Ⅱ340.頤使少女は考える。
「貴族じゃねーって……なんでだよ?お前またなんかやったのか」
私の話に、ネイトはペンを握ったまま首を傾げた。……少し、不本意な扱いを私に向けながら。
疑問に思うのも当然だ。あくまで最低限の部分だけ抜粋して伝えた私に、納得がいかないと言わんばかりの表情を向けてきた。一度笑った顔のままステイルとアーサーの方へ目を向ければ、ステイルが小さく息を吐きながら私の横に並んでくれた。必要があれば自分が説明しますよの意思表示だ。
取り敢えずまだ私が説明し続ける猶予はあるらしい。視線を戻し、手だけでネイトにわかるようにノートへ授業内容の捕捉を書き込みながら言葉を選ぶ。
「言葉の通りよ。私も聞いた話だから詳しくは知らないけれど、少なくとも今の彼は貴族じゃないからもう私達に命令はできないし私達から従う必要もないわ」
私は何もやってないわ、と。ここは詳しく知らないに徹するに限る。
本当は色々と裏も表も知っちゃっているけれど、ここで言いふらすわけにもいかない。レイが貴族の立場を一時的に剥奪されたことは遅かれ早かれ広まることだ。いまここでネイトが一足早く知ってしまっても問題はない。
今頃職員室でも、理事長宛に城から伝達も届いて情報共有も終えているだろう。
本当は私も朝のうちからレイへ直接会いに行きたかったけれど。と、頭の隅で思いながら飲み込む。今は折角勉強と私達を心配してくれたネイトが優先だ。
「だからもう大丈夫。けれど、またレイに会ってもこの前みたいに悪口や暴力しないでね」
「万が一明るみになったら今度こそ貴方の方が問題行動で二度目の停学になるかもしれませんよ」
もうレイを怒らせることはしないように‼︎とやんわり注意する私に、続けてステイルが援護してくれる。
アーサーも同意の声を掛けてくれる中、ネイトもやはり停学は嫌らしくピクリと肩を揺らしてから動物のように目を見開いた。唇をきゅっと結んだ様子からも、忠告はしっかり受け入れてくれそうだと思う。今だって授業に遅れたしっぺ返し中なのに、これ以上遅れるのは嫌なのだろう。
授業内容なら職員室に行けば教師が教えてくれるし私達が居なくても何とかなるとは思う。けれど私もできるだけ早くネイトが追いつけるように協力したい。
そう考えながら私はさらに彼に理解しやすいように書き込み、そしてネイトに示す。「ここの問題はこっちの引用をね」と話を切り替えるべく再びノートの内容をさらった。
レイは、特別処置を女王である母上に言い渡された。
彼は侯爵家であるアンカーソンの権限を振るい、理事長権限を乱用した。
裏稼業の人間と繋がりを持ったこと。学校という公的機関に私情で彼らを入学させたこと。裏稼業に罪もない生徒を恐喝させたこと。そのどれもが軽い罪ではない。
特に恐喝を受けた所為で学校を逃げ去った生徒と、無茶な労働を強いられた上風紀を乱された教師は被害者だ。
ただ、彼自身の罪としてだけでなくアンカーソンに大部分の責任が問われた。
理事長権限を投げ出したのも不正に息子へ委託したのも彼。更にはレイの生家であるカレン男爵家の党首を結果として殺して遺されたカレン夫人が管理能力無しと判断し領地を奪ったのも彼だ。
レイからの証言で、権力を脅しにカレン夫人に暴行したことが判明したのも裁判での心象を大きく変えた。アンカーソンは否定し続けたらしいけれど、調査で殆ど裏付けもされたし彼の息子とされたレイがカレン夫人にそっくりだったことも大きかった。幸いというべきか、アンカーソンにもその元妻だった女性のどちらにもレイは似ない。髪の色や瞳の色すら別物だった。
よって、全てを統括して先ずは〝アンカーソン家〟の貴族としての立場剥奪と財産没収が決まった。
ただ、レイの場合は不当に奪われたカレン家の財産と領地はお母様に返還されることになった。城下から離れた町だし今までみたいな屋敷や馬車とかの贅沢な暮らしは難しいけれど、それでもアンカーソンの後ろ盾がなくなったレイにとっては大きい資産だ。……ただし
〝学校を一般生徒として卒業すること〟
それが、レイへカレン家の後継者として認めるにあたっての条件だ。
金銭的な遺産はカレン家に返還されるけれど、レイが領地や貴族として名乗る称号は学校を卒業するまでは没収されるままになった。
中等部三年のレイが高等部を卒業するまで学校に通い続けること。その間問題も起こさず、成績も一定を保ち、授業態度も問題なかったと教師達からの合意も得られれば卒業後に彼はカレン家の財産とその他の全ても許される。領地も、未だ残されている屋敷も全て。そうすれば、レイは侯爵家ほどとはいかなくても地方領主として細々と安定した暮らしは許される。
本来なら地下牢獄で数年幽閉だったところをジルベール宰相が〝新たな試み〟として提案してくれた。
ただし、もし在学中に問題行動が見られたり逃亡や通学を正当な理由なく怠たれば問答無用で捕らえられ財産も称号も全て没収且つ、倍年の地下牢獄行きだ。
私も詳しくは覚えていないけれど、ちょっと前世の少年院制度とかを思い出した。
