Ⅱ268.頤使少女は詰め寄られる。
「……やっぱり見つからないわ……」
はぁ……、と憂鬱げな溜息を吐いたプライドは教室へ戻りながら肩を落とした。
三限終了後、クラスメイトに囲まれる前にとすぐ教室を飛び出し二度目の攻略対象者探しへ向かったプライド達だったが、今回も収穫はなかった。
今回は一限後ではなく三限前として、教室に登校していない生徒はいない。現に、前回教室を覗いた時には見覚えのなかった生徒も確かに居た。しかし、今日確認した二年生の教室にはそれらしい記憶に引っかかる人物もいなかった。
一年、二年、三年生と既に一学年ごとに攻略対象者を発見できているいま、余計にもう一人が絞りにくいのが現状だった。
今回は三人の食時間を確保する為にも同学年の教室を一つ確認するだけで済ませたプライドだが、このペースで見つかるのかしらと少し不安になる。アムレットとファーナム兄弟を確認できた時点で中等部に絞れたと思って悠長にしすぎたかもしれないと今更ながら反省する。無駄にしたつもりはなかったが、それでも結果としていまだに残りの攻略対象者を思い出してすらいない。
他のクラスで見つかる可能性も勿論ある。それでも見落とすかもしくは学校に入学すらしていなかった場合、残された可能性は学校各所にあるイベントエリアか、既に出会えた第二作目の登場人物から記憶の蔓を手繰るのみ。
屋上はカラムが今日職員室で許可を取ってくれる手筈だと振り返りながら、それでも何も思い出せなかったら後は最終決戦の場でもある理事長室ぐらいだろうかと考える。
しかし一度第一王女として訪れた時は何も思い出さなかった。何度もやったゲームの大まかな流れこそ覚えていたから最終決戦の場ではあると思ったがそれだけだ。その最終決戦に深く関わるレイのことすら思い出せなかった。
主人公のアムレット、そしてファーナム兄弟とは充分に関わってきていまだにレイやラスボス以外の攻略対象者は思い出せない。
ならば残る記憶を刺激してくれる可能性があるのはネイトとレイ。そして未だ遭遇していないラスボスの三人のみ。少なくともライアー以外のモブキャラで思い出すのも無理だろうと考える。そしてネイトやレイともルートは思い出したが、それ以外のキャラは全く記憶に引っかからない。
ルートは思い出せ、その上で実際に会ってはいない登場人物はと思い出せば一人の女性が頭に浮かんだ。確実にもう一人の攻略対象者とも何らかの関わりを持っている人物。しかし、彼女の居場所もまたわからない。少なくとも今まで攻略者同様に見つからず、そして全校生徒名簿にも彼女らしき名はなかった。
……あの子は、レイさえいなければラスボスの位置にすら立てない筈だけれども。
ゲームではその前からネイトを害していたのも事実。だが、ゲーム開始時のような横暴は彼女一人では不可能でもある。
同じ人探しならここはやはりライアーを優先的にと頭を整理しながら、次の一手を考える。ライアーを見つけたところで他の攻略対象者に繋がる自信がない今、こうしてライアーを見つけた後のことも考えなければならない。悠長にしていれば、レイはゲームのように行方を晦ましてしまう。
「ごめんなさいね、二人とも。食事よりも折角こっちを優先してくれたのに」
「いえ俺は、別に……」
「平気です……」
しおらしく謝罪するプライドに、ステイルとアーサーもまた線の細い返事しか返せない。
三限終了時から授業前とは打って変わって鎮まりきったままの彼らにプライドは一人首を捻る。落ち込んでいるようでもなければ、怒っている様子でもない二人は今も自分から目を合わせてくれない。しかし、尋ねても「なんでもありません」「頭が冷えただけです」「気にしないで下さい」の一点張りである二人にそれ以上しつこく聞くことも躊躇われた。
今も明らかに様子のおかしい二人の先頭に立ち、再び戻った教室から自分達の席へと促した。実際、彼らはレイへの怒りも今は考える余裕すら消えていた。
『レイを三人に加えろと言われたら』
授業中何度も何度も頭を鐘のように鳴らし、頭を一瞬で凍らせ直後に再沸騰させられた。
