Ⅱ272.頤使少女は願った。
「あら、じゃあアムレットは将来城で働くの?凄いわ」
「まだ目標なだけで……。私、勉強しか取り柄がないから」
添えられたネル先生の手が、アムレットの縫い針を動かす。
向かい会った状態で補助を受けているアムレットは、今はのんびりとネル先生をお話しながら刺繍をする余裕がある。気まずさを感じさせないようにと配慮か、それともお話好きなのかネル先生との他愛のない話は自然とアムレットだけでなく隣に座る私の方の力も抜いてくれた。
そんなことないわ、充分立派、と私とネル先生で返せば、アムレットも照れるように顔がほころんだ。女神と天使のコラボが目の前で繰り広げられていて、なんとも幸せな気持ちになる。……というか、裁縫逆チートの呪縛から解放されたのがきっと私は大きい。
今は針も布も机に下ろしているけれど、アムレットが終わったら次は私がネル先生に正面二人羽織をやってもらえる。布を無駄にすることもなければ、針で怪我することもない。なんて素晴らしいことだろう。
「お兄さんもアムレットを大事に思ってるからこそ過保護になっちゃうのよ。私もアムレットの気持ちすごくわかるわ。けれど唯一の家族だもの」
「過保護過ぎるんです。今はなんとか寮暮らしになって私から兄離れできたから良いですけど、もうこっちは十四なのに……」
「もっと大人になったらお兄さんの気持ちもわかるようになるわよ」
ふふっ、と微笑ましく笑うネル先生は見事大人の余裕だ。ぷんぷんと怒るアムレットが年相応の子どもらしく見えてくる。
そうでしょうか、とちょっとだけ眉を寄せるアムレットもそれ以上ネル先生に言い返せない。お互い手だけが順調に刺繍を進めてくれている。アムレット・エフロンと自分の名前を刺繍することに決めた彼女は、もうちょっとで家名まで進みそうだ。
本当にこの講師先生、優秀だなと何度も思う。ゲームのモブキャラチートとはいえ、正面からちょっと手を貸すだけでこんなにもすいすい縫えるようになるなんて。横から見ているだけだと本当にネル先生が軽い補助しているだけにしか見えない。手を離してもアムレット一人で完成できそうに見えてしまう。
ついつい二人の手元を凝視してしまうと、視線の熱が伝わってしまったのか気が付いたように先生がこちらに視線を配った。「もうちょっと待ってね」と楽しそうに微笑まれて、まるで待ちきれなくなった子どもみたいな扱いに恥ずかしくなる。
いえ!と慌てて伸びかけていた首を戻して姿勢を正すと、誤魔化すように話題を投げて逃げてしまう。
「ネル先生って本当にすごいなと思って。特殊能力……じゃないですよね?こんなに教えるのも上手なんて、やっぱりプラデストの先生って優秀な人ばかりなんだなって」
「あら、ありがとう」
ぱちり、と目を軽く開いた後また可愛らしく笑ってくれるネル先生は、笑い方が何となくロッテにも似ているなと思う。
お世辞でも嬉しいわ、と言いながら手だけは一向にするするとアムレットの刺繍を進ませる。実際本当に凄いと思うし、ジルベール宰相が選んだ精鋭揃いなのだから優秀なのも当然だ。
こんな優秀な講師がよくゲームでも現実でも収集できたなと思う。先生は「特殊能力者じゃないわよ」と続けてから軽く肩を竦めてみせた。
「もともとロウバイ王国の刺繍職人なの。……でも、そこでもフリージアでも刺繍職人としては上手くいかなくて最終的に職員募集に飛び乗っただけ。刺繍以外も服とか人形とか色々他店に置かせてもらってはいるけど……」
売れ行きは全然。だから凄いとかじゃない、恥ずかしいくらいと。そう続ける先生は苦笑気味に眉を垂らした。
ロウバイ王国?とアムレットが首を捻れば、簡単に説明してくれる。
私も知っている、フリージア王国の同盟国だ。アネモネ王国よりも更にずっと小さい小国だ。フリージア王国とまぁまぁ距離が近いのと、国力が弱いこともあって古くからフリージア王国と同盟を結んでいる国の一つでもある。まぁ昔は戦争できないくらいの小国くらいしか特殊能力者の国として恐れられていたフリージアと同盟をすんなり結んでくれなかっただけだけど。
