Ⅱ257.頤使少女は帰り、
「良かったですね。これできちんとレイの協力も煽げますし」
屋敷を出てから数メートル歩いた後、最初にアーサーがほっとプライドへ笑い掛けた。
レイへの協力に合意を得た彼らは、無事目的を達成し帰路へと歩んでいた。
そうね、とプライドもアーサーへと笑みを返しながら首ごと向ける。自分の一歩背後を守るように引いているアーサーと目を合わせてから、少しだけ歩みを緩めた。
「ジャックは怪我とかない?今回も私達を庇ってくれたでしょう?」
「!大丈夫です‼︎全ッ然攻撃自体向けられませんでしたし、部屋飛び出した時も余計だったくらいで……」
「余計はないだろう。最終的に攻撃をされなかっただけで、いつ放火されてもおかしくなかった」
今回は見逃すまいと自分の背中を覗き込もうとしてくるプライドにアーサーが首を振れば、ステイルが窘めた。
二人からの気遣いにアーサーは思わず無傷の背中を押さえながら唇を絞る。プライドがそれでも心配そうに足を止めてまでして背中へ周り込んでくる為とうとう諦める。無抵抗に足だけ止め、怪我はありません焦げてもいませんと全身で示した。
プライドの目から見ても、服に焦げ後もないアーサーの背中は無事そのものだった。ほっと胸を撫で下ろせば、首を伸ばして同じく覗き込んでいたステイルも気付かれないように息を吐く。結局今回も身を挺して彼女と自分を庇ったのはアーサーだったなと思いながら、眼鏡の黒縁を指で押さえた。常に自分達の背後を守るアーサーの背中を確認することは、ステイルすら自然には難しい。そっと熱が残っていないことを確認するようにアーサーの背中へ手を添えるプライドの隣から、無言でバシリと昨日の火傷と別の場所を雑に叩いた。
大して痛くもないが「何しやがる」とアーサーも反射的にステイルへ顔だけで振り返る。しかしその時にはもう彼は視線を進行方向へと逸らした後だった。
舌打ちを零すアーサーと敢えて無表情を気取るステイルの様子に、きっとステイルもアーサーを心配していたのだろうなとプライドはその横顔で理解する。
「それにしても」と話を切り替えるべく口を開くステイルは、何事もなかったような落ち着いた声色で二人へ投げかけた。
「協力するだけでここまで骨を折らされるとは思いませんでした」
「言っとくけど、今回レイがキレてたのはお前の仕業でもあンだからな」
はぁやれやれと肩を落とすステイルに、アーサーが釘を刺す。
当然ながら前日にプライドがレイの怒りを買ったこともあるが、今回虫の居所が悪かったのはステイルの策が原因でもある。
アーサーからの攻撃に「ちゃんと引き留める猶予は残しただろう」と言い返すステイルだが、その後も少しだけ眉が中央に寄った。全ての後ろ盾を失い自暴自棄になっていた彼が屋敷に残り続けたのは、敢えてステイルとジルベールが彼の罪だけを後回しにしたからだ。
プライドもその言葉には苦笑しながら肩を竦めた。結果としてはレイと交渉をすることができたが、一歩間違えればレイを引き留めるよりも前に彼自身が消息を絶っていた可能性も確かにあった。金銭的後ろ盾とライアーを見つけ出す手段を損なえば、彼はカレン家にも戻らず財産全てを捨ててでも城下に行方を眩ませると。
……あの屋敷も、アンカーソンから貰ったものだものね……。
軽く歩いてきた屋敷へ首だけで振り返りながらそう考える。
アンカーソンが捕まっても譲渡された以上はレイのものだが、維持費はかかる。城下のあれだけの範囲の土地代を払い続けるのは、彼一人では難しい。
「明日には学校で会ってくれることにもなったし、これでライアーについての情報も詳しく聞かせて貰えるわね」
二人を取り持つように掛ける柔らかい声に、ステイルもアーサーも口を結んで頷いた。
