尋ね、
「ですが、既にその雇われた高等部生徒の洗い出しと今後の対策はジルベール宰相が検討して下さっているのですよね?」
さっきのお話によると、と今度はエリックが口を開いた。
今回、ヴァルの情報で明らかとなった勉学希望ではない〝雇われ〟生徒については教師への周知と共に高等部生徒の洗い出しから始めることが決まった。あくまで処分はその後の展開によってと、穏便な方向で決定だ。
レイに協力したいと言うプライドへの猶予もあるが、それ以前に万が一にも現時点で〝勉学〟を目的として学校に通っている人間もいた場合の処置でもある。
雇われたからとはいえ、明らかに問題を起こした生徒は既にヴァルが追い出し根絶している。その中で今も学校に訪れている雇われがいるとすれば、その人間は少なくともヴァルの監視下で問題を起こしていないということでもある。学校自体は下級層の為に作られた機関であることも踏まえ、今も学校に訪れている裏稼業の人間がいるとして問題を起こしていないのは〝仕事の為〟か、それとも〝足を洗う為〟かは慎重に判断すべきだというのがプライド達全員の判断だった。
あくまで今は雇われで入学した人物の特定とその対応策にジルベールも取りかかっている。
「ええ。……ヴァルが執拗までに不良生徒を痛めつけることができた理由もやっと理解できました。少なくとも一般生徒を恐喝した彼らは間違いなく裏稼業の〝仕事〟で入学していた輩ですから」
エリックの言葉に、現状も面倒だけが残されたわけでもないと思い出したステイルはそこで軽く手の中のグラスを遊ばせた。
プライドが許したヴァルへの許可。彼が学校での潜入で手痛い目に合わない為の必要策として許可したのはあくまで自己防衛の為の手段。その後もステイルが依頼したのは不良生徒が一般生徒への被害を防ぐことと、その目的や情報を吐かせることのみ。執拗な暴力までは許可していない。
そしてプライドもステイルとジルベールがヴァルにその依頼を預けた時に、やり過ぎないようにと命じている。ただし
『一般生徒へやり過ぎちゃいけませんからね』
彼女の命令はあくまで〝一般生徒〟に対してのみ。
そして少なくともヴァルにとっては、下級層生徒を狙って恐喝する裏稼業は一般生徒ではなく自分と同類でしかなかった。
本人の意識に抵触しない警告は弾かれ、彼の思う存分に気付かれないようにならば特殊能力の使用までもが可能とされた。高所から突き落とす、穴に落として放置する、気を失う程にいたぶると、本来の彼の前科お得意で嬲られた〝部外者〟は全員が学校に戻ってくることはなかった。
小金を稼ぎたかった裏稼業の小物が、文字通りその道の〝先輩〟に手痛い洗礼を受けてしまったのだから。
「いやだからってあれはやり過ぎだろ。俺ら見た時なんか全員気ィ失ってたろ」
「第一王女殿下のご許可さえあれば始末致します」
呆れ半分に呟くアーサーに、すかさずハリソンから殺気が溢れ出す。
あくまでアーサーへではなく、遠回しにステイルへ向けられた言葉にその場の全員が思わず口の片端を引き攣らせた。
ヴァルへの愚痴をぼやくアーサーやステイルと違い、ハリソンの場合はヴァルへの対処提案も嘘偽り無い本気だということをこの場の全員が知っている。直後には、やり過ぎだと言った本人であるアーサーが「いや始末はしねぇで下さい‼︎」と青い顔で止めに入ることになる。
既に剣に手を伸ばし掛けていたハリソンだが、仕方なくまた代わりにジョッキを手に掴んだ。
ヴァルが学校に潜入していることも、彼がステイルとジルベールからの依頼を任されていることも聞かされて把握はしていたハリソンだが、プライド達に迷惑をかけて今まさに嘆息させているというだけでも容赦を持とうと思えない。まず第一に、彼は未だにヴァルの前科を許してはいない。