隣国であるアネモネ王国だって関係こそ古いけれど、同盟を結べたのはここ十年ほど前のことだ。伝統の民族衣装とか刺繍、他にも工芸品が盛んで有名でもある。
アムレットが説明を聞いて「すごい!」と目を輝かせたけれど、先生はそんなそんなと謙遜するばかりだ。やっと免許皆伝で服の刺繍やデザインを売りだそうにも民族衣装を重視しているロウバイ王国では全く振るわなかったらしい。ならばフリージア王国でと城下で売ろうにも、こちらはこちらで当然ながらロウバイ王国より材料費の物価も高いし、普段着としては自国に馴染みがないデザインの服を買ってくれる人も滅多にいなかったと。
「家もやっぱり気まずいし、またお金を貯めたら今度は隣国のアネモネ王国にでも行ってみるわ。あっちなら色んな国との交易も盛んだから馴染みのないものにも寛容だろうし」
……なんだか、我が国がごめんなさい。
仕方ないといえば仕方ないのだけれど、何とも民の貴重な一意見として申し訳なくなる。確かにレオンが貿易を回すアネモネ王国ならたとえ民族衣装系だとしても懐が深いしきっと売れるだろう。
私もティアラと一緒にアネモネ王国の服屋に行ったことはあるけれど、あそこも奇抜だけど未だに大賑わいらしい。一応我が国もアネモネ王国と盛んに貿易を行っているから他国の文化にも柔軟な国民性のつもりではあったのだけれど……流行りものとかになると難しいんだなと思う。お土産ならまだしも、普段着となると特に。
女性の服なんてそれこそ〝自分が気に入る〟も大事だけれど、それ以上に〝周囲に良く見られる〟が重視されるもの。
少なくとも我が国で他国の民族衣装を着る人は滅多にいない。前世みたいに、老若男女が好きなものを好きに着ていた時代って素晴らしい。
そう思うとアネモネ王国は多種多様の個性も受け入れているなと改めて関心する。我が国もまだまだ改善すべきところがあると痛感する。心の中で今からレオンにネル先生をよろしくお願いしますと、嫁に出す母親のような気持ちで祈ってしまう。
「……早く、お金が貯まるといいですね」
「ありがとう。卒業前にジャンヌやアムレットに会えなくなっちゃうかもしれないのは残念だけど」
絞り出した言葉に、ネル先生が明るく笑ってくれるのが色々胸に痛い。
アムレットはさておき私はあと二週間もしない内に学校を去ってしまうし、本当ならアネモネ王国と言わず我が国でその夢を叶えてくれれば一番なのに。でもこればかりは柔軟な国民性でアネモネ王国に完敗だし、こんなに腕が良い素敵な腕利きがアネモネ王国に移住してしまうのも何だか悲しいと悔しい。それに刺繍だって本当にとってもとっても素敵で可愛……、……あれ?
「…………あの、ネル先生?」
ふと、気が付いたことに自分でも目が丸くなるのがわかる。
なんとも気が抜けた声で呼びかければ、ちょうどアムレットの刺繍も最後の一文字を終えるところだった。なに?と優しく返してくれたネル先生の横顔を見つめながら、私はもの凄く根本敵なことを思い出す。ずっとロウバイ王国って言われた時から頭が固まっちゃっていたけれど、確かこの人……。
「その、売ろうと思っていたデザインや刺繍……今お持ちですか?」
「?ええ、もちろんよ。授業以外はずっとここで作業しているから」
すんなりと返してくれた先生はポケットから見覚えのあるワッペンを片手で取り出して見せてくれた。
私の破れたスカートを補修してくれた時に見た、可愛らしい刺繍達だ。補習を終えたアムレットが「私も是非見たいです!」とワッペンに声を上げた後、目をきらきらさせて応戦してくれた。
私も全力で頷き、自分の補習よりも今は先にこの人の他の作品をと前のめる。私達の要望に快諾してくれたネル先生は、一度席を立つと教卓の横に置いていた大きなトランクを転がしてきてくれた。ご婦人が引っ越し作業とかで使う用にも似ているけれど、恐らく衣装を持ち運ぶ用のものだ。もう既に期待が膨らむ中、うっかり喉を鳴らしてしまう。
「先に行っておくけれど、こっちはあくまで〝売れる用〟の物だから……二人の趣味に合うかわからないけれど」
