そして冷や汗を垂らす。
「お怪我はありませんか?」
ステイルが私に確認してくれる中、前に出たアーサーはソファーから腰を上げたままレイを睨みつけていた。
あまりに一瞬で私とテーブルの間に移動したアーサーに、レイも少し驚いたように目を開いて彼を見返していた。一文字に結んだ唇が、阻まれるのは予想していなかったと物語っている。
「こっちはライアー探しを手伝うっつってるだけでしょう。別に脅してもいねぇし、裏稼業まで使って探してぇなら俺らが協力しても問題ないと思いますけど」
良かった、毒は入っていないようだ。
淡々とレイへ言葉を向けるアーサーの横顔を見つめながら、その一点にほっとする。手の甲で滴る部分だけ額から拭ったアーサーが最後に水滴で曇った眼鏡を一度降ろした。遮断することもない蒼い眼光がレイに向けられる。
私も慌てて服からハンカチを握りしめながらアーサーの様子を窺えば、ステイルも臨戦態勢のようにソファーから腰を上げた。まずい、このままだと本気で一戦交えることになる。
アーサーの水滴を拭いたい気持ちと、下手に動いてこれ以上レイを刺激しないようにしなきゃという危機感が身を強張らせる。
「役立たずに用はねぇ。さっさと情報源だけ吐いて消えろ。存在ごと抹消されたくなければな」
アーサーの正論も、やっぱりレイには届かない。
ハッと鼻で笑った後、顎を反らすレイは片手で指を鳴らした。
パチンッ、とその音の直後。待ちわびていたかのように勢いよく扉が開かれる。乱暴に開けられた扉が壁にぶつかる音と同時に、ドタドタと客間を埋め尽くすほどの人数が雪崩れ込んできた。
部屋の外に複数が控えていることには気付いていたけれど、これだけの数がいたなんてと思わず口が開いてしまう。屋敷の周りにいた守衛はたった一人なのに対し、こちらは数十人だ。どうみても外と内との釣り合いがとれていない。しかも外の守衛と違って、こちらは全員がどう見ても衛兵ではない裏稼業らしい風貌だった。
たかが一般人三人に対し大袈裟過ぎるとも思ってしまう数の波に、自分の目が丸くなっていくのを感じる。脅しにしてもこの数は大人げない。しかも半数以上が刃物まで構えている。一気に貴族の客間から暴力団のど真ん中に早変わりだ。
ニヤニヤと私達を馬鹿にするように笑う男や子ども相手にも容赦しないと言わんばかりに冷たい眼差しで睨んでくる男達まで全員が雇い主であるレイの味方だ。
「どうする?素直に吐くか?それとも先にお前達が消えるか?俺様はどちらでも構わねぇがな」
彼らを従えたまま絶対優位の笑みを浮かべ、ソファー上で頬杖を突く体勢を変えない彼は完全に親玉だ。
学校に裏稼業を潜入させたことよりも、子ども三人に裏稼業の大人で脅迫した方がよっぽど問題だ。少なくとも私の前世だったら確実にこの時点で有罪だ。まだ武器を突きつけられてこそいないだけマシだろうか。
交渉が決裂した状況に肩を落としながら、私は顔を一度俯ける。本当にこの人手段選ばない。相手が私達じゃなかったら無事で帰れても完全にトラウマものだ。
「……ジャンヌ。ここは一度引きましょうか」
私の前に立ちながら、声を潜めて投げかけるステイルに私も息を吐く。
彼の中でもこの状況は交渉決裂に間違いないらしい。少しでも私達に有用性を感じ取ってくれれば、私達を〝利用〟する形でも協力してくれるかなと思ったけれど駄目だった。ゲームでもわかっていたことだけれど、本当にこの俺様レイ様はこちらの言うことを聞かない信じない。アムレットも彼を攻略するまでかなり手を焼かされていたなと思い出す。
そうねと口の中で呟くだけで、また声に出ない。できれば次の学校日までには説得したかったけれど、今日は無理らしい。
額に手を当てながら、顔を上げた私は一度だけレイに視線を向ける。見下す笑みと俺様この上ない足の組み方に、今だけは一から百まで説教したくなる。
それでもぐっと堪え、ヒソヒソ話以外何も返事をしない私達に声まで荒げ出す裏稼業の怒鳴りも受け流す。
