番外 騎士隊長は説く。
「皆さんも黙ってないで白状してください!一体誰がこんなっ……‼︎」
職員室に、男性の声が木霊する。
教師に用事がある生徒も足を踏み入れていたが、登校の時間帯ということもあり数は数人程度。そして、その彼らもまた男性が騒ぎ出した時からソロソロと職員室から撤退していた。お陰でいま彼が声を荒げた時にはもう教師しかいない。
生徒よりも早くに出勤している者が多い職員室では、一限に近付く今の時間帯は講師以外殆どの教師が揃っていた。彼らは往々に目配せをし合うだけで口を噤み、その男の発言を聞き続けた。しかし、〝白状〟という言葉に顔色に出さないように意識する者はいても、実際に名乗り出ようとする者はいない。
何人かの教師がやんわりと宥めようとするが、彼らと明らかに違う顔色をした男はそれで落ち着くわけもない。むしろここで有耶無耶にされてなるものかと声を荒げ続ける。
すると、不意に先ほどまでは開かれなかった職員室の扉が前触れもなく開かれた。固まっていた空気が流れるように、誰もがその変化に一度は視線を逃がす。席に着いたままの教師の中にはその姿にほっと息を吐く者もいた。
扉を開けた張本人は廊下の時点で何か騒がしいとは思ったが、てっきり生徒が騒いでいるのか程度にしか思わなかった。しかし扉を開けてみればその尋常ではない空気感と、明らかに声を荒げていた本人であろう男が自分の目を合わせた。
いつもは温厚な彼が、何故そんな顔色をしているのかと不思議に思いながら投げかける。
「エイブラム先生、どうなさったのですか?何かまた生徒か校内で問題でも……?」
騎士の特別講師カラムは、前髪を押さえながら目を僅かに丸くする。
目の前で教師達に声を荒げ続けていたのは、彼らと同じ学校教師の一人だったのだから。
エイブラムと呼ばれた教師はカラムへ振り返ったまま、釣り上げていた眉を力なく垂らした。カラム隊長……と、二限三限の間が主とはいえ、職員室に毎日訪れていた彼もまた教師達にとっては講師以上に身内のような存在だった。そして更に、彼ならば公正な意見を言ってくれるだろうとエイブラムは縋る気持ちでカラムに駆け寄った。
足にも力が上手く入らず、若干ふらつきながら手の中に握り閉めた紙と共に彼の眼前で立ち止まる。
「それがっ……、実は我が校プラデストの理事長が城から責任を問われ、辞職に追いやられまして……」
先ほどの荒げた声とは違う、いつもの柔らかな声だ。
カラムはそれを聞きながら、先日の一件を思い出す。プライドの近衛騎士でもある彼は、詳細から裏の事情も全て把握している。騎士団でもアンカーソン卿が処分を下されたことは広まっていた。
全ては話せずとも、エイブラムを落ち着かせるべくカラムも「私も騎士団でその話なら」と相づちを打つ。その途端「そうなんですよ!」とまた力一杯声を荒げられた。
血相を変えて叫ぶ彼に、まさかエイブラムまでもがその責任を問われたのかと考える。カラムの目から見ても年配で、温厚且つ真面目なその教師は全く非を唱えられるような人間ではない。ならば、騎士であり立場上プライドやジルベールとも関係を持ちやすくなっている自分ならば、力になれるかもしれないと彼は真っ直ぐに目を合わせて彼の訴えに耳を傾けた。落ち着いて下さいと彼の両肩に手を添えながら、話の続きを促す。
エイブラムの話を聞けば、アンカーソン元理事長が掴まったことは城下で噂にこそなったが、正式に城から通達されたのは今朝早朝だった。今までのように理事長室やその屋敷宛ではなく、高等部と中等部を管理するこの職員室へと届けられた。そして、朝一番に出勤することが多い教師の中でも年長であるエイブラムがその書状を受け取った。
宛名が理事長でもないその書状の中身を確認すれば、エイブラムは絶句することになった。そこにはアンカーソンの辞職と、国の上層部で行われた調査と議会で明らかにされた理事長の怠慢、そして二週間ほど前にあった王族の見学訪問が、実は理事長からの報告も何の準備もいまま出迎えたことも判明しているという旨の内容。そして
「わっ、私が〝理事長就任〟ですよ⁈校長と教頭を押しのけ!私が‼︎何かの間違いと思うでしょう⁈」
そう言ってエイブラムは先ほどから握り閉めていた紙をカラムの鼻先にあたるほどに近付けた。
城から直々に贈られたその封筒には宛先が学園理事長の名ではなく、〝エイブラム・バーク〟と記載されていた。さらには中身の書状にはアンカーソンの不祥事以外にも、エイブラムを学園理事長として就任する旨とその勤務内容や報酬など詳細が書き綴られていた。
