そして並ぶ。
「良いのか?」
「その為に用意したのだもの」
プライドが笑い声を零しながら返してくれ、俺は微弱に震える指と共に両手でそれを箱から取り出した。
上から覗けば、彫刻のように見える。硝子かクリスタルかと当てを浮かべながら、恐る恐る俺はずしりと重さのあるそれを箱からテーブルの上へと移す。
細部まで凝られたその美しさと、そして記憶の中にはっきりと称号される形に象られたそれに口を開けたまま瞬きも忘れてしまう。
美しい、花を象った乳白色の彫刻だ。
大きな花弁を五枚携える花が、至るところに咲き誇っている。
その細部に至るまで職人の技巧を凝らされたそれは、さすがフリージア王国だと感心させられた。金細工を誇る我が国でもここまで立派な彫刻は珍しい。素晴らしい品だ。─そして、何よりこの花はと。
それを理解した瞬間、鮮明に浮かぶ記憶に今度ははっきりと頭から沸騰した。堪えきれず両手で顔を覆い、膝まで突っ伏し落としてしまう。
頭から湯気が出てしまっているのではないかと思うそれに、プライドが「⁈ごめんなさい!違うの‼︎そういう意味じゃないのよ⁈」と声を上げた。……良かった、違ったらしい。
ここまできてプライドから遠回しな戒めであれば、この場で俺は平伏せざるを得なくなる。それでもやはり鮮明に頭に巡る記憶の数々に俯いたまま今度は頭を抱えた。ぐぁぁと声まで漏れそうなのを必死に噛み殺す。プライドとステイル王子の前でこれ以上の無礼は許されない。
この花を、俺はよく知っている。忘れることができない俺には、城に植えられている花から道ばたの雑草まで一度目にした花の記憶が全てある。特にこの花は今では俺にとって思い出深いものではある。
「ほら!以前に我が国で防衛戦の祝勝会に来てくれた時、この花を見て話してくれたでしょう?」
「……無論、記憶しております……」
絞り出したらうっかりまた改まった言葉になってしまった。そちらか、と思いながら確かにあの頃は俺にとってこの花は救いだった。
最初は、初めてハナズオ連合王国から離れフリージア王国で過ごした間。心細くなった俺に見覚えのあるこの花の傍はどんな絢爛豪華な部屋よりも心が落ち着いた。その後、防衛戦の祝勝会で再び兄貴達と共にフリージア王国へ訪れた時もまた、俺はこの花の前に訪れた。
『ごめんなさいね、ちょうど部屋から貴方が庭園に出て行くのが見えたから』
そしてプライドと言葉を交わした。
当時様子のおかしかった俺を心配してくれた彼女にこの花についても語り、そして……情けない心の内を吐露した。当時は救いであった存在の花だが、彼女にどんな話をしたかと思い出せば鮮明に当時の羞恥心まで蘇ってしまった。更にその前には同じこの花の傍で、俺が‼︎よりにもよってプライドに一体何を犯したか……‼︎
「落ち着いてセドリック?この花は二回も私達を引き合わせてくれたじゃない⁈」
半ば必死な声をかけ続けるプライドが、いつの間にか正面から俺の隣へと移動した。頭を抱える俺の肩に手を添え、優しく背中を擦ってくれる。やはりこの場にティアラがいなくて良かったと心から思う。
プライドの言う通りだ。この花は二度も他でもない彼女を俺に引き合わせくれた。あの二度とも、そこで彼女に会えなければどちらも多大な誤解を招いたままだった。
一度目に関しては、むしろ彼女と出会った結果俺はあんな許されない不敬と無礼を彼女に働いてしまったのだが……それでもやはりその後のことを考えればあの時に彼女に会えて良かったと思う。俺の愚かさ故に、俺一人のみならず我が国全てを危険に晒すところだった。いやそれ以前に彼女の慈悲がなければ俺はこうしてここにはいない。
「~っ……すまない、その通りだった……」
俺を宥めて気遣ってくれる彼女にこれ以上気分を害せない。
折角俺の為を思って職人に用意させてくれたこれを、俺が喜ばないわけがない。あの日彼女に吐露してしまった告白を思い出そうとも、それ以前にこの花が俺の拠り所だった事実は変わらない。
擦られる背を伸ばし、大きく息を整える。音になるほど何度も深呼吸を繰り返しながら、なんとか内の熱を吐き出し発散する。
プライドの言う通りだ、あの花は少なくとも二度俺の心を落ち着けてくれた。愚行を重ね、胸の置き所のなくなった俺は間違いなく引き寄せられた。我が国にも咲き誇るこの花に、二度も思いを馳せた。
