そして決定する。
「ネイトが、登校していない」
一瞬、頭が真っ白になってから言葉を疑った。表情筋に力が入らないまま、僅かに空いた口から声も出ない。
ステイルやアーサーから息を引く音が聞こえ、そこでやっと私も呼吸することを思い出した。
私達の思考を汲み取ったようにカラム隊長は頷き、更に言葉を続ける。
「今朝から一度も学校に訪れていない。男子寮の部屋も何度も確認したが、入った形跡すらなかった。一応校門の守衛騎士にもネイトらしき人間はと尋ねたが、確認されていない」
理解した。どうしてステイルとアーサーが見たカラム隊長が深刻そうな様子だったのか。ずっとネイトが不在なのを気にしてくれていたんだ。
そう考えながらサァー……と血の気が引いていく。何故、どうしてそうなったのかはわからない。けれど、ネイトがいない理由を考えればそれだけで全身から温度が拐われた。
喉が干上がっていくのを感じながら指の震えを誤魔化すように重ねた手をぎゅっと握り締めてしまう。
「勿論、彼の都合という可能性もあるが、……少し気にかかる」
前髪を押さえつけながら眉間に皺を寄せられれば、頷く余裕もない。
カラム隊長もこの場にいる全員がネイトの事情を知っている。そしてきっと同じことを考えている。
乾いた喉が枯れきったまま飲み込むこともできないまま、昨日のネイトの言葉が鮮明に蘇る。
『ちょっと調子に乗っただけだよ』
調子に乗った、と彼はそう言っていた。
どういう意味かは言わなかった彼だけれど、今はもう確信に近く嫌な予感しかしない。昨日まで発明を完成させると意気込んでいたいた彼が学校に来ない理由なんて他に思い付かない。昨日だってあんなに作業がしやすいって喜んでいたし、発明を進めたいなら来るに決まっている。だって彼は
家には居られない理由がある。
ネイトは、学校に居てもずっと発明ばかりをしていた。
わざわざ学校までの往復をして、それでも学校には通い続けた。本来授業も受けたくのないなら学校にわざわざ来る意味なんてないのに。私の前世みたいに義務教育なわけでもないし、世間体や受験の心配もない。なのに彼がわざわざ学校に来ていた理由は二つ。一つは、ご両親が望んでくれたから。そしてもう一つは少しでも〝安全な場所に〟逃れる為だ。
『作れ作れって毎日煩くてさ。お陰でコレだ』
そう言ってゲームのネイトがアムレットに笑いながら叩いて見せたのは、足に残された古い傷痕だった。
ネイトの家には、借金がある。
ご両親は多額のそれを返却する為に一生懸命働いたけれど、その催促はご両親だけではなくネイトの発明にも向けられた。発明をすれば買い取ってその分借金を、利息を減らしてやると言われてネイトも毎日のように発明を作っては売るようになった。……それが、彼にとって最初の悲劇だった。
ネイトの発明がわかるや否や、頻繁に両親よりも彼へ催促が入るようになった。発明をもっと作れ作れと怒鳴られその内暴力まで振るわれるようになり、ゲーム開始時には借金取りこそいないけれどネイトの足には薄くも古傷がチカチカと残っていた。最初はアムレットにも「昔転びまくっただけ」「発明でドジった」としか言わなかった彼からの告白は、あまりに痛々しいものだった。それがなくても彼の身体はゲームスタート時には片腕すら失っているのに。
昨日、ネイトの怪我を発見した時ももしかしてと思った。ゲームではいつから発明の取り立てが悪化したかは語られていなかったし、昨日身体中を確認しても怪我は足とお腹だけだった。ゲームみたいに全身に古傷があるわけでもなくそして五体満足だ。けれど、もし彼への暴力が急激に悪化したのだとしたら‼︎‼︎
「す……フィリップ。ネイトの元に直接行くことはできないわよね……?」
「……申し訳ありません、無理のようです。まだ知り合って数日ですから」
ステイルはまだネイトの元に直接瞬間移動できない。
運ぶ可能重量は増しているステイルだけど、直接本人の元に瞬間移動できるのにはその人に直接何度も会ったり話したりどんな人間かを掴んだりした上で具体的な感覚を持たないといけない。月に数回会っていたヴァルとだって直接の瞬間移動まで半年以上かかったし、定期訪問や式典で会っていたレオンとだって一年以上なのだから。ネイトの元へだってできるわけもない。
そうよね、と焦る気持ちのあまり無理な注文をしてしまったことに反省しつつ私は視線を泳がせる。
最初からわかっていた。ネイトの記憶を思い出した時から彼の事情も背景も。……だからもう一つの方法を選んで欲しかった。
けどネイトが選んだのは自分の発明をもっと高額に買い取ってもらうことで、親の借金を返すこと。
彼が協力してくれない限り方法もそれしかない。だけどネイトが今まさに酷い目に遭って、それこそ家からも出られないほどの状況になっているのだとしたらもう手段も言ってられない。ゲームで彼が話していた悲劇はそれだけで終わらない。借金の取り立てが酷くなって悪化した結果被害に遭うのは彼だけじゃなかった。ラスボスが関わっていないとしても借金取りは変わらない。そんなことになったら、本当に、本当に彼はっ……‼︎
「ネイトに、何か……っ」
「ジャンヌ、落ち着いて下さい。まだ、ネイトの身に何かあったと決まってはいません」
「そうです、確かに昨日の見て心配なのはわかりますけど…‼︎」