授業中もずっと彼女に顔を見せることもできず必死に堪えていた彼らだが、ほんの一限で思考がまとまるわけもなかった。
プライドは婚約者候補三人に自分達以外を入れるのが嫌なのか、単にレイだから嫌という意味なのか、やっぱり婚約者候補はちゃんと彼女なりに選んでくれた結果なのか、そうか自分は婚約者候補なのかと邪推と実感が入り混じり溶けきることはなかった。
彼女の言葉が強烈過ぎて顔を見ただけで舌が痺れてしまうほど。一体何故自分がこんなにも心臓が煩く鳴るのか、考えてしまうのかすらもうわからない。
プライドにとっては当然のことを言ったまでのものだったが、本物の婚約者候補である二人には、聞き流すことができるわけもなかった。もしいま自分達がその三人に含まれていることを知らなければ、彼女のあの言葉に確実に胸を締め付けられていたことさえも気づいていない。
「ジャンヌ!ねぇ何処行ってたの⁈もしかしてさっきの恋人に会いにいってた⁈」
自分達の席へ戻れば、プライドの恐れた通り女子生徒が何人も待ち構えてた。
また少し離れた先には、既に女子の話から二限前に何が起こったのかを知ってしまった男子生徒まで何気なく距離を詰めていた。あくまでその近くの席に座する男友達と話しに来たという建前で、確実に彼女達の声に耳を傾ける。
クラスメイト殆ど全員からの注目に、プライドは一人苦笑いをしてしまう。
ちょっと座ってもいいかしら、ご飯食べながらでも?と彼女らに確認を取りながら席に着く。サンドウィッチをそれぞれ食べ残した分から齧り付く。一個サンドウィッチが残っていたステイルも、半分を食べかけだったプライドも、二個丸々食べていなかったアーサーもそれぞれが口を噤む理由を探すように窓を全開にした教室で食事に逃げた。レイの条件下では、まだレイと恋人という誤解を否定することは許されない。
一体いつから、本当なの?いくつも似たような問いを矢継ぎ早に重ねられながらも曖昧な返事しか返せない。
サンドウィッチの残り半分を食べきり、やっと明確に言えたことは最初と同じ「今は言えないの、ごめんなさい」だけだった。
生徒達からすれば、貴族相手だからこそ公式にはまだ言えない関係なのかと疑念が強まるだけだった。たとえ否定されても疑ってしまう彼らの頭には、もうその言葉すら確証に近くなる。しかも彼女の傍にいる二人までもが今は無言なのだから。ここまで行けば、いっそ肯定されたと考えるのも年頃の彼女らには自然な流れだった。
「どうしてあの人⁈確かに格好良いし、貴族だけどすっごく性格悪かったよ⁈」
「ジャンヌああいう人が良いの⁈」
「お金目当てだけじゃ幸せになれないからね⁈」
「顔は良いけど‼︎‼︎」
「もしかして脅されているの⁈」
あまりにも飛躍された問いにとうとうプライドも枯れた笑いを零してしまう。
あはは……と、喉がカラつきながら広角を引きつらせる。見事に金が理由でなければ付き合うわけがないと思われる程度には、レイは既に彼女達からの評判も落としているのだなと考える。完全に自業自得の身から出た錆だった。
否定したいが、どれも返せばレイとの関係自体を正直に否定することになることは明白だった。しかも脅迫というのは間違ってもいない。
まさかレイからの嫌がらせと、そして今後彼に協力〝させて貰う〟為に恋人の名札を付けられているのだと言えるわけもない。自分で言葉にしても意味がわからない状況だとプライドも自覚はしている。
返事もできず、乾いた笑みと一音の相槌だけで返し続けるプライドに、女子の一人がふと思いついたように声をあげた。完全な創作といっても良いほどの飛躍が言葉となってプライドへ襲い掛かる。
「もしかしてジャンヌの初恋の人に似ているとか?」
……どうしてそうなるのだろう。
ゴフッ、ゲホッ、ガタガタッ‼︎と二人分の咳き込む音と、複数人の男子生徒まで机ごと前のめる音が重なる中、プライドは静かにそう思った。
あまりにも突飛すぎると思いながら、やっと肩を竦めて笑う。自分が否定しないあまり、情報がどんどん尾鰭がついて怪物化していると思いながら今度ばかりは首を振って明確に「違うわ」と答えた。そういえば以前もディオスやクロイ達と似たような話題を少ししたなと思い出す。