心臓の音が遅く聞こえ、火照りの冷め始めた顔を片手で掴み髪を掻き上げる。あの日、俺の心を穏やかにしてくれた花にまさか今はここまで波立たせられるとは思わなかった。
「感謝する。俺もあの日からこの花のことは気に入っていた。お前と俺を繋げてくれた掛け替えのない花だ」
言葉にしながら、頭を鎮めるべく記憶をプライドに吐露したあの日ではなく初めてフリージア王国でこの花を前にした時だけに留め、鮮明に思い出す。
愚行を重ね行き場を無くしながらも、……やはり諦めきれなかったあの時を。もう叶わなくなるかもしれない兄貴と兄さんとの幸福な日々に思いを馳せては必ずフリージア王国を援軍にと何度も心に決めた。
そして今、俺はこうして我が国で兄貴や兄さんと共にいる。国を開く準備も順調に進み、兄貴達の隣で胸を張れる日々を得ている。
この奇跡を与えてくれたきっかけの一つがプライドの言った通りこの花だとすれば、間違いなく俺は恥じるのではなく尊ぶべきだ。
「……大事にさせてもらう」
やっと、心からの落ち着けた声が出た。
自然と顔が綻び、呼吸の整った胸の音を内側で聞きながら花を眺めた。
良かったわ、とプライドが俺の背中を擦る手からそっと両肩に添えてくれた。ほっと短い息の音に、やはり彼女に心配させてしまったと今更ながらに猛省する。
視線を彫刻から少し上げれば、俺とプライドを見るステイル王子の眼差しが先ほどより些か鋭かった。更にはアーサー騎士隊長も見開いた目でこちらを凝視している。
やはり折角の贈り物を前に無礼な態度だったかと、改めて「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」と彼らへ向け頭を下げた。
「それでね、セドリック。この彫刻なのだけれど……そこの紐を引いてみて」
紐?と彼女の囁く言葉を聞き返し、改めて花の彫刻を確認すれば台座部分に繋がった紐がある。
まだ何か驚きがあるのかと思いながらも、具体的には想像もつかない。言われた通りに指で摘まみ軽く引いてみれば、カチリと確かな手応えと音が鳴った。何か時計の類いかと一瞬は思ったが、時間を示す器具はなにもない。
代わりにぽわりと乳白色の内側で何かが……灯った。どうやら彫刻の中に蝋燭か火種か何かが仕込まれていたらしい。
乳白色の陶器肌が内側から照らされ、黄金のように輝いた。温かな光が溢れ、一部の灯火が彫刻全体を内側から光らせた。ただの彫刻ではなく美しい照明だ。……しかし、何故糸を引いただけで……?
「我が国の特殊能力が施されているの。引っ張ると紐の内側から灯るわ。もう一度引っ張れば消えるわ。特殊能力で使用できる期間はひと月だけだから、その後はただの彫刻だけど」
楽しんでくれると嬉しいわ。と言ってくれる彼女の声を聞きながらその光に目が話せない。
特殊能力。フリージア王国独自の存在であるそれを物体に込めることができる特殊能力の存在は知っていたが、……とても貴重な品だ。フリージア王国の王都でもなかなか卸されず、同盟国であろうとも手にいれることが困難となる品を贈られるとは思わなかった。
我が国を救ってくれた特殊能力。種類は違えどその一端にこうして触れることができるのは感動そのものだ。
素晴らしい!と何度も賞賛を言葉にしながら、揺らめくその灯りを食い入るように見つめてしまう。貴重な品を前にはしゃぐ俺へ、プライドがフフッと笑うのが耳の傍で聞こえた。
「来年もまた贈るわね。その時は彫刻も別のお花にするから楽しみにしていて」
「!いや、是非この花で願いたい‼︎俺達を繋げてくれたこれ以上の花はない」
プライドの配慮に首を振りながら、俺はその光から目が離せない。
誕生祭の後には是非兄貴と兄さんに見せたいとも思いながら、ひたすら眺め続けた。
間違いなく、特別となったこの花に。
……
「……ええ、アイビー王家の方々からは素晴らしい品々を賜りました」
来賓である令嬢を前に笑い掛けながら、頭の隅では一年前を思い出す。
誕生パーティーの最中、フリージア王国の民として郵便統括役となった俺の元には途切れるなく来賓が訪れていた。そんな中、彼女の言葉に思いを馳せたのはちょうど一年前である十八の誕生日だ。
