困惑し、
「ネル……すまないが、どうやれば王族に直接雇われることになるのか私にもわかるように説明してくれないか?」
言葉を選びつつ、状況を洗い直す。
自身でも可能性はいくらか考えたが、最も恐るべきなのは妹にプライドの潜入視察が知られた場合である。そして個人的に最悪なのは、プライドが〝ネル〟ではなく〝副団長の妹〟として彼女を雇った場合だ。
知り合いである副団長の妹が、望む仕事にありつけず路頭に迷っていると判断した王女が善意で懐に迎え入れた。まさかとは思うが全く有り得ない話でもない。
乾いた喉で尋ねるクラークに、ネルはまた僅かに興奮が蘇り温度の高い唇を開き出す。
「マリーさんって方が紹介してくれたの!もともとマリーさんに会ったのも今日が初めてだったんだけど、生徒から紹介で……」
再び妹の口から出たマリーという名にクラークは記憶を辿る。
直接的に関わったことはないが、彼女の専属侍女にそんな名前の女性がいたと思い出す。
更にはネルの話を聞いていけば、早速途中から〝生徒〟と伏せられていた女生徒の名前が解かれた。そのまま流れるように今度こそ〝ジャンヌ〟という名前がネルの口から放たれた瞬間、予想こそしていた為表情には出さなかったが、クラークの心臓は無音でひっくり返った。
プライドの専属侍女マリーからの紹介、マリーを仲介したジャンヌ、そして女生徒ジャンヌから試作品の提供を頼まれたのがきっかけだと話を聞きながら一つ一つ状況を飲み込んでいく。そしてとうとう、最後の確信に辿り着いた。
「まさかこんなことになるなんて夢にも思わなくてっ……ジャンヌはマリーさんが専属侍女って知らないらしいんだけど、…………次会ったらあの子が本気で天使に見えちゃいそう」
天使ではなく王女だよ、と。
クラークは心の中だけで呟きながら、「良かったな」と笑みで誤魔化した。取り敢えずプライドの正体に妹が気付いていないことに、恐るべき事態を一つは回避されていることを確認する。
ネルからすれば、マリーとの関係を繋いでくれたジャンヌには感謝しかない。自分の刺繍をアムレットと共に認めてくれた上、そこであの刺繍をマリーに渡してくれなければ第一王女の目にも当然止まらなかった。……そして実際は、全ては〝ジャンヌ〟から〝プライド〟へネルを辿り着けかせる為の策謀であることもクラークは当然理解した。
「ちなみにネル、私とお前の関係をプライド様はご存知なのか?」
「…………うん。実はさっきアーサーに会って、ついベレスフォードさんと間違えて話しかけちゃった……」
「ああそうか、成る程それで……。因みに、学校関係者にはどうだ?教師や〝生徒〟に私の話や、騎士団に身内がいることを話したり知っている者は?」
興奮で火照った顔がまたしゅんと冷め出すネルは、兄からの問いに首を横に振る。
もともと彼女も自分と同様に騎士である兄の名を魔除けには使っても、その威を借りたいとは思わなかった。若い頃は兄に支えられてばかりだったからこそ、今は自分の力に拘りたい。
今回もプライド相手にすら顔見知りであるであろう兄の存在を隠そうとしたネルだったが、まさかのアーサーとの再会で露見してしまった。隠し通せなかったことに少なからず気落ちするネルだが、その時の流れを順を踏まえて説明されたクラークはやっと目眩を覚えるほどに安堵した。
少なくとも妹の話だけで判断すれば、プライドも今日初めて知った可能性が高い。一概に確信まではいかないが、今はそれで納得する。一言承知の言葉を返しながら、クラークは彼女の肩を叩いた。
「本当におめでとう、ネル。私も心から誇らしいよ。今晩必ず帰るからその時にまた詳しく聞かせてくれ。仕事が落ち着いたら必ずお祝いをしよう」
少なくともプライドの極秘視察を終えてから、と思いながらクラークは心からの笑みでネルに笑いかける。
ネルの話からだけの判断では、最悪の事態ではなかったことを一応は確認できた今、妹の栄転は喜ばしいことなのは間違いない。そのまま外の扉へと促すクラークにネルも素直に頷いた。仕事中に突然ごめんなさい、と言いながらクラークに肩を抱かれて扉へ振り返る。
「!そうだ兄さん、一つお願いがあるんだけれど」
はっと扉を見て思い出したように息を飲んだネルが姿勢を正す。
