Ⅱ296.頤使少女は答える。
「遅い。何時間待たされたと思っている」
「……少なくとも、一時間ではないでしょうね」
目の前で憮然と佇むレイに、私は隠さず肩を落とす。
エリック副隊長の家にお邪魔して待っていてくれたアラン隊長と合流してレイの屋敷へと訪れたけれど、門を潜ること必要もなく彼に会うことができた。
当然だ、ずっと門の外で私達を待っていたのだから。
しかもご丁寧に馬車まで控えている。
私達が一本道を辿って歩いていた時点で視力が良いアーサーが「あ、待ってますね」と気づいてくれた。私が視力で捉えられた時には、馬車の扉に背中を預けたレイが腕を組んでこちらを睨んでいた。恐らく学校から帰ってからずっとここで待っていたのだろう。
自分の屋敷を指定したのに、のんびり屋敷の椅子で待つ気になれなかったらしい。
「奴の居場所は。……掴めたのか」
「ええ。アランさんが調べて下さったわ。馬車で移動すれば、そんなに掛からない筈よ」
本当は我が国の宰相殿下だけれども。
流石にそこまで言うと矛盾ができてしまうから、ここは一番尤もらしい立場にいるアラン隊長に頼る。ここまで来る間に情報を共有したアラン隊長もすぐ合わせてレイに挨拶を掛けてくれた。
よっ、と軽く笑い掛けるアラン隊長にレイも少しだけ眉を顰めつつも頭を下げた。本音はライアーを捕まえた騎士であるアラン隊長へ複雑なものもあるのだろうけれど、今は情報の大元に嫌われたくないらしい。「ありがとうございます」と淡々とした声とはいえ、敬語を話すレイの姿には私達もうっかり声が出なかった。
「話は中で聞く。行き先だけ先に教えろ」
扉を開く御者代わりの衛兵を視線で指し、レイがアラン隊長ではなく私に向けて指示をする。
やっぱりアラン隊長にはまだ指図しにくいらしい。深々と頭を下げてくる御者にも聞こえるように私から行き先を告げる。
中級層のそこを指定すれば、レイは意外そうに軽く目を開いた後すぐ顔を苦そうにした。「反対か」と小さく呟いたから、恐らく昨晩は当たりが外れてしまったのだろう。続けて私達に背中を向けると同時に舌打ちまで鳴らしてきた。
開かれた扉から一番に馬車へ乗り込むレイへ私達も順番に続く。
私からステイル、アーサー、そしてアラン隊長が最後に自分から扉を閉める。大きさの都合でギリギリ定員だった馬車は、座ると子どもの姿とはいえお互いに肩が触れそうだった。
奥の席に座るレイと向かい合わせに私が、そして彼の隣にアラン隊長とアーサー。そして私の隣にステイルが座る形で比較的に少し余裕のある幅になる。レイが「何故様の方が狭いんだ」と言わんばかりに一瞬顔を顰めた。そのまま隣のアラン隊長を盗み見たけれど、すぐにまた視線を窓へ逸らした。
行き先を聞いた御者が急ぎ馬車を動かすまで、時間もかからなかった。
馬車が発進した時点で話し始めるかと思ったレイは、それから揺れ始めても暫くは窓の外へ顔を逸らしたままだった。ちらちらと視線を配ると思えば、やはり彼が気にするのは騎士であるアラン隊長だ。
アラン隊長もそれに気付いたらしく「ん⁇」と声に出したあと、自らレイへ沈黙を破った。
「どうした?何か聞きたいことでもあるか?」
「いえ。……、……何故、今日はジャンヌ達と一緒に」
断りながら、やはり黙しきれなかったように言葉を続ける。
ちらりと瑠璃色の眼光を私に向けてきた彼は、また顔を顰めた。……そういえばさっきからずっと私に対しても横柄な態度が控えめだなと気付く。
てっきりライアーのことで頭がいっぱいだからかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
「いや〜、今日はちょうど非番でさぁ。ジャンヌ達だけじゃ心配だし付いてきた。俺と一緒じゃ困るか?」
「……いえ。そういうことでは」
