Ⅱ250.次期王妹は足を止め、
「……そろそろジルベールが戻る頃だろう。ティアラ、少し早いが休息を取ってくると良い」
「ありがとうございますっ」
父親からの許しに礼儀正しく礼をした彼女は、衛兵によって閉ざされるまで笑顔を向けた。
ゆっくり休むように、と父親であるアルバートに一言掛けられ、浮き足立つ気持ちを抑えながら早足で王配の執務室を後にした。次期王妹として、父親から直々に王配業を学んでいる最中である彼女は現時点では補佐という形で傍に付きながら王配の公務や業務を学んでいる。
この国で民と女王となる姉の為に働く王配としての職務を学べることもやり甲斐があり楽しかったが、やはり与えられた休息時間は彼女にとって一番の楽しみだったた。毎回姉であるプライドの予定に合わせて取る休息は、今では一日の内のほんのひと時である彼女との憩いの時間だ。
今日はレイの屋敷へ向かうと話していたプライド、ステイル、アーサーの外出。
プライドが学校へ潜入視察するようになってから、王配業務と合わさりプライドとの時間が減った彼女だが、同時に今まで摂政業務で忙しくプライドと一緒にいる時間が短かった兄やアーサーが三人仲良く学校に通っているという事実は嬉しかった。学校から帰ってくる度、自分は行けなくても今日はどんなことがあったのかと聞かせて貰えるだけで充分胸が弾んだ。
そして今日は学校こそないものの、レイへの説得をプライドが叶えたのか、どんなことがあったのか、進捗はあったのかとそれを聞かせて貰えるのを朝から心待ちにしていた。
早くお部屋に行かなくちゃ、と思いながらも駆けないようにだけ意識してドレスを揺らす。アルバートの執務室がある王宮から回廊を通り、同じ王居にある自分達の宮殿へと入る。
何度も行き来が慣れたその道で、王宮よりも自分達の宮殿の方が訪問者が少ない分静かだ。人の行き交う足音もそこまで耳に届かなくなってきた頃、ふと姉兄ではない話し声に耳を傾ける。
「いえ、結構です。こちらこそ突然の訪問、大変失礼を致しました。事前に使者を通さなかった私が悪い。また後日、使者に予定を窺わせることにします」
「?セドリック王弟……?」
それでは、と。頭を下げて今にも去ろうとする青年に、思わず細く声を上げてしまう。
静まりきった玄関では、階段の上から視線を落とすティアラの声は彼女が思うよりもはっきりと彼に届いた。聞き逃すわけのない彼女の鈴の音のような声にセドリックもすぐに顔を上げ、目を見開く。
衛兵によって開かれた外へ通じる扉に佇む彼は、思わず踵を返そうとしていた足を半歩だけ前に出してしまう。ティアラ、とその名を呼べば階段の上で丸くする彼女の金色の瞳と目が合った。
ぐわりと、顔の熱が上がる。あまりに不意打ち過ぎる彼女の再来に、うっかり過去の記憶が鮮明に巡り出す。発熱を堪えるように奥歯を食い縛ったセドリックはそこで言葉に詰まった。
遠目でもわかるほど顔を火照らすセドリックに、今は距離が開いているお陰か幾分いつもより冷静に迎えられたティアラは小さくだけ頬を膨らませた。いつもは自分がプライドの隣に座っていても平然としているくせに、どうしてこんな遠目でも照れ出すのかと思う。しかしこのまま挨拶だけで通り過ぎる気にもなれず、その場で足を止め手摺りに触れながら今度は通る声で投げかけた。
「どうしてこちらに居られるのですか?お姉様に何かご用でしょうか」
自分だけの用事でわざわざ来る筈もない。
それをわかっているからこそ、ティアラはそう投げかけた。出逢った頃の彼であれば自分に会いにだけでも連絡無しに呼びつけたと思うが、今の彼がそういう人間でないことはティアラもよくわかっている。……同時に、今はほんの少しだけそれが残念とも思ってしまう。
「もしかして、学校について何かありましたか?」
「!いや、そちらは全く問題ない。プライドには申し訳ないほど楽しませて貰っている。来週俺が登校不可になる日の相談と国際郵便機関の人員募集についてだ。図書館の帰りだったのでな、折角なら意見を聞かせて貰おうかと立ち寄ったのだが、やはり彼女は忙しい」
彼女から自然に話しかけて貰えたことに、うっかり舌が流暢になる。
あくまで第二王女相手として失礼にならないようにと言葉を選びながら堂々と要件を話すセドリックは、それに反して頭の中は慌ただしくなっていた。顔の火照りを抑えつけようと奥歯の代わりに拳を握り、彼女へ向けて顎を上げた。
