Ⅱ367.王弟はたずね、
「この辺りで良い、下ろしてくれ」
王弟の掛け声と共に、馬車がゆっくりと減速し停止した。
衛兵により扉が開けられる前から馬車の外はざわついた。その煌びやかな馬車が貴族以上の身分のものだということは民にもひと目でわかった。後続する護衛の衛兵達が周囲を取り囲むように警備体制を整える中、距離を取りながらも民衆はむしろ集まるばかりだった。
誰だ、あれは、もしやと口々に語らいながら瞬き一瞬すら惜しんで凝視する。とうとう扉が開かれれば直後には空気を振るわすような悲鳴と歓声が辺り一帯に響かされた。
一際豪奢な馬車の前後を挟む他の馬車にはひと目もくれず、彼らの喉はたった一点に張り上げられた。
フリージア王国の城下。しかし王都から離れた城下町の一つである。
そんなところに王族が現れるなど誰も想定して歩いていなかった。視察ならばまだしも、王侯貴族が訪れるならばここよりも遥かに治安も質も良い王都に決まっている。近隣に話題の設備が建造されたことで集来客も増している町だが、それでも王族が立ち寄るような場所ではない。
しかし馬車から降りたその人物は、ひと目で王族と誰もが確信する出で立ちで現れた。その姿に誰もが声を上げ、女性は目が眩んだようにふらついた。金色の髪を揺らめかせ、男性的に整った顔立ちに焔の瞳を宿す王弟は移住から体験入学と重ねた今、城下でその名を知らない者の方が少ない。
その存在だけでも彼らが声を上げ、畏れ多く視線を打ち付け後退る理由はあった。
しかし、今はそれだけではない。
「セドリック。何故ここで降りる?プラデストに行くのではないのか」
「ランス、今日は休校だよ。だけどセドリック、降りるならここよりもう少し先の広場で降りた方が民の迷惑にならないと思うのだけれど……」
ハナズオ連合王国。サーシス国王ランス、チャイネンシス国王ヨアン。
名や顔こそ知らずともセドリックに続き親しげに馬車を降りた二人と、その風貌に民が同じ王族だと判断するのは容易だった。
一度に王族三名の登場に民も歓声が止まらない。
一体何方が、ハナズオ連合王国の……、一番前がセドリック殿下か、なら背後にいるのはと。様々な憶測が飛び交いながらひと目でも王族を目に焼き付けようと人の波は押すばかりだった。
その波を平然と眺めるセドリックは手を上げて歓声に応えながら兄達へと振り返った。順番に目を合わせ、二人から異論がないことを確認してから誰よりも響かす声を張る。
「ここに居るのは我が兄君である国王、ランス・シルバ・ローウェル!そしてヨアン・リンネ・ドワイト国王だ!今日は我が誕生日祝いに足を運んでくれた兄達に紹介すべく立ち寄らせて貰った!」
堂々たるセドリックの宣言に、おおおおぉと民から感嘆の声が上がる。
やはり全員が王族かと思えば、更には噂の同盟国であるハナズオ連合国の王二人。まさかこんな所で目にできるとはと、誰もが貴重な王族を目にする機会に踵を上げて注目した。
そんなセドリックの王弟らしい振る舞いに、兄二人は口を意識的に閉ざして笑いを堪えた。
自分達を民へ紹介してくれたのは嬉しいが、やはりそういう振る舞いは相変わらず見事だと思う。自分の身の振る舞いは全くだったセドリックだが、自分達を引き立たせてくれることだけは昔から上手かった。
昨日遅くにフリージア王国の城へ到着したランスとヨアンは、旅の疲れを癒やすべく今日一日は身を置いてから明日出国する予定である。
午前こそゆっくり弟であるセドリックと共に過ごしたランス達だったが、それからセドリック自ら城下へを誘えば断らないわけがなかった。城へ訪れる度に城下を馬車で通ることは繰り返しても、まだフリージア王国の城下を回ったことのない二人だ。
護衛である衛兵を付け、セドリックへ案内される形で三人同じ馬車で城を降りた。想像はしていたものの、やはりセドリックの人気は凄まじいものだと改めて兄達は思う。
昨日行われたセドリックの誕生日パーティー。移住しフリージア王国の民となったセドリックの誕生日は式典でこそなかったが、それでも城下では祭りが行われるほど盛大に祝われた。
その主役であるセドリックがまさかの翌日に国王である兄二人を連れて現れたことに誰もが興奮を隠せない。
