Ⅱ363.刺繍職人は終わらない。
「起こしてすまない。ただいま母さん、オリヴィア」
ネル無事⁈どうしたの⁈と叫ぶ二人に兄さんが軽く手を上げながら落ち着けた声を掛ける。
若干笑顔がいつもより引き攣った兄さんに、それでも私は掴みかかったままだ。武器を下ろした姿の二人が視界の隅に入っても顔を向ける余裕もない。
どういうこと⁈兄さん答えてよ‼︎と声を荒げないと心臓が先に爆発してしまいそうなほど荒ぶっている。だって当たり前だ。プライド様が、よりにもよって王族のパーティーに私の、私の私の私の
「私のショールと手袋って……‼︎冗談でしょ⁈あれは、プライド様専用に仕立てたわけでもなくてまさかそんなっ今日のパーティーのってあのセドリック王弟のよね⁈ハナズオの!王族の‼︎黄金で有名なサーシスの‼︎あれ全部金も宝石も使ってないのに⁈」
「セドリック王弟はプライド様とご友人で、とても親しくされているのだよ。金銀宝石を使わないからといって気にする御方ではない。それにティアラ様もお前の髪留めを」
「⁈ちょっと待って‼︎どの髪留め⁉︎」
訳もわからず声を荒げてしまう私に、兄さんが背中を反らす。
頼むから落ち着いてくれと言われても落ち着けるわけがない。こっちは今こうしてプライド様が恥ずかしくないドレス用の刺繍デザインを必死にしているのに、あんな製作費用自体は大して掛かってもいない品を!
しかも今度はティアラ様の名前まで出てくるから信じられない。プライド様とティアラ様が仲が良いのは知っていたけれどまさか姉妹揃ってなんて‼︎
どうしたの、プライド様と何かあったのと尋ねてくれる二人に兄さんは顔を向ける。
私にも状況を確認させるように、また一から丁寧に話し出す。今日のプライド様が出席されたセドリック王弟の誕生日パーティーで、兄さんはプライド様とティアラ様が私の作品を身につけてくれていたのを見たと。
ショールに手袋に髪留め。どれも一つ一つどんなのか説明してくれた兄さんの話に、間違いなく私がお二人に買って頂いた品だと確信する。道では誰にも買ってもらえなかったのに、まさかそれをよりによって王族のパーティーでこんなにすぐ身につけて貰えるなんて思わなかった。
既に私がプライド様の直属刺繍職人になったことは知っている母とオリヴィアも、流石にこれには大絶叫……大歓声だった。私が起こした二倍の声量が家中に響き渡る。
「驚くのは無理もない。私も本当に驚いた。だが、事実なんだ。それにこの話には続きもあるからどうか私に話をさせてくれ」
その間も一人冷静な兄さんは、二人の叫びに少し怯んだ私の手を握って自分の肩から降ろさせる。
まだ続きがあるという話に、私も胸の前で両手を強く握ったまま息も止めて黙った。冷や汗こそ垂らしてはいる兄さんは、それでも溜息を一度吐けばいつもの表情だった。
母さんとオリヴィアが私を間に挟んで肩に手を添えてくれる中、私達三人は兄さんの話に固唾を飲む。
兄さんの話によれば、セドリック王弟の誕生パーティーに招かれた来賓に私の作品は大好評だった。……らしい。
特にあのショールはとても評判で、私の作品をわざわざプライド様に尋ねてまで欲しがってくれた人が大勢いたと。
私を励ますための兄さんの嘘かとも思ったけれど、そう思ったところで兄さんから「ステイル様が顧客名簿を記して下さっていたからお前も後日確認できる」と言われれば本気で目眩がした。王族のパーティーに招かれるような人が私に⁈
最後にはプライド様から直々の伝言も聞けば、もう今立っている場所が部屋か夢か現実か雲の上かわからなかった。
すごいじゃない!おめでとう‼︎と母さんもオリヴィアも飛び跳ねる中で、もうどんな顔をすれば良いかもわからない。フラフラ焦点も合わなくなって、言葉も出なくなった私に兄さんが頭を撫でてくれた途端やっと感情が溢れ出た。
まるで押し出されるように目から溢れて、ぽたぽたと顎に伝い落ちるそれを目で擦ってみれば余計にまた込み上げた。
正面に立つ兄さんに掴みかかっていた手でまたしがみ付けば、今度は背中を反らさず抱き締めてくれた。良かったな、私も誇らしいよと言ってくれるだけで子どもの頃みたいに涙が出る。兄さんにこんな風に抱き締められるのなんてオリヴィアとの結婚式以来だ。
続いてオリヴィアと母さんも背後から抱き締めてくれて、三人の腕の中でやっと涙も呻きも落ち着くのはずっと後だった。
「……落ち着いたか?ネル」
「うん、……ごめんちょっとまだくらつくけど……」
やっと兄さん達の腕の中から離れた私は、何度も意識的に深呼吸を繰り返す。
