そして肩を落とす。
「騎士団長に報告と相談。そうですね?ジャンヌ」
「…………はい」
校門へと歩きながら、ピンと糸でも張ったように背筋が伸びてしまう。
本当にゴメンナサイ、と城に帰ったら謝り倒さないといけない上、騎士団長にも更なるご迷惑事案が発生したことを静かに受け入れる。もうアムレットへ招待を受けてしまった時から覚悟していたけれど、やはりこう叱られるとどうにも胃が縮む。ただでさえ今はステイル達にレイのことで色々と迷惑をかけているところなのに。自分で決めたこととはいえ、肩が重みで丸くなりながら校門へと辿り着く。
お待たせしてごめんなさいと謝った私達に、エリック副隊長がすぐに声色を抑えて私達を見比べた。
「……なにか、あったか?」
的確なその問いに、ステイルが「後で話します」と一言切って先を促した。
今から策を練るようにぶつぶつと「いっそ……、それにちょうど……」と低い声で呟くステイルに、彼側の肩が勝手に上がってしまう。
視界の隅では馬車前のアラン隊長も何か察したかのように半笑いで横目に私達を見ていた。
校門から帰路へと歩きながら、十メートル以上は気まずい空気が流れる。もう生徒はいないとはいえ、いつもの人気のない道までは下手に話すわけにもいかずに自然と沈黙が流れてしまう。
すると肩を落とし続ける私を見かねてか、ステイルが不意に「ところで」といつもの声調で呼びかけてくれた。
「先ほどから握っているそれは、もしや」
その言葉に、ずっと右手に握り続けていた物の存在を思い出す。
あ、と声を漏らしてから胸の前に持ち上げるとアーサーも「できたンすね」とやっぱりいつもの調子で覗きこんでくれた。エリック副隊長も気になるように視線をこちらに落としてくれる。
三人に見せるように四つ折りにしていたそれを二つ折りまで広げた。ネル先生から貰った素敵なデザインの方ではない、こちらは普通の刺繍だ。
「ハンカチに刺繍をしたの。先生のお陰で上手にできたわ」
というか、先生が縫ってくれた同然だけれども。やっぱり壊滅的な裁縫技術はバレたくなくて、その部分は飲み込ませてもらう。
刺繍ですか、とエリック副隊長も興味深そうに言葉を返してくれる。王族が縫い物なんてそれこそ物珍しさもあるから余計に気になるのかもしれない。
見ても良いっすか、とアーサーが首を伸ばしてきたから、私からも笑顔で返す。本当は見せたくて堪らなかったなんて恥ずかしくて言えない。
「先生が縫うのは何でも良いって言ってくれたから、それならと思って」
一部だけ針以上の大穴が空いてしまってはいるけれど、ネル先生のお陰でちゃんと綺麗な刺繍ができるとわかったら折角の一生に一度できるかわからない記念の刺繍はこれにしたいと思った。
二つ降りからとうとうヒラリと広げてみせたハンカチで、穴をバレないように指でこっそり押さえて隠す。そのまま刺繍部分を三人に見せるように両手に取った。
私の実力では到底できない細い糸での綺麗な刺繍と、綴ったその文字を三人とも丸い目で読み込んでくれる。
〝ジャンヌ〟〝フィリップ〟〝ジャック〟
「ね、上手にできたでしょう?」
先生がやったような筆記体ではないにしろ、今世初挑戦としても良い出来だと思う。
私一人の仮名だけは寂しいけど、ステイルとアーサー二人の名前を並べたら刺繍している間も凄く嬉しい気持ちになれた。ラスボスの呪いさえなければ本気で私も刺繍に嵌まってしまったかもしれないと思うくらいには。
少なくともアムレットはあの様子だときっと選択授業で裁縫は取るのだろうなと思う。退室する時には私と一緒で大事に完成品を握り閉めていたもの。
