Ⅱ353.嘘吐き男は標的を捉える。
数時間前。
「あら……?ディオスちゃん、クロイちゃん、あの人……?」
いつものように下校したファーナム姉弟は、家に近付いたところで立ち止まる。
三人の視線の先には、ヒラヒラと自分達へ手を振る男性が写っていた。見覚えがありすぎる男性にディオスもクロイも姉の一歩前に立って警戒を強める。直接の関わりは殆どないが、彼らにとって警戒すべき相手であることに変わりない。
双子に睨まれる中もヘラヘラと笑みを崩さない男性は、足を止めた三人の代わりに自分から歩み寄った。振る手をそのままに、まるで昔からの友人かのような親しげな笑みで彼らに呼び掛ける。
「おっかえり、お向かいさん〜。三人とも美人だなぁ」
最後に黒と翡翠に分かれた二色の短髪を無意味に掻き上げる動作をした男は、双子の警戒する眼差しに気付きながらも足を止めない。むしろ双子に対してはそれくらいキツい目をしてくれた方が可愛げがあると思う。
〝ライアー〟と彼がそう呼ばれていることはディオスとクロイも覚えている。彼個人に恨みはないが、あのレイの同居人ならと少なからず肩が強ばり胸を張る。
あまりにも親しげな接近に、双子に守られたヘレネが「貴方は確か……?」と口を開いた。その途端、先ほどまで三人へ分け隔てなく向けられていたライアーの視線が彼女一人へと向けられる。
きらっ、と目が一瞬だけ輝いたライアーはここぞとばかりに前のめる。昨日は遠目でしか見れなかったが、近くで見ればますます姉が美人だと確認できた。
「昨日はうちのレイが失礼致しました。私、彼の同居人のライアーと申します。今日は昨日のお詫びとご挨拶にとお伺いしました」
双子はともかく、一目で清楚系の女性と確信したライアーは彼女に対してのみ態度を変える。
裏稼業時代は全くしてこなかったアプローチだが、こういうマトモな人間にはライアーよりもトーマスとしての態度の方が好かれると判断した。記憶を失ってからの数少ない獲得物だ。
ライアーの記憶を取り戻したとはいえトーマスだった記憶もある彼にとって、どちらも間違いなく自分である。
低頭深く笑いかければ、不信に見返すクロイと違いディオスと同じように目を丸くしたヘレネは「いえ……」と小さく言葉を返した。
いまさっきまでの弟達への態度と違う様子に狐に摘まれた気分になってしまう。柔らかな物腰は温厚にも見えた。しかし三人は、昨日レイと砕けた会話をして家の中に回収していったライアーのこともよく覚えている。
ライアーも、少し自分への警戒が凪いだ三人に今のうちにと片手に抱えていた物を差し出した。
「どうぞこちら良かったら。ちょうど城下の祭で美味しそうな菓子が売られていましたから」
そう言って渡された紙袋を、先頭に立つディオスが両手で受け取った。
甘い香りに開く前から期待が膨れあがり、開けば思った通りの菓子である。しかも普段は滅多にみない、花を象った可愛らしい色のクリームまで添えられたカップケーキだった。
見た目の鮮やかさに引っ張られるようにディオスが三つの内一つを取り出し、二人にも見せた。「見て‼︎」ときらきらした目で掲げられたそれにとうとうヘレネも「あらあら」と頭を下げる。
「わざわざありがとうございます。こんな美味しそうなお菓子、こちらは何もご挨拶できていないのに」
「いや寧ろ今日この人の同居人に失礼されたのはこっちだから」
今にもすんなり懐柔させられそうな姉を、ピシリとクロイが留める。
あまりにも歯に絹着せない言い方に、姉から「クロイちゃん!」と嗜めが入ったがそれでも「だってお詫びっていってたでしょ」と意思を曲げない。
クロイの言葉に、まさかお菓子も返した方が良いのかなと弟とライアーを交互に見比べるディオスはそっと紙袋の中にカップケーキを戻した。しかし、その後は返すのが惜しくそのまま中身を潰さないように両手で抱き抱えてしまう。
警戒の濃度がそれぞれ違う三人に、ライアーも全く怯まない。
