Ⅱ236.義弟は羞恥を覚える。
「……ここに来るのも一週間ぶりかしら」
園庭を抜けての校門前木陰でプライド達は腰を下ろした。
最初はまたファーナム兄姉の姉であるヘレネと共に学食での案も出た彼らだが、既に他生徒よりも出足が遅れた為今からでは五人分も纏めて席は取れない。
当初は毎日のように食事をしていた木陰は、ネイトの一件からは来ることも叶わなかったプライド達だけの憩いの場所でもある。園庭からも校庭からも校舎からも離れたそこには生徒も少なく、校門前を守っている守衛の騎士以外は静かなものだった。
まだ、全てが解決していないとはいえここにもう一度ゆっくり四人で食事をできることが嬉しいと思いながら、プライドはパウエル達と共に昼食を始めた。アーサーが鞄から出してくれたサンドイッチを頬張り、ステイルとパウエルが食事交換するのもすっかりいつもの光景だ。他生徒よりも遥かに遅れて食事に有り付けた彼らは、ようやくのんびりと戯れることも許される。
「へー。じゃあ、昨日のはカラム隊長がネイトのことを詳しく聞きたくてジャンヌ達を待ってたってことか?」
「ええ、そうなのよ。一応生徒の個人的なことだし、パウエルには二度も付き合わせて食事の時間を奪ってしまったから、気を遣って下さったみたい」
「良かった。てっきり俺がとうとうフィリップ達を怒らせちまったんだと思った」
「そんなわけないわよ。私達みんなパウエルのこと大好きだもの」
穏やかな会話を交わすプライドとパウエルは、お互い文字通り会話に花が咲いていた。
ふふっ、ははっと明るい笑い声が続く中、最初の頃こそステイルと話すことの方が多かったパウエルとこうして自然体で話せるのが増えて嬉しいとプライドは思う。ネイトの心配が晴れた今、一時ではあるがこの上なく楽しい時間を過ごせていると思う。……隣に座るステイルが、不調であることを覗けば。
ばくばくと行儀良く食事こそするステイルだが、顔は未だに赤い。いつもならアーサーと二人でプライドを挟む彼だが今はアーサーとパウエルの隣に腰を下ろしていた。
食事をしながらも、未だにプライドの顔も、パウエルの顔もまともに見れない。一瞬でも目が合えば、風を切る速さで逸らしてしまうと自覚する。二人が話を弾ませてくれているのが幸いだったが、その間もアーサーからの視線が絶えない。
「フィリップ。水、もっと飲んどけ」
「……すまない」
相棒の気遣いに感謝しながらも、心の隅では「お前だって死にかけたくせに!」と言いたい自分にも呆れる。
いつものように教室に戻った時、既に戻って来ていた女子達の中にプライドが不在だったことは当然ながらステイルもアーサーも動揺した。以前もこうして彼女が行方不明になった時を思い出せば、また巻き込まれているのではないかと不安も過ぎった。しかも今度は女子達に尋ねても「二限にもいなかったから心配している」という返答ばかりだ。
何かあってもアランがまた対処してくれるということだけが唯一の安心材料だった。教室でただ待っているだけでも落ち着かず、廊下へ出た。周囲に気を配りながら立ち位置さえも固定できず待ち続けて、やっと彼女の無事を確認できた。
しかし、原因が猫。しかもアーサーが彼女のその顔をみれば、明らかに誤魔化しの色がそこにあった。誰かを庇っているのか、また自分達に心配をかけたくない何かがあったのかと尋ねても彼女は首を振るばかり。その後に続けられた言葉こそ嘘偽りない表情だったから安心できたが、未だにアーサーもそして彼の反応から察したステイルもプライドが本当に猫如きでまるまる一限を費やしたかは懐疑的である。
しかし、ステイルが今無力化されているのはそこではない。
話を誤魔化そうとしたプライドが、まるで当然のように自分とアーサーの手を掴み駆け出した。
手を繋がれたこと自体に熱源と化したアーサーと違い、ステイルは自分の手を引いて貰えたこと自体は珍しくもない。しかし、今はあくまで弟ではなく親戚。そんな中でも当然のように手が繋がれば言いようもなく気恥ずかしさが込み上げた。
大勢の生徒が今、自分と彼女を〝他人同士〟として見ているのだという事実が、その視線の意味と誤解を考えれば言いようもなく熱が回った。結果として、アーサーと同じように立ち止まった後もパウエルの顔よりも彼女と繋がった手に視線を離せなくなってしまった。