学校の風紀を乱し体制を崩した罪は、学校で償えと。学校で問題を起こした貴族生徒としての見せしめと、レイが未成年だったこともあって学校の更正効果を見る目的もあるらしい。地下牢獄で何年も過ごすよりは自由もある寛大な判決ではあるけれど……実はこれ、普通の貴族ならかなりの重罰でもある。
〝貴族〟として生きてきた人間が、急に〝平民〟に下ろされてその中に囲まれるのだから。
前世の記憶がある私には地獄から天国くらいの感覚だけど、この世界の誇り高い貴族にとっては死よりも辛い人もいる生き恥晒しに近い。庶民が奴隷にされるようなものだろうか。
罰を受けて罪人しかいない上、監視の衛兵しか見る者がいない地下牢獄方がマシだと考える貴族の方が多い。
今まで自分が偉そうに踏ん反り返って見せていた相手に、同じ目線かもしくは見下され大衆の目に晒され続けることに耐えられない人間は多い。その上、贅沢な暮らしも許されず教師の言うことは絶対聞かないといけない。
更正教育としては当たり前のことばかりだけれど、貴族にとっては例えようもない屈辱だ。下級貴族でも屈辱に耐えられず地下牢獄を望む人間はいるだろうなと思う。
今も実際、レイが移籍した三年のクラスでは小さな騒ぎになっているだろう。特にレイはなかなか横柄に振る舞ってきた子だから、今後もしっぺ返しがないとは言い切れない。
ジルベール宰相の寛大とも取れる提案に母上が頷いたのも、そこが大きいだろう。決して罰が特別軽くされたわけでもない。ただ、レイの場合は。
……絶対大丈夫なんだろうなぁ……。
まだ確認へ行ってない内から確信に近くそう思う。
初めて目撃した時も、取り巻きは居たけれど無視して本を読んでいたような子だ。しかも彼は普通の貴族と違って下級層や裏稼業も履修済みである。
今更下級層どころか庶民の暮らしなんてしたところで、誰の目も気にならないだろう。何より、立場なんて失うことも承知の上で探し続けたライアーに会えたのだから。
きっと今も教室で我が物顔で本でも読んでいるのだろうなと思う。
むしろ今朝は色々とレイのことも含めて忙しさ満載の教職員の方が慌しいだろう。イベントはレイだけじゃないのだから。
一限後は無理でも、昼休みにでもなったら様子を見に行こうかなと考えながら私は引き続きネイトへ解説を続ける。
彼に会ったら裁判のことについても彼の口から聞いておきたいし、今後の生活についてもどうするつもりか知りたい。
エリック副隊長が話していたライアーが記憶を取り戻したことについて、アーサーやステイルも気になっているところだろう。どうかそれについても約束通り上手く誤魔化して話してくれるとありがたい。それに、……ラスボスのことも。
『レイにまだ衛兵の手が伸びていないことを教えた〝情報提供者〟が居たそうです』
ジルベール宰相が話していた、ラスボスの存在。
ゲームスタート時には既に利用していたレイと接点が生まれたことから考えても、容姿情報からも彼女と考えて間違いない。
もしレイとも接触したのなら彼女の情報も聞けるかもしれない。
主人公のアムレットと同じく、ラスボスのグレシルも攻略対象者全員に接触していることは間違いないし彼女と会えば最後の攻略対象者の情報も得られるかもしれない。
それに、レイに裏稼業を差し向けたことから考えてもまた何かしら動いている恐れがある。ファーナム兄弟やネイト、レイや最後の攻略対象者だけじゃない。寧ろレイを狙えなくなったなら、遅かれ早かれ自然と第二作目とは関係ない別の標的を狙うかもしれない。……レイみたいにお金や権力があった上で何でもホイホイ彼女の言いなりになってくれる人なんて、ゲームの攻略対象者でもなければ滅多にいないと思いたいけれど。
レイだって、ライアーの情報っていう最大の弱みがなかったらグレシルの言いなりになんてならなかった。そしてグレシルにレイの後ろ盾さえなければファーナム兄弟もお姉様を守れた。
あと心配すべきなのは、ネイトの伯父へみたいに彼女が誰かしらを唆したり魔を差させることだろうか。どちらにせよ、次の攻略対象者や他の誰かに被害が広がる前に彼女を見つけて止めないと。
「?なに怒ってんだよジャンヌ」
思わず強張った私の顔を、攻略対象者の一人であるネイトが眉を寄せて覗き込む。
ゲームでは両親と片腕を奪われる原因のグレシルを知らずに慕い、彼女の為に発明を作り続けた少年だ。
もしかしたら彼みたいに彼女の正体を知らずに慕っている子がもういるかもしれない。それこそこの城下に、もしくは
この学校に。
「ごめんなさい、別のこと考えちゃって」
「俺の勉強みろよ!」
そうねと思わず苦笑しながら、怒るネイトに一言謝る。
一限の予鈴が鳴るまで彼の勉強を解説し続けた。
……
「~♪」
少女は歩く。
後ろ手を結び、ゆるやかに足を前後に動かし進む。雨の中、傘も差さない彼女をすれ違う誰もが振り返ることもなく通り過ぎていく。
誰にも興味を持たれない彼女はいつものように広場へと向かいながら、自分の時間だけを考える。
歌詞もない自作の鼻歌を零しながら、その暗緑色の瞳だけが忙しなくすれ違う人々を捉えて流す。
〝自分好み〟の誰かをまた探す。




