Ⅱ176.私欲少女は恐れる。
文字を目でなぞり、読み上げて行けばこの情報屋はどうやらジルベールの腹黒さもよく知っているらしいとだけステイルは理解する。
更にはこちらの書状の時点でいくつも並べられた情報は、校内に潜入していた自分達やケメト達すら掴んでいない噂も含まれていた。
中には〝商品リスト〟と、凄まじく不吉で不快な言葉と情報にまで及んでいればステイルの眉間に皺が刻まれた。ジルベールとステイルが読み終わるのを固唾を飲んで待ち続けたプライドとティアラも、目の前の二人からうっすらと皮膚を逆撫でられるような恐ろしい覇気を醸し出したことに肩を強ばらせた。一体その書状に何が書かれているのかと、自分も目を通したいような読んではいけないような葛藤がじわじわと足下まで及んだ。そして確実に二人は自分達にそれを直接は読ませてくれないであろうとこともプライドとティアラはこれまでの経験でわかっていた。今までヴァルを通して提供されたその書類を、彼女達は一度たりとも目を通させて貰えたことはなかったのだから。
一分一秒が妙に長く感じながら二人が読み終わるのを待つ間、プライドとティアラはテーブルのカップにすら手を伸ばすことができなかった。特にステイルから次第に黒い覇気が溢れ出ているのを肌で感じながら、僅かに身体を彼らから退いてしまう。
近衛騎士のアランとカラムすらピリピリとした空気感に口を結ぶ中、ケメトとセフェクだけが暢気に焼き菓子を頬張っていた。ジルベール達からの質問が止んだ今の内に頬張っておこうと次から次へと甘い菓子に舌鼓を打った。二人のその様子を部屋の隅で眺めながらヴァルはもう二人を連れての国外配達は今日中は無理だなと諦める。
完全にセフェクとケメトが寛ぎ状態になっている上、窓の外は大分陽が落ち着いている。行くとしたら、満腹な二人を早早に寮へと押し込んでから一人で行こうと考えた。
ジルベール達の話に耳を傾け続けていた彼だが、ここに情報屋でもあるベイルからの情報が入ればまた彼の話の真偽がはっきりするだろうと今は話の進展を無言で待ち続けた。ケメトの言う、初等部の生徒を校舎裏に呼びつけた上級生生徒については大して興味もないが、三日前にベイルが話していた件についてはどうしても引っかかる。ここでジルベールやステイルから単なる噂、もしくは学校には関係ないと言われればそれなりに安心できるが、そうでなければと。
そこまで結論付けた時、とうとうステイルとジルベールが報告書を読み終えた。ジルベールが「それでは掻い摘まんでお話しますが」と口を開く中、ステイルはとうとうジルベールが開いていた方の報告書にも目を通し始める。彼の話を聞きながら目でも情報を取り込むステイルは、まだひたすらに鋭い眼差しのままだった。
「先ず、カラム隊長からお話頂いた件について。……大体ですが、輪郭は掴めて来ました。これは早々に見直しが必要になるかもしれませんねぇ」
にっこりと。優雅な笑みを浮かべて見せたジルベールに、プライドの背中が伸びたまま硬直した。
ヒィッ!!と悲鳴を上げたくなるほどに怖いジルベールの笑顔を前に、確実に彼が真実に近付いていると確信する。まだ書面を読み切っていないステイルも合わされば、確実に今以上の寒気が自分を襲ったであろうことも。
そこからスラスラとジルベールが情報に基づいて並べる推論は、全てプライドがゲームで知る事実に近い状態だったのだから。実際に情報としてあげられたものだけではなく、そこからここまで真実に踏み込んでしまうかとプライドは改めてジルベールの優秀さに舌を巻く。
なるほどと相づちこそ打つが、自分の予想を遥かに上回る速さで真実を手中に収めているジルベールが若干怖くなった。最後には「まぁ、レオン王子殿下からのお話しも鑑みてからで遅くはないでしょうが」と締めくくられば、きっとレオンの証言こそがそのまま王手になるのだろうなとプライドは理解する。