自分へ警戒や疑りの眼差し以上の目を向けてくる相手には慣れている。自分の都合が悪い部分は聞こえなかったふりをして、そのままヘレネの言葉だけを拾って返す。
「いえいえ、こんな可愛いお嬢さんが三人も住んでいるなんて私としても嬉しい限りです。こちらこそ昨日はレイが本当に駄犬などと失礼なことを妹さん達に」
「「僕らは男だよ‼︎」」
瞬間、そこでライアーの喉が枯れ果てた。
聞き逃しできない言葉にディオスとクロイが同時に声を合わせれば、うわ塗られたライアーも笑顔のまま固まった。
ピキンッと石化したように表情筋まで硬直した彼に、ファーナム兄弟も二人揃って同じ向きに首を捻った。女扱いされたことも腹が立ったが、あまりにも反応が大き過ぎるライアーの方が気になった。
昔から中世的な顔立ちで女に間違われることも二人は珍しくはない。大概は訂正すればそのまま相手に笑って謝られるか流される。しかしライアーは
「またかよッッ‼︎⁈」
近所中どころか、通り中に響くほどの絶叫が響かされた。
怒声にも似た声に思わず肩を揺らしつつも姉を守る二人だが、揃って目が丸くなる。
さっきまで胡散臭いほどさわやかに気取っていた男が、一瞬で化けの皮が剥がれその場にしゃがみ込んでしまった。
だあああああああクソ‼︎‼︎と声を荒げる彼は頭を抱えながら、自分は何か呪われているのかとすら思う。
「レイちゃんがワンワン言うからうっかり騙されちまった……ライアー様ともあろうものが一度ならず二度までも……っつーかあの野朗まさかわざと俺様騙してんじゃねぇだろうな俺様より騙す才能あるんじゃねぇのか⁇」
実際はワン、ではなく駄犬である。
ぶつぶつぶつと殆どが口の中だけで潰れた呟きだが、それでも突然座り込んだ彼は三人の目には間違いなく不審者だ。
予期せずライアーの心の古傷を掘り返した双子だが、明らかにレイの前と同じ調子に戻った彼に少し安堵した。やっぱりそっちが本性かと思いながら、互いに目を合わせ言葉にせずともこのまま家に入ろうと考える。
しかし決断するよりもヘレネが心配する方が早かった。
「あの……大丈夫ですか……?もしかして体調でも悪いのでしたら…」
そろそろと守る二人より前に出ようと手を伸ばす姉に、クロイはすかさず「姉さんは近づいちゃ駄目」と注意する。
しかしその途端、か細い女性らしい声にピクッッとライアーの肩が上下に反応した。蹲った状態から顔を上げ、今度は少し警戒気味の眼差しで彼女を見上げる。
そういえば「ちゃん」をつけられていた双子と違い、彼女は〝姉さん〟と呼ばれていたと。昨日も双子が彼女を家へ連れ帰る際にもそう呼んでいた。
今度こそ間違いなく女!と確信を胸にもう一度挑みかかる。
「いやぁ〜こんな可愛いお嬢ちゃんがお向かいさんに住んでるなんて最高だぜ本当に。良いよな美人な姉ちゃんがいて俺様も羨ましいぜ」
完全にさっきの間違いはなかったことにする。
トーマスとしての話し方も諦めて、顔面詐欺双子を無視して本題へ進むことにする。もともと、ライアーの目的は近所の親交を深めることでも昨日の謝罪でもない。
突然姉へ距離を詰め出すライアーにディオスとクロイも姉を守るべく壁になるが、双子より背の高い彼の視界を防ぐことは叶わない。姉に紙袋を預けぎゅうぎゅうとライアーを正面からディオスが両手で押し返せば、それ以上は詰め寄らず代わりに前のめりに背中をヘレネへ丸め首を伸ばした。
「お嬢ちゃん美人だなぁ〜何歳?っつーか名前は⁇昨日は本当にレイちゃんがごめんなぁ。いやアイツも悪気が全部ってわけでもねぇのよ、ちょいと面倒で素直じゃなくて口が悪いってだけでよ。俺様も本当に昔は色々手を焼かされたんだが」
捲したてるように迫ってくる年上の男性にヘレネも僅かに身体を強張らせて背中を反らす。
男性に言い寄られることは初めてではなくとも距離を友人以上に自分から詰めたことのない彼女にとって、こういう男性には気遅れしてしまう。ライアーと親交を持ちたいとは少なからず思っている分、余計にどう反応すれば良いのかわからない。
問われるままに年齢と名前を返す間も、息継ぎの間もないように話を続けるライアーが今は少し彼女も怖い。しかし