まさか十四歳の子ども相手にそんな話題を二度も触れることになるとは思わなかった。
「全く似ていないし寧ろ正反対よ。そんな理由で好きな人を選んだりもしないわ」
むしろ、少なくとも〝目の前の彼女達が知るだけのレイ〟は今も昔も自分のタイプとはかけ離れていると思う。
自分は恋愛イベントとは隔絶された人生を二度も送っていると考えるプライドは、こんな話をするのもむず痒く気恥ずかしい。ヘレネのようにあっさりと流してくれればと直後に願ったが、当然そういうわけもなかった。
じゃあどんな人が好み⁈と言われれば、以前彼女達の一部にも答えたことがある「私の家を乗っ取ろうとしたり部下を見捨てたり私へ嘘の好意をぶつけたり私の大事な人を傷付けたりしない人」と返したが、そうすれば余計に彼女達の疑念が色濃くなる。そこまで性格重視なら、何故レイを選ぶのかが誰もわからない。
「……そういえばジャンヌ、前にフィリップとジャックは好みじゃないって言ってたよね?」
また別の女子生徒が以前の帰りがけの話題を思い出す。
その時二人が頭をぶつけて落ち込んだことを思い出し、口を近付けて声を潜ませた言葉は、幸いにも既に頭がいっぱいいっぱいだったステイルにもアーサーにも届かなかった。
ええそうね、と当時二人をそれで怒らせたことを思い出し、プライドも極限まで下げた声と頷きで返す。そこまで確認を取れた女子生徒は、近付けていた顔を元の位置まで離し、ひと息吐く。この続きは聞かれても問題ないと頭で確認してから思い浮かんだ疑問を投げかける。
「じゃあ、ジャンヌの初恋とフィリップとジャックは全然違うの⁇」
「………………………………」
カチン、と急激に今度はプライドが固まった。
笑顔の形のまま急激に固定された顔の筋肉は、マネキンのようにそのまま維持された。とんでもない問いかけに再び咳き込んだステイルとアーサーも、今度はプライドの返事がすぐにないことが気になり小さく盗み見る。明らかに動揺を露わにする彼女を二度見してから今度は顔ごと上げて目を丸くした。
カチンと固まったプライドは、脳内こそ忙しいものの十秒以上沈黙を貫いてからやっと唇を動かした。
絞り出されたのは彼女達の期待したものではなかった。
「……ごめんなさい、その……、もともと初恋というようなものじゃなくてただ格好良いなぁと思っただけでね?私、…………」
初恋はまだなんです。とは、言えない。
それを言えばそのままやはりレイとの関係を否定することになる。
まるで砂でも飲んだように湿り気を失った喉で、息だけがすり切れた。あまりにも強張りきった表情に、それが図星かその逆かはアーサーにすら読めない。しかし、彼女の言い回しからきっと今絞り出した言葉自体は真実なのだろうと、ステイルとアーサーは長年の経験で理解した。……それだけは。
あまりにも地雷を踏んだかのように言葉を詰まらせるジャンヌに、囲んでいた女子生徒達も掛ける言葉を失う。
口を開けるが安易に声も出せず、気まずさから目配せし合いこれはどういう戸惑いかと互いに顔色だけで尋ね合うがやはりわからない。それから間もなく四限目の予鈴が鳴るまで、この教室だけは妙に静け続けていた。
「なんか、……ごめんね」
教師が訪れた直後、最後の質問を投げてしまった女子生徒からの辿々しい謝罪を皮切りに全員がその場を解散した。
本来、第一王女相手に上級貴族すら尋ねることを許されない高等な質問を連写し続けた女子生徒達もまた、席へと戻っていく。
席に残された彼女らは、最後まで食べきれなかった分をリュックに戻して授業に向き直った。ステイルとアーサーだけでなくプライドまで無言に二人と目も合わせられなくなった姿はまるで葬式だ。
誰だ一体、と。
ステイル、アーサーだけでなく話に耳を傾けていた生徒全員の心が一つになった瞬間でもあった。
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