Ⅱ231.さぼり魔は降ろし、
「全くお前は。友達への暴言も呆れるが、騎士様にまであんな失礼な態度を……」
「うるせージジイ」
食事を持ってきてくれた医者のジジイから、パンとスープを受け取りながら言い返す。
目が覚めて、窓の外を見ればもう真っ暗だった。ジャンヌ達が居なくなった後、暇だと思った瞬間気が付いたら寝てた。起きたら毛布を掛けられてたから、多分ジジイが掛けてくれてたんだろうなと思う。……ジジイのとこに来るのも、結構久しぶりだ。
昔は、怪我とか病気する度に毎回来てたけど、伯父さんに発明を作り始めてからは母ちゃん達に知られるのが怖くて滅多に来れなかった。母ちゃんが毎日仕事に行くことになる前までは用事ある時とか、この部屋で預かって貰うこともあった。俺も家に居ない時は大体ここに来てたし。薬臭い感じとか、古いくせに綺麗なベッドとか布とか、狭いのもひっくるめて結構好きだった。
起きて、夜だと思って転がってたら急に今度は腹が減ってきてぎゅるるるって腹の虫をちょうど廊下に出てたジジイにも聞かれた。起きたのか、って言われてやっとこうして食えてる。思い出すともう丸一日以上食ってなかった。
ジジイが作った肉と野菜のスープは、栄養はちゃんと考えているって言うくせに作り方はすげぇ雑っぱで、具が一口で入りきらないくらいゴロゴロしてる。けど、やっぱ味は美味くて……本当にこういうのも母ちゃんに似てるよなと思う。家で作ってくれる母ちゃんのスープは、昔ジジイに教わったものだって言ってた。昔から母ちゃんを見てるとか言って、昔から母ちゃん母ちゃんだからそういうとこだけ昔からムカつく。
そう思うと肉に齧り付きながらも、目の前でベッド横の椅子に腰を下ろすジジイを睨む。もう病院は閉めたって言って腕を組んで座るジジイは、俺の顔じゃなくて怪我ばっかをずっと見ていた。
「それで、その怪我本当はどうしたんだ」
「……カラムが来たら話すから勝手に聞けよ」
「誰だカラムって」
「さっきの脳筋騎士」
またお前、と直後にまた小言を言われる。
ジジイを無視してパンに齧り付いてまたスープを飲み込んだ。取り敢えずジジイが説教している間は無視をするって決めてる。騎士は偉いとか国守ってるとか、今日俺を連れて来てくれたのもとか支払いとか聞こえても聞かないでスープとパンだけに集中する。
騎士とか知らねぇしカラムはカラムだし。あいつすげー煩いしすげーしつこいし細かいし、何にでも文句言うしそのくせ馬鹿みたいに力だけは強いし。絶対堅物だから脳まで筋肉でできて堅いんだと思う。初めて発明中見つかった時だってずっと説教だった。
『閃光弾は玩具ではない。安易に人へ投げてはならない。窓からどうやって逃げようとした?言って置くが、傘では飛び降りても落下緩和には……』
マジで煩かった。
玩具じゃねぇことぐらい作ってる俺が知ってるし、傘だって普通の傘じゃ無くてちゃんと飛び降りる用だ。それなのに何も知らねぇで偉そうにくどくど言ってくるからその時からすげー嫌いだった。
何度も職員室に連れて行かれるし、説教されるし、やっと隠れてもまた見つかるし、一度見つかったら逃げても絶対捕まった。あんなの騎士じゃなくて化け物だ。
閃光弾使っても煙幕弾使っても絶対逃げられなくて、窓から飛び降りようとする度に「危ない」と言って捕まってまた怒られた。どうしてこんなことばっかやってるのか聞かれても、……発明ができるのは人に言えなかったから答えられなかった。もし伯父さんにバレたら殴られる。
カラムも、毎回聞いてくるくせに長くは聞いてこねぇし、騎士が学校に居るのはひと月だけだって教師が初日に話してたからさっさとひと月経っちまえと思った。
ただ、ひっ捕まえるだけで絶対殴ってこないし脅してもこないし本当に説教だけだから伯父さんどころかジジイほども怖く無かった。怒鳴られたのも俺が何度も窓から逃げようとする度の「危ないだろう!」ぐらいだ。別に危なくねぇのに。
『罰として君のリュック一式は一週間学校で預からせてもらう』