「昔からそりゃあ苦労苦労の連続で、色々あって俺様一人でご立派に育てたわけなんだが万年反抗期のせいで本当に大変でよぉ。数年前に生き別れてからやぁぁっとこうして二人で手に手を取り合って暮らせることになったんだが、もう俺様もレイちゃんも家事どころか家のこと駄目駄目で野朗二人じゃ料理もできねぇから今日も食材そのまま齧るか焼くかしかしねぇっていう情けねぇザマで。なぁ?格好わりぃだろヘレネちゃん」
ぺらぺらと嘘も真実も混ぜて話すライアーの言葉に、ヘレネは目をぱちくりさせる。
あらあらまぁ……と途中からは警戒も忘れるほどにライアーの話に聞き入った。口元を軽く手で押さえながら、素直に苦労されたのねと思う。
最後には敢えて彼女が返せるように投げかけたライアーにクロイがすかさず「ちょっと気安く姉さんを呼ばないで」と言ったが、それも彼は耳に通さない。今は最も落とすべき山を垂れた眼差しから離さない。
姉から離そうと、ディオスがぐいぐい彼の腹を押しやるが裏稼業に奴隷に兵器に家畜業を転々とした彼の鍛えられた身体を動かすことは叶わない。
その間にもライアーの話に聞き入ってしまったヘレネは、すんなりと言葉を返してしまう。
「それはお困りですよね……宜しければお二人とも今晩我が家にいらっしゃいませんか?大したものはお出しできませんけれど」
「「姉さん⁈」」
頬に手を当てながらとんでもない提案をする姉に、ディオスとクロイがまた声を合わせた。
目が溢れるほど丸くしたまま振り返るが、姉はのほほんと笑ったまま意思を変えない。更にはその言葉を待ってましたと言わんばかりにライアーも食いついた。
彼の目的は最初からこれである。
「えっ!良いのかぁ⁈そりゃあ助かる!すっげー助かる‼︎いや良いお向かいさんに恵まれて幸せだぜ‼︎じゃあこっちからは食材持ち寄るからよ、それが代金代わりってことでどうだ?」
「あら、良いのですか?逆に悪いわ」
「ちょっと姉さん落ち着いて。悪くないし、ていうかもう僕らそこまでお金に困ってはいないんだから食材程度で男を家に入れないで」
「そうだよ‼︎それにこの人が来るなら絶対あのレイも来るじゃんか‼︎」
「いや〜〜良いお向かいさんを得て俺様幸せだぜ。じゃあ時間はー」
無視しないでよ、するなよと。
また声を合わせた二人だが、全くの無視だった。女顔で騙した双子をライアーも今は相手をしたくない。
思わず頭に血が昇ったディオスが渾身の拳をライアーの腹へと放ったが、それでも踏みとどまられた。それどころか「ディオスちゃん‼︎」と姉にディオスの方が怒られ、まぁまぁとこれ幸いとばかりにライアーが間に入る。
そのまま謝る側がヘレネに移り、クロイの横槍も構わずトントン拍子に話が進む。
約束の時間に食材まで約束を取り付けたライアーは、双子の妨害も構わずヒラヒラと手を振ってまた家へと戻ってしまった。レイが帰ってきて話が白紙にされたらたまったものじゃないと、早々に退散を決める。
それを同じように手を振って見送ったヘレネに、ライアーが去り切るのも待たずディオスとクロイは揃って声を荒げた。
どうしてあんな奴に、絶対姉さんを狙ってるよ⁈と叫ぶ弟達に眉を釣り上げられたが、ヘレネの笑みは変わらなかった。あらあら、と声を漏らしながら再び頬に手を添え、紙袋を片手に抱えながら二人へと柔らかく笑いかけた。
「だって、ディオスちゃんとクロイちゃんの〝お友達〟のご家族とお姉ちゃんも仲良くしたいもの」
さぁお家に入りましょう、と。
呆気を取られた二人に踵を返し、長女は玄関へ足を踏み出した。
姉の予想外の発言に言葉がすぐには出なかった二人は、それを合図に遅れて「友達じゃないから‼︎‼︎」と言葉を揃えた。
……そして。
「おいライアー‼︎一体いつの間に手を出しやがった⁈近場で狩るんじゃねぇ‼︎」
「人聞きの悪いこというなよ兄弟。お前が帰ってくる前にちょろ〜っとご挨拶しただけだっつーの」
現在。
混沌の食事会が、目前に迫る。




