そして覚悟した。
「あああああああああああああああああっ‼︎」
流石に目を剥いた。今まで見たことのねぇ炎だ。熱を感じねぇ色のそれに、炎なのかどうかも最初はわからなかった。
だが、火だの特殊能力者だの聞こえれば頭は回る。まさかと思いながら肩の痛みも忘れ飛び起きた。
塀を上がってみれば、レイちゃんだ。
黒い炎が揺めき燃え上がり、唸りをあげる。黒い炎なんざ見たこともなかったが、俺様の特殊能力が足元にも及ばねぇ火力だと一目でわかった。
銃から肉まで溶かす。さっきまで逃げ惑っていたレイちゃんの立場が逆転だ。
あまりの光景に呆けて眺めていれば、その内の転がった一人に歩み寄り出した。さっきまでみてぇに喚かなくなったが、代わりに悍ましいぐらいの殺気がこっちまで届いてきた。遠目で黒炎に照らされたレイちゃんの目が完全にこっち側に来ていると一目でわかった。
塀から飛び降り、駆け出し、レイちゃんへと急ぐ。
やべぇやべぇと思っている内にもレイちゃんの目は瞳孔まで開いている。泥のついた靴を男に向けて上げたのを見れば、そこを踏み出して〝覚え〟ちまえば最後だと警告が俺様の頭だけに響いた。ここまで折角手を汚さねぇようにしてきた俺様の努力がと、歯を食い縛ってから手を伸ばした。
「ッッちょおっと待てお前にゃまだ早い‼︎」
─ 覚悟もねぇで〝こっち〟に来るな。
手が届くより先にレイちゃんの動きが一度止まった。足を上げたまま固まり、俺様に振り返る。渦巻く黒炎を揺らめかせたまま、目だけが丸く見開かれた。
黒い炎なんざ見たことも聞いたこともない。……それでも所詮特殊能力だろと、ヤケクソ混じりに俺様から手を伸ばす。
バチンとレイちゃんの眼前で手を叩けば、いつものようにレイちゃんの目が眩み怯んだ。
特殊能力は暴走の程度にもよるが、持て余した時は意識奪うか我に返らせるのが一番だ。頭に熱が入っちまえばそれだけテメェの意思も効かなくなる。
拾った時からの泣きやませ方がこんな風に役立つとは流石の俺様も思わなかった。細い腕を届いた瞬間掴んで引っ張り込んだ。
上等な炎と反してガキの身体は軽くて弱かった。レイちゃんが我に帰るのと一緒に黒い炎も綺麗に消えた。レイちゃんの周りだけじゃねぇ、レイちゃんに燃やされてた連中の炎まで今は焦げ跡しかなかった。
「九歳でとどめ刺すとかどんだけ容赦ねぇのお前⁈いやこいつらに生かす価値あるかっつったら全然ねぇけど勢いで殺すな勢いで‼︎‼︎引っ込みつかなくなるぞ⁈」
囲まれた火の熱量より冷や汗で全身濡らしながら怒鳴り込む。
目を合わせれば、瞳孔も戻ってぽかんとした顔のガキんちょだ。力一杯掴んだ小さい手だけがわかりやすく震えていた。表情は固まっていても身体は正直だ。
ほんっと、扱いやすいように泣くも怒るも止め方を覚えこませておいて正解だった。そうしなけりゃあこの場で俺様までレイちゃんとお揃いの顔だ。
塀の向こうへケツから押し上げてから、無傷の左腕で登ればレイちゃんがまた鋭くした目を奴らに向けていた。一瞬、もう起き上がったのかと思ったが振り返ってもそのままだ。
どうやらまだ根に持っているらしいレイちゃんを取り敢えずまだ火が付く前にさっさと塀から突き落とす。何されたかしれねぇが、折角消したのにまた燃やかすんじゃねぇよ。
パシンと念の為もう一回手を叩いて黙らせる。
連中の仲間が来ないうちに、死に損ないにとどめを刺して俺様も飛び降りる。レイちゃんも俺様も特殊能力の形跡を残しちまった限り、いよいよここで見つかっちゃあヤバい。最悪の場合、多勢に無勢の全面戦争で捕まる。
「ライアー……いま、さっきの」
「言うなよ?バレちまったら色々面倒なんだよ俺様……いや、俺様達は」
やっと安全地帯に辿り着けば、黙っていたレイも口を聞いた。
中級層へと向かうまでは、もう安全だろとわかりながらもそれ以上は言わせねぇように遮り止める。〝特殊能力者〟とその言葉を誰かに聞かれただけでも面倒だ。
黙り込んだレイちゃんを横目だけで盗み見れば、唇を絞って顔色だけが夜目にもわかるほど黒ずんでいた。何を思い出しているんだか、俺様の方を見ながら焦点が合っていない。
まさかテメェが特殊能力だと今気付いたのかとも考えたが、さっきの焼かれた連中を見てもレイちゃんの火傷と同じもんだ。妙な焼け跡とは思ったが、そういうことかと今更理解する。親父に焼かれたっつっても、まさか特殊能力がまともに扱えねぇテメェの炎で焼かれるなんざイイ趣味してやがるぜそのクソ親父。
ならレイちゃんも俺様と同じように隠していたのか。よくもまぁ俺様や裏稼業相手に隠し通せていたもんだと感心する。
「にしてもなぁ……まさかレイちゃんまでとは……」
試しにわざと聞こえるように言ってみれば、自分でも思った以上に正直な声になった。