レイとの交渉成立後、正式にライアーについての情報を提供されることが決まったプライドだが、それは明日にということで今は持ち帰るものもない。
レイ自身、ライアーについての情報は裏稼業に開示していたものが全てではなかった。その情報全てを提供するのなら明日に書類で纏めるとレイ自身からの提案だった。
その場で彼の口から聞くこともできたが、既に二日連続で特別外出を許されたプライド達にはゆっくり話すほどの時間は城から許されていなかった。特に謹慎中のプライドと違い公務補佐で忙しいステイルに至っては、城に帰れば早々に摂政業務補佐と王配業務補佐の仕事も積み上がっている。
そしてプライドも書類で貰えるのなら、その方が都合が良いと思う。なるべく細かい描写や情報の方が操作もしやすくなる。あくまで自分はレイとライアーのことは知っていても、ライアーの姿まで知っているわけにはいかないのだから。
自分が見た〝予知〟はあくまでライアーについてレイが吐露している場面のみ。
その後に彼は校内での悪事が判明し、城下を去ってしまったとそうステイル達に語った彼女は、ライアーの姿を知っていると言えるわけもなかった。
そしてライアーの外見をゲーム知識では知っているプライド自身、実際にライアーと会うまでは口外することもできない。三年前では姿が異なる可能性もある。
彼を見つけられるかどうかもわからない現状で安易にライアーの姿を語り違えてしまえば、予知に矛盾が生じてしまう。
「使用人の人らも安心してましたね。なんつーか……今日の人らは皆、レイのことも心配してたみたいですし」
アーサーが思い出すように視線を宙に浮かす。
プライドとステイルが再び歩き出したのに続きながら、銀縁眼鏡の蔓を両手で持ち、位置を直した。
レイとの交渉成立後は見送りもせず自室へ戻ったレイだったが、無傷でレイの部屋から戻ってきたプライド達の姿にすれ違う使用人達は全員がほっと深い安堵の息を吐いていた。
お邪魔しました、と挨拶をするプライド達に「お怪我はありませんか」「坊ちゃまは能力を使ったりなどは」「部屋で火事は」と口々にレイとプライド達の安否を確認していた。さらにその誰もが水の入ったバケツや濡らした防火性の布を抱えていたことから、彼らも自分達と同じくレイの放火を予見して控えていたことは安易に想像できた。
その一人一人を思い出しながら、確か全員が昨日レイの部屋に飛び込んでいった使用人達かなとプライドは記憶と照らし合わせる。屋敷を出れば今度は衛兵にまで、自分達が無事だったことに目を丸くしていた。
「そういやァ金がなくなっても、レイは特別教室のままでいられンのか?」
「今の段階なら可能だろう。金銭面ではなく、あくまで貴族として扱う為の特別枠だ。爵位を剥奪されたアンカーソンではなく入学時の資料のまま〝男爵家〟のカレン家としてならば特別教室に所属資格はある」
本人に辞退の意思があれば別だが、と繋げながら簡単な口ぶりでステイルはアーサーに視線を投げた。
プライドも無言で頷きながら、あくまで〝現段階では〟なのだと自分の中でも確認する。
今後彼の罪状が明らかになれば、どうなるかはわからない。学校の規則としてもそうだが、国の法としても裁かなければならない部分は出てくる。重要参考人としての立場も大きいが、それでもこの程度の罰にはなるかと頭の中で罪状を並べ立てる。しかしレイならばライアーさえ見つかればその罰全てを迷い無く受け入れることも確信できた。……そう、見つかれば。
『お前達全員、こうなる覚悟を決めておけ』
レイの言葉が鮮明に頭に響き、プライドは思わず自分の両手首をぎゅっと掴んだ。
肩を僅かに強張らせる彼女に、ステイルとアーサーも「どうしました?」と殆ど同時に声を合わせる。首を横に振って返すプライドだが、しみじみとその覚悟は決めておかなきゃなとも思う。
