そして尋ねる。
「……ここ壁薄いから。変に話したらジジイにも聞かれるからな」
改めてベッドに転がり出したネイトは小さな声で呟いた。
確かに奥の部屋と言っても大した距離じゃないし、大声で話したら筒抜けだろう。最後に入ったアーサーが扉を閉めたのを目で確認すると、ベッドに転がりながらジトリとした眼差しを私に向けた。
ふとそこで、話があるのは私達だけではないのだと理解する。カラム隊長が二つしかない椅子を私とステイルに譲ってくれる中、ネイトはゆっくりとその口を動かした。
「……あいつ、なんなんだよ。あれ本当に、お……王……」
顰めた声で最後は言葉にするのも躊躇うように口籠もった。
続きは言われなくてもわかる。レオンのことだろう。まだネイトには取引相手について詳しく話していなかったし、驚くのも当然だ。ただでさえ大口の買い取り先と言っただけであんなに気合い充分だったのに、相手が隣国の王子だなんてプレッシャーで押し潰されるどころの話じゃない。
けれど、もうレオンからも自己紹介してしまったし言わないわけにはいかない。続きを上手く言えないネイトに返し、私は苦笑いを浮かべたまま彼に頷いた。その途端、唇を一文字に結んだネイトの狐色の目がまん丸くなる。私が説明をしようとすれば、ステイルが「ここは俺が」と軽く手を上げて代わってくれた。
「〝あの御方〟が仰った言葉は全て事実です。アネモネ王国はフリージア王国の隣国で、貿易で有名な同盟国です。フリージア王国とは同盟を結ぶ前からの古い仲で、あの御方も頻繁にフリージア王国に訪問しています。以前僕らの実家がある山でお爺様とあの御方が取引を行ったことがあって、その関係で知り合いになりました」
ステイルがネイトにもわかるように顰める声で事情を積み立ててくれる。
勝手にアラン隊長の一族が凄いことにされているのだけが申しわけない。話を聞いていく内に、結んでいたネイトの口が顎から力が入らなくなったように開いていく。アネモネ王国の名前くらいは聞いたことがあるかもしれないけれど、具体的にはどういう国かもわかっていなかったのだろう。
ステイルが言い終わる後には擦れる声で「本物……?」と呟いたから、一応状況は飲み込んでくれたらしい。
ええ勿論、とステイルが頷いた後「因みにあの御方と僕らやカラム隊長との関係は誰にも秘密でお願いします」と目を合わせた。黒縁向こうの漆黒の眼差しと視線が合ったネイトは、それには三度も繰り返し頷いてくれた。
良かった、取り敢えずこれで学校でも言いふらされることはなくなる。セドリックもそうだけれど、レオンなんて私と盟友なのは有名だから余計に正体がバレてしまう。
ネイトにも、もし二つ目の案だけで済んだらレオンの正体も話さないで済んだ。私達が仲介に入る形でレオンと取引をすることも可能だったのだから。けれど急遽一つ目の方法で伯父別件逮捕作戦に移行してしまったから、もう隠し立ては不可能になった。あくまでレオンは〝ネイトという取引相手〟に会いに来たというだけなのだから。
「あの御方はとても良い方で、事情を話したら快く協力してくれました。自分の立場が貴方を救えるのならば喜んでと、今日もお忙しい中足を運んで下さりました」
「なんでアネモネの……が、フリージアにいるんだよ……?ていうかどうやってそんな人と連絡……大体お前ら、いつから俺の……」
「今日はご友人に会いに行かれるところだったのでちょうど来国されていました。偶然にも僕らが貴方の家に向かう途中で馬車をお見かけしたので、そのまま助力頂きました。カラム隊長もあの御方とは友人なので、手紙の受け渡しをお願いしていました。貴方が不在なのに気付いたのも僕らではなくカラム隊長です。移動には一緒にいたあの人相が悪い男の力を借りましたが、彼の存在に関しては僕らから詳しく言えませんし門外不出でお願いします。うっかり知られると彼に睨まれます」
本当にすらすらと嘘八百が。
ネイトの疑問を的確に埋めていくステイルには頭が下がる。しかもちょこちょこ事実を織り交ぜているから聞いている私達にもありがたい。実際レオンは式典では特にカラム隊長とよく話して仲が良いし友人という言い方も間違っていない。ヴァルに関しては若干物騒に聞こえるけれども。
ヴァルの話題になった途端、ネイトの肩が正直にビクリと上がった。やっぱり未だに怖がっているようだ、無理もない。
さっきのレオンのこと黙っていてねよりも激しく首を縦に振ってくれた様子から、こちらも秘密は守っては貰えそうだと考える。すると、今度はこれ以上ネイトからの質問を阻むようにステイルが笑顔で投げかけた。
「カラム隊長が貴方の不在を心配して僕らにも尋ねて下さりました。僕らもジャンヌから聞いてある程度貴方の事情は知っていたので、もしやと思って言ってみれば家から悲鳴が聞こえてきて驚きました。勝手に貴方の意思を曲げて急遽〝一つ目の方法〟に移ってしまったことは、僕から心からお詫びします」
申しわけありませんでした、と流れるように私の代わりに謝ってくれるステイルに慌てて私も一緒に頭を下げる。そこは全面的に私が悪いのにどうしてここでステイルが謝ってしまうのか!