青い顔でそれを突きつけられたカラムは、あまりの紙面の近さに首ごと顔を反らしながら手にとった。エイブラムの肩から手を離し、代わりにその書状の内容に目を通す。そこには説明の筆跡こそ代理者の字だが、最後のサインには学校創設者であるプライドと王配であるアルバートの直々の一筆まで添えられていた。
「私はお恥ずかしながらアンカーソン理事長のような貴族の出ではありません。勿論、貴族へ教鞭を振るったことは何度もありますが、だからといって校長と教頭を差し置いて……!」
「いえ……、それを言えばエセルバート校長もデクスター教頭も確か同様だと記憶しておりますが……」
「校長も教頭も私よりも遥かに経験と大勢の貴族や城で教鞭を振るわれた実績があります!」
落ち着かせるつもりが、逆に熱の籠もってしまったエイブラムにカラムは「失礼致しました」と謝罪する。
目をとうとう血走らせながら叫ぶ彼に、だから職員室中の殆どが何も言えなかったのかと理解した。今までは年歴こそ上だがあくまで彼らの同僚であったエイブラムが、王族の命の元任命され今や校長や教頭をも超える最高責任者である。そして更には、と。カラムはもう一つ、エイブラムが荒ぶり続けている理由を書状の文面を目で攫いながら理解した。
─ 〝全校教師の総意〟と厳正な審査を重ねた結果、理事長業務を任ず
総意。その言葉を前に、一体何のことかを理解したのはカラムだけではなかった。
数日前、突然城から匿名での記載を命じられたアンケート調査。主には職務での不満などを調査する者だったが、それだけではなかった。そこに記載されていたのは
〝現時点で教師の中で最も功労している者の名を記せよ〟だったのだから。
その結果、白羽の矢がエイブラムに当たったのは誰もが想像のつくことだった。つまりはこの場にいる教師もその多くが彼の名を記載したのだから。
彼らからすればてっきり優秀と記載されなかった教師から首を切られるのではないかと気を揉んだが、実際は真逆だった。しかもよりにもよって主任どころではない学校総責任者への出世を左右する投票だったなど誰も予想しなかった。しかし、法案協議会を国で初めて提案、始動させたローザ女王の娘によるものだと考えればある程度納得もできる。伯爵家であるアンカーソンが捕らえられた今、今度は現場で働く教師の意見を取り入れようという案は理にも適っている。
現に理事長が全く仕事をしない中、それでも学校が回るように尽力し続けたのは彼ら教師なのだから。そしてその教師達の目から見ても、エイブラムは最も生徒や教師、学校運営の為に一人奔走し続けていた。
「一体誰がこんなっ……私は、私は単に教師として!若い彼ら教師の手本として行動したものであって、何故よりにもよって私の名を……!誰が、こんな、何の根拠で」
だからこそ、一体誰が自分の名を書いたのかと声を荒げてしまった。
エイブラムが教師として奔走していたことは事実だが、彼自身は今更この年で昇進や権威などよりも若い教師への手本となりたいという意識が強い。年齢としても自分の教師人生最後を飾るであろうプラデストを、より良い場にするべく務め、本来の目的である〝下級層生徒・中級層生徒の学力向上と生活向上〟を崩したくもない。今まで上級層ばかりを相手に教師として働いてきたからこそ最後の人生はそういう生徒の為に使いたいと思う彼にとって、プラデストは理想の働き場所だったのだから。
自分の教師人生を使って、プラデストを今の若い教師達が担っていけるように支えたかった。自身も出勤時間より遥か早い時間から学校に訪れ、そして遅い時間まで担任を持つ教師の手伝いや助言をする。そうやって若い世代に自分のできる限りの全てを受け継がせたいと教師人生をかけた
結果、その教師達が彼を選ぶのは至極当然のことだった。
「落ち着いて下さい、エイブラム先生。私も、エイブラム先生が選ばれたのは相応しいと思います。教師の方々も、エイブラム先生ならばと指名されたのであればこれはまさに今までの功績だと……」
「いいえ!きっと単に私が一番年長者だから書いてくれただけでしょう!そうでなければ夜遅くまで書類を纏められていた教頭や、理事長の代わりに報告書を纏められていた校長が選ばれるに決まっています」
「その教頭や校長の補助を毎日されていたエイブラム先生だからこそ、選ばれたのだと私は思います。それにこちらの書状にも、早々に体制を立て直す為にも校長や教頭以外の人選が望ましいと書かれています」
混乱のままに早口で捲し立てるエイブラムの話しを最後まで聞いてから、カラムは改めて書状の一文を指し示す。いまや理事長となった彼へ対当に説得へ望めるのは彼しかいない。