……あの時は、やばかったけど。
伯父さんへ渡す筈の完成したばっかの発明が入ってて、没収されたら渡せなくなるから。もう一回作り直しても絶対伯父さんが次に取りに来る時間には間に合わなかった。
しかもリュックの中には発明に必要な道具とか、もし伯父さんから逃げる時お守り代わりの閃光弾とか煙幕弾とかも入ってるからあれ丸ごと無くすだけでもすげー怖かった。
叔父さんに殴られて逃げる方法もなくて、しかも発明もできないなんてそれこそ地獄だ。でもカラムに勝てないのはもうわかってたし、本当にあの時は急に汗掻いたし考えただけで手足が震えそうなほど怖かった。だから
『今日のところはリュックを彼に返してあげては、頂けませんか……?』
……あれも、すげー助かった。
急に現れた赤毛の女は、俺よりも背が高くて目付きも悪かった。……正直、最初はちょっと怖かった。
その横にいたジャックなんかもっと背が高くててっきり中等部じゃなくて高等部かと思った。そんな奴らがなんで知り合いでもねぇのに急に俺の味方になってくれたのかはわかんなかったけど、お陰でリュックも返して貰えて伯父さんに殺されずに済んだ。
それからまさか今度は直接カラムと一緒に乗り込んで来られるとは思わなかったけど。
偉そうで、脅してきて、しかも俺の発明の秘密も全部知ってて父ちゃんや母ちゃんや伯父さんのことを根掘り葉掘り聞いてくるからあれ以上関わりたくなかった。伯父さんより絶対高値で買い取ってくる取引相手を紹介してくれるって言わなかったら、絶対。
フィリップは脅してくるし性格悪いし、ジャックはカラムみてぇに強いし、パウエルは伯父さんみたいな恐い目で怒ったから。ジャンヌだって俺のことズカズカ急にバラして嫌でも関わってくるから嫌いだった。……なのに。
『その問題をもっと早く解決させてあげることができるわ』
『あの傘もすげぇ発明っすよ』
『きっと貴方ならどんな発明でも神がかった一品に仕上げてしまうのでしょうね』
……助けてくれる方法を、二つもくれた。
久々に褒めてくれて、俺の発明で喜んで、認めてくれた。その為に安心して発明できる部屋まで用意してくれた。
ジャンヌが発明を見に来るって聞いた時はなんだか待ち遠しくて嬉しくて、早く自慢したくて褒められたくてたまらなかった。
ジャンヌとジャックが発明を見に来てくれた時は、何度も当たり前みたいに褒めてくれるから腹から胸まで温かくなってむず痒くって、組んだ足が落ち着かなくなるぐらいに暮れ臭かった。ずっとそうしていたいくらい気持ち良かったから、……ジャンヌ達が帰るって言ったら一緒に外に出たくなった。
俺も腹減ったからとか、もうちょっと付き合ってやるよとか、何でも良いからもう少し一緒に居たくなった。うっかり足ついたら怪我してるのに踏み込んで、不意打ちが余計に響いて痛かったけど。
『ネイト、足を怪我したの⁈捻った⁈』
怪我で呻いたくらいであんなに心配されるのも父ちゃん達以外じゃ初めてだった。
絆創膏バレた時はすげぇ焦ったしジャンヌの〝弱みを知る特殊能力〟は思った以上に厄介だと思った。俺ん家に借金あるのも伯父さんに脅されているのも発明作らされているのも、全部あいつは最初から知ってたから。
痛くて言い訳も思いつかないくらいしんどかったけど、……頭の隅では心配されたことの方が妙にくすぐったくなって後から泣きたくなった。発明の手が止まっても、誰もそのことに文句言わねぇし、俺の怪我ばっかり心配してきたのも全部が真新しい傷より沁みた。それにー……。
「…………」
「だからなネイト、リュックのことぐらいで騎士様に当たるな。大体、忘れてきたお前が悪いんだろ」
「……ちげーし。カラムが置いて行けって言ったから置いて行ったんだよ」
食べ終わってから、まだグダグダ説教してたジジイに言い返す。
食べてみたら思ったより肉が多めに入ってたスープに一息吐いて、膨らんだ腹を撫でる。なんか久々に腹一杯食べた気がするなと思っていると、ジジイが「騎士様が?」と聞き返してきた。さっきカラムに怒鳴ったのも全部はちゃんと聞こえてなかったらしい。この耄碌ジジイ。