ハリソンが抑えてくれたことにほっと息を吐くアーサーだが、そこで再び鋭い紫色の眼光が自分へと向けられた。ビクッと肩を上下させたアーサーも思わずそれに身構えた。酒の少量関係なく、ハリソンの声は相も変わらず低いままだ。僅かに口を開き出す動作にアーサーはまたヴァルについて何か言うのかと身構え
「……隊長。何故お前はステイル・ロイヤル・アイビー第一王子殿下に敬称すらつけていない?」
「⁈はい……?」
じわり、と這うように放たれた言葉にアーサーは思わず背中を反るほどに力を込めた。
いえ……‼︎それはっ……‼︎と言葉につまり、自然と目を泳がせる。まさか全く何の脈絡もなくいきなりそれを指摘されるとは思わなかった。
会話を断絶するようなハリソンの問い掛けに、アーサーは言い訳すら思いつかない。
元々、ステイルと普通に話すことどころか友人関係すら隠しているつもりだったアーサーだが、以前自分の知らない内にステイルの口により騎士団全員に知られてしまった。その上、さらに前から自分とステイルとのやりとリを何度も目にしている近衛騎士達の前だからと自然体でいてしまったが、よく思い返せば未だ自分とステイルとの手合わせにもプライド越しに立ち会ったことがないハリソンには友人としての会話も知られていなかった。
そうでなくとも普通ならば奪還戦後の祝会での二人のやりとりを踏まえれば察せられることだが、それができるハリソンではない。
どうして今の脈絡で今更ンなこと聞いてくるんだと頭の中だけで叫んだが、それをハリソン本人に言えるわけもない。
ハリソンからすれば、学校でこそ生徒として潜入中だからとその話し方も気にしていなかったが、アランの部屋で当然のように第一王子が訪れ酒を飲んでいることも、ましてやアーサーが当たり前のようにステイルと隣に並び言葉を砕いているのも全てが疑問だった。
部屋に招かれてから自分へ会話の主導権が振られることもなくそのまま本題の話へと進められた為、わざわざ自分から声を上げて言うこともなかっただけだ。今、こうしてアーサーから会話と発言権を与えられた時点でハリソンの中では静かに暈を増した疑問だった。
ピクピクと顔の筋肉を痙攣させながら言い訳を探すアーサーに、仕方なくステイルが最初に助け船を出すことにする。
ハリソン副隊長、と彼を呼び、にっこりとした笑みを向けたステイルはそのまま親しげにアーサーの肩に腕を回してみせた。
「僕とアーサーが友人なのはご存じだと思います。なので、当時僕から希望して敬語や敬称は抜きでと頼んだのですよ」
同じ剣を磨く仲ですから、と。凄まじく明るい笑顔を見せるステイルは、アーサーの苦手な薄気味悪さしかない笑みだった。
絶対コイツわざとやってンだろという笑顔に、顔を引き攣らせて睨むアーサーだがステイルの笑顔は当然崩れない。そしてハリソンに指摘されたばかりの今、ここでテメェコノヤロウと言えるアーサーでもなかった。代わりにステイルから「だろう?」と黒い笑みを至近距離から向けられれば、完全に遊ばれていると理解する。
ギギギッと無理矢理ハリソンへと顔を向け、「そういうことです」と言い切ったアーサーだが、心の中では弁護してくれたことへの感謝が半分、わざと遊ばれたことへの不満が半分と均等に鬩ぎ合った。
ステイルとアーサーの言い分に一応は納得したハリソンだが、次にはまた別の疑問が鋭くアーサーへと刺し向けられた。
「何故王族であるステイル・ロイヤル・アイビー第一王子殿下にはできて、私にはできない……?」
「ッッ‼︎いや!そりゃあ……だってハリソンさんは」
「私がなんだ」
ぎくっっ!!とまさかのそこへ飛び火するのかとアーサーから冷や汗があふれ出す。
未だに自分に対して敬語も敬称も付けてくるアーサーに、ステイルには取り払うことができて自分には何故できないのかという疑問はハリソンにとっては当然。そしてアーサーにとっては全くの別問題だった。
