Ⅱ178.貿易王子は尋ねる。
「ああ、その使者なら今朝来たよ」
珍しく明るい時間帯に訪れた彼に向かい、僕はそう笑い掛ける。
視線の先にはいつものテーブルで直接酒瓶に口をつけるヴァルと、そしてセフェクとケメトが並んで果物を頬張っていた。
今までアネモネ王国への配達以外は夜分に訪れることが多かった彼だけど、今日は昼が過ぎた頃に僕の国へと訪れてくれた。もともと城にまで訪れてくれるつもりがあったのかはわからないけれど、視察で城下にちょうど降りて民と語らっていた時に見かけたからそのまま馬車に乗って付き合って貰った。
最初は僕も、そしてヴァルも気付かなかったらしいけれどセフェクが遠目に「あ!レオン!!」と大声で僕を指差すものだから、民だけでなく護衛の騎士や衛兵も振り返った。王族で第一王子である僕をうっかりいつものように呼び捨てにしてしまったセフェクが不敬に見られないよう、僕からもすぐに声を掛けて馬車へと彼ら三人を促した。お陰でヴァルも舌打ちをしながら仕方なさそうに乗ってくれた。
城の衛兵は彼らを知っている者も多いけれど、そうでない民には良くない目で見られかねない。僕の知り合いだとわかった途端に緊張感も緩んでくれたけれど、それでも一応と目立たない内に彼らを馬車に避難させたかった。僕の護衛として城下に付いてきてくれたこともある彼らだけど、当時からフードを被っていたしまだ民達は見慣れていない。
プライドの一件でアネモネ王国に彼らを保護してから。特に奪還戦後から、ケメトとセフェクも以前より親しくしてくれることが増えた。最初に彼らを城に招いた時と比べれば天と地の差だと思う。それは本当に嬉しいし、遠目から僕の名前を、……しかもケメトではなく一番僕へ距離を作っていた筈のセフェクが呼んでくれたのは正直とてつもなく嬉しかった……。
彼女がヴァル以外の大人の、特に男性を警戒する理由はそれなりにわかっている僕にとって、自分から声を掛けてくれたことがどれほど大きな変化かもわかる。ちょっと前までは僕の名前どころか、目すら合わせてくれなかったのにと思えば馬車に彼らを避難させた後も民と語らいながら勝手に頬が緩んでしまった。お陰で女性達が何人か途中でふらついたり崩れてしまったけれど、もうこればかりは僕も自重できなかった。辛いことよりも嬉しいことの方が最近は顔に出さないことが難しい。
馬車に僕も乗り込んだ後は、その間にセフェクもヴァルかケメトに何がまずかったかは説明されたらしく、膝の上に両手を重ねて小さくなっていた。僕が入ってきた途端、思い出したように「学校ではまだ教わってなかったもの」と小さな唇を尖らせた彼女は本当に可愛らしかった。気のせいか、少し仕草がティアラにも似てきた気がする。
そうして折角だからと城まで誘えば、意外にもヴァルも二つ返事で乗ってくれた。いつもと違うフードの下の姿に色々言ってみたいことはあったけれど、部屋に案内するまでは我慢した。また機嫌を悪くさせたらすぐに馬車から飛び降りてしまうことも容易に想像できた。
そうして今、やっとお互いに腰を落ち着かせて乾杯を終えた。
グビリと最初に大きく喉を鳴らした彼が開口一番に口にしたのはプライドのことだった。
「また面倒事だ」と愚痴るように言っていたけれど、僕のところにも手紙が行っている筈だとまで教えてくれたところから考えても、比較的にいつもよりは乗り気なのだろうと思う。
「だけど、君達も今日アネモネに来るつもりだったのならついでに書状も請け負ってくれれば良かったのに」
その方が手間も省けるだろう?とグラスを傾けながら言ってみる。
間が悪かっただけかもしれないけれど、特殊能力を持つ彼らと違って使者は馬での移動だ。配達人がここに訪れるのに、わざわざ遠距離の移動を強いられたフリージアの使者が仕事とはいえ少し可哀想にも思った。フリージア王国の王都から我が国が一番近い距離にはあるけれど、それでも国と国との移動には変わりない。