さらりと話を流すアラン隊長からの鋭い指摘に、レイの表情は正直だなと思う。
目を逸らし、表情を曇らせる彼の様子は明らかに〝困る〟と言っていた。私達に対していつものように振る舞いたいけれど、アラン隊長の目があるから上手く動けないらしい。
昨晩もアラン隊長から私達に恋人ごっこを止めるように注意が入ったし、また保護者の目の前では私達をいじめられないと考えたのだろう。完全に大人に弱いいじめっ子の図だ。なんだかんだで、彼もまだ十五歳なんだなと今更思い出す。
いっそ、対レイの為に私が騎士の親戚を連れてきたのだと思われているのかもしれない。
実際はアラン隊長は非番でもなく任務中だし、同行してくれたのはレイと面識も私達と表向きの関係もあるお陰で一番適役だったからだけれど。何はともあれ、私達にとっては本当にアラン隊長の存在がありがたい。今だけはこのまま虎の威を借りさせてもらおう。
このままレイからの横柄攻撃を受けずにライアーのもとへ辿り着ければと思いながら、レイにどこからライアーの事情を話すか考える。
その間にもアラン隊長は気軽な様子でレイに投げかける。
「昨夜はあのあと、ちゃんと家に居たか?」
「はい。……ご面倒をお掛け致しました。あの時はアラン隊長や騎士様のお陰で危うく助かりました」
いや寧ろ危うく助かったのは焼き尽くされずに済んだ裏稼業達の方だけれども‼︎
心の中でそう叫びながら、唇を絞る。レイと裏稼業が諍い中にアラン隊長達が助けに入った、としか知らない筈の私達がティアラの予知の内容を語るわけにはいかない。
けろりと偽るレイにアラン隊長も全く気にせず「いや、俺も衛兵に引き渡しただけだし」と軽く言葉を返した。
何の気もない会話だったけれど、お陰で少し話しやすくなったのかレイは視線を落としてからぐっと上げるようにアラン隊長へ再び顔を向けた。
「ッジャンヌから、聞きました。ライアーを捕らえたのは……」
「あー、俺俺。っていうか正確には騎士数人がかりでとっ捕まえた中に俺がいたってだけの話だけど」
言わなかったっけ?と簡単に認めるアラン隊長にレイの目が僅かに大きく開かれる。
目の前の騎士がライアーを捕まえた張本人であるとあっさり認められて逆に戸惑いが強まったようだ。最初に話した時も一度はアラン隊長に悪態づいていたくらいだもの。
「いや〜、あいつすげぇ強いな。お前と知り合いの時からあんなだったのか?」
「はい。………………ムカつくほどに」
言葉を整えて頷いたレイが、最後の一言は独り言のように小さかった。
視線を落とし、力なく落としていた手で拳を握る。僅かに震えているように見えるのはきっと気のせいじゃないだろう。
顔ごと俯け、仮面に隠されていない方の顔も表情が見えなくなった。
どうした?とアラン隊長が尋ねてくれたけれど、今度は一言もそれには返さなかった。数十秒の沈黙の後、馬車がガタリと一度大きく揺れるのと合わせて目が覚めたように芸術的な仮面を付けた顔を上げる。いつもの憮然とした表情を最初から真っ直ぐと私へ向けてきた。
「……ジャンヌ。お前の口から聞かせろ。奴は、ライアーは今まで何をしていた?」
敢えて情報源である筈のアラン隊長ではなく私に聞いてくるあたり、やっぱりまだ強く出れないのだなと思う。
レイの真っ直ぐな視線に頷いた私は、そこでゆっくりと口を動かす。ジルベール宰相から聞いた事情をこの場でもう一度振り返る。
「ライアーは釈放されたあと保護観察下の元、城に紹介された家畜商の元で働いているわ」
「は……?!あの男がか⁈」
ガタン、と思わずといった様子で席から立ち上がったレイが馬車を揺らした。
うっかり頭を天井にぶつけていたけれど、本人は気にしない。それよりも私の発言が信じられないというように目を皿にしてこちらを見た。