慌てて私からも「でも」「それは私が」と頭を下げた後にステイルへ訂正を求めようとしたけれど、先にネイトからの言葉が上塗ってしまう。
「別に……伯父さんにバレたらもう隠してた意味ねぇし……。お前らどうせ〝あの人〟がいなくても入ってきたんだろ……。なら、…………怪我させられるよりは、あっちの方が……だし」
あれ?と。
まさかの全く怒っていない。てっきり約束したのにと怒鳴られるのは覚悟していた。
まるで毒気でも落ちたようにぽつぽつと話すネイトは、ベッドの上で膝を抱きかかえて座りなおした。視線がステイルにでもなく俯き気味に落とされる。
狐色の瞳が僅かに揺れて、抱える指に力が入った。もしかするとさっきのことを思い出しているのかもしれない。覇気のない声が小さな身体を丸くして零されるから余計に痛々しく聞こえてしまう。
ネイトに家を、そして伯父が現れる時を教えて欲しいと最初にお願いした時、彼はすごく怯えていた。きっと伯父にバレての報復が怖かったのだろう。
椅子に座ったまま手だけを伸ばし、彼のベッドへ乗せる。下から覗き込むようにして私はネイトの狐色の瞳を見つめた。
「ネイト。……貴方は一体いつかあんな目に?それに怪我だって……一体、どうして突然……」
真実を彼へ問う。
ゲームの設定でも、ネイトがいつから借金を返し続けていたや暴力へ悪化していたのかはわからなかった。彼の悲劇で重きを置かれているのはそこではないのだから。
それに少なくとも今日の怪我は、ネイトの絆創膏で隠しきれるような怪我でもない。レオンに協力して貰った別件逮捕だって、まさかここまで酷い暴力現場を押さえることになるとは思ってもみなかった。
言いたくないなら良いわ、と最後に付け加えながら私の問いにネイトは下唇を小さく噛んだ。僅かに肩まで震わせる彼に、やっぱりさっきの今では言いにくいかと私は一度この場から引くべきか考える。
今日の夜にはご両親も帰ってくるし、話なら全部落ち着いてからでも聞ける。視線を配れば、ステイルもアーサーもカラム隊長も控えめに頷いてくれた。彼らもネイトの様子から無理強いはやめて置こうと思ってくれたらしい。やっぱり今日はそっとしておこうとした、その時。
「……ちょっとだけ、……調子に乗った……」
人混みの中だったら掻き消されてしまいそうなほど小さな声で、ネイトが答えた。
昨日も聞いた覚えのあるその言葉に振り向けば、少し顔色の悪い彼はそれでも静かに私と目を合わせてくれた。まるで家出をした後のような声の細さとは裏腹に、瞳は今も揺れていた。顎を僅かに上げ、ポツポツと小雨のように少しず話し始めてくれた彼の眼差しは
まるで、荒野を歩いてきたかのようだった。