前もってそう言いながらトランクをガチャリと開けてくれる先生に、私もアムレットも示し合わせたように同時に席を立つ。
ネル先生の謙遜に心の準備もちゃんとしながら、それでもあの服の刺繍を思い出すと自分の勘を信じたくなる。先生がトランクをパッカリと開ける時にはもう私とアムレットも先生側に並んでいた。
使い古されたであろうトランクを前に、掘り出した宝箱が開かれるような気分で待てばその中身が姿を現した。十着はあるであろうきちんと畳まれた衣服、そして刺繍の施されたハンカチを前に先生は一番上に重ねられていた庶民向けのワンピースを広げて見せてくれた。
軽くはためかせるだけでふわりと綺麗に広がった服には、全体的にロウバイ王国伝統とも違う彼女のオリジナルであろう刺繍が施されている。照れたように笑いながら「全部こんな感じ」と言って見せてくれる先生の手のそれに私は、
─ きっっっっっっっ……れい……‼︎‼︎‼︎
悲鳴を上げそうになる。もちろん、嬉しい意味で。
ここで叫んだら確実にステイルとアーサーが勘違いして駆け込んできてしまうと口の中を噛んで堪えるけれど、力を入れすぎてプルプル震えてしまった。
横でアムレットが「すごい綺麗!」と声を上げた中、私も悲鳴の代わりにぶんぶんと頷いてしまう。本当に本当に可愛い‼︎というか贔屓目抜きで私の好みドストライクだ。
見せてくれた刺繍は、可愛らしいだけじゃなく民族衣装というよりも芸術品みたいな美しさを併せ持っていた。
この世界の人には確かに馴染みが薄いとは思うけれど、綿と麻の生地に縫い込まれた繊細なかつ緻密なレース刺繍は胸ときめくものがあった。
上級層が好むような注目の為にレースや刺繍ががっつりに多色が重ねるように縫い込まれたものではなく、どちらかというとシンプルな色合いだ。そういう意味ではレオンに連れて行って貰った服屋さんとは対象的とも言えるかもしれない。
レースをあしらっていても全然派手じゃない。様々な種類の花をモチーフにしたものが多くて、どれも凄い洗練されたデザインだ。布と刺繍糸もどれも相性が考えられていて、本当にネル先生の人柄が表れる一品だと思う。
あの時のワッペンともまた違うタッチだけど、前世なら女性に大人気なデザインに違いない。そして私も例に漏れずこういうデザインがすっっっっごく好きだ。
いつも着ているドレスも好きだけれど、それとはまた別系統で間違いなく好みだ。明らかに感動が顔に出てしまっている私に、もっと見せてくれようと服を皺ができないように持って渡してくれるけれどなんかもう手に持つのも畏れ多い。硝子工芸を渡されるような気持ちでおっかなびっくりに指が震えてしまう。
「どれもすごく素敵です先生!私だったら絶対買うのに!」
「ありがとう。アムレットがそう言ってくれると私も頑張ろうと思えるわ」
別のワンピースを丁重に持って眺めるアムレットの言葉を素直に受け取りながら、ネル先生の眉は少し下がっていた。
お世辞とは思っていないのだろうけれど、万人受けしないのも事実ということに肩を落としているのだろう。
確かに、この服は我が国……というか、庶民にとってお洒落の代表格とされる貴族や王族の着る系統とは違う。キラキラしたレースやこれでもかと重ねられた刺繍、人目を引きつける色使いこそがお洒落だ。美しい刺繍なのに、全体的にはシンプルな印象も拭えないからどうしても大人の女性達は手に取るか躊躇ってしまうのもわかる。
しかもアムレットが一体いくらくらいのお値段なのかと聞けば、わりと平均よりは高めのお値段だった。
……正直、この繊細なデザインの技術料と手間賃を入れたらもっと高くても良いくらいと思うけれど、中級層くらいの女性が〝好き〟と思うだけで買うには敷居が高いだろう。現にアムレットも値段を言われた途端、肩が上下して顔まで強張っていた。彼女にとっても大金に違いない。
「高いのはわかってるんだけどね、でも自分が作った物の価値は自分だけでも認めてあげたいから」
トランクからまた別のドレスを、大事そうに手に取る先生はちょっとだけ悲しげに微笑んだ。