家畜商……つまりは、家畜の仲買人のことだ。農家から買い取った家畜を引き取り、世話をしながら生肉業者に売りつけるのがざっくりとした仕事でもある。城から紹介されたその職場でライアーは、今も変わらず働いているらしい。
彼が与えられているのは稼ぎの良い仕事とはお世辞にもいえないけれど、それでも城から紹介された文にメリットもある。
「本当にライアーか⁈城からの命令程度であいつがそんなところにいる理由がない‼︎」
「住み込みで働いているの。最低限度の生活は保証されたという意味では悪くない仕事よ」
信じられないと言わんばかりに声を荒げる彼へ、水をかぶせるように冷した声で返す。
その途端、ぐっと肩を硬らせた彼は一度言葉を詰まらせた。ライアーのそれまでの生活の一端に想像もできれば、更にはその前の生活をよく知っている彼には嫌でも納得できる理由だったのだろう。じわりと鈍く顔を歪めた彼は、またゆっくりと席に腰を下ろした。
「見つからないわけだ……、クソッ。昔より随分と良い生活しやがって」
グシャリと前髪を掻き上げ、歯を食いしばる。
苛立たしげなその表情は怒りにも、そしてどこか安堵しているようにも見えた。今まで探し続けていた彼が普通に働いていると聞けば、当然とも言える反応だ。
それからすぐ気を取り直すように掻き上げていた髪を耳にかけた。フン、と音に出しながら窓枠に頰杖をついて笑ってみせる。この場で取り乱すのを隠すような、歪な笑いをこちらに向けた。
「俺様がこうしている間も、奴は暢気におもしろ可笑しく生活していたというわけだ!そういう性根は変わってねぇ」
……それはどうかしら。
思わず私は相槌も打てず黙り込む。
視線だけを配ってみればアーサー達も同意見のようだ。ゲームの設定を知らない彼らも、ジルベール宰相が話してくれた彼の事情は把握している。
ライアーが我が国へ戻ってきたのはたった数ヶ月前。……それまでは、期間こそわからなくても彼は国外に囚われていた。何ヶ月か、何年か……。短くない時間を間違いなく彼は苦しんできた。それに、奴隷被害者がその後にどうなっていることが多いかも私達は知っている。きっと、……この場で知らないのはレイだけだ。
だけど、それを決まっていない内から指摘することは無責任過ぎる。レイとライアーの最後の別れ方を考えれば、余計に。
「……だが、感謝はしてやる」
ぼそっ、と呟く声は一瞬空耳かと思った。
私達が沈黙だけを返す中、彼の呟きはうっすらとだけ馬車の音にかき消されずに済んだ。私達の誰とも目を合わせず、窓の外へ視線を逃したままの彼の表情は画面に隠されて正面に座る私にしか見えない。
「本当に、その男がライアーだったら。……その時は、よくやったと褒めてやる」
ぼやきのような小さく微かな声は、今の彼が精一杯できる強がりと感謝だと、それだけは私にもわかった。
遠い眼差しを外に投げながら、その表情は今までになく大人しい。どこか哀しげな、けれど希望を宿した彼の心の内側はきっと誰にもわからない。
口を動かさず、僅かに開いたままになるレイへ「他に聞きたいことは?」と尋ねれば「ない」と短い返事だけだった。今までみたいな会話を拒絶するという意味ではなく、本当に無いのだろう。
「奴に、直接聞く。…………生きていて良かった……」
その言葉に、胸が痛くなる。
彼にとって間違いない本心であると同時に、もしかしたら私が思っていた以上に残酷な事実が待っているかもしれないと思うから。
両手で胸を押さえ、下唇を噛む。
それからレイを見つめ続けても、言葉も、視線も窓から動かさず静かなままだった。景色が見慣れたものから中級層へと変わっていくのを眺めながら、目が遠い。
〝遅い〟も〝馬鹿が〟も、俺様とも言わない彼の横顔は年相応の十五歳のものだった。……いや、もっと幼いものかもしれない。だってレイにとってライアーは恩人で、代えのきかない大事な人だ。
─ ガタンッガタガタッ……
そうして、馬車は。