伯父さんから助けられて止血と着替えをされた後、ちゃんと俺は家を出る前にリュックも持って行こうとした。伯父さんに撒き散らされた中身をリュックにしまって、ジャンヌに頼まれてた発明も一緒に詰めた。あのまま担がせてくれれば、ジャンヌ達が帰った後も暇に思う暇もなく今も発明を進められた。ジジイだって俺の発明の特殊能力は知ってるから見られても困らねぇし。
なのに、カラムが止めた。
『いや、それは置いて行こう』
そう言って、リュックを背負おうとする俺を手で止めた。
大事な物が入ってるってもう知ってる筈なのにと思って睨んだけど、もう喉もガラガラで身体もボロボロだったし言い返す気力は残ってなかった。睨んだ俺に真っ直ぐ目を合わせてきたカラムは、首を一度横に振ってから俺にリュックを降ろさせた。
『もうそれは、君が背負うべきものではない』
一度没収して、軽々片手で持ち上げたリュックをわざわざ両手で貴重品みたいに抱えてきた。
言葉は母ちゃんみたいにきっぱりしてたのに、言い方は父ちゃんみたいに優しかった。リュックを背負うべきじゃない、ってもう持ち歩くなってことかよとか思ったけど、……自分でもわかんないくらい何も言い返せなかった。
持って行きたかった筈なのに、〝持って行かなくても良いんだ〟と思ったら、息が詰まった。
ここに置き放しにするのが怖いならって、わざわざ俺の部屋まで運んで行った。前だったら俺の目の離れたところに持っていかれるなんて嫌だったのに、もう絶対アイツには盗まれないって確信できた。俺の部屋へと消えていって、すぐに同じ歩調で戻って来たカラムは放心したままの俺の前にまた片足をついて視線を合わせた。
『ご両親も、ジャンヌ達も、そして私も。君の身体の方が遥かに大切だ。……君にも、どうかそうであって欲しい』
正面から俺の肩に手を置いて、真剣な目でそう諭された。
今までの説教で一番胸に刺さって、足の傷よりも痛かった。父ちゃんと母ちゃんに隠し事してたことが、何だか急にすげぇ悪いことをしていた気がして苦しくなった。
カラムの静かな声が、今までで一番責められている気がした。こんなボロボロに怪我して包帯巻かれて、父ちゃんも母ちゃんも知ったらどんな顔するかとか、伯父さんをずっと悪く言わなかった父ちゃんや嫌ってたけど伯父さんと血が繋がっている母ちゃんが城に連行されたなんて知ったらどう思うかとか、一気にこの後に父ちゃんも母ちゃんも俺の所為で傷つけるような気までした。
俺の方が先にカラムから目を合わせられなくなって、床を睨んで視線を落としたら「大丈夫だ」って急に言われた。その前に言ってくれた「もう大丈夫だ」と違って何が大丈夫なのかもわからなくて、俺の怪我も伯父さんが捕まったのも全部隠せないのにって思ったらムカついて、視界がぼやけた目のままもう一度睨んでやろうと思ったら
『もう誰にも君を、責めさせはしない』
……折角止まり掛けていたものが込み上げて、また鼻を垂らして喉も枯れた。
上げた視線の先にあった赤茶の真っ直ぐな目に、全部の「大丈夫」が詰まってた。鼻を啜る俺の背中を何度も擦ってきたから、余計に胸が熱くて苦しくなって数秒だけまた泣きついた。外にいたジャンヌ達には見られないで済んだけど、扉の前に背中を向けて立っていた王子がちょっと振り向いていたのが見えた。
そのまま、しゃくり上げが落ち着いてから「行こうか」と手を借りて何とか自分で立ち上がった。何度も気安く肩や背中に触ってきた手は、一度も俺の怪我には触れなかった。
負ぶろうかと言われたけど、首を振って断った。カラムにあれ以上泣きつくのをジャンヌ達に見られる方が嫌だった。
身体は寒くて外の空気は暖かくて、眩しかった空の太陽に鋭すぎて目が眩んだ。ジャックに背中を借りたら、視界が高くなって広がってさっきより息までしやすくなった。リュックを背負ってない分、日射しを受けた背中は温かかったし
軽かった。