無理もない、と言いながら喉を鳴らして笑う兄さんも今は少し楽しそうに笑っていた。兄さんもきっとパーティーではとても驚いただろう。
プライド様に雇って頂けた時点でいつかはこんな日がくるかもと期待はした。だけどたった数日で、しかも既存品でなんて。
それにプライド様がお気に召して下さっていても、それを他の来賓がどう見てくれるかはまだ自信もなかった。それくらいに、私の作品はどれも売れなかったから。
元々、国を出て刺繍職人の元で働いていたけれど、そこでも私の品は売れなかった。仕事で言われた通りに作ったものは腕前も褒められたけれど、その国でも私の考えた作品はどれも馴染みがない、高いと認められなかった。
それでも諦めきれなくて、……そんな時に届いたのが兄さんからの手紙だった。
人を雇って定期的に手紙を送ってくれていた兄さんは、オリヴィアや母さん、フリージアのことをよく書いてくれた。
近々フリージア王国で同盟共同政策の一歩目として、学校という教育機関を城下に創設するという話。
そして閉ざされていた国だったハナズオ連合王国の王弟の移住。
国内だけでなく周辺諸国からの注目と関心を一身に浴びたフリージア。これから国内外の出入国者も増えるだろう私の国。しかも幸いなことに、私の実家は城下に近い。
今なら露店で売っても、フリージア王国の人間だけでなく色々な国の人の目にも触れる機会がある。今よりもずっと可能性がある。
活気付いているフリージア王国へ帰って、そこでもう一度刺繍職人を目指そうと考えた。もし駄目でも、その時は隣国のアネモネ王国だってある。アネモネ王国も貿易大手国として海の向こうとの貿易が盛んだし、フリージアで駄目ならお金を貯めてアネモネで挑戦すれば良い。そう思って帰国した私を兄さん達は皆温かく迎えてくれた。……まぁ、オリヴィアとの気まずさは相変わらずだけど。
「本当におめでとうネル!……!あっ、そうだわここは可愛い妹のお祝いに今からご馳走を」
「だから無理しなくて良いってば‼︎」
良いことが思いついたように両手を合わすオリヴィアに、いつもの言葉で返す。
私の帰国は喜んでくれた彼女だけど、残念ながら未だに私へ姉として振る舞おうとする。私も兄さんも気にしないのに、真面目な彼女は一生懸命自分の妹達と同じように振る舞おうとする。私を家から追い出すような形になったことも気にしているんだろう。私にとっては遅かれ早かれ家を出ることは決めていたから気にしないで良いことなのに。
ハハハ……と眉を垂らしながら枯れた笑いを溢す兄さんだって、本当は他人事じゃない。私が家に帰ってから明らかに兄さんはオリヴィアともぎこちなくなることが増えた。……正確には私の前では。
私が帰ってくるまでは、あいも変わらず兄さんとオリヴィアは新婚時と変わらない仲の良さだったと母さんからこっそり聞いた。
見送りと出迎えの口付け挨拶に抱き締め合いにと、それはもう話を聞くだけで恥ずかしくなったくらい。兄さんがこんなに女の人へベタ惚れする日が来るなんて昔は思ってもみなかった。
だけど私の前では気が引けるのか、二人とも直前で思い止まってしまう。
兄さんは私とオリヴィアに気を遣って家に頻繁に帰るようにしてくれているけれど、私の前でギクシャクされてちゃ逆に申し訳なくなる。この前なんてオリヴィアが帰ってきた兄さんを迎えた時、あと少しでおかえりの挨拶前で不自然に止まっていた。
別に私の前でも気にしなくて良いしいっそ盗み見てみたいと思ったことはあるけれど、残念ながら兄さんは昔から抜け目ない。
私の所為で家の中でもいつも通り寛げなくなった兄さんとオリヴィアに、私も気まずさと申し訳なさから段々と部屋に籠ることが増えた。講師でお金を貯めたらすぐに住む場所を変えようと考えたこともある。フリージアに帰ってきた後も私の作品を買ってくれる人はいなかったから、いっそ早々にアネモネ王国に移ろうかと。
けれど、そんな矢先にプラデストの講師募集を知って運良く採用された。
講師の給料は拘束時間のわりに良い金額で。だからやっぱりアネモネで暫く生活できるくらいのお金を講師で稼ぎながら、今は空いた時間を作品を作ることと露店や服飾店への売り込みを頑張ろうと決めた。
講師の仕事も生徒に裁縫や刺繍の魅力を伝えることは楽しいし、授業以外は誰も来ない被覆室は私の城で家に帰らなくてもゆっくり寛げるし居心地も良くて。それに最近はアムレットやジャンヌと仲良くなれた生徒も
『私の知り合いに、すごく刺繍や縫い物が好きな人がいて』
……ほんっっっと天使‼︎‼︎
ふらっ、と急にあの日のことを思い出したら蹌踉めいた。
目を丸くしたオリヴィアが横から抱き締めるように支えてくれてなんとか倒れず済んだけれど、まだ頭が揺れてる気がする。
