Ⅱ260.頤使少女は待たれ、
「………………えぇ」
思わず声が漏れる。
極秘視察終了まで十日を切った今、ネイトと別れて自分達の教室に辿り着いた私達は、扉の前で立ち尽くしてしまった。
もう廊下を歩いている時点で色々おかしかった。毎日それなりに賑わっている生徒達だけど、今回はざわつきが違った。いつもより廊下に出ている生徒が多いし、しかも二年の階になった途端に人口密度も増えて、私達のクラス前は特にそれが顕著だった。
階段を登り切ったあたりからは「ジャンヌ!」「来た!」「あいつか⁉︎」とクラスの子達や聞きつけた他クラスの生徒にも注目を浴びてしまった。お陰で教室に辿り着く前には一体なにがどうなったのかも知ることができた。
もう聞いた時から〝まさか〟の一言だったけれど、三人揃って顔色を変え向かえば本当にまさかのまさかだった。
私達の教室。そして私達が座ることの多い、最後列の窓際ど真ん中に、彼がいた。
私達より遥かに生徒達の注目を浴びた彼は、脚を組み本を片手に寛ぎ、全員の注目なんて野菜だと言わんばかりに頬杖を突いていた。こちらに気付いた途端、フンと鼻を鳴らした彼は騒めきの中でも響く声で私達へと言い放つ。
「遅い。この俺様を待たせるとは何様のつもりだ?」
パタンと読み途中の本を片手で閉じ、この上なく上から目線でそう言い放った。
レイだ。まさかの昨日の今日で自ら足を運んでくれたらしいレイは、顔を左半分だけ隠した芸術的な仮面の下から私達を睨んだ。どこまでもふてぶてしい態度は初対面の頃と一緒だ。
まぁ確かに向こうは仮にもカレン家という貴族でかたや私達は庶民、しかも協力させて貰っている側だ。……まるで昨日の大事件なんてなかったと言わんばかりの態度だけれど、こうして会いに来てくれたということが何よりの変化だと思う。
どうやって私達のクラスをと思ったけれど、理事長権限を持っていた彼なら生徒名簿程度は持っていて当然だろう。まさか権限没収されてから悪用されるとは思わなかった。
「……もう来てくれたんですね」
取り敢えず俺様な態度は置いといて、そう投げ掛ければレイは閉じた本を落とすように机に置いた。三つ横に並んだ机で、真ん中のそこは私の席だから退いて欲しいのが正直な感想だ。恐らくクラスの子達に私はどこだとかいつもの席はとか聞いたのだろう。
彼の前まで歩み寄れば、私達三人分のリュックを背負ったアーサーが、窓際の席に荷物を置きながらレイへ視線を固定した。ステイルも警戒するように睨みながら眼鏡の黒縁を押さえつける。
一歩引いて周囲からレイを見張っている生徒達が、まるで彼の取り巻きかのように錯覚してしまう。それくらいに彼は、一人異彩を放っていた。
周囲が響めくのも当然だ。彼がいつもいるのは三年よりさらに上階にある特別教室。つまりは貴族や上級層が所属するクラスだ。それに対してここは庶民や中級層、下級層の生徒ばかり。もう服装からして違い過ぎる。
もともと服には気を使うのかそれともアンカーソンが仕立てさせていたのか、彼の服装はあきらかに貴族が着る上等な衣服だ。しかもレイは元々の美形の印象を上書きするほどに、芸術的な仮面で余計に目立つ。
少なくとも中等部の特別教室の仮面を被った生徒なんて彼くらいだし、そうでなくても貴族だろうとそんな格好の人は極少人数だ。
一目で特別クラスとわかる彼の出立に、当然ながら周囲の感想は「どうしてここに⁈」の一つだろう。しかも、彼が指名するのは色々と既に問題児の私だ。騒然とするに決まっている。
「約束していた物は用意した。あとはお前らの意見から聞かせて貰おうか」
今から⁈
言ってしまいそうなのを喉の奥で飲み込む。いや確かにすぐ動いてくれるのはありがたい、ありがたいけれども!まさか朝一で自分からやってきてくれるとは思わなかった。
これから一年教室からまた見て回ろうと思っていた私達は完全に出鼻を挫かれる。既にキースさんやネイトと話して少し時間を押しちゃった今、時計を見ればなんとも微妙な残り時間だった。
けれどここで折角持ってきてくれたのに今は駄目なんて失礼過ぎる。昨日の今日で協力を名乗り出た方である私からお断りなんて!