わざわざ我が国へ足を運んでくれたプライド達から貰った品。フリージア王国からも素晴らしい品を賜ったが、やはり彼女から賜った品を超えるものはない。
初めて直接手に触れた、特殊能力が施された彫刻。
誕生祭を終えた後には兄貴と兄さんに見せるべく、わざわざ俺の部屋に二人を呼び込み披露した。
何かのからくりかと尋ねる兄貴も、特殊能力だとすぐに理解した兄さんも食い入るように見つめていたものだ。
「ですが、貴殿からお送り頂いた腕輪も素晴らしい品でした。金細工に鋼玉のあしらいは美しいものでした。我が国にはない細工の使用もあったため、興味深く思いました」
「⁈わっ、私からのものだとよくおわかりに……」
顔を火照らせる令嬢は目が零れそうになるほど丸く見開いて俺を見返した。
気付くも何も、送り主には間違いなく彼女の名前が刻まれていたのだから間違いようがない。贈物と差出人を確認したものは全て覚えている。
「光栄です」とドレスの裾を広げて礼をする令嬢に改めて感謝を伝えた。
……プライドが贈ってくれる品については、やはり他者には言えない。
あのような素晴らしい品を個人的に受けているなどと語れば、彼女に迷惑がかかるかもしれない。ただでさえ特殊能力の施された品は希少なものだ。
今年も彼女は、去年の俺の希望通りに同じ花を象った照明を贈ってくれた。送り主の名には前回と変わらずプライドとステイル王子、そしてティアラの名が並べられ、それだけで充分に胸は高鳴った。
今回は一年前のように過去の愚行に頭を抱えることはなかった。それよりも遥かに一年前に俺へ贈ってくれたあの日の感動が鮮明に浮かんだ。
今はあの花に関しても〝三度〟の巡り合わせについて本気で感謝の想いが強い。それに、……やはり故郷のあの花を目にすると心が落ち着くと思う。国際郵便機関の統括役としてフリージア王国に移住した俺には、間違いなく安堵の花だ。
そんなことを思い、自然と顔が綻べば令嬢の顔がみるみる内に茹だり出した。……しまった。彼女は今までの式典やパーティーでも三度俺の前で崩れた女性だ。
また彼女の腰が砕けてしまう前に話を切り上げるべく、言葉を畳んだその時。
遠い、広間の大扉が開かれた。
布告役が王族の到着に高らかな声を上げる中、目を奪われた俺は令嬢に断りをいれその場を後にする。
足を伸ばし許される最速で、注目を浴びる渦中へ向かう。ずっと待ち続けていた先が、俺の存在に気付いてこの名を叫ぶ。次の瞬間には自然にこの口が高らかに彼らを呼んだ。
「兄貴!兄さん!」
遅かったではないか!と声を上げながら笑い掛ける。
俺に道を空けた来賓の間を抜けながら両手を広げれば、兄貴と兄さんも同じように広げ二人で受け止めてくれた。両腕で互いに抱き合い、その背を叩けば変わらぬ温もりがそこにある。
馬を十日走らせた兄貴と兄さんがはるばるフリージアまで訪れてくれた。待ち遠しかった再会に「会いたかったぞ!」と声を張る。「私もだ」「僕もだよ」と満面の笑みで返してくれる二人は記憶の中と少しも変わらない。
「遅れてすまなかったな、セドリック。途中で馬が調子を崩し遅くなった」
「セドリック、手紙をありがとう。ちゃんと誕生日当日に届いたよ」
「無事だったならば良い。手紙も、フリージアに到着してすぐに出した甲斐があった」
俺こそ兄さんの大事な日にすまない。そう言う間も二人の笑みは変わらない。
降ろした手で今度は俺の頭をわしわしと撫でる兄貴に、兄さんが続いてこの肩に手を置いた。
ステイル王子の誕生祭では、例年通り兄さんの誕生祭の兼ね合いで出席が叶わなかった二人だが、俺の誕生日には忙しい中全てを優先し駆けつけてくれた。まだ国を離れて暫くも経っていないが、話したいことがあり過ぎる。
「さて、まずはローザ女王へ挨拶に行かないとね」
「フリージア王国の王族は全員だ。それとセドリック、アネモネ王国は今回招かれているか?」
「勿論だ」
ハナズオ連合王国の国王である兄貴と兄さんは、今までと変わらずこの隣に並んでくれる。
彼らへの挨拶なら俺も共に行こうと言いながら、俺達は三人で歩き出した。
「ダンスに間に合ってくれて良かった。兄貴も兄さんも宜しく頼むぞ」
十九の誕生日、〝郵便統括役〟として俺は今も変わらず兄貴と兄さんの隣に立てている。
Ⅰ192.350-2.260
Ⅰ469
Ⅱ9