僕の言葉に「知るか」と一蹴した彼は、椅子を軽く斜めに揺らすと気怠そうに首を大きく回した。少し疲れているのかなと思って尋ねてみると、昨日プライド達との話を終えてから一度広場で夕食を取った彼らは宿も取らず、今日我が国に寄るまで殆どずっと配達を続けていたらしい。
既に我が国を覗いて近隣諸国を三国回った後だと平然と言う彼に、流石だなと改めて感心する。ケメトとセフェクは移動しながら眠ったかもしれないけれど、特殊能力でとはいえ移動の舵を取らないといけない彼はずっと起きてないといけないのだから。
いつもより早い仕事量だけど、この後にはまた配達の続きと書状の返事を受け取りに回らないといけないと話す彼は結構忙しいのだなと思う。……まぁ、今は特に。
「それにしても、まさか君まであそこに居るとは思わなかったよ」
「そりゃあこっちの台詞だクソが。しかも王女まで連れてきやがって」
ごめん、と笑みで返しながら改めて彼を見る。
背丈こそいつもと変わらない彼だけれど、体格や顔つきが違う。学校見学の後に城で会った時と同じだ。いつもより遥かに若々しい姿の彼は話によると特殊能力者に十八まで年齢を巻き戻されたらしい。
確かにいつも外出する時はフードや口布を巻いていることが多い彼なら、他の配達先にそのままの姿でも簡単には気付かれないだろう。僕以外の他国とは本当に受け答えどころか配達のやり取りくらいしかしていないらしいし。
なんでも彼は、プライドの護衛の一環で生徒として潜入しているらしい。近衛騎士のアーサーもそうだけど、護衛の為に彼らの姿まで若返らせてしまうなんて本当にフリージア王国の秘匿と護衛は徹底している。プライドと学年こそ違うけれど、同じ学内で何かあった時に素性を隠したまま彼女を助けられる立場にいる人間がいるというのは心強い。
学校潜入の為に、配達は放課後少しずつ行っているという彼は仕事に掛けられる時間が短い分けっこう忙しいそうだ。その分、学校のない今日と明日は彼にとっても仕事に集中できる貴重な時間なのだろうと思う。そんな中で気まぐれにでもアネモネに寄ってくれたのは、それだけ彼にとってはフリージアの次に我が国が気楽な場所になってくれたのかなと少しだけ自惚れてみる。
今の姿では、普段素顔を出している自国よりもアネモネ王国の方が自分を知る人間が少ない分過ごしやすいということもあるだろうけれど。
そう考えながら無言で彼を眺めてしまうと、僕の視線に気がついたように片眉を上げられた。何見てやがる、と口にしなくてもその意図ははっきりとわかった。誤魔化そうと口を開いてみたけれど、次の瞬間にはフフッと思わず正直な笑いが零れてしまう。
「十八かぁ……。今は僕の方が年上なんて不思議だね」
「……俺にとっちゃあテメェもガキのまんまだがな」
ケッと吐き捨てる彼は、顔ごと僕から背けて酒瓶を一気に傾けた。
もともとは彼も隠すつもりだったのか彼の潜入を全く知らなかった僕だけれど、偶然知ってしまってからこうしてアネモネ王国を訪れてくれたことを考えても、今はもう知られたから良いかくらいには思ってくれているのかもしれない。今日、城に訪れるつもりが最初からあったのかなかったのかはさておき、それでも城下に頻繁に降りている僕と会う可能性を彼が考えない筈がない。現にこの前彼のこの姿を目にするまでは一度もアネモネでどころかフリージア王国でも彼の姿を見なかったのだから。
寧ろ、フリージア王国からの配達もヴァルではなく普通の使者が届けることがあったぐらいだし、やっぱり事情を隠す為に避けていたのだと思う。それがもう知ってからはこうして休憩がてらに訪れてきてくれるようになったのだから、僕としては彼の事情を知れて運が良かったなと思えてしまう。彼もその姿では顔馴染みの店は行きにくいだろうし、今日は仕事中の睡眠を邪魔したお詫びにもしっかり飲んで貰おう。
「そういえばセフェクとケメトはどうなんだい?学校でも一緒かい?」
新しい瓶の栓を抜き、彼の前に置く。
僕もグラスをもう一口味わってから彼らからの返答を待つと、口の中の果物を飲み込んだ後に二人は顔を見合わせることなく僕の方に向けてくれた。