補習中の気持ちを思いだし、晴れたように胸を張って三人を見返す。特にアーサーにはこれで刺繍苦手意識はさておき、下手であるという汚名は返上できたかなと期待を込めて視線を向ければ
「…………~っ……」
「……ほんっとに………」
……何故かアーサーとステイル揃って茹だっていた。
口をぽっかり開けたまま固まっているアーサーは、目だけがハンカチに刺さるように食い入ったまま顔から湯気が出ている。その隣のステイルも手の甲で口元を押さえながら、眉を寄せて私から火照った顔を逸らしていた。言葉もないアーサーに対し、なんだかステイルは怒っているかのような声だから若干へこみたくなる。……名前の刺繍が上手にできたくらいではしゃぐ十九歳が恥ずかしかったのだろうか。
確かに本当は私の実年齢にもなればもっと高度な刺繍ができて当然だし、むしろこの程度でドヤ顔されても困るかもしれない。それでも、ラスボスの呪いを知っている私にとっては奇跡の改心の出来だったから流石に落ち込む。
エリック副隊長だけが微笑ましそうな笑顔で「とてもお上手ですね」と言ってくれて、倍は胸に沁みた。エリック副隊長本当に優しい。
「ありがとうございます」とうっかり潤みそうになりながら感謝を込めて目を合わせて笑顔を返せば、半泣きになりかけたのからかエリック副隊長の肩が揺れた。王族を泣かせるのに焦ったか、緊張で少し顔を赤らめながら「だな?」と促すようにアーサーの肩に手を置いている。
先輩からのフォロー促しにアーサーの肩が激しく上下した。「はいッ!!」の声が若干裏返る。
「あのッすっげー嬉し……ッお上手だと!思います‼︎初めてなのに、本当に!」
「!ふふっありがとう。励ましでも嬉しいわ」
力一杯拳を握って大袈裟くらいに言ってくれるアーサーが面白くて、肩の力が抜けて笑ってしまう。
口元を隠しながら笑いを堪えていると、その間もさっきの呆れを取り戻そうとするように「いえ!本ッ当に‼︎」と力いっぱい言ってくれて嬉しくなる。
よくよく考えればアーサーの方が料理もできるし、きっと裁縫とかも自分である程度はできちゃうんだろうなと思う。それこそこれくらいの刺繍は楽勝なのだろう。
昔、団服のボタンが解れかけていたのを発見した時にも侍女に付け直して貰おうかと提案したら「自分で付けるンで大丈夫です」と断られたこともあったもの。……聖騎士様よりも女子力で負けている第一王女、と思うとちょっと凹む。
「~っ……ほんっ……に、……な、ことをされると……」
力一杯褒めてくれるアーサーの隣で、ステイルは口元を押さえるどころか今は俯いて頭を痛そうに片手で抱えていた。
グシャッと柔らかな黒髪を乱しながらブツブツと呟いている。
ステイル?と尋ねてみると、ギッ!と久々に強めに睨まれた。思わず身体ごと跳ねそうになる中、眉間に皺こそ刻んでいるもののその眼差しはいつものステイルだったことにほっとする。
いまだに大人げない姉への恥ずかしさで顔は赤いけれど、それでも露わにされた口元とその表情を見ると、怒ってはいないようで自然と私の顔が緩んだ。
「っ怒るに怒れないではありませんか……っ……~」
ちょっと情けない表情を見せてくれたステイルは、どうやらさっき睨んだのも顔に力が入っていただけだったらしい。怒っていたのではなく、緩みそうなのを誤魔化そうとしていた顔だ。
怒るに怒れないとはどういうことだろうと思っていると、またぽつぽつと力なく独り言のように「アムレットの部屋訪問はまだ済んだわけではありませんからね……」と念押しのような言葉が顔ごと逸らされながら零された。
刺繍で調子に乗ったことじゃなくてそっちの方かとやっと納得する。そして
「名前は、……ありがとうございます……」
顔を背けたままの消え入りそうな声に、アーサーも思い切り首を縦に振って同意してくれた。