本当の本当に、まさか学校生徒の中にあんなすごい侍女さんと知り合いの子がいたなんて。しかも特別教室の生徒でもない、普通の女の子が。
ジャンヌやアムレットが誉めてくれただけでも本当に嬉しかった。なのに、巡りに巡ってマリーさんからプライド様のお目に止まるなんて夢にも思わなかった。
しかも、誰の目にも留まらなかった商品が王侯貴族に認めて貰えたなんてまだ実感も湧かない。間違いなくジャンヌは私の天使だと思う。
「大丈夫ネル?一度椅子に掛ける⁇」
「〜〜っ……もぉ……気にしなくて良いって……」
相変わらず気遣いで心配してくれるオリヴィアに、つい弱い声が出てしまう。
片手で頭を抱えながら息を吐き出せば、視界の向こうで兄さんが困り顔で母さんと一緒に笑っていた。
椅子へと私を支えてくれるオリヴィアを上目で覗いて、すぐ目を逸らしてしまう。私や兄さんが何を言っても真面目なオリヴィアは昔みたいに気軽には振る舞ってくれない。初対面の頃は、私がオリヴィアに敬語を使っていたくらいなのに。
『ネル、って呼んで良いかしら。私はオリヴィア。困ったことがあったら何でも相談して』
『はいっ!よろしくお願いしますオリヴィアさん…!』
『昨日、お兄さんがいらっしゃったわよ。本当に妹想いな方ね』
『そうなんですか⁈やだ、私昨日は仕事じゃないって話してなくて、悪いことしちゃった……何か言ってましたか?』
まだ仕事をした事もなかった私に一から親切に教えてくれて、すぐに私とも兄さんとも仲良くなれた友達。
兄さんと結婚して、大好きなオリヴィアも家族になれたのは嬉しかったくらいなのに。……兄さんがあんな馬鹿な時期に求婚さえしなければ。
私や兄さんの代わりに家で母さんの面倒をみてくれて、私が家にいる所為で兄さんと気兼ねなく過ごすこともできなくなったのに迷惑な顔一つせず迎えてくれた。兄さんの妻として、こんな私のことまで立ててくれようとする。私が家を出たことをまだ気にしてくれている。
そんな真面目で気遣い屋なオリヴィアが私は好きで、そこは今でも変わらない。兄さんは本当に悔しいくらい人を見る目がある。
「ネルは私の自慢の妹よ。私もクラークさんも鼻が高いわ」
「だから、……もう、……オリヴィアってば……」
友達で良いのに。
けどそれを言ったら、「家族として認めない」と勘違いされそうで言えない。
けれど私を椅子に座らせてからフフッと嬉しそうに顔を綻ばせるオリヴィアはやっぱり私の友達のオリヴィアで。私が言っても母さんが言っても兄さんが言ってもここで変えようとしない。
「家。……引越したら、ちゃんとオリヴィアにも兄さん達にもちゃんと教えるから」
「私はネルと一緒にこうして暮らしていたいのに」
「それじゃあいつまで経っても兄さんとオリヴィアがいちゃつけないじゃない……二人ともそういう台詞は私の前で堂々とできるようになってから言ってぇ……」
ギクっ‼︎と次の瞬間にはオリヴィアと兄さんが同時に肩を上下した。
絞り出した私の訴えに顔をじわじわ火照らせて、私からも母さんからもお互いからも目を逸らすオリヴィアと兄さんから一気に気不味い空気が流れる。
兄さんから家を出ることを引き止められた時も、これを言ってやってから二度目はなかった。
オリヴィアには初めて言った言い返しに、ちょっと意地悪過ぎたかなと反省する。でも、彼女だって私のお願いを聞いてくれないんだからお互い様。
全部知ってる母さんだけが無言で笑う中、何も言えなくなった二人に私は不思議と身体の強ばりがほつれた。
「決めたことだから」と一言切って、沈黙を自分で変える。力の抜けた顔で二人に笑い掛ける。
「私は大丈夫。オリヴィア達はもう夫婦なんだから夫婦らしくして。……私も、私らしく生きたいだけ」
兄さん達が好きで刺繍が好きで裁縫が好きで、刺繍職人になりたくて何年も夢を追いかけ続けて、往生際悪く諦められなかった。
刺繍が好き、ドレスが好き、小物も好き。それを仕事にして生活にして生き甲斐にしたいという気持ちは子どもの頃から変わらない。こんな私を応援してくれた母さんも、兄さんとオリヴィアも気兼ねなく自由に生きてほしい。
自分の手で夢を叶える。ただそれだけを考え走ってきた。今だってまだ妥協しない。
「私の人生だもの。好きにする」
今までもそしてこれからも。
歯を見せて子どもみたいに家族へ笑う。これが私だと、何度だって胸を張る。
私の夢は、終わらない。
Ⅱ272
次の更新は22日からになります。
よろしくお願いします。
彼女の物語と存在は、Ⅰ50幕時から始まっていました。
いま、ネルは幸せです。




