Ⅱ273.頤使少女は肩を落とし、
「遅くまでありがとうございました!失礼します」
無事補習を終え、戸締まりをするネル先生よりも一足先に私とアムレットは被服室を後にした。
気が向いたら是非選択の授業で取ってねと言ってくれたネル先生は、退室前に頭を下げた時は微笑んで手を振ってくれた。最初から最後まで女神過ぎる先生に心から感謝しつつ、私達は扉を閉じた。
「ジャンヌ、お疲れ様です。無事終わりましたか?」
それにアムレットも、と。廊下に出てすぐに私達に声を掛けてくれたのはアーサーだ。
被服室の扉から横に数歩離れた位置で目立たないように待っていてくれたらしい。背後にはアムレットからなるべく死角になるような位置にステイルも控えていた。相も変わらずアムレットが傍にいると口数が少ない。けれど、アムレット本人も気にしないようにアーサーへ笑みを返してくれた。
「ごめんね、ジャンヌを長く引き留めちゃって」
「アムレットは悪くないわ。私こそごめんなさい。つい先生と話が弾んじゃって」
弾む?と目を丸くするアーサーに、私は「あとで話すわ」と今から顔を綻んだ。
服の中にしまったハンカチとそして手に四つ折りにして握った物両方を、早く二人に自慢したくて仕方がない。アムレットもふふっと笑いを零すものだから、そのままお互い顔を見合わせて笑い合う。本当に学生に戻ったような気分だ。
すると、急に思い出したようにアムレットが「あ」と声を漏らした。何か忘れ物でもしたのかなと見返すと、ちらりとステイルとアーサーに目を向けてから私を覗いてくる。
「ジャンヌこの後に予定は?」
「ええ、ちょっと。でも今からなら充分間に合うから」
今日の予定はここで終わらない。
夕暮れ時にはまだ遠いから安心だけれど、これから城に帰ってすぐに身支度を調えないとと頭の中で段取りを考える。今から帰れば、ちゃんとジルベール宰相との打ち合わせの時間も取れるだろう。
アムレットは少なくとも今は寮暮らしだし、なら帰ったら勉強だろうかと思いながら見返すと、彼女からは「そっか……」とちょっとだけ覇気のない声が返ってきた。どこか残念そうなその様子に私も首を捻ってしまう。被服の補修中はあんなに楽しそうだったのに。
「どうかした?もしかして何か悩みごととか……」
「!あっ、うん。ごめんね、なんでもないの。気をつけて帰ってね」
慌てて否定した後、ゆるやかに目が泳いだ。
あきらかに遠慮して言いにくそうな様子に、心配になってしまう。ゲームでも似たような台詞を聞いたことがあるなとぼんやり思えば、確か攻略対象者に聞きたいことがあって上手く切り出せなかった時の台詞だ。
肩も僅かに力が入って、葛藤しているようにも見える彼女に私から歩み寄る。ステイルは関わりたくない相手だということは理解しているけれど、私個人にとっては大事な友達だ。
「話なら聞くわ。何か聞きたいことがあるなら遠慮しないで」
「…………うん」
小さい音と共に、頷いたアムレットはそこで一度目を伏せた。
唇を結んでまだ悩んでいる様子の彼女は、一度深く呼吸をしてからまた私と目を合わせてくれる。チラッと真っ直ぐ朱色の瞳と目が合い、傍に控えているアーサーとステイルも急かすことなく彼女が言い出すのを見守ってくれた。そしてゆっくりとアムレットの口が開かれる。
「……明日、……ううん今週とかでも良いの。実はジャンヌに二人だけでちょっと相談したいことがあって、だから放課後……私の部屋に遊びに来てくれる……?」
まるで告白前かのようにお淑やかな声でのお誘いに、思わず口が開いてしまう。
二人だけ?私と⁇アムレットの部屋に⁇⁇
私が庶民だったらなんとも嬉しいお招きだと思いながら、意を決したような真剣なアムレットから目を離せない。
色々とこちらの事情とアムレットの眼差しに、一瞬だけ頭の中が凄まじい速さで演算処理される。
彼女への笑顔を保ったまま、傍から二人分の息を止める音が聞こえた。私の判断を待っている三人分の視線に熱を感じながらも、高速処理した頭で決議する。
学校内とはいえ女子寮、そして私とアムレット二人だけ。つまりステイルとアーサーを連れていくことは不可能。私の護衛形態としては難しい。……けれど。
