そして見逃す。
「似たような野郎なんざ腐るほどいるが……」
まだプライドからライアーを見つけたことまでは聞いていないヴァルにとっては充分に気に掛かった。
一度捕まえてプライドの前に放り投げるかとも考えたか、まだ外見の風貌だけでは確証にもならない。どちらにせよ、塀を登り上半身まで身を乗り出してくる人物を放っておくわけにも行かず、足場を動かした。
足元に転がしていた荷袋を肩に背負い直し、特殊能力で足下だけを降下させる。一瞬で解かれた囲いの壁面と高速で落下していく足場に、ヴァルの存在に気付いたライアーも彼が飛び降りたようにしか見えなかった。
うおっ⁈と思わず声を漏らし、突然現れた生徒に一度塀から降りて身を隠す。なんであんなところから飛び降りたのか、自殺か馬鹿かと思いながら塀の外で身をかがめたが、落下音はいつまで経っても聞こえなかった。
「おいテメェ、こっちに何の用だ?」
屈んで身を隠すライアーに、今度はヴァルが音を消し壁上から覗き込む。
あくまで校外には出ず、先ほどのライアーと同じように上半身まで乗り出して見下ろすヴァルにライアーは目を丸くした。無事に着地したことよりも、音も気配も消して壁上まであっという間に乗り上げたことに感心してしまう。
数拍置き、自分が覗いていたのに気付いて飛び降りたのかと気付いてからやっと「ああいや」と軽く手を振って返した。
「悪い悪い、学校っていうのが気になってよ。ちょっと覗いてみただけだ」
怪しいもんじゃねぇよ、と軽く付け足しながら笑みを向けてくるライアーにヴァルは無言で睨む。
すると同時にライアーの方もまた笑った顔のまま目付きが変わった。自分を見下ろしてくる相手のギラリとした眼光と凶悪な顔面に、聞かずとも何となく身近さを感じ取る。記憶を取り戻すまでは縁遠くありたいと思った空気だが、今では寧ろ懐かしさを感じる気配である。
へらりと笑いながら、今度は肩の力を抜く。生徒に見つかったのは予定外だったが、相手が教師や衛兵ではないだけでも幸いだった。
自分の嘘に全く納得したようにも見えない青年に、ライアーは変化球を投げてみる。
「あとまー、折角のご立派な建物に火が上がってねぇかと心配になってよ」
「そりゃあ、テメェが火をつけるって意味か?」
犯行声明にしては気の抜けた皮肉にヴァルも眉をしかめる。
侵入は諦めたのか、再び登ってこようとはしないライアーにそこまでしようとする意思は感じられない。しかし皮肉の混じった言葉は先ほどよりも本音めいた色がついていた。すかさず投げ返した追求にも「んな大それた事する度胸はねぇよ」と軽く流される。
ヘラヘラと笑った顔とその受け流しにヴァルは少なくとも目下のその男が自分と同じ世界に居た人間だと確信した。
見下ろす形で顔をまじまじ見れば元の顔付きに無精髭の所為もあり老けて見えるが、本来の自分と年も大して変わらないと目で悟る。寧ろ僅かに年下である。〝老け顔〟と頭の中では浮かべたが、それよりも見慣れた裏稼業特有のへら付いた笑みの方が気になった。
レイの情報では、ライアーも下級層で裏稼業の人間である。試しにもう少し探りを入れてみるかと考えれば、それより先にライアーの方が口を動かした。
「お前も〝同業者〟か?なら生徒か〝仕事中〟かだけでも教えてくれ。俺様もちょいっと学校に用があってよ」
「………………………生徒だ」
軽口に、今度は本気でヴァルは躊躇った。
どちらかといえばプライドの護衛という〝仕事〟中だが、ライアーの示唆している〝仕事〟とは違う。正体を隠しているとはいえ自分の口で生徒と宣うことは嫌だったが、今はそう言い張るしかない。
同業者、という言葉にやはり目の前の男はこちら側の人間かとだけ確認する。まさか自分から認めるとは思わなかったが、お陰で手間も省けた。
ヴァルの返答に「裏稼業でも入学できるたぁな」と両手を広げて感心してみせるライアーだが、内心ではほっとした。もし目の前の〝元〟同業者が仕事中と言えば、この場で塀から引き摺り出して衛兵に突き出そうと彼も彼で考えていた。ライアーにとっても、今はレイがいる校内で悪さをされては困る。
「取り敢えずうちの可愛い子ちゃんには手を出さないでくれ。頼むぜ兄弟」
「テメェと兄弟になった覚えはねぇ。……せめて唾つけておきてぇなら目印ぐらい言うんだな」
〝兄弟〟という呼び方に、自分がいた組織や裏稼業内でもこういう馴れ馴れしい奴が居たなとヴァルは思い出す。
大概そういう輩は、長生きしたいか腹に一物持った底が読めない人間かのどちらかだということも経験上知っている。そして今目の前の裏稼業がどちらなのか現時点ではそれこそ読めない。いっそ両方の可能性すらある。
過去にも兄弟と軽口で呼ばれた度に返した言葉を同じように投げながら、その身内は誰かと探る。
