見送り、
「もう本当に嬉しくて嬉しくて……まだ現実感がわかないくらい。たくさん買って貰えてお金もかなり貯まったし早速住む部屋も探さなきゃ」
心から嬉しそうに顔を綻ばせてくれるネル先生を見ると、私まで嬉しくなる。
重荷だったらと心配もあったけれど、こんなに喜んでくれるなら私も思い切ってスカウトした甲斐がある。ネル先生……いえネルといい、今朝のアーサーの話といい副団長の家を出たいという意思は変わらないのだけがまだちょっと気になるけれども。
すると、敢えて疑問を飲み込んでいた私達に代わりアムレットが口を開いた。首を横に傾けたままネル先生を覗き見る。
「そんなに急ぐんですか?もしかして家の人に早く出て行くようにとか言われて……」
「!いいえ、そんなんじゃないの。ただ、……まぁちょこっとね」
そう言って慌ててアムレットの言葉を否定しながらも苦笑だけを返すネル先生に、言及こそできないものの私やパウエルも首を傾げてしまう。
クラーク副団長と何かあったのだろうか。アーサーはそんな深刻じゃないと話していたけれど、実は複雑なご家庭とかだったらと少し心配になる。
さっきまでぽかぽかと興奮気味に火照った頬を両手で挟んでいたネル先生がちょっと冷めたように息を吐いた。はぁ……、とその息は肩を落とすというよりも一息いれたような力の抜けた溜息だ。
「とにかくお礼だけでも早く言いたくて……。せっかくお友達とお昼楽しんでいたのにごめんなさいね、お友達もー…………あら?」
独り言のように呟くネル先生が、私達へ視線を広げる。
いえとんでもないです、と慌てて返す中で私とステイルでそっと配置を狭めたけれど駄目だった。パウエルの背後に隠れた影へネル先生の目が開かれる。
そこの子、と呼ばれた途端に顔を出していないアーサーの肩がビクリと跳ね上がった。……まずい。
ステイルが瞬間移動で逃がすか悩むように私へ目配せをするけれど、思いっきり首を振る。アーサーを逃がしたいのは私もだけれど、瞬間移動なんて使ったら今度はアムレットがまずい。しかも近くにはこっちを見ていないとはいえ守衛の騎士だっているのだから騒ぎになれば一巻の終わりだ。
両膝をついていたネル先生が私とステイルの隙間を縫うように手を伸ばす。更にはパウエルもいつの間にか背後に移動していたアーサーに気付くように振り返ってはネル先生へと道を開けてしまった。
私も振り返れば、アーサーがこの上なく青い顔で唇を絞っていた。絶体絶命、の一言が頭に浮かぶ。
「ベレスフォードさん家の……じゃないわよね…?ご親戚は城下からは離れていらっしゃるしアーサーには昨日……」
ビクッビククッ‼︎と、もう爆破一歩手前の発言にアーサーの顔が引き攣る。
青い顔を隠すように銀縁眼鏡の蔓を両手で押さえて目を逸らすアーサーだけど、滝のような汗が滲んでいる。多分話すだけで声でバレるのを恐れてだろう、言い訳もできずに追い詰められる。
アーサーへネル先生がどんどん前のめりになって、近付いてこようとした瞬間、私もステイルも動くのは同時だった。ステイルが再びアーサーを隠すようにネル先生の正面に向き直り、私も身体で覆うように膝をついたままのアーサーを抱き締める。「「ジャックです」」の声まで綺麗にステイルと被った。
「申し遅れました、僕はジャンヌの親戚のフィリップ・バーナーズと申します。ジャックも僕とジャンヌの親戚です。すみません、彼はジャンヌと違って人見知りでして僕の方から謝ります」
「そうなんです!ちょっと照れ屋で緊張しているだけで凄く良い人なんです!昔から仲良しで私達の大事な大事な人です‼︎」
見事なステイルからのパスに、私も全力で口裏を合わせる。
大好きアピールに見せかけてアーサーを腕の中に隠し、私の顔だけをネル先生へ向ける。アーサーから「プ……ジャンヌ?!ちょっ」と慌てるような声が微かに聞こえたけれどそれもすぐくぐもって、ステイルの張った声に塗りつぶされた。
以前に腕を組んだことも怒られたし今回もくっつき過ぎなのはわかるけれど今だけは許して欲しい。うっかりまた噂されるのも大変だけれど、アーサーが校内で護衛から外されてしまうことの方が困る!