プラデストは始動してからまだ一ヶ月も経っていない。そしてそれぞれ仕事を身に着け、慣れ始めているばかりなのは校長と教頭も同様だった。彼らもまた、働き始めた時期は教師達と変わらない。その職務がやっと板について来たにも関わらず、ここでそのどちらかを理事長に就任させれば理事長だけでなく校長か教頭まで新たな人材を立てなければならなくなる。だからこそ、学校について理解もあり教師達からの信頼も厚い人間を理事長とすることが決まった。
既にエイブラムが何度も信じられずに目を通し続けた文面を、カラムは言い聞かせるようにゆっくりかみ砕きながら言葉にした。だから貴方が選ばれたのです、と最後に帰結したがそれでもエイブラムは首を縦には振れなかった。
「いえ、ですが……、私のような老人ではまたすぐに引き継ぎが必要になります。カラム隊長、どうにか城に考え直して頂くようにできる方法はありませんでしょうか」
「それが最もできるのは現学園理事長の貴方です。ただ、エイブラム先生もそこまでプラデストのことを考えて下さっているのなら、これも悪い話ではないかはと。貴方がこれから理事長として次期理事長に相応しい〝後任〟を育てて下されば良いのですから」
突然の大昇進に動揺を隠せない男に、カラムは一言ひとこと彼の立場で意見する。
その言葉にやっとエイブラムも荒げる喉を休ませた。未だ心臓が落ち着かないように肩で息をする中、彼の肩にもう一度片手を置いてカラムは言い聞かす。その様子に先ほどまで押し黙り続けていた教師も手に汗握り彼の説得を見守った。
一限の時間が近づく中、どうか前理事長のような人間がまた就任する前に彼を席に着けさせて欲しいと心から願う。
「教師の方々も選んで下さった以上、協力をして下さると思います。何より貴方を信頼できるからこそ望んで下さったのですから。それに請け負わなかった場合、貴方よりも若年の教師が理事長を任されることになります。恐らく、その時にもエイブラム先生は自らその方の為に奔走して下さることになると。ならば、最初からエイブラム先生が受け終われた方が教師の負担も、勿論エイブラム先生の負担も結果的には軽減されます。それに、貴方が今まで無償で行っていた職務に見合う程度の報酬も国から保証されます」
勿論、突然の大きな責任を負うことに戸惑われる気持ちは痛いほどよくわかります、と。
そう繋げながらカラムがもう一度労えば、やっとエイブラムの呼吸がゆっくりと変わっていった。確かに、そうかもしれない、昇進という言葉に目が潰されていたが大変な仕事でもあるのだと。ならば自分がその理事長を助ければ良いと考えればそのままカラムの言葉が重なる。
どうせ手伝うことになるのなら、最初から請け負ってしまえば良い。理想の理事長を育てる。それこそプラデストを次世代に繋げる自分の教師人生における最後の大仕事だと考え直し、やっと思考が通常の彼に戻った。こくり、こくりと二度彼が頷けば、固唾を飲んで見守っていた教師達もほっと胸を撫で下ろした。
その間もカラムは繰り返すように「大丈夫です」「教師の方々もエイブラム先生を支えて下さるでしょう」「功績による当然の結果です」と優しく言葉をかけた。一度も彼から目を離さず、真摯に語りかける赤茶色の瞳へ瞬きを思い出した時には、エイブラムもやっと覚悟が決められた。
「わかりました」「ありがとうございます」と彼が就任を認める言葉を紡ぎカラムへ頭を下げれば、事態の収拾を祝うようにどこからともなく教師達の拍手が湧いた。
今までの取り乱した姿をやり直すように、小さく咳払いをしたエンブラムは、これから演説でもするかのように視線だけで一度端まで教師を見合わせた。今まで同僚だった彼らが全員部下になったことを認識しながら、彼は早速理事長として第一の仕事を彼らに放った。
「では早速、私の方から〝副〟理事長をこの場で指名させて頂きたいと思います。……ご存じの通り、私も担任を持った上に老い先短い身ですので」
城からの指令通り裏稼業関連で問題行動を起こす生徒への警戒も怠れず、私だけではとてもとてもと。
プラデスト最年長者のその言葉に、一度温まった空気が再びピタリと凍り付く。
ご安心を、あくまで補助です、負担はさせません、と語るが、誰一人顔色は青いまま変わらない。
城からのアンケートで自身も当然教師の名前を記載していたエイブラムは、既に決めていたもう一人にゆっくりと目を向けた。「次は君の番だ」と言わんばかりの眼差しに一人の教師の表情が青くなる。
そして再び、今度は副理事長に指名されたロバートへカラムが切々と二度目の説得を試みることになるのは、それから間もなくのことだった。
Ⅱ114番外.219