口籠もり、言葉も纏まらずに横髪を掻き上げて心臓だけを急がせる私にステイルとアーサーが肩にそれぞれ触れ、低めた声で言い聞かせてくれる。
けど今だけは落ち着けない。三人にはネイトが日常的に暴力を受けている可能性までは明確には話せていない。あくまで彼が借金をかたに発明を強要されていることだけだ。この前までネイトの足には古傷もなかったし手だって義手じゃなかった。絆創膏だって確認した。
ネイトが暴力を受けてるんじゃということは皆それぞれ察しがついていた様子だったけれど、当人のネイトから話を聞いても暴力を受けている確証なんて貰えなかった!ッたった昨日までは‼︎‼︎
今こうしている時もネイトや家族の身に何かが起こっているかもしれない。昨日は足を引き摺ってまで来た彼が来ないなんて相当だし、今まで毎日学校に来ていた彼が足を止めるなんて相当だ。
けど、肝心な彼の家も場所もわからない。学校では下級層の子とかが前提だから住所なんて把握していないし、彼自身もいくら尋ねても口を噤んでいた。ゲームにも彼の住所なんて描かれているわけもない。その時にはもう帰る家も無くしているのだから‼︎
取りたい方法はあっても手段がない。こんなことになるなら無理を言ってでも騎士の誰かを彼に付けてしまえば良かったと今更後悔する。中級層の居住地に絞っても、ネイトの家を探すなんて人海戦術を使っても一日は余裕でかかる。どうしよう、本当に手遅れになってしまったらっ……
思考が混ざったまま呼吸も忘れて頭を回す。けれど良い対処方法なんて出てこない。ネイトがどこにいるかも私達にはわからない。髪を掻き上げた手が強張って耳をつねってしまう。昨日強引にでもネイトの家を聞き出しておけばこんなことにはとまた無駄な後悔ばかり……‼︎
「ジャンヌ。それでなんだが……!」
今度はさっきまで口を結んでいたカラム隊長が、私に言葉を掛ける。
まだネイトに何かあったのかと、様子を窺うように黙してくれていたカラム隊長の言葉に心臓の音が余計に自分に響いた。意識的に視線を彼へと上げながら胸を押さえた手で拳を握る。拳越しですら心臓の収縮がはっきり指に伝わった。ちゃんと話を聞き取ろうと頭を必死に冷やして、カラム隊長の言葉に聴覚を集中させる。そして
「……え?」
私も、ステイルもアーサーも言葉が出なかった。
それはつまり……?と言葉を漏らせば、カラム隊長が声を潜めながら詳細を話してくれる。気が付けば硬く閉じていた筈の口が薄く開いてしまう。
他者に聞かれないように周囲に気を払い、それでも言葉を選んでくれる。最後まで聞き終わる前に頭の中では私の決意が固まった。もういてもたってもいられない。
口の中を飲みこみ、一度歯を食い縛る。取るべき行動を考える。ジャンヌ、とステイルが呼びかけてくれる間に息を吸い上げ、放つ。
「ッッッヴァル‼︎‼︎今すぐ来て下さい‼︎‼︎」
お腹に力を込め、喉を張り上げれば思った以上に校舎裏へキィンッと響いた。
ジャンヌ⁈と今度はアーサーとカラム隊長まで抑えない声で私を呼んだ。校舎裏ならと思ったけれど、すぐ近くにはいないのか返事はない。カラム隊長達も誰もいないと確認してくれていたし最初からダメ元だ。けど、この場に居ないなら!
「フィリップ‼︎彼を呼べる⁈今すぐに!」
瞬間移動を‼︎と頭の中だけで叫びながらステイルに駆け寄る。
その途端、ステイルも私が何を考えているのかわかったのか目を丸くさせた。「まっ、待って下さい⁈」と声を僅かにひっくり返す。人目がないとはいえ、こんな開けたところで瞬間移動なんてと頭ではわかる。ならばカードでも‼︎と、とにかく早くと急かすようにステイルの手を両手で掴む。カラム隊長まで戸惑いの声を溢す中、アーサーもステイルと並んで私を制止するように声を上げた。
「ジャッ、ンヌ⁈ここは、その!やっぱカラム隊長に」
「そうです‼︎それに今はまだ二限中です!流石にそれはっ……」
「ックソガキ‼︎‼︎せめて居場所と一緒に呼びやがれ‼︎‼︎」
聞き覚えのある怒鳴り声に顔を上げる。
見れば、校舎裏の壁面を特殊能力で伝いながらヴァルが滑り降りてくるところだった。屋上に居たのかなと思ったけれど、彼はまだ施錠区域に入るのは許されない。なら、外ではなく校舎内のどこかに居たのかもしれない。現れた瞬間から不機嫌この上なく顔を歪めているヴァルに「こっちです‼︎」と手を上げ、呼ぶ。
止めようとしていたアーサーとステイルも、彼の登場に半分諦めたように肩を落として頭を抱えた。カラム隊長が変わらず静止の声をあげるけれど、ここは引き下がれない。予感どころじゃない、確実にいまネイトは追い詰められている。今止めないと取り返しがつかなくなるかもしれないのなら‼︎
地面へ着地する彼へ向け用件を伝えれば、アァ⁈と唸られた。それでも撤回しないと意思を示し、彼らも共にと左右に立つステイルとアーサーの手を掴む。突然掴まれたことに二人の肩が大きく上下したけれど、直ぐに同行の意思を汲むように握り返してくれた。カラム隊長にも声を掛け、何処かにいるだろうハリソン副隊長にも向けて空へ喉を張り上げた。
私がこの姿で此処にいるのは彼らを助ける為なのだから‼︎‼︎
「早退します‼︎‼︎」
間に合わなければ意味がない。
活動報告更新致しました。
宜しくお願い致します。