Ⅱ330.子息だった青年は想起し、
「んじゃあ兄弟、絶対後から文句言うなよ?」
「…………」
「おーいこら、返事ねぇなら承諾で良いんだな?やるぞ⁇マジでやっちゃうからな⁇燃やすなよ⁇」
さっさとしろ、と。
何かまたべらべら話しかけてきていた気がするライアーへ一言切る。半分以上聞いてなかったが、たぶんさっきと変わらねぇだろう。最初に誘ってきやがったのは自分のくせに俺様がすんなり承諾した途端、いつまでもしつこいくらい聞きやがる。大体やるもなにも実際にやるのは自分じゃねぇ分際で。
いっそライアーだったらもっと気も楽だったと、もう五度は愚痴めいたことをまた考える。お蔭でさっきまで考えていたことが頭の中で散った。
椅子に掛けたまま腹立たしさに手すりへ頬杖を突けば「動くなっつの」とうるせぇ小言が聞こえる。いつまで俺様の横に立ってやがるつもりかと思いながら景色もクソもねぇ正面を睨む。鼻にツンとくる異臭がいっそ懐かしい。
何を考えていたか、視界よりも思考に集中すればすぐにそれは見つかった。気付いた瞬間舌打ちが溢れれば、俺様の背後からも舌打ちか返された。途端にライアーが「悪いねぇ、裁判帰りで気が立ってんだよコイツ」と要らねぇ情報を持ち出しやがった。今は半分しか頭に届かなかったから聞き流してやるが。
何も言わずに消えられるよりはずっと良い。
『お忙しい中、突然の訪問をして申し訳ありませんでした。私の名前はジャンヌと─』
結局、奴はなんだったんだ。
こうして全て決着がついたように思えると、最後に到達するのはあのジャンヌのことだった。たかだか一、二週間程度の間に俺様の元をズカズカ土足で踏み入りやがった女は、未だに何故俺様の前に現れやがったのかわからない。
俺様の〝弱み〟を特殊能力で知り、ただ協力したい。その為に俺様の屋敷まで調べ出し、一度は逃げても戻ってきやがった。
未だにアンカーソンのことを騎士の親戚に告げ口をしたのが奴らだという疑惑は消えていない。あまりにも間が合い過ぎる。
もし俺様の推測通りジャンヌがあのアランとかいう親戚の騎士に告げ口をして俺様の後ろ盾を潰したとしたら、……。…………全て奴の計画通りだったのか。
少し前だったら腹立たしさと屈辱で、思い出すだけで今も黒炎が燃えたぎった。だが、ライアーが見つかった今はそういった憤りも湧かせようがなくなった。
腹立てたいと思っても、あれだけ荒れ狂うっていた内側が今は自分でも気味が悪いほど打ち静まり返っている。……怒れるわけがねぇ。
ライアーに会えたのは、奴の手柄だ。
『お願い。協力させて』
それだけは間違いねぇ事実だ。
ライアーを見つけ出せるなら何を引き換えにでも、それが全でも良かった。
その過程でアンカーソンごと俺様が没落するのも必要なものだったとまで今は思えてしまう。少なくとも、裏稼業共を動かせる手がある間は、あんな胡散臭いガキ三人の話なんざ耳を傾けるどころか信用する気にもなれなかった。
ライアーの情報を持っていない時点で、いくら手があると言われようとあの時の俺様より貧乏人の奴らにまともな手なんかあると思えなかった。むしろ俺様とアンカーソンの繋がりと、俺様が秘密裏にライアーを探していること両方を知ってやがった邪魔者だ。
たった一日でアンカーソンが検挙され後ろ盾と同時に資金も一瞬で見切りが付き、持っていた筈の手全てなくなったあの時の絶望感は一生忘れない。
やっとライアーを探せる糸を手繰り始めたと思ったところで、また失うのは一瞬だった。もう手がない、いっそ衛兵に捕まるくらいなら全部捨てて指名手配されてでも城下に身を眩まそうかとも考えた。資金を失おうと、下級層の住民にまた戻れば今よりも俺様自身の手では探しやすい。罪人として生きると決めて裏稼業に身を落としちまえば、ライアーを攫ったかもしれない連中にも近付けたかもしれない。
……だが、衛兵が俺様の検挙どころか詰め寄りにくる気配は妙なほどなかった。
アンカーソンしか捕まらず、気味の悪い命綱だけが残された。逃亡生活じゃ持ち歩ききれねぇ量の資金と小さな屋敷だ。まだ捕まらずに済むのなら、……ライアーを見つける数少ない手段を得られる資金と〝カレン家〟という下級でも貴族の立場は捨てきれなかった。逃亡者にはいつでもなれても、俺様じゃあの額の資金も爵位も一生得られるものじゃない。
それなら、捕まる瞬間までこの立場と資金を利用した方がと。今までそれを費やしても見つからなかったという事実に圧し潰されながらも、残された手に縋るしかなかった。俺様が捕まることなんかより、ライアーを見つけることしか考えなかった。