隣に並ぶ兄へ顎を上げ、僅かに紅潮した頬で上目に見つめる。トランクを拾い上げながら、反対の手はぎゅっと胸の前で強く握っていた。
どうした?と眉を上げて返すクラークも、頭の隅では今度こそプライドに気づいたかと嫌な予感が過ぎったがすぐに打ち消した。妹の目は疑いではなく、純粋な興味だけだった。
「さっき案内してくれた騎士さんに改めてもう一度ご挨拶をしたくて。……来るときはもう本当にいっぱいいっぱいで、ここまで案内して貰ったお礼も言ってなくて」
「わかった。名前はわかるか?」
トランクを握り直しながら反対の手で自分の髪を整え鏡を探すネルに、クラークは自分がここまで案内するように言付けた新兵を思い出す。
鏡は見て左だと指を差して示せば、ネルはすぐにくるりと身体ごと鏡へ向き直った。髪だけでなく化粧や服の皺まであくせく確認するネルを微笑ましく思いながら溜息混じりに腕を組む。
「茶髪に黄の瞳の新兵ならすぐ呼ぼう」と続けながら、そういえば部屋を入ってきた時も新兵から一言あっていいものを、先にネルが声を上げ飛び込んできたのだと思い返す。今も「ううん」と首を振る彼女が、やはり相当切羽詰まっていたのだなと改めて考え
「長い黒髪に紫色の目をした騎士さん。名前はわからないわ」
ぴくっ、と。
鏡を前にとうとう三つ編みを結び直すべく一度解き出した妹に、クラークの肩が小さく揺れた。
騎士団には大勢の騎士が在籍している。紫色の瞳は珍しい方だが黒髪紫目の騎士も一人だけではない。しかしその中で長髪の騎士など、たった一人しか思い当たらなかった。
その名前を小さく呟きながら、クラークは再び冷や汗が頬を伝う感覚に気付く。今、妹が何故もう一度その騎士に会いたがっているのかを冷静に分析する。騎士団副団長としてではなく、兄としての予感が過ぎる。
「……彼と、何かあったのか?」
「!いえ何も。寧ろ凄く親切で本当に紳士的な人だった。本当に信じられないくらい礼を尽くしてくれて、なのに私もう兄さんに話したいことでいっぱいいっぱいな上にそんな風にしてもらって緊張してここまで案内してもらったお礼も……」
一瞬大きく両肩が上下したネルは、途中で早口にさっきと同じような話を繰り返す。
鏡を前に入念に髪を結き直しながら、クラークへ向けた目が逃げるように鏡へ向く。親切で、と言い始めてから鏡越しに見える妹の肌にクラークは気付いてしまう。
嫌な予感が大岩のような塊になり頭上から降ってくるのを感じながら、あくまで平静を装うべく表情筋に力を込める。
「ネル、……こんなことを言うのは悪いと先に謝ろう。そして聞くが、本当にその騎士に挨拶をしたいだけか?」
「勿論よ。さらっと挨拶してお詫びしたらすぐに帰るから。兄さんも仕事中なのに長居されたら困るだろうし。忙しいのにごめんなさい」
「なら、どうして身嗜みにそこまで気を払い始めたんだ?」
落ち着かせたいつもの口調に、ネルからすぐの返事はなかった。
片方を結い直し終わり、反対側の三つ編みを解いたところで言われてしまった台詞に指先ごと動きが固まる。唇を結んだまま、言葉の代わりにポワっと頬が瞳と同じ桃色に変わっていく。……そう、桃色に。
最初からネルの髪はそこまで乱れていない。もともとプライドの元へ向かうまでの馬車ではマリーに整えられ、その後も騎士団演習場へ向かう馬車でも一度直した。鏡を見ても彼女の髪は人前に出るのに恥ずかしい程の乱れはない。にもかかわらず、何故彼女は髪を結び目から整え直しているのか。
騎士の話をしながらの時点で彼女の肌が紅潮し始めているのに気づいた時から、察しの良いクラークは色々と勘付けてしまっていた。決して恋多くはなかった妹だが、しかしお陰でその片鱗はよく理解している身内でもある。
十秒以上の沈黙後。片方だけ解れた髪型のまま兄へと顔ごと振り返ったネルの表情に、クラークは口の端がヒクついた。妹のそんな顔を見るのは十何年ぶりだろうかと思う。
表情だけで全てを訴えるネルに、クラークはそれ以上を追求するのはやめた。妹の恋心をからかう悪趣味は持ち合わせていない。
代わりに兄としての威厳だけを支えに、溜息を吐いてから問いを変える。
「彼は、私とお前の関係については知っているのか?」
「……ええ、ちゃんとクラーク・ダーウィンの妹って伝えたわ。学校でもセドリック王弟の護衛で見たことはあったんだけど」