じゅわっとアーサーの体温の熱さを感じながら、正体を隠しているとは言え昔馴染みのお姉さんの前でこんなにくっつかれたら恥ずかしいわよねと申し訳なくなる。パウエルにまん丸い目で見られたのがわかった瞬間、私も恥ずかしくなってきたからもの凄く気持ちはわかる。でもお陰でアムレットも今はステイルより私とアーサーを凝視している。
クラスでもこんなにアーサーにべったりではないことを彼女はよく知っているから当然だ。
これは後で言い訳を考えなきゃなと、目の前の状況と並行して頭を回す。その間もステイルは冷静なものだ。
「お仕事もおめでとうございます。お店まで持てるなんてとても凄い雇い主さんなんですね。一体どんな人ですか?まさか貴族とか⁇マリーさんも知っている人ですか?」
「それはまだ言えないのだけれど……」
流石策士ステイル。敢えてネルが言えない部分を突いて誤魔化した。
まだ正式に広まっていない上、マリーからも自分の職場は私達へは口止めを受けているネル先生はステイルから背を反らして距離を置く。
にこやかな笑顔に圧されるように口を濁した。更に気を逸らすべくステイルが「そういえば僕らマリーさんがどこで働いているかは知らなくて」「誰の侍女なんでしょう」「ネル先生はきいてますか?」「もしかしてマリーさんの雇い主とか⁇」と少しずつ真実へ足を踏み込んでみせれば、ネルも唇を完全に結んでしまった。
ええと……と言葉を濁し、そのままジャックどころではなくなったように目を泳がせた。
「もし言えるようになったら教えるわ。講師の仕事も短かったけれど、新しい家が決まったらジャンヌ達やアムレットにも教えるから。その時はいつでも遊びにきてね」
「講師辞めちゃうんですか⁈」
ええっ!と驚いたようにアムレットが声を上げる。
私からも合わせるように声を掛けるけれど、そうよねと胸の中だけで思う。こればかりは学校生徒の方々にも申し訳ない。
ネル先生が、既に理事長には相談済みということと遅くても後任が見つかるまでは続けるから安心してと話してくれる中でアムレットが寂しそうに眉を垂らした。
ネル先生はこれから本業が刺繍職人になるから、きっと講師をする時間はなくなる。しかも本人は自分の店も持ちたいようだから余計にだ。
契約としては講師を続けてくれても問題はないのだけれど、新しいドレスの刺繍やデザインも作ってと今後も鑑みると大変な苦労になる。
残念そうなアムレットだけれど、最終的にはネルの夢が叶うという部分で祝してくれた。こういう聞き分けが良くて優しいところは流石アムレットだと思う。家が決まったら絶対遊びに行きますねと私からも声を掛ければアムレットから「私も」と同意するように大きく頷いてくれた。
「じゃあ私はこれで。学校にいる間はまた何かあったらいつでも被服室に来てね」
最後はステイルからの悪意無いように聞こえる追求から逃げるように立ち上がる。
じゃあね、と手を振ってくれるネル先生に私からも振り返せば、ステイルが「お菓子ありがとうございました」と満足げな笑みで返した。見事波風を微風も立たせずに乗り切ってくれた彼に心から感謝する。
トランクを拾い、ステイルから退散するように校舎へと向かい出すネルをアムレットも一拍遅れて追いかけようとしたその時。
「そういやぁアムレットはなんで被服の先生と一緒だったんだ?」
諸事情により、次の更新は来週木曜日からになります。
よろしくお願いします。