するとライアーもまた「そりゃあそうだわな」と軽薄に笑って見せながら短髪を無意味に掻き上げた。髪と目の色と一個人と断定しにくい最低限の情報だけをヴァルに提示する。
人質にされかねない裏稼業相手へ下手に情報を渡すことはしない。
そしてヴァルもその情報だけでは相手がレイだと確信にまではいかなかった。もともとレイの顔もまだ見たことがない。せめて仮面や身分、名前を言われれば確信できたがここでそこまで探りを入れればこの場で戦闘になりかねないことは理解する。
険しい顔だけで悪態も口約束の返事もしないヴァルにライアーは少し眉を上げでみる。
「まぁそれだけじゃ絞れねぇだろうが」と言ってみればヴァルの眉間も狭まった。正確には、図星ではなくテメェの情報が少ねぇだけだと頭の中だけで悪態吐くが、今はライアーの出方を見る。
「まぁ何かとめんどくせぇ奴だからやらかすかもしれねぇし先に俺様が詫びとくぜ兄弟。あいつも色々そりゃもう聞くも涙の語るも涙って苦労があってよ。使用人連中にも面倒全部丸投げされちまったからしょうがねぇ。いやあいつも昔は可愛かったんだが今は俺様の教育の賜で見事に反抗期真っ只中で、あっもしかしてお前も真っ最中か?ガキの頃はそりゃあそういう時期もあるよなわかるぜ俺様もガキの頃は」
ペラペラと口八丁を並べながら、どうでも良い嘘で煙に巻くライアーの顔色は変わらない。
昨晩もレイの屋敷に訪れた際使用人達に色々と詰めよられ語られ託されたライアーは、今では言おうとすれば彼らの名前も全員言える。しかしここでレイの情報としてヴァルに語ろうとは思わない。
うだうだと長話を続ける男に、ヴァルも次第にどうでもよくなってきた。
このまま目の前の男の話を聞き続けるくらいなら本格的に捕まえるか、それとも放って校舎内で昼寝の続きに戻るかと真面目に考える。目の前の男に年下目線を向けられること自体が煩わしい。
そう思って軽く欠伸を零すと、間を呼んだようにライアーも長過ぎるレイの大嘘過去話を切り上げた。
「そんなところでよ、もし居ても大目に見てやってくれ。なるべく俺様がちゃあんとみておくからよ」
「それ以上ノロケ聞かせるつもりなら、今すぐそいつをテメェの前に転がすぜ」
「命は大事にしとくもんだぜ?人生の先輩からのありがた〜いお言葉だ」
「……」
軽い挑発に、別の部分で殺意が湧いたヴァルだがそこは黙して抑えた。
あくまで自分はこの姿では十八なのだから、そう言われても否定できない。だが「誰が先輩だ」という言葉は意識的に口を閉ざさないと零れそうになるほど不本意だった。人身売買で肥えた目は年下のライアーの実年齢を間違いなく射抜く。
鋭い眼が更に研ぎ澄まされていくヴァルに「まぁそう怒るなよ」と笑って流すライアーは、仕方なくそのまま両手の平を見せながら二歩下がる。思ったよりも短気だったかと思いながら「今のは撤回する」と軽く宥めた。
「取り敢えず俺様は暇つぶしに覗き見してた通りすがりの暇人だ。お前もあんまそこで揉め事起こすなよ?ただでさえ〝学校〟なんざ王族だのお偉いさんが絡んで」
「!おい‼︎お前達そこで何してる⁈」
やべっ!と途中で声を上塗った衛兵の声にライアーとヴァルは同時に目を向ける。
校舎内ではない。校舎の外回りを巡回していた守衛がライアーに気が付いた。更には壁へ半分乗り上げているらしい生徒もいれば、危ないも含めて声を上げないわけがない。
守衛を前に反射的に逃げようと決めるライアーは「じゃあな兄弟!」と早口でヴァルへと手を振り駆け出した。口で誤魔化すこともできるが、自分のような前科者は学校に危害を加えると判断されかねない。ただでさえ保護観察中の為、できることなら捕まるまでは顔も覚えられたくない。
駆け込んでくる守衛が自分の顔を捉える前にと逃げるライアーに、ヴァルは暢気に頬杖を突いた。逃げ足の速さを確認しながら、今は〝生徒〟として絶対優位な立場で一言逃げる背中へ投げかける。
「レイ・カレン」
ビッ!と、次の一瞬だけライアーの足が止まった。
すぐにまた駆け出したが、振り返った垂れ目が見開かれたまま鼬色に鋭く光ったのをヴァルは見逃さなかった。驚愕よりも敵意や殺意にも似たその眼差しが心地良い。
ニタニタと悪い笑みを浮かべながら、逃げるしかない元同業者へヒラリと手を振った。やっと確信が持てたことと、最後に憂さを晴らせた心からの嫌味と笑みである。
直後には通り過ぎる守衛に「君も危ないから降りなさい‼︎」と怒鳴られたが、それも今は気にならない。不審者を追う守衛と
翡翠と黒の二色に染められた短髪の元同業者をその場で見送った。
城でプライドに会ったら、取り敢えず情報の遅さにまた苦情を言おうと決めながら。