「今日のところはここで失礼します。協力の意思は変わりません。また明日もう一度お話しましょう」
「目が見えていねぇのか?それとも聞こえなかったのか。情報源を吐くまで帰さねぇと言った筈だ」
伸びやかな声で返すレイを私は無視し、アーサーもこちらに首だけで振り向く。
こくりと頷いてくれた二人に、私達は窓の方へと目を向けた。既に部屋を埋め尽くす裏稼業達でチラチラとしか見えないけれど、押し通れない数じゃない。部屋全員を相手にしなくても、力尽くで行くのはその周辺だけで充分だ。
アーサーとステイルが私を守るように距離を詰めてくれる中、私もそっと腰を上げる。先ずはソファーの背後に回っている男達、そして次に狙うのは逃走経路を塞ぐ彼ら。レイが反応する間もなく逃げれば問題もー……
瞬間。
風の音が、耳を掠めた。
声でもないその音に背筋がピンと跳ねる。
瞬時にまずいと思って一瞬先を予知したけれど、確実に私一人で対処できる範囲を超えていた。視た後も結局何もできずに棒立ちになる中で、予知した先と全く同じ光景になるのも本当に一瞬だった。
瞬きを数度できるかもわからない時間で、窓から過ぎた風を感じている間にいくつもの短い呻きと殴打音が重なった。
まるで暴風雨でも飛び込んできたかのように、ほんの数秒で部屋を埋め尽くしていた男達が次々と吹っ飛び壁にぶつかり、崩れて倒れていく。
私達が止めるか否か真偽する間も許さず、息を飲んだ時にはふわりとした風を一瞬感じたと思えば、そのまま窓の方へと吹き抜けていった。
「…………なっ……⁈」
一瞬で切り替わった死屍累々の光景に、流石のレイも顔色が変わった。
彼だけでも気絶させないでくれただけ、今回の目的をちゃんと理解はしてくれていたのだろうなと思いながら私は表情に出ないように奥歯を噛む。
ソファーに一人腰掛けたまま、ほんの一瞬で自分の周りを守っていた男達が誰一人立っていない光景に彼は瑠璃色の目を白黒させている。顔ごとぐるぐると周囲を確認し、自分の味方が全員気を失っていることに顔を蒼白にさせた。彼からすれば、何が起こったかもわからないだろう。
私達だってちょっと驚いた。ほんの一瞬で自分達の周りを取り巻く全員が的確に意識だけ奪われ無力化されているのだから。
足場が困るほど敷き詰まっていた所為で、何人かは互いに重なり合うように倒れている。これは早く起こさないとのしかかられている人が圧死するんじゃないかと心配になる。
しかも、私達には倒れ込まないように配慮してくれたのか、私達の背後に回っていた男達を確認してみれば全員が壁へと叩き込まれていた。……本当に容赦ない。レイより遥かに。
ハリソン副隊長。
護衛として今も開けられた窓の外で監視してくれているのであろう騎士に、私は意識的に唇を結んだ。
気のせいか、さっきまでは何も感じなかった筈の窓の向こうから今は殺気のようなものが漂ってくるのを感じる。
私とステイルの前に立ってくれていたアーサーが、男達に囲まれていた時の倍はピシピシと筋肉を強張らせ冷や汗を流しているのが見上げる前からわかった。
ステイルもアーサーと私を目だけで見比べながら、顔が無表情に近くなっていた。隠してはいるけれど結構焦っている。今の瞬殺現象をどうレイに納得させるべきか考えてくれているのだろう。
やはり、親戚の騎士さん絡みで説明するか、敢えて何も言わずこのまま逃げ去るかのどちらかだろうか。どちらにしても早く逃げなきゃと、私はやっとそこまで思考が回ってから慌てて二人の裾を引く。行きましょう、と意思を込めて窓方向へ引っ張る。頷いた二人は窓では無く阻む相手もいないならと、安全な扉の向こうに私の手を取ってくれた。
ソファーの上で硬直しているレイを横切るように足を進める二人に流されながら、私は心臓が早まっていく。窓が駄目ならそれこそもっと早く逃げないとと、手を引いてくれる二人を逆に押すように絨毯を踏む足へ力を込めた。
「…………待て」
正気に戻ったレイから、その一言が発せられてしまうまでは。