確かに材料費だけ考えて安くすれば、きっともっと買ってくれる人もいるだろう。けれど、物を作る人にとって自分のデザインという付加価値はすごい重い存在だ。……前世でも、そういうことをわかってなくてハンドメイド品を高すぎるとか値下げしろという人が色々と問題になっていたことを思い出す。
あれは完全人災だけれど、やっぱりデザインと値段って芸術の世界で生きる人にとっては一度は降りかかる試練なのだろうか。……けれど。
「でも一応買って貰えるように、こういうハンカチとかも売っているのよ。こっちは服と比べればまだ」
「ネル先生」
両手のドレスを床に付けないように留意しながら、私は言葉を決める。
ちょうどヒラヒラとまた手に取って見せてくれた華やかなレース刺繍のハンカチと先生を目に、力を込めて見つめる。
きょとん、と自然と強い口調になってしまった私を不思議そうに見返すネル先生は首を傾けた。アムレットも大きく瞬きして私を見つめている。
二人の視線に私も目がギラギラしそうなのを誤魔化すようににっこりと意識的に笑んで見せた。完全に興奮が先立ったことを反省しながら、彼女に投げかける。
「そのハンカチ……、試作品とも良いので一枚お借りできませんか?」
「?ええ、大事にしてくれるなら良いけれど。……どうかした?」
声が低くならないように注意しながら、私の実年齢よりお姉さんではあろう若き才能の塊をロックオンする。
やっぱり思った通りだった。私のスカートにすらあんな素敵な刺繍を施した張本人のネル先生のセンスが悪いわけがない。しかも見てみれば民族衣装独特の癖もなく古めかしくもない、土産よりも本当にお洒落重視の刺繍。ロウバイ王国と我が国のエッセンスが綺麗に融合されている。そして私好みの綺麗でシンプルかつ華やかなデザイン。民族衣装の国という響きに誤って見逃すところだった。ネル先生がアネモネ王国へ移住してしまう前で良かった。
「私の知り合いに、すごく刺繍や縫い物が好きな人がいて……ぜひその人にも先生の作品を見せてあげたいんです」
「!ならこれとかどうかしら?」
そう言ってパッと目を輝かせてくれたネル先生は、一枚の刺繍を服のポケットから取り出した。まだハンカチに仕上げる前だったのか、布自体の形は出来上がっていなかったけれど美しく繊細なレース刺繍が二つ施されている。うん、これもすごく素敵だ。
両手に抱えていたドレスを慎重にネル先生に返却し、代わりにその刺繍を預かる。
「練習用にやってみただけの試作品で悪いけれど……これなら貰ってくれて構わないわ」
「ありがとうございます、充分です」
アムレットも一枚いる?と、そう言ってネル先生がまた同じようにヒラリと刺繍が施された一枚の布を彼女に差し出した。
良いんですか⁈と嬉しそうに春風のようなさわやかな笑顔を浮かべたアムレットが、同じように抱えた服と交換でそれを受け取った。喜ぶアムレットに、にこにこと笑顔を浮かべたネル先生は商品でもある服を一枚一枚丁寧にまた畳み始めた。是非ともその服は今後の為にも継続して大事に保管して頂きたい。
「こっちには刺繍の話ができる相手がいなくて寂しかったから、そのジャンヌの知り合いともぜひ話をしてみたいわ。その人は服飾関係で働いている人?」
「いいえ、侍女です」
嘘偽りない言葉に、私は心からの笑みで答えた。
ごめんなさい、レオン。やっぱりこの人はアネモネ王国には譲れません。
民の憧れやお洒落の基準は、貴族や〝王族〟の衣装で決まる。そして貴族は王族の披露するドレスを最先端として絶対に見逃さない。
今後、ネル先生の答え次第だけれども〝そう〟なればきっと必然的に彼女は我が国で手放せない存在になるだろう。少なくとも私個人は手放したくない。そして彼女がもし、それを本心から望んでくれた時は絶対に。
─ 特権フル活用させて頂きます……‼︎
素敵過ぎる刺繍を大事に服の中へ仕舞った私は、改めて補習及びネル先生との刺繍作業へと入った。
できることなら、このままこの女神様とのご関係が末永~~く続きますようにと心から願いながら。
地獄の補習が一転、女神との出会いに繋がった。
汕頭