「ッええ、わかったわ。ちょっと予定がわからないから急になっちゃうかもしれないけれど、なんとか都合つけてみるわ」
「本当⁈ありがとう!」
二人分の息を引き音と、そしてパッと輝くアムレットの笑顔と声が同時に五感から伝わってくる。
お互い片手は塞がったまま、アムレットが両手で私の手をきゅっと包み、満面の笑顔で感謝してくれる。「本当に嬉しい」と温かな天使の笑顔を向けられてもう前言撤回はできないぞと自分に言い聞かせる。
アムレットからのお誘いだもの、と返しながらなんだかティアラの感覚で頭を撫でたくなってしまう。
「あと、……このことは秘密にしてくれる?ディオスとクロイは知ってるけど、パウエルとかには……」
お願い、と上目遣いで望まれれば「ええ勿論」しか残されない。
そういえば以前にもファーナム兄弟が教室に現れる前に何かアムレットが言いかけたことがあったなと思い出す。もしかしてあの時から私を部屋にお招きしたいと思ってくれたのだろうか。その前から部屋に遊びに来てのお誘い事態はあったもの。
どちらにしても、そんなここではできないような重大な相談事を私にしてくれるのは嬉しい。それに第二作目主人公でもあるアムレットの相談事であれば、もしかしたらもう一人の攻略対象者への手がかりになるかもしれない。ちょっと護衛には確実に迷惑をかけてしまうけれど、ここはやっぱり受けておくのが正しい筈‼︎‼︎
そのまま何度もお礼を言って目を輝かせてくれるアムレットと高等部の校舎を出て、寮と校門への分岐点までは一緒に歩く。寮への方向で立ち止まったアムレットは「今週いつでも良いから!」と言いながら最後に手を振ってくれた。
「引き留めちゃってごめんね!ジャックとバーナーズも気をつけて!」
じゃあね!と、春風のようなさわやかな笑顔を浮かべて女子寮へと駆け足で去って行った。
私も手を振り返し、彼女が帰宅方向を向くまではそのまま見送った。完全に背中を向け、彼女の姿が小さくなっていくと背後のステイルだけでなく一緒に手を振ってくれたアーサーからも溜息が洩れた。
ハァ、と。
もうその息だけで二人のご意見は痛いほどわかる私は思わず振り返るのも躊躇した。あはは……と、零しながら視線を逃がすように校門を見ればエリック副隊長とそしてセドリックの馬車もそこに居た。
流石に待たせすぎてしまった所為でセドリックは馬車に控えることにしたらしい。確かに生徒が誰も下校していない中で王族一人が立ちっぱなしは守衛の騎士の目にも妙に映ってしまう。料理の補習よりも随分待たせてしまったのだと、改めて申し訳なくなった。
私達に気が付いたエリック副隊長と、そして馬車の前で待ってくれていたアラン隊長、そしてさっきまで私達をこっそり護衛してくれていたであろうハリソン副隊長がいま姿を現した。
「どうなさるのですか……。女子寮は男子禁制ですよ……?しかも、アムレットと二人きりなど……」
「部屋さえわかりゃあハリソンさんなら張れなくはねぇですけど……」
背後から掛けられる二人の低めた声にヒッと思わず肩が上下する。……うん、わかってる。
私の護衛には最低一人か二人は護衛の騎士をつけないといけない。部屋の間取りさえわかれば騎士であるアーサー達ならこっそり潜むことも可能ではあるだろう。
ただし女子寮の誰にも気付かれず、且つ男性である彼らの存在すら隠さないといけない。確実に苦労をかけるのは明白だ。
けれど、やっぱりあそこでアムレットからの誘いを断るわけにもいかなかった。せめて放課後じゃなくて深夜だったら、もっと彼らも身を潜めやすかったのだろうけれども。
男子禁制の女子寮で身を潜ませての護衛の難易度は恐らく今までの比ではないだろう。寮内のどこに立っていても確実に目立つに怪しまれるのだから。アムレットに気付かれず護衛して貰う方法としては、年齢操作と女装でもして忍び込んでもらうか、もしくはー……。
「騎士団長に報告と相談。そうですね?ジャンヌ」
「…………はい」
窘めるようなステイルの潜めた声に、私も許しを請う余地はなかった。