これには流石のステイルも対応しようがなく苦笑いで止まってしまう。その間にもアーサーとハリソンで「それについては以前言ったじゃないすか‼︎」「もう一年は前だ」と収拾のつかない往来が始まる。
あちゃー……と半笑いでそれを眺めるアランも、やはりハリソンがいると話がこうなるんだなと理解する。
基本的に口数が少ないハリソンだが、朝食をアーサーと共にするようになってからか彼に対してだけはわりと話すようになったよなと思う。会話の流れをぶつ切りするところは昔からだが、こんなに会話に入ってくることなど滅多になかった。
エリックもハリソンの珍しく長く話す姿の方が気になってアーサーへの助け船どころではない。二言以上話すことも滅多に無いハリソンに、会話が往復以上成立すること自体珍しい。ハリソンとアーサーが朝食中も何かしら話していることは知っていたが、アーサーに対してだけは何故か口を動かす様子をここまで近距離で観察するのは今回が初めてだった。
「ハリソン。アーサーをそれ以上困らせるな。話の本筋も切るな。大体アーサーのそれは今に始まったことではないだろう」
前髪を指で払いながら仲裁に入るカラムに、ハリソンは僅かに眉を動かした。
今や隊長であるアーサーが、それでも本隊騎士どころか新兵も含めた殆どの騎士に敬語口調なのは騎士団の誰もがわかっている。別にハリソンだけが特別ではない。
アーサーの中でどういう基準で敬語とそうでないかを分けているのかはカラムすらもはっきりとはわかっていない。しかし、下の立場の人間が上司に敬語をしないならばともかく、逆であること自体は咎められるようなことでもない。上官自ら、砕けた口調を部下や後輩に許す騎士も珍しくない。
ハリソンも、カラムの言うことを聞く気は全く無いが、それでも〝隊長を困らせている〟という一点において仕方なく受け入れた。
アーサーに突き刺した眼光を逸らし、自然と前のめりになっていた身体を引いて姿勢を戻す。
カラムが助けてくれたことに視線だけでアーサーが「ありがとうございます‼︎」と叫べば、カラムからは肩を竦めた笑みだけが返ってきた、実際は自分の発言力ではなく、アーサーを困らせたくないというハリソンの一心の方が強いのだと発言したカラム自身がよくわかっている。
これでハリソンもやっと大人しく聞く立場に戻ってくれるだろうと、肩の力を全員が一度抜く。そのままジョッキを傾けるハリソンの姿を確認し、早々と二杯目のジョッキも空にしたアランは三杯目を自分で注ぎながらステイルへと笑い掛けた。
「えーと、それで何の話でしたっけ。取り敢えずハリソンは明日アーサーと一緒に護衛で、あとの連中はジルベール宰相が上手くやって下さるってことですよね」
「はい。……それと、アラン隊長。実は僕から一つお聞きしたいことがありまして」
自分に?と、予想をしなかったステイルからの投げかけにアランは目を丸くする。
話の軌道を戻したつもりが、ステイル自ら問い掛けられるとは思わずうっかりジョッキから酒を溢れさせかけた。
酒瓶をテーブルに起き、なんでしょうと身体ごと向き直れば全員の視線も自然とステイルへと戻された。僅かに葛藤するように眉を寄せ、唇を絞って視線をグラスへ落としたステイルはそれから躊躇いがちにゆっくりとした声でアランに尋ねた。
「今日の二限……、姉君のことなのですが」
ブッッッ‼︎
真剣な声で尋ねるステイルに反し、思い切り噴き出したのは隣に掛けていた相棒だった。
幸いにも酒を含んでいなかったから床を汚さずに済んだが、噴き出した後は全員に背中を向ける形で上肢を捻り、ゴホゴホッと枯れた咳を零しだした。プルプルと震えて笑う肩が、酒に毒が入っていたわけではないことを証明している。
一瞬だけ身構えて腰を上げたハリソンも、アーサーが逸らす前の横顔を目で捉えた時点で警戒を解いた。枯れた声で絞り出すように「すみ……ませっ……‼︎」と謝罪するアーサーに、ステイルも今だけは不満と怒りも込めて絶対零度の視線を注いだ。