「セフェクは中等部で、僕は初等部で、ヴァルは高等部なのでバラバラです。けど、配達では一緒です」
「ヴァルが学校では私達に他人の振りをしろって言うんだもの。主のことも探しちゃ駄目だし気付いても絶対話しかけるなって」
主達の子ども姿も見てみたかったのに!と不満そうに眉を寄せて三角の目でヴァルを睨むセフェクに、ケメトが「僕も見てみたいです!」と声を上げた。
どうやら二人にはまだプライド達の姿は見られていないらしい。ヴァルだけでなくセフェクやケメトも学校では単独で過ごしていることが少し意外だったけれど、離れていても変わらずこうして仲が良いことは本当に幸福なことだなと思う。
プライド達の生徒姿に興味津々な彼らに僕から「三人ともとても可愛かったよ」と告げると、セフェクから「ずるい!!」と一番に声を上げられた。ケメトからは前のめりにどんな姿だったかと詳細を求められ、そこまでは流石に今は言えないなと意識的に口を結ぶ。
プライド達から許可がないなら言えないと謝ると、目に見えて二人とも落胆してしまった。その様子にヴァルが少しだけ愉快そうにせせら笑う。この様子だとやはり護衛の面からも彼だけはプライド達の姿を知っているらしい。……それにしても。
『他人の振りをしろって言うんだもの』
ついさっきのセフェクの言葉を頭の中でまた繰り返す。
彼がそのままそう言ったのかどうかはわからないけれど、彼女達の口から自然と他人の〝振り〟という言葉が出たことが何とも感慨深い。しかもヴァルもセフェクの言葉に「うるせぇ」とは返しても「元々他人だ」と言おうとすらしない。
もうそれだけ彼らの中ではお互いの存在が馴染みきっているのだろう。僕が知っているだけで既に三年は一緒にいる関係だから当然というば当然かもしれないけれど。
また自然と顔を笑んでしまうのを感じながら彼ら三人を見比べる。ちょうどヴァルがせせら笑っているのに気付いたセフェクが「なによ!」と水を正面から掛けたところだった。最初は少し驚いたけれど、今ではもう見慣れた光景だ。
ケメトが慌てて席を立ち、ヴァルにナフキンを渡そうと差し出した。袖で顔を拭いながらヴァルもケメトの声だけで手を伸ばし、掴んだそれで顔を乱暴に拭う。本当にいつもの光景だなと思うそれが微笑ましい。学校が始まって彼らは寮生活が増えるらしいけれど、きっとこの関係は変わらないのだろうなと思う。何より、僕が変わって欲しくないと思ってしまう。
「学校では良い友達ができると良いね。同年代の友人ができる機会なんてきっと貴重だよ」
「私はもうできたわ!」
僕の言葉に自信満々に胸を張るセフェクは、目が輝いていた。
この前の特待生の時も聞いたけれど、学校は本当に良い時間なんだなとそれだけでわかる。「またその話かよ」とうんざりと声を漏らしたヴァルが、濡れた布をテーブルの隅に置き、酒瓶の中身を残りも全て飲みきった。
今の十八の彼の姿だとセフェクとケメトが並んでいても普通に仲の良い兄妹に見える。十四と十歳の妹弟がいてもなんらおかしくもない。……いや、ケメトとヴァルではやはりそれでも少し離れ過ぎた方かな。王族や貴族なら色々な意味で珍しくもないけれど。
「……………………」
「……ケメト、どうした」
不意にヴァルが視線をセフェクから別方向へ向けた。
彼の声に僕も釣られるように目を向けると、ヴァルにナフキンを手渡す為に席を立った彼が今も自分の席に戻らずにヴァルの隣で立ち尽くしたままだった。
床へ俯いていたらしい彼はヴァルの言葉に勢いよく「いえ!」と顔を上げる。寝癖まじりの髪がピョンと跳ねた。
ぼーっとしてました、と早口で言う彼は慌てて自分の席へと戻っていった。セフェクの隣にちょこんと座る彼に、彼女も気にするように「どうかしたの?」と覗き込むけれど、ケメトは笑顔で首を横に振った。ちょっと眠いみたいですと言う彼に、移動中にそんなに睡眠がとれてなかったのかなと思う。
「良かったら泊まっていくかい?客間でも僕の部屋でも構わないよ」
「そういう台詞は主に言えるようになってから吐くんだな」