「……そうなると、ケメトが話していた件にも確かに結びつきますね。〝商品リスト〟を探し回っているという大元が、学内にも手を伸ばしているとすれば。……下級層の子どもが集い、大人の目が届きにくい学校は絶好の狩り場でしょうから」
更に全てを速読し終えたステイルが、ジルベールに続くように事実をざっくりと掘り上げて行く。
確かに、とステイルの推理に頷くジルベールも考えは同じだった。しかもステイルのその言葉に思い出したようにケメトが「そういえばその子も下級層の子でした」と応じれば、ピクリとヴァルの右肩が上がる。壁に寄りかかろうとしていた身体から前のめりに起こし、苛立つように貧乏揺すりまでしながら上目にソファーの彼らを睨む。
凍り付くプライドを置いて、話を聞いていたティアラが「商品リストって?」とステイルに尋ねれば、彼は目の前にいるセフェクとケメトを気にしながら言葉を選んだ。
「人身売買の商品リストだ。その手の〝業者〟は四年前の殲滅戦より前から何処ぞの宰相が鎮火していたが、……定期的にまた湧いた可能性はあるな」
刃のようなステイルの殺意に、重なるように今度はヴァルからも舌打ちが零れた。
四年前の殲滅戦に深く関わった彼からすれば、セフェクとケメトを二度と関わらせたくない相手でもある。国外に出れば未だに時々見かけて捕らえることもあるが、国内の城下ではもうここ数年絡まれたこともない。
生き残り業者と繋がりを持つ裏稼業程度は探せばいるだろうが、業者や市場はここ数年見かけなかった。
ステイルが「しかしまだ商品リストを求めているだけだ。業者の情報はない」とヴァルにも聞こえるよう冷静に言葉を重ねたが、それで安心できる彼でもない。腹の中がグラつく感覚を覚えながら、彼らを睨めばその間もスタスタと置いていくかのようにステイルとジルベールの推論戦が続いていく。
「一体どういうつもりで〝ライアー〟を探しているのか。そして商品リストや下級生徒ばかりを狙っての脅迫行為。……恐らくはカラム隊長が職員から聞いたという生徒の早退や不登校もこれが原因でしょう」
「高等部の生徒に口止めと称して脅迫されては、彼らに身を守るすべなどありませんからねぇ。教師への信頼もまだ構築されていないでしょうし、学校から去るというのはある意味現時点では賢明な判断といえるでしょう」
「だが、こんなことを繰り返されてはプラデストの目的である下級層の未熟児救済が成り立たなくなる。早急に対処する必要がある」
「ならば先ずは大元を叩くか、首謀者を引き摺り出すのが手早いかと。こちらの旨は王配殿下にも私から報告しておきましょう」
「いますぐ捻り上げられないのならば、その前に生徒の保護だ。下級層の生徒が狙われているならば、先ずはそこを防止するのが最優先だろう。見回りの数を増やすか、いっそ衛兵達を派遣するか……教師の負担はこれ以上増やしたくない」
「仰る通りです。では先ずはケメトの見たというその上級生を」
目の前で詰め将棋でもしているかのようにカチカチと真実に近付いていく二人の姿にプライドは口端が引き攣った。
ゲームの設定を全く知らない二人が、まるで攻略本でも読んでいるかのように一歩一歩確実に進んでいる。まさかの数日どころか、今この場で首謀者まで辿り着いてしまうんじゃないかとプライドは若干賞賛よりも恐怖が勝った。
改めてジルベールとステイルの知性派コンビの恐ろしさを目の当たりにする。これだけの情報を数日で得てしまったジルベールの情報網もさることながら、この場で突然提示された情報だけで的確に事実を組み立ててしまうステイルも恐ろしい。本来ならば自分が予知に関して真実を伝え、その上で取って貰うべき対策をあっさりこの場で立ててしまっている。まるで千ピースの白パズルを組み立てているのを見ているかのような圧巻された気分になった。
まだ、真実の最奥までは流石に二人も辿り着いていない。秘匿された情報である上、流石に結びつけるのも難しいだろうとプライドも思う。しかし、今ある膨大な情報と更にはそこから必要な部位だけを的確に組み立てている。このままならば、自分がネイトを解決するのよりも先に二人が成敗する方が先になるのではないかと思う。