流石に今は顔を半分どうぞと言うつもりはないが、それでもライアーを見つけられなければそれに同等の怒りを彼からぶつけられることは免れない。安請け合いしたつもりはないが、彼にこれ以上の余罪を作らない為にも絶対にライアーを見つけようと気持ちを新たにする。
「今日も二人が傍に居てくれて本当に良かったわ。お陰で無事にレイを説得できたもの」
「いえ、……歯痒いことに俺は今回何もしていません」
「いやそれ言ったら俺も結局逃げるか盾になるかだけだったンで」
何も、と。揃って否定する二人にプライドはふふっと笑ってしまう。
眼鏡の黒縁を押さえるステイルも、首の後ろを擦って腰を低くするアーサーもそれが謙遜ですらなく本気でそう思っているのだろうなと理解する。
ステイルとアーサーからすれば、彼への説得も全てプライドに任せ、結局レイは攻撃をして来なかったという事実が強い。
ステイルにとってはあくまでプライドの補佐に徹したとはいえ、昨日のように口利きすることもなければレイへの矢面にも立てなかった。アーサーもプライドに危険が及ばない分は自分の出番が少ない方が良いと思うが、やはり早とちりして部屋の外へプライド達を連れて逃げ込んでしまったことは少し恥ずかしかった。
相変わらず謙虚過ぎる二人が子どもの姿でそう言うことに微笑ましく感じられたプライドは、ふんわりと胸が温まる。そんなことないわ、と緩やかに首を振りながら隣を歩くステイルと背後につくアーサーを後ろ歩きで見返した。
「二人が居てくれたからレイとも正面から話せたわ。二人が絶対に護ってくれるってわかっていたもの」
だから全然怖くもなかったの、と悪戯っぽく笑いかける彼女に思わず二人の足が止まり掛けた。
あまりに無邪気過ぎるその笑みが、気取らない衣服と無化粧で陽の下から向けられた。一瞬だけ彼女が王女であることを忘れてしまいそうになる。
あれほどのレイの壮絶な特殊能力を目にしておきながら一歩も怖じけずに向き合い、手を伸ばし、露わにされた火傷の頬に触れたこと全てが自分達のお陰かのように語る彼女は、まるで迎えにきてくれる事を知っていた少女のようだった。
レイの特殊能力の恐ろしさを誰よりも理解しているプライドは、それでも二人が護ってくれることに一縷も疑わなかったのだから。ステイルなら助けてくれる、アーサーなら護ってくれると思えばレイに腕を掴まれた時ですら恐れもなかった。
たとえもう、自分を粗末にしないと思えていても。
「ありがとう、二人とも。また頼りにしているわ」
口を片手で隠しながら淑女らしく笑うプライドに、止まった足がそのまま崩れかかった。
今ではもう聞き慣れた言葉の筈なのに何度でも胸を打つ。その仕草一つだけで、ただの少女だった彼女に王女としての輝きが増した。いくら着飾らずとも充分なほど愛らしく、綺麗だと十四歳の女性に思う。
うっすらと頬から染まり茫然と佇んでしまう二人に、プライドは「帰りましょう」と眩しい笑みで手を伸ばした。
くるりと向き合った体勢からちょうど二人の間に入るように並び、ステイルの手を握りアーサーと腕を組む。
すんなりと自然な動作でされてしまった二人は「なっ⁈」「は……⁈」と反応が一拍遅れた。溢れる笑みで正面を向くプライドはそのままぎゅっと二人を引き寄せるようにして腕に力を込めた。何が起こっているのかわからず瞼を無くす二人は、ふらつく足下のままプライドにぴったり横並びになる。
「ちょっ、待ってくださいプ……ジャンヌ‼︎これは!どういうっ……」
「近いです近いです‼︎っつーか見られたらやべぇですから‼︎」
事実をやっと頭が飲み込んだ瞬間、心臓が彼女に聞かれてもおかしくないほどバクバクと跳ね出した。