炎関連の特殊能力者自体は珍しくない。だが他より火力も制御も段違いな俺様も、そして黒い炎なんていう禍々しいもんを出せるレイちゃんも間違いなく奴隷としては〝特上〟だ。そして俺様よりレイちゃんの方が間違いなくやべぇ。
しかもさっきのを見ても制御ができていねぇ特殊能力者としてはとんでもねぇ下手くそだ。
足並みを緩めてそんなことを考えている間にも、細い喉が音を鳴らすのが聞こえてきた。チラリと髪を掻き上げるふりして確認すればさっきよりも真っ青な顔がそこにあった。
クソ親父に顔を焼かれたことを考えても、血が繋がっていなかった以外にも疎まれた理由はあったらしい。……ま、そりゃそうだよな。あんなの出す化け物を喜ぶ物好きなんざ─
『化け物だ‼︎‼︎』
……ま、そりゃあ言うわな。
あの時に、連中にも俺様がこう見えてたのかとぼんやり思う。
あれはまだ俺様もガキで、それこそ今のレイちゃんと同じぐらいか。こんな信用もできねぇ制御も聞くかわからねぇ生き物が火なんか出したらそりゃあ怯えるのは当然だ。
あの時の組織は記憶の限り俺様以外の特殊能力者もいなかった。今この年で、裏稼業のヤバさも組織の窮屈さも自由もわかるから奴らが怯えたのも慌てたのもよくわかる。
初めて組織の下働きで奴隷市場へ行った時、殺しよりやべぇ光景に道端で取り乱しゲロまで吐き出した。
地方の中級しか取扱もねぇ市場だったが、檻に入れられているのも繋がれているのもひん剥かれて晒し者にされているのも人間なのは変わらねぇ。しかも崩れた先でちょうど見せもんをやっていて、奴隷を〝使った〟それに怯えと胸糞で気が付けば特殊能力が暴走した。
それまでの手から程度じゃねぇ、初めて全身から火が立ち上がり燃え移る光景に、俺様を連れてきた奴どころかどいつもこいつも逃げ出した。
もともと火力もガキの頃からヤバかったが、あの時は段違いで小さな安市場なんざ軽く燃え移れば火の海になるのは一瞬だった。
火のしまい方もわかんねぇ内に慌てれば慌てるほど火が増した。しかも主人に置いて行かれた奴隷共は鎖で繋がれ檻に入れられたまま俺様の火に巻かれて飲まれて死んだ。やっと制御できた時には黒焦げの死体ばっかが焼け残ってて、俺様も市場の連中が戻ってくる前にと泣き垂らしながら死に物狂いで逃げ出した。アレがテメェの名を捨てた記念すべき一度目だ。…………無意味に殺しをしたのも、アレが。
「なんつーか、なぁ、アレだな……」
頭の中とは違う、アレが出る。
この場で一番確実なのはわかってる。俺様の特殊能力がバレちまったんだ、始末する理由も揃ってる。それでもそうしようと思わねぇのはもう引き返せねぇくらい情が移っちまったからか、それともと。
考えてもどうせ今更だ。
特殊能力の中で火系統は珍しくねぇ。ただ特殊能力者で俺様以上に馬鹿な火力と希少さで制御は最低以下の最悪だ。優秀とは正反対で使えねぇ。感情に任せるしかねぇ目立つ特殊能力なんざ俺様達には足枷だ。
ただ、そんなガキに出会って拾っちまって、…………こうして怯える姿に偶然も間も悪く昔なんざを思い出す。今まで思い出すどころか悪夢にしかみなかったテメェのガキの頃とまで重なった。もうここまでお膳立てされちまったらテメェも騙せねぇ。
こんな世界で生きてきて、捨てられ騙され騙して逃げてきた俺様が初めて思う。もうきっとこれは
「運命‼︎……なーんて!」
ふざけ半分に言ってみりゃあ笑えるほど腑に落ちた。
ハハッ、と声に出しながら、レイちゃんへと振り返る。丸い目に顔の伸びたガキんちょに一方的に言いながら、諦めがつけば気も楽だった。認めちまえばもうこのクソガキを俺様は気に入っている。
いつもの嘘で煙に巻きながら、適当に理由を作る。今まで通りレイちゃんを適当に褒めて持ち上げて、ちょいとふざけて可愛がる。
朝日が上がればうっすらとしか見えなかったレイちゃんのツラが輝いていた。今までいくら見え透いた世辞を言ってもこんなに喜ばなかったくせにと吹き出しかけた。
気分が良くなって近くの店で安酒奪ってまた駆ける。グビリと乾いた喉を潤してからレイちゃんへと突きつけた。
「兄弟」と、今までいつか手放す為に引いていた境界線を初めて外す。こんなふざけた巡り合わせ二度とねぇ。浴びるほど飲んだくれた時みてぇに気分が良くなってその日はいつもの倍は甘やかした。
今まで頭を悩ませていた引き取り手探しから解放されたからか、可愛い弟分が悪くねぇからか同じ特殊能力者だったからかレイちゃんの機嫌が良いからか
『助げでぇ……‼︎‼︎誰か、誰かっ……』
…………それとも。
『この火を止め゛でぇぇええええええええぇぇ……‼︎』
逃げられねぇ奴隷を一人残さず焼き殺した過去の化け物を、救えた気にでもなれたのか。
これでその内ついでにテメェの面倒な性分も治せりゃあ良いがと人任せに思いながら、俺様は〝同類〟と酒を交わした。
Ⅱ293