カラムから聞いた件と、ケメトも被害に遭った上級生からの脅迫、その大元。そして〝ライアー〟の三つが全て繋がれば、この二人と時間が問題は解決してくれる気がする。ただし、
……彼のことは、私が動かないと。
最終的には、と。
プライドはそれだけを改めて頭に刻んだ。脳裏には特別教室で目にした姿が浮かぶ。
ファーナム兄弟のルートを思い出してから、彼のことも芋づる式で思い出したプライドだけが今の問題の真実を全て知っている。ある意味、彼こそがプライドが予知したことになっている〝学校を根本から揺るがす事態〟に最も近い存在でもある。
そう考えている間にも、目の前ではステイルとジルベールの作戦会議が続く。プライドに一任されたのはジルベールだが、ステイルも聞いたからには黙っていられない。
ジルベールの実力自体は微塵も疑っていないが、既に後ろ盾のない生徒が何人も学校を去らねばならない事態に陥っている以上、大元を叩くよりもこれ以上の生徒被害を抑えることを優先したかった。そしてそれはジルベールも同意見だ。
再び二人で流れるように討論と間違えるほど凄まじい勢いで意見が詰み上げられる。
「ですからステイル様。こちらを両方同時に並行するというのは難しいかと。見回りを増やす程度ならば不審がられませんが、これ以上の騎士の派遣や学校へ具体的な対応策を立ててしまえば、こちらの動きが相手にも気取られる恐れがあります。そうすれば、大元や例の件についての調査も警戒され進展も遅れます」
「だが、既に教師が見回り強化した今も防ぎきれていない。カラム隊長の見回りでは時間も限られている。ジルベール、大元を今すぐ捻り上げることは」
「正当法では難しいかと。相手もそれなりのものをお持ちですから。非道に陥れるだけで宜しければ方法はいくらでもありますが、まだ確たる証拠も揃っていない内からでは取り返しの付かない結果も招きかねません」
「レオン王子にも話せば協力は得られるだろうが、……カラム隊長とのことで話は聞けても流石に〝学校見学〟だけで防止は難しいだろうな」
「ええ、流石に。護衛の騎士が詰め寄せれば尻尾も出さないでしょうし、何よりそこで動きを防げても一時的な効果でしかありません」
「ならばやはり、見回りを増やして現場を押さえるしかない。現行犯で何人か捕らえ、吐かせれば良いだけの話だ。時間は掛かるかもしれないがそこから大元か、もしくは家名でも吐かせてくれれば」
「つまりはそのガキ共を全員とっ捕まえて吐かせりゃあ良いんだな?」
パキッと。
先ほどまでは会話に参加しなかった人物が、今は正面からジルベールとステイルを睨んでいた。
二人の話が白熱し始めた頃から壁側の重たい腰を上げ、ソファーに掛けるセフェクとケメトの背後に回っていた彼の言葉に、ジルベールとステイルは同時に口を止めた。ゆっくりとお互いに合わせていた顔を声のする方へと向ければ、振り返ったセフェクがヴァルの口にクッキーを放り込んだところだった。
パキパキと上等なソファーの上に食べカスを零しながら咀嚼するヴァルに、今は誰も文句は言わない。鋭い眼差しを尖らせ、牙のような歯を剥きギラリと眼光を光らせるヴァルの言葉の意図はそれ以上言わずとも理解した。
彼がソファーに近付いて来た時から予感はしていたプライドは、「まさか」と思いながら顔が引き攣った。
まさかカラムやジルベールだけでなく、彼までもが自分から協力を申し出てくれるとは思いもしなかった。
学校内に潜入中の生徒。しかも最上級生である高等部三年に扮した彼ならば、たとえ生徒と乱闘を目撃されようとも大元には気付かれない。あくまで問題児同士の諍いだ。そして休み時間であろうとも授業中であろうとも自由に校内を歩き回れる立場と、既に問題児として授業をサボったところで不審がられない唯一の存在でもある。