更には今までだったら「ごめんなさい」と謝るだけだったプライドが、まさかこのタイミングで初めて「人前で繋いだのが駄目だった」と的確に理解したことにステイルもアーサーも虚を突かれた。
今まで彼ら二人の反応に怒っていると勘違いすることも多かった彼女が、自分から的確に自分達の羞恥点を指摘してきたのだから。二人それぞれ衝撃のままに叫んだが、心の中は「今まで気付かなかったくせに!」の一言で揃っていた。
狼狽し、顔色にはっきりと感情が映り、プライド相手に怒鳴ってしまう中。頭に火がついてしまったステイルとアーサーが中でも最も揺さぶりをかけられたのは
『二人も、私がうっかりしたら無理にでも振りほどいて良いからね』
あの言葉に、完全に二人は封殺された。
ステイルもアーサーも周囲の視線が刺さる状態も仮にも第一王女と手を繋ぐのも間違っているとわかっている。そしてプライドよりも遥かに力の強い彼らは、当然ながら彼女に引っ張られる中でも無理矢理振り払うことはできる。そして自分達が振りほどこうとしていると気付けば、そこで無理矢理繋ごうとする彼女でもない。一瞬でその手の平を開き、自分達を窘めることなく「行きましょう」とまた笑い掛けてくれると知っている。しかしそれでも
── 振りほどくとか絶ッッ対に無理だろ……
── 振りほどけるわけがないだろう……!
プライドとパウエルの話を聞きながら、それを思い返すアーサーとステイルの思考は互いに重なった。
次から、というだけの話ではない。今回も含め、〝敢えて〟振りほどかなかったのは間違いなく自分達の意思だ。
それをプライドの言葉で思い知らされればもう彼女に何も言えなくなった。彼女に手を繋げたことへの羞恥心はそれぞれだったとしても、間違いなく彼らがその手の温もりと細井指の感触に覚えたものは〝不快〟とは正反対のものだったのだから。
そして、ただでさえほんの僅かな時間の間に彼女一人によって心臓へ多大なる負担と衝撃を与えられて疲弊したステイルとアーサーだったが、そこでステイルにだけは更なる追い打ちが落とされた。
それこそが今のステイルを最も辱めるものの根源だった。
……パウエルに、情けないところばかり見られている……。
「フィリップともずっと一緒なんだろ?すげぇ羨ましい」
「ええ、ずっと一緒よ。私ももっと早くパウエルと友達になりたかったわ。ねぇ、ジャック」
「!そうっすね。俺もこんなところでフィリップの知り合いに会えると思わなかったし、ダチになれて良かったです」
とうとうアーサーも加わっての和気藹々とした会話が、それだけでもステイルの炎上する頭に着火剤を放ることになる。
四年前に知り合った時に偉そうなことを言っておきながら、まだひと月も経たない内に自分の粗がどんどん見られている。
城の中であれば、長年自分の身の回りにいた侍女や従者、衛兵にもしっかりと〝王子〟として振る舞い、誰からも好感を得られる言動を心がけていた。なのに、よりにもよってパウエルに自分の情けないところも腹黒いところも両方しっかりと目にされている。
決してパウエルの前でふんぞり返りたいわけではなく、騙したいわけでもない。自分なりに〝フィリップ〟として自然体で彼とも関わっている。アーサー以外でこんな風に友人のように関われる存在も貴重である。しかし、自分で思っている以上に情けない姿を彼の前で晒しているという現状に、パウエルの中での〝フィリップ〟へのイメージがガラガラと音を立てて崩れている気がしてならない。
『やっぱ、フィリップって人間なんだな』
パウエルから悪意がないのはわかっている。
しかし、まるで「人間誰でも情けないところはあるよな」と言わんばかりのパウエルの台詞が少なからずステイルにはショックだった。
異性にたかが手を繋がれたくらいで赤面し、更には相手は異性は異性でもパウエルの目から見ればただの親戚。十四才にもなってその程度で取り乱したのかと思われれば、頭から湯気が出るほどに恥ずかしくなった。
実際は自分が十四才の頃は余裕でティアラとは手を繋いでいたし、プライドだけでなく式典や社交界でも何人もの女性の手を普通に取って微笑むぐらいはできていた。もっと言えば、自分が養子になる前だって女性に人気があることを自覚していた彼は平然と求められれば女性と手を繋げていた。
なのにまるで自分が女性に免疫がないかのように見られて、若干慰められている気がするのが死ぬほど恥ずかしい。