「すまんが先に寄りたいところがあってな。それを終えたらすぐに次へ案内しよう」
民へ応えることも欠かさずに、張りの良い声だけを二人へ向ける。
セドリックが是非案内を任せてくれと言ってくれた手前、二人もまだ案内してくれるつもりの場所がどこかは知らない。しかし、早速降りたところが王都から外れた一般の民の集いやすい町だというのがセドリックらしいと彼らは思う。ハナズオ連合王国の頃も、城下へ降りては民の支持を得ていた彼らはお互いの国も含めて様々な場所に足を運んでいた。彼ら自身もそういった場所は好ましい。
今もセドリックに先導されるままに歩けば、広場からは少し離れているそこは代わりに様々な店が建ち並んでいた。王侯貴族向けではない、一般の民向けの店だが看板から装飾まで店の個性を引き立て目を引く出で立ちにそれだけでも二人は楽しめた。長らく国を閉じていた彼らにとって、自国とは異なる文化はどれも目新しく新鮮だ。
おおあれは、服飾店さんかな、いや菓子店ではないのかと。王族らしい振る舞いは維持したまま次々と立ち並ぶ店々に兄二人は視線を投げては楽しんだ。
しかしセドリックは最初の用事が優先と言わんばかりに真っ直ぐ足を進め続ける。数メートルのみ歩き、脳内に記憶された地図通りの場所に位置した店へ少しだけ足が速まった。
王族が固まりで近付いてくることに畏れ多さで店前に立ち並ぶ店員も半歩以上下がる中、その店員へセドリックは「突然申し訳ありません」と真剣な表情で笑い掛けた。
ひっ⁈と、うっかり話しかけられてしまった女性店員は喉から変な音を零しながら背筋ごと固まる。
自分へ向けての言葉かと疑う間にもズンズンと距離を詰めてくる王族に逃げ腰になりかけるままにその煌びやかさに顔の熱が上がった。しかしその反応も慣れているセドリックは構わないように彼女へ更に更にと前のめりに歩みよる。
王弟である自分の身分を名乗り女性店員は金魚のように口をパクパクさせる中、真剣に低めた声で「つかぬ事をお聞きしますが」と早速要件を切り出した。
「花冠を長期保存する方法をご存知でしょうか……⁈」
は……?
そう音に出てしまいそうなほど、女性は耳を疑った。
寸前に喉の奥で止めたが、聞き取れた筈の言葉が異国の言語のように理解することに難儀した。目の前で黄金のように輝く王子相手に一瞬だけ目の眩みを忘れた。
花冠、は知っている。女性、特に子ども達の間で親しまれている遊びの一つだ。花屋で働くその女性自身、子どもの頃は何度も嗜んだものである。花冠を頭に乗せて鏡を見れば、ほんの少しでもお姫様になれたような高揚感は今でも忘れない。……そして、その憧れの王族が今自分にその花冠について真剣な表情で訪ねている。
呆けて硬直してしまう女性に、セドリックは口頭でその花冠の直径、使われている花名どころか品種名からどのような植物かまで詳細に語っていく。
ここに来る前に城の図書館で植物禄を読み込んだセドリックは、今ではその花の生態に限っては花屋より詳しい。
「城の庭師にも尋ねましたが、花冠については専門外と言われました。花にも嗜んでいたという侍女にも七人に訪ねましたが、花冠のまま長期保存ともなるとやはり難しいと。出来ることならば長期保存ではなく永久保存が幸いなのですが、花に携わる専門家として何かあればご教授頂ければと……」
「セドリック!お前はそんなことを聞く為にわざわざ馬車を止めたのか⁈」
馬鹿者!と叫びたい気持ちを抑えランスが前のめるセドリックの肩を掴む。
ヨアンもこれには苦笑いを禁じ得ない。目の前で真剣な眼差しで教えを請うセドリックと、王族から聞かれるには予想外過ぎる問いに固まってしまっている女性を見比べる。
細淵眼鏡がずり落ちそうになりながらも、何故セドリックが王都ではなく中級層の街を選んだのか納得した。
普通の花を生けるならば庭師は当然のこと侍女にも心得がある者は多いが、花冠は別である。王侯貴族でそれをわざわざ長期保存したがる者など滅多にいない。それを作って楽しむのは子ども、そして庶民が圧倒的に多い。
ならばと最も詳しそうな民に通じた花屋へ訪れたのは一応利に叶っている。
子どものお遊び作品と見られる花冠を永久保存したいという要件こそ、王族とはかけ離れているが。