彼が動いてくれれば助かる、と。それはプライドも前から思ってはいた。しかし、学校に潜入させているだけでも巻き込んでいるのに、更に動いてくれなど頼めない。そう思っていた彼女にとって、彼自ら学校の治安の為に動くような真似を志願するのは予想外だった。
しかし、セフェクとケメトの生活圏。更には商品リストまで仄めかされた以上、ヴァルにとっても早期解決は望むところだった。その為ならば、少しくらいの面倒事も目を瞑るしかないと飲み込む。
プライドとティアラも、ヴァルが正義心などではなくセフェクとケメトの為に動いてくれようとしているのだなと言葉にせずとも理解した。そして更に
「……ああ、そういうことだ。これ以上生徒の被害を抑えられればこちらも集中できる」
「仰る通りです。それさえ叶えば早期での解決を私がお約束致しましょう?」
腹黒策士と天才謀略家のこの上なく悪い笑みに、全てが彼らの手のひらの上だったと確信する。
ギランと光るその四つの眼光に、自分へ向けてないにも関わらず背筋に冷たいものが駆け抜けたプライドは、思わず両膝に降ろした両拳をぎゅっと握った。ティアラも兄へ「悪い顔」と思いながら困ったように唇を尖らせる。
アーサーがこの場にいれば確実に薄気味悪い二人の笑みに顔色を変えていたところだった。それこそ、二人が問答を始めたその瞬間から。
言葉を重ね合いながら打ち合わせもなく、二人の意思は一つだった。ヴァルを誘おう、とそれを言葉にせずともこの場での最善手だと相手が導き出せたことはお互いわかっていた。ここで導き出した事実をそのまま言葉にすれば、確実にヴァルは協力を申し出る。
プライドにとって大事な新機関である学校。そしてセフェクとケメトが絡めば、彼がじっとしている訳がない。更には彼に提示する行動はシンプルに言ってしまえば〝不良生徒潰し〟だ。配達人として国外を行き交う際に裏家業の人間を捕らえて騎士団に引き渡すこととやることは大して変わらない。更にはプライドが幸いにも既にヴァルへ与えている〝許可〟を鑑みれば、彼以上に適役はいなかった。
二人の笑みに、ヴァルも若干の嵌められた感は察したがだからといって蹴る気にはなれない。自分を誘導したのはさておき、それで本当に自分の潜入中に全てを解決してくれるのならこれ以上のことはない。プライドの潜入が終わり、今度こそ二人を学校へ安心して押し込む為にも面倒な不安要素は全て排除したい。
「特殊能力の使用は」
「気付かれないようにならばの使用許可、でどうだ?まぁたかが十八の〝ガキ〟にお前が姉君から得た許可だけでまさか敵わないとは思わないが」
「生憎こっちの身体もその〝ガキ〟のままだ。遠慮無く使わせて貰うぜ。憂さ晴らしにゃあちょうど良い」
「決まりだな。報酬は可能な限り望む形で俺が約束しよう」
宜しいですか?と最後にはステイルからプライドへ主としての許可が求められる。
ヴァルとステイルとの物騒にしか聞こえないやり取りを前に、プライドも「はい」と枯れた声でしか返せなかった。強張ったままの顔が、頬の筋肉を痙攣させそうなまま固まっている。
主であるプライドからの正式な許可に、ぱちりと目が合った途端ニヤリと笑みを広げたヴァルは「少しは楽しめそうだ」と含みを持たせて言い切った。完全に嫌な予感しかしない彼の発言に、プライドは冷たい汗を背中に感じながら「一般生徒へやり過ぎちゃいけませんからね」と念を押す。
「ヴァルが何とかしてくれるんですか?!」
「私も手伝ってあげるわよ?ヴァル一人じゃ心配だもの」
話の纏まった様子に、ケメトとセフェクがソファーから乗り上げて背もたれ越しのヴァルへしがみつく。うぜぇ、要らねぇ、学校じゃ関わるなと煩わしそうに顔をしかめるヴァルに二人は両側から腕を掴んで引っ張った。
物騒な話が行われた後とは思えないその長閑さにプライドは微弱に震える指でカップを持ち上げた。
……あの不良生徒、ケメトに怪我させなくて命拾いだったわね。
そうなれば確実にこの機に乗じた保護者からの報復が待っていただろうと。頭の中だけで想像しながらプライドは、紅茶と一緒にその言葉を飲み込んだ。