見守っていた衛兵や侍女達も王族を玄関口、しかも外にいつまでも立たせたままにするのはと一度中へ彼を勧めた。その場で帰るつもりのセドリックだったが、使用人達に気を遣わせてしまったと勧められるまま宮殿内へと入る。扉が一度閉ざされ、外界と遮断される。
「また図書館ですか?」
話してみれば、いつもの口調で返すセドリックにティアラも少しだけ前のめりに続けてみる。
彼が以前よりフリージア王国の知識を求めて図書館に通い詰めていたことは知っていたが、今も通っているのかと少し驚いた。今や郵便統括役としての役職も公表され、国際郵便機関の指導準備と相まって学校にも通っている彼に自由時間など僅かであることはティアラも聞かすとも想像できる。
今までも色々な本を読み漁っているとプライドに話していた彼が、今度はどんなものを読んでいるのか小さな興味も湧いた。読書家である自分自身、書物自体は幼い頃からいくつも読み漁った自負がある。
ああ、とティアラからの棘の無い言葉にセドリックも一声返す。それからすぐ、まさか遊びに耽っていると思われてしまってはいないかと一瞬だけ思考に掠めた彼は身の潔白を示すように声を張った。
「フリージア王国も国内で民同士が手紙を受け渡す為に人材を雇う事業はあるだろう。我が国は小国だからこそ罷り通ったが、大国であるフリージア王国がどのようにしてそれを国から国の端まで可能にしているか歴史から遡らせて貰った。フリージアほどの規模でも可能である仕組みであれば、国際郵便機関にも充分通じるものがある」
「国際郵便機関についての仕組みは貴方にお任せする前から既にお姉様達が構築して下さった筈では……?」
「ならば余計、俺が根本から理解するべきだろう。閉ざされていたハナズオ連合王国の俺と大国フリージア王国とでは発祥から違う」
真っ直ぐと自分へ向けて燃える瞳を向けて語る彼に、ティアラは小さく息を吐く。
ちゃんとお姉様の機関を考えてくれている、と思えば笑みを向けたくもなった。しかし、きゅっと絞った唇が何も言葉を返せない。上手く続きを返そうにも、褒める言葉しか浮かばず沈黙をそこから返してしまう。
何か悪いことを言っただろうかとセドリックも合わせるように口を結ぶ中、ティアラは無言のまま止め続けた足だけを静かに一歩一歩動かした。
タン、タン、と絨毯の敷かれた床に足音が必要以上は吸われながらも二人の王族が沈黙し合う中では充分届く。遠目に佇んでセドリックを見下ろしていたティアラが、ゆっくりとではあるが階段を降りてきた。そのまま玄関口に佇む彼の正面まで歩み寄れば、セドリックの方が今度は言葉を発せなくなった。
久しく正面から相対するティアラとその蕾のような唇が視界に入った瞬間、脳内で再び自分の黒歴史と彼女からの甘い記憶が鮮明に同時再生される。顔の火照りを堪えるように、僅かに顎をティアラから反らしてしまう。
唇を絞り、顔に力が入ってしまうティアラの表情は怒っているようにも見えたが、それでもやはり愛らしい。
「…………」
「~っ、……お、王妹業の勉学は……順調、か?」
沈黙を続けるティアラに、これ以上何も言わないのは失礼と感じたセドリックが先にその口を開いた。
上擦り、絞り出した所為で枯れた声で放った言葉は王族どころか男性とは思えない弱々しい声になってしまった。しかし、今彼女に掛ける言葉がそれしかとっさに思い浮かばず、脳内再生する記憶と戦いながら放てたのはそれが精一杯だった。
沈黙を初めてしまったのは自分なのに、向こうから話しかけてくれたセドリックにティアラも口の中を飲み込んでから今度こそ返事を覚悟する。
「……はいっ。お陰で毎日とても幸せです。今もお暇を頂けたところで、これからお姉様のところに窺おうかと思っていたところです。多分、ジルベール宰相とお話中なのだと思います」
「そうか。……良かった」
フ、とティアラの最初の言葉に自然と今度は笑みが零れた。
彼女が幸せだと、その言葉を聞けただけで言いようもなく満たされる。先ほどまで顔を強張らせていたセドリックからの柔らかい笑みに思わずティアラの方が肩を強張らせた。下唇を小さく噛んで堪えたが、それでもうっかり瞳の焔から目が離せなくなる。
「どうか、プライドにも宜しく伝えてくれ。また後日、学校では宜しく頼むと。急に押し掛けてしまってすまなかった」
「!もう行かれるのですかっ?」
「……?………………??」