プライドには言わないよ、と僕からも一言で切った彼に肩を竦める。
新しい酒瓶を手に取っていた彼は、口を付けないまま一度テーブルに置いた。もう帰るのかなと思えば、セフェクを間に挟んで座るケメトの方に首を伸ばす。
まるで気を逸らすように皿の上の果物を頬張ることに夢中になるケメトを一声呼ぶと、ちょうどフォークで次の一口を刺したケメトの肩が目に見えて上下した。その様子が少し引っかかったけれど、両肩が上がったまま振り向くケメトにヴァルが口を大きく開く姿の方が少し珍しく見えた。口を開けるヴァルにケメトも何も言わずフォークで刺したフルーツを差し出せば、バクリと一口で食べられた。その途端、強張っていたケメトの表情がパッと明るくなる。
「甘ぇ」と一言しか味の感想を言わないヴァルに続き、セフェクも「私もちょうだい!」と同じ皿のフルーツなのにケメトにねだった。嬉しそうに顔を綻ばせてセフェクにもフルーツを一口差し出すケメトはいつもの彼だった。
何事もなかったかのように今度こそ彼が酒瓶を仰ぎ出す時には、今度はセフェクがケメトに「あーん」とフルーツを差し出していた。小さな口でパクンとフォークの先を頬張るケメトは、自分の手で食べる時の何倍も美味しそうだった。
「……明日はプライドが我が国に定期訪問で来てくれるんだ。良かったら君達もどうだい?」
「生憎こっちは昨日話したばっかだ。んなことより、テメェは赤毛の近衛と何かやらかしたそうじゃねぇか」
赤毛、という言葉に恐らくはカラムのことかなと推察する。
原則には赤毛、というよりも赤毛混じりの髪だけど、プライドの近衛騎士で赤色の髪は彼しかいない。カラム、そしてやらかしたといえばあの事だろうかと僕はステイル王子の誕生祭でのことを思い出す。なら、プライドが定期訪問を今日明日にと望んだのもそれを聞く為かなと考える。別にカラムの口から報告してくれても一向に構わなかったけれど、僕に遠慮したのかもしれない。まぁ僕が巻き込んだ形だったし、そういう意味でも僕から話した方が妥当だろう。
別にたいした事はしていないよ、と軽く返す僕にヴァルはグビッと酒で喉を鳴らしてから瓶を持った手で僕を指した。
「わかってんだろうなぁ?テメェもまた面倒に巻き込まれるぞ」
「勿論。僕が望んだことだからね。君もそうじゃないのかい?」
顔を顰めたまま誰よりも自分が一番面倒そうにする彼に僕からも一手打ってみる。
その途端、一際大きな舌打ちをした彼は「テメェと一緒にするんじゃねぇ」と牙のような歯を剥く。半分以上残っていた酒瓶を一気に飲み干した。僕が新しい酒を開けて彼の前に置けば、気怠そうな彼は大きく伸びをしてからおもむろに立ち上がった。
行くのかい、と尋ねてみれば開けたばかりの酒瓶を片手に生返事だけが返ってくる。顔を覚えている城の人間に歳の変化を気付かれないよう、フードと口布を巻き直した。皿を空にしたセフェクとケメトも会わせるように席から降りて彼の後に続いた。
いつもより短い飲みの時間に残念にも思ったけれど、彼もまだ仕事の途中だし僕も僕で公務があると思えば丁度良い。扉まで見送る僕に「またな」と手を追い払うようにヒラヒラさせて背中を向ける彼に、僕も一声返す。
ケメトとセフェクも真似をするように「お邪魔しました!」「また」と手を振ってくれた。バタン、と扉が廊下の衛兵によって一度閉じられ、一呼吸置いてから控えていた侍女達が清掃に入ってくる。
「さて、と。……僕も仕事に戻ろうかな」
んーっ、とヴァルの伸びに感化されるように頭上で腕ごと背を伸ばす。
少し休息を取り過ぎてしまったけれど、お陰でこの後の仕事は集中できそうだ。
窓の外に目を向けると、高らかな陽の光が部屋に広がっていた。酒の香りを換気する為に侍女が窓を大きく開ければ、心地良い風が舞い込んでくる。明日はこの風と一緒にプライドが我が国に訪れてくれるんだなと思えば、今からトクンと胸が高鳴った。
『テメェもまた面倒に巻き込まれるぞ』
「…………楽しみだな」
フフッと笑みが思わず零れながら、鼻歌混じりに仕事用の執務室へと足を踏み出した。