指を絡めきれず自分の四指を掴むように手を繋がれたステイルは、あまりの血流に途中で目が眩んだ。問い掛けながらも視線がプライドよりも握られた手にいってしまう。
子どもの頃すら手を取ることはあってもこんな風に繋ぐことなど多くはなかったというのに、まるで当然のように彼女と手を繋いでいる。一瞬夢かと本気で思った直後、アーサーだけならまだしもと別の監視の目も思い出した。振り払いたい欲求と、……折角ならちゃんと繋ぎたかったと指を組み直したくなる自分とが均等に葛藤する。結ばれた手から目が離れず、ぼわりと薄く眼鏡が曇った。
アーサーに至っては頭が燃えそうだった。彼女との物理的な距離だけでいえばステイルよりずっと近い。
ぎゅっと、以前に学校で引っ張られた時のように腕を組まれたが、あの時とは状況が全く違う。自分をその場から連れて行く為でもない今の状況に嫌でも腕の感触を鮮明に感じ取ってしまう。
人目のない通りとはいえ、第一王女とこんな風に腕を組み合う騎士などありえない。何より腕を組んだことでプライドの腕だけでなく肩近くまで身体がくっついてしまう。一瞬今度は自分が〝彼〟に殺気を向けられるのではないかとも思ったが、今のところ何も飛んではこなかった。しかし、プライドの感触と香りが近く鮮明に感じられればそれだけで心臓が破けそうなほど強く波立った。
銀縁の眼鏡がずれ、発作で死ぬと思いながらも自分の意思ではか細い腕をほどけない。
「さっきだってフィリップは握ってくれたし、ジャックもこれくらいくっついてくれたでしょう?」
おかしそうに笑うプライドは、照れる二人に隠さずその笑みを見せた。
指摘された言葉に二人も思わず肩が上下する。レイとの対峙で確かにそうしたと自分達の行いを思い返せば、今度は全身に熱が回った。プライドをいつでも瞬間移動させる為にステイルは彼女の手を握り続け、そしてアーサーも離れなかった。確かにあの時と比べれば密着度は変わらないどころか寧ろ低い。しかし、緊急時と違う今では密着する意図が全く違う。いまプライドはただ
こうしていたいから繋がっているだけなのだから。
「あとちょっとだけ。庶民なら家族同然の人とこうして歩いてみても良い筈よっ」
人に見られる前には離れるわ、と。以前のような後ろ向きな誤解も考えず、ただ純粋にそれを二人なら許してくれるだろうと思う。
人前や王女としてでは今の行為が常識外れなのはプライドもわかっている。しかし二人に護られて嬉しかった今だけは、人通りがない数十歩をジャンヌとして甘えたかった。
自分が護って貰えて嬉しかったことも感謝していることも信頼していることも、貰ったそのままの形で返したい。いつでも助けようと握ってくれたステイルの手も、護ろうと抱え込んでくれたアーサーの腕も、この上なく温かく心強かったのだから。
十四歳の姿で童心に返ったように歯を見せて笑う彼女に、ステイルもアーサーも唇を絞ったまま何も言い返せなくなった。
握られた手から目が離せず、近すぎる距離とぼやける頭に足がもつれそうになりながら、今きっと彼女は〝ジャンヌ〟として自分達と繋がってくれているのだと考える。あと数歩、人の気配を感じるまでは、あともう少しと心臓の鼓動が速すぎる時計の針のように感じながら数え続ける。
ちょっとだけ、という言葉に喉を鳴らし、そのちょっとがどれほど長くて短いかを思い知る。
……ギルクリスト家まで無人であれば良かったのに。
……極秘視察、もうちょい延びねぇかな。
人の気配に気づき、すんなりと解かれてしまった彼女の温もりが名残惜しくなったほどに。
〝姉〟としても〝王女〟としても冠の持たない彼女の無邪気な笑みが見られるのがあと数日だということに、二人はぼんやりと時間の早さを嘆いた。