恥ずかしかったのは私の胸張りではなく、名前を羅列されたことだったらしいとやっと気付く。
確かに仲良しの子同士ではりきって名前羅列なんて、十四歳どころか本当に子どもみたいなことをやったなという自覚はある。けれど、最終的にはしゃいだ件に関してはアーサーもステイルも許してくれたようでほっとする。
胸を小さく撫で下ろし、私の方を向いていないステイルへ笑んで返した。「勝手に名前を使っちゃってごめんなさいね」と謝ると、「それは、……別に」とまた小さな声だけが返ってきた。
「………………騎士団長への報告は、俺からちゃんとしますからね」
「ええ、わかってるわ。……あ。それでエリック副隊長」
まだ顔を向けてくれないステイルに一言返してから、エリック副隊長へまた視線を上げる。
今日の任務では、ギルクリスト家に帰った後も暫くエリック副隊長にはそのまま待機して貰うことになっている。本人的にはその間に家の人達をなんとか理由をつけてせめてリビングには誰もいないようにしたいらしい。確かに私達の事情を考えるとその方がありがたいけれども。
急に振られるとは思わなかったのか、エリック副隊長は何でしょうかと返してくれながら両眉を上げた。ついさっき子どもみたいにはしゃいでしまった後に言いにくいとは思いながら、自分への苦笑を噛み殺して私はハンカチをもう一度広げて見せる。
「もし良かったら、お世話になっているギルクリスト家のお母様にこちらを贈っても」
「「「駄目です‼︎‼︎」」」
……全力で却下された。
美味しいクッキーのお返しに、を言うまでもなく却下され、肩が落ちる。
そっぽを向いていたステイルが顔を向けてくれたのは嬉しいけれど、よく出来ていると褒めてくれた筈のアーサーとエリック副隊長にまで却下されたのはちょっと悲しい。やっぱりあくまで素人にしては程度で、贈物としては失礼レベルということだろうか。……十四歳だし、母の日くらいの感覚補正で手製品なら喜んで貰えるかなと思った私が甘かった。
ちょうど三人の名前入りだし、私達三人からの感謝の気持ちという意味にもなって良いかなと思ったのだけれども。
「いえ!あのっ……折角初めて刺繍されたものですし、あまりにも勿体ないかと……!お気遣いは本当にありがたいのですが、本当にそこまでして頂かなくてもお気持ちだけで充分ですので……‼︎」
「俺も‼︎ッそれはとっておいて欲しいっつーか……その、やっぱ折角の力作ですし、ティ……妹、さんとかもきっとジャンヌの力作なら見たいと思いますし!」
「ギルクリスト家の方々には俺が全責任をもって自然且つ相応のお返しを考えますから‼︎」
いえそれも……!とエリック副隊長が直後にステイルへ言葉を返す中、なんだか私は落ち込みすぎて頭が垂れてしまう。
取り敢えず勿体ないから取っておきなさいということなのだろうけれども、私としても手放すのが惜しいくらいの物だったからこそ日頃感謝しているギルクリスト家の方に気持ちを込めて贈りたかった。まさか自分が惜しむ前に三人から満場一致で不合格を言い渡されるなんて。
ゆらゆらと落ち込み過ぎて背中まで丸くなりながら、その後の帰路ではエリック副隊長にアムレットのことを話す余裕もなかった。
ステイル達もステイル達で全力却下したことを補うように「ロッテ達もきっと褒めてくれるでしょう」「いや本当にお上手なんすけど‼︎」「せめて正体をご存じの方に贈られた方が……」と私へのフォローで忙しくなってしまった。
……ティアラに癒やされたい。
そう思いながら、私はそっと自分作のハンカチも服の中にしまった。
上げて上げての壮絶な急転直下の駄目出しをされた後で、ネル先生の素敵な刺繍を見せびらかすのはまだ気が引けた。