見苦しく遺された屋敷にしがみつき、手駒の裏稼業が逃げ出した空の部屋で次の手も何もどうすれば良いかもわからず、部屋の全部にぶつけた。
施錠した向こうにも響いただろう俺様の怒号に答える連中もいなかった。居たら居たであの時の俺様じゃ殺しかねなかった。
ジャンヌ達がまた来やがったと聞いた時も騎士に漏らしやがったのかという探りよりも、ただただ空虚がでかかった。
無尽蔵に使えた金に底が生まれ、与えられていた筈の四年という猶予が無になり果てて学校も裏稼業も唯一の情報源全てが途絶え、…………たかが庶民のガキ三人の訪問にすら「もしかすると」と縋りたくなった。
昨日の今日で俺様の元へ会いに来たのが殺されに来たわけじゃねぇのなら、嗤いに来たかもしくはライアーの有力な情報を手に来たかしか考えられない。
まだジャンヌ達に希望を見出してたわけじゃない。ただ、あの時はほんのわずかな可能性も捨てられなかった。
─ ぱちん。
奴らが部屋に来るまでの一分一秒すら、話を聞く前に殺さないよう燃やさねぇようにと自分を保つので精一杯だった。
自分で目前に手を叩いた。落ち着けと祈るように続ければ、……まだ追っても見えない面影が過り、虚しさだけが込み上げた。
昔、こうして何度も止めてくれた奴には、死ぬまでもう会えねぇのかと。
ライアーを失ってからいつの間にか出た癖に、それだけで肺が絞られた。こんなこと、自分でやったところで大して落ち着けられたこともねぇ分際で。
もうライアーを見つける手段があんなガキ三人に縋るしか残されてねぇのかというどうしようもなさで奥歯を砕きかけた。あの女と語れば語るほどライアーを諦めきれない息苦しさと最後に会った日の残像が過って視界が赤く明滅した。
喉が塞がれたような感覚と胸が針金で締められた激痛に、血も吐けそうだった。
食い縛り過ぎた歯だけじゃなく顎まで痛み、全身の熱が血の沸騰か自分の特殊能力かもわからねぇ。この先どうすればいいのかも、どうすれば正しいのかも。
ただライアーを見つけたいだけなのに、それ以外自分の立場も金もどうでも良いのに最適解が見つからない。たった一つの正解が欲しいだけで手段も問わねぇのか、それでもわからない。これ以上どうすればいいのかもわからず慟哭するしかできなくなった時だった。
『ッライアーだって‼︎貴方に会いたいに決まっているでしょう⁈』
全てが、白くなった。
赤黒かった視界も、嵐の中のようだった思考も、胸すらぽっかり空いたような感覚が空虚以外で信じられないほど軽かった。
言葉が空間を両断する瞬間をあの日初めて見た。
今まで誰にもライアーとの関係を話さなかったからか、あの女の言葉が確信のような口調だったからか。ただの慰めとは思えねぇ衝撃に、を頭から被せられたように火が消えた。
今までずっとあいつに会いたいと見つけ出したいと思っていただけだった俺様に、あれ以上の言葉はなかった。
奴が、あのライアーの方が俺様に会いたいと思っている。……そんなこと考えたことがなかった。
俺様の所為で裏稼業に追われ特殊能力もバレ、姿を消したのだから。
だがもし、本当に奴が、……奴〝も〟俺様に会いたいとこの世界の、国の、城下のどこかで今も思ってくれているのなら。その可能性がほんの僅かでもあるのなら。
『またな』
『ライアーを見つけ出す』
それだけで、もう一度立ち上がる理由になれた。
裏稼業との繋がりがなくなった以上、ジャンヌ達が俺様に提示する交換条件なんざ存在しない。
つまりは無条件で、ただ俺様の力になりたいという理由だけで協力したいと首を突っ込んでくる。裏があるとは思ったが……そんな、自分の得も損も関係なく特殊能力者のガキを裏稼業から匿おうとした馬鹿こそが俺様が探し続けていた男だと思い出した。
勝手に俺様を守って逃がした奴と似たような人種かと、そう頭が納得しかかれば自然とジャンヌの前で仮面に手が伸びた。
今まで〝そういう理由〟で仮面の下は誰にも見せることはなかった。身の回りの使用人か、俺様の能力の恐ろしさを思い知らせる為に裏稼業にかだ。
脅すか拒む以外で、この焼け爛れた半分を見せる理由がなかった。なのにあの時ジャンヌに見せようと思ったのは
願うような、試行だ。
本当にあの男と同じなのか。裏や策も自分の得もなく、ただ俺様の力になりたいなんて納得できねぇ理由で踏み込んでくる人種なのか。
それを簡単にあの場で試せるのは、ライアーが平然と見たこの爛れ一つだった。
『私が会わせてあげる』
醜い火傷を映した紫色の水晶に、信用してやることをあの時決めた。




