをして、大変な中がんばってる子が我慢しないといけないの?」
君は、お前は誰だ、どこから聞いてた、なんで話に入ってくるんだ、何のつもりだと。彼らが口を開けるよりも先に、彼女は当然のようにたたみかける。にこにこと愛嬌があるようにも見える笑顔を見せながら、まるでこの場にいるのが当然かのように緊張感ひとつ感じさせない。
しかし、その注がれた言葉だけはいとも簡単に彼らの胸へ爪を引っ掛けた。
互いに自分達の妹弟を思い浮かばせれば、言おうとした言葉も飲み込んだ。いつもは手が出やすいチャドでさえ、今は突然自分の意見に味方した少女に眉すら寄せる余裕もない。
「良いなぁ良いなぁ羨ましいなあ。その子は欲しいもの全部貰えて、勉強も頭が良くなるくらい簡単にできて、その〝特待生〟を取ったら自慢するのよね。なんでその子が特待生になる必要あるの?絶対周りに羨ましがられたいからでしょ?そうじゃなかったら欲しがらないもの。憧れの騎士がお迎えに来て男の子に守られて頭も良いなんてずるいなぁ。私もそんな家に生まれたかったなぁ」
まるで独り言のように言いながら、ゆさゆさと体を交互に捻って揺らす。
羨ましいと言いながら、その顔は縫ったように固まり笑んだままだった。気味が悪いとも思う笑みだが、それ以上にその言葉に彼らは唾を飲み込む。彼女の独り言が、まるで〝誰か〟の気持ちを代弁しているように聞こえ、全身の毛がぞわぞわと逆立てた。
庶民として生まれてきた彼らは、目の前の少女よりは確実に恵まれている。しかし、だからといって〝庶民〟として生まれた事に満足してるわけではない。今まで、もし貴族だったら裕福だったら王族だったらと考えたことは一度や二度じゃない。そして、だからこそ〝弟妹〟達もそうだと思う。
じわじわと身体が奥から熱くなるチャドに、ベンも妙に喉が渇いた。引っ張られるように、空き教室の鍵を知ってしまった時のジャンヌの言葉を思い出す。
『同年の恋人を作る為なんです』
「良いなぁ良いなぁ羨ましいなぁ。でもしょうがないよね?だって生まれた時に決まっちゃってたんだもの。ずるいけど、しょうがないよね?お金持ってる家に生まれなかった私が悪いんだもの。でも正々堂々ってなあに?もうジャンヌは〝産まれた時からずるい〟のに。最初からずるいのに、私達はずるしちゃいけないなんて」
まるで妹弟達の吐露のようにも、そして自分達の中で押し殺された深層心理にも思えてしまう。
カランコロンとした声で、抑揚もほとんどなく早口に語る彼女に心に魔が刺し続ける。釘のように引っ掛き、掠り、刺さり、傷をつくる。カツンカツンと無情に打たれる感覚にチャドは胸を掴み拳を握った。
そこで一度唇をにっこり引いたまま閉じた少女は言葉を止めた。二人からの視線が自分に釘刺さっているのを味わいながら、両手を背後に結んでただ笑う。目から表情筋にも力が入りだしているチャドと、目を見開いたまま閉ざした口の奥からギリリと食い縛る音を隠せないベンを見て。
学校に通わない彼女は事情など何も知らない。特待生が何なのか、どういう意味なのかすら。それでもただ、目の前で苦渋に顔を染める彼らの会話だけで材料などは足りていた。
今まで何度もあったように、自分へ瞬き一つできず奪われた目の色を見ればもう網にかかったも同然。最後に決定的になるであろう言葉を彼らに投げる。
「学校って、恵まれない子の為のものだったんじゃないの?」
たった一音すら、出なかった。
目の前の少女が悪魔にも真理にも見える。まるでカチリとスイッチでも押されたように彼らは息も止めて内側から沸く熱に侵される。
言葉も出ない二人を前に、少女は「ごめんなさい。独り言です」と言うと手を振って背中を向けた。一度も笑顔を崩さなかった少女に現実感が湧かないが、一度宿った魔は本物だった。
確かにずるい、特待生に相応しいのはジャンヌじゃない、もっと必要な奴は山ほどいる、アイツだけには渡せないと大義名分以上の感情が彼らをせき立てる。少女の影が消えた瞬間を皮切りに、最初にチャドが破裂したように立ち上がる。
「やってられっか‼︎テメェは好きにしろよ‼︎‼︎俺は一人でもやるからな⁈あのジャンヌふん捕まえて一発言ってやる‼︎テメェみてぇな甘ったれが特待生試験なんか受けたらぶっ殺」
「ッッ待て‼︎‼︎………………っ」
目を血走らせかけながら歯を剥き叫ぶチャドの腕をベンが掴む。
広場に響く声で怒鳴る彼を止め、……計画は止めない。一度苦悶の表情に顔を歪めて俯き、そしてまた上げてはチャドと目を合わす。今にも殴り込みに行きそうな彼に苦痛を露わにしながらも、一音一音呟くような声を絞り出した。
「俺も……‼︎」
チャドが暴走しないように。
あくまで妨害だけ。怪我は負わせない為に。
妹達だけの為じゃない、本当に必要としている生徒の枠を増やす為に。……そんな表面上の大義名分と言い訳を頭に並べ、胸に宿ってしまった嫉みに突き動かされるまま彼らは
「〜〜♪」
道を、踏み外した。
……
中級層の中でも下級層に近い場所に位置する学校。
そこに近い市場の先にある広場は、彼女が最も過ごすことの多い領域だった。
下級層の民である彼女にとっておこぼれを与えられやすい場所。多くの人間が行き交う場所。物陰からそれを眺め時には落とされた食料を拾い、盗み、時には落とした金を拾い、時には人の良さそうな人間に物乞いし、時には良さそうな相手に声を掛け、時には深刻な顔で言い合っていたベン達のように〝面白い〟相手へ魔を注ぐことが彼女の日課である。
学校が創設されてからは、自分と歳の近い少年少女も行き交うそこへ面白そうなことはないかしらと覗きに行くこともあったが決して入学しようとは思わない。彼女は忙しい。
毎日毎日足を踏み外しそうな人間を探すのと自分が生きるので忙しい。広場だけでなく、多くの場所が彼女にとっての生き甲斐か生命線である。
ベン達の突き落とすべく背中をそっと押しやった彼女は、二日経ってもわくわくが尽きなかった。
学校が始まったら彼らは何かやらかすのだろうか、ならまた様子を見に行ってみようと思いながら広場でまた彼らみたいな相手はいないか物陰から探り続けていた、その時。
「こんにちわ」
ひょっこりと、黒髪の少年が自ら彼女に話しかけた。
まさか自分から話しかけてくるような人間がいるとは思わなかった少女は、流石に驚いた。背中を逸らし、半歩下がって警戒して反射的に手で身体を庇う。
片手に食べかけの肉を携えたその少年は、そんな少女に構わず「いきなりごめんなさい」と頭を下げ、笑い掛けた。
「その、この前はセフェクがぶつかっちゃってすみませんでした。あの時は、僕もセフェクもすごく急いでて……」
そうしてケメトは、続けてペコリとまたグレシルへと頭を下げた。
Ⅱ128.129.72.35.329.128