だが、ここでそんなことないぞとわざわざ訂正するのは両手の爪を剥ぐよりも嫌だった。パウエルと出会ってから今に至るまで常に自分が彼よりも年下となっているステイルだが、実際は自分の方がパウエルより年上だ。
しょうがないとはわかっていても、考えれば考えるほどに今の〝フィリップ〟としての自分の情けなさが際立っているように感じられて仕方が無い。取り乱したとはいえ、プライドに怒鳴り、封殺され、赤面するところまで見られたことを思い返せば、うっかり瞬間移動で消えてしまいそうになった。
そしてそんなステイルの心情も、長年の経験で何となく理解しているアーサーも今は彼に無理に話題を振ろうとは思わない。
自分も自分で気恥ずかしくステイルと同じように情けない姿を見られたが、アーサーにとってはプライドの発言の数々の方が遥かに刺激が強い。むしろ、パウエルには悪くさえ見られてなければ気にしない。そんな中今は、パウエルに大笑いされてしまい一人羞恥に焦げ続けている相棒に思うことは一つ。
……コイツ、昔ッから見栄っ張りなンだよな……。
そこまで理解しているアーサーは、今のステイルの羞恥心と比べれば自分の恥じらいなど大したことないように思える。
ぐびっ、と自分の分の水筒で喉を鳴らしながら未だに食べることに集中している振りをして耳まで赤いステイルに音に出さず息を吐く。こういう時のステイルは頭が整理つくが自分から話し始めるまではそっとしておくに限る。
別にステイルを王族とすら知らないパウエルの前でぐらい、素を出してしまえばいいのにと思う。少なくともステイルと一緒にいる時のパウエルはいつでも心から笑って楽しそうだし、ステイルもまた自然体に近い。
自分はさておき、近衛騎士の先輩達には見せるまで一年以上かかった本気の笑顔だ。
それをすぐに見せ合える仲を今は楽しんどけと本気で思う。何より、少なくともアーサーの主観だけで言えば、どう見てもパウエルはステイルに対しての眼差しは会った頃と大して変わらない。ステイルを慕っている姿も全く衰えていないし、決して引いたり幻滅したりもしていない。
だが、そうはいってもステイルが今闘っているのはそういう問題でもないと理解すれば、もうどうしようもない。
「……フィリップ。食わねぇなら、残りのサンドウィッチくれ」
段々と思考に沈んで食べる口も動かなくなってきているステイルに手を伸ばす。
すると今度は無言と共に、二口だけ囓ったまま放置されたそれをステイルは迷いなく手渡した。既にパンを食べただけで腹も胸も頭もいっぱいで入りきる場所がなかった。
そこで初めてパウエルとプライドから大丈夫かと心配の声が掛けられたが、ステイルも二言しか返せなかった。未だに二人の顔を見れない。
流石のパウエルもこれには顔を曇らせてしまう。まさか怒らせたのではないかと眉を寄せてしまうと、アーサーがそれを見てステイルに気付かれないように手を横に振る動作だけで「それはないです」と否定した。どうせ明日になれば整理もついてケロッとしているに決まっていると理解する。
アーサーからのその動作に、ほっと息を吐いたパウエルはまた笑いながら思い出したように話題を切り変える。
「そういやぁ、ネイト。アイツはー……」
「ジャーーーンヌッッ!!!!!」
どっっっ!と突然の遠吠えのような大声に、次の瞬間全員が両手で耳を塞いだ。
どこか既視感の覚える攻撃に振り向けば、今度は彼らが知る老紳士ではない。校門の向こうから手を振り、足をわずかに引きずりながら駆け寄ってくる青年にプライドは目を皿にして立ち上がった。
「ネイト⁈‼︎」
どうしてここに⁈と驚きのまま両手で口を押さえて立ち上がる。プライドだけではない、ステイルやアーサーにとっても、彼の登場は予想外だった。あまりに遅い登校と包帯の姿に守衛の騎士も二度見する。
守衛の騎士への手前、アーサーも簡単に声を荒げられないが「どうしてここに来てンだよ⁈」と叫びたくて仕方が無い。ステイルもこれには顔を上げ、驚愕で自然と顔色が元の色へと引いていく中、眼鏡の黒縁を押さえ付けた。
事情を知らないパウエルも最後に見たネイトの足どころではない怪我の数々に開いた口も塞がらない。誰もが疑問を口に叫びたい中、満面の笑顔を浮かべて見せるネイトはいつもより膨らみの収まったリュックを肩に、響く声で言い切った。
「完成した!」
その言葉は、屈託のないその笑みと共に間違いなく本物だった。