「……わかりました」
溜息を吐きたい気持ちをぐっと抑え、飲み込む。
私が座りたい席をレイが占拠している為、アーサーが譲ってくれようと椅子を引いた。ありがたく席を借りた私は、ちょこんと椅子に掛けて彼に向き直る。
憮然とした態度で頬杖を突くレイは、暫くは冷め切った眼差しで私を凝視し続けていた。まるで受験で面接を受けているような居心地の悪さは完全な値踏みだ。座らせたくせに何も渡そうともせず、じっと私を睨むレイに私からも睨み返す。
なんですか、と強気に言ってやりたくもなったけれど、それでも昨日までのあの敵意や怒りが籠もった眼差しはもうない。両膝に置いた手で拳をぎゅっと作れば、自然と肩が上がってしまう。ざわざわと数歩離れた先でレイと私の圧迫面接を眺めている子達も声が静かになっていく。
たっぷり三分以上の沈黙後、レイは一度だけ息を吐いてから懐に手を入れた。ガサリと取り出されたのは、数十枚はあるであろう厚めの紙束だ。
そこで初めて人目を気にするように視線を配ると、束を裏向きにして私に突きつけた。
「例の件について、俺様が知る限りの情報だ。他の人間には見せないように読め。そこの取り巻きは許してやる」
そう言って顎だけでステイルとアーサーを交互に指した。
取り巻きって……いつの間にか最初は交渉相手と思われていた筈のステイルが、今や取り巻きにされていると今さら気付く。まぁ私も色々大見得切ってしまったし、彼の怒りを最初に買ったのも私だから無理もないだろう。
折角庇ってくれていたステイルに申し訳ないと肩身が狭く感じつつ、そっと彼がくれた紙の束を他の生徒に見られないように開いた。ステイルとアーサーも私の壁になるように左右に立ちながら一緒に覗き込む。
「今は時間が無い。先ずは三枚目から確認しろ」
何故最初からではなく?と思いながらも、レイの指示通りに開く。
最初の一頁目はパッと見ただけだけだと、今までもヴァルやステイルが聞き出したような基本情報だけが並べられていた。二枚目は飛ばし、三枚目を開けば彼の言いたいことを理解する。
人相書きだ。突然目に入った大きな情報源にステイルとアーサーも小さく息を漏らす。誰に描かせたのかはわからないけれど、ゲームのライアーとなかなかよく似ている。髪型の違いと雰囲気や若干若い顔のような気もするけれど、レイが最後に別れた時の年齢を考えれば妥当だろう。
背後に流す伸びた髪に無精髭。鋭い垂れ目としゅっとした輪郭と首に筋肉質な身体が胸上まで描かれている。指名手配のようなタッチだから、もしかしたら裏稼業のそういう筋の人に描かせたのかもしれない。
その所為か、これだけ見たら確実に百人が百人探し人ではなく指名手配犯と思う仕様だ。そして間違いなく前世の記憶にある第二作目のライヤーの顔である。……まぁ、本人がゲームで〝そういう〟キャラだから仕方ないけれども。
レイが出逢った時はこんな顔していたんだなぁと思う。やっぱり髪型とかで印象も変わる。ゲームではレイの顔が語られる過去の場面ではシルエットばかりで顔が見えないようにされてたし、顔がお披露目されるのはゲームの開始後だ。
「どうだ、見覚えはあるか?」
レイの問い掛けに先ず私が首を横に振る。
前世の記憶でこそ覚えはあるけれど、今世ではない。ステイルとアーサーにも目で尋ねてみたけれど二人とも首を横に振った。残念ながら二人とも覚えがない。
せめて頬に傷やレイみたいな火傷とか、もっと大きい身体的特徴があればわかりやすかったけれど。乙女ゲームのキャラではあるから、やっぱりレイルートにしか登場しないモブキャラとはいえ顔は神絵師のお陰で整っている。無精髭がなかったらもっと素敵かもしれない。
そんなことを考えていると、溜息の音と一緒に「使えないな」と悪態が正面から零された。上目だけで見返せば、不機嫌そうにしたレイが頬杖のまま顔ごと私達から逸らしていた。まぁ確かにここで私達の誰かが見たことあると言えば、一番話しは早かった。
「因みにこれは、僕らの信用する相手でしたら見せても構いませんか?」
「裏稼業か口の軽い連中じゃなければ勝手にしろ。…………下手に特定されて人質にされたら困る」
ステイルの言葉に一刀で返すレイは、低めた声で最後に小さく舌打ちした。




