Ⅱ170.私欲少女は硬直する。
「もう。……兄さんのそれの所為で、キティにもララにも兄さんのこと誤解されちゃったままなんだから。ジャンヌ達には兄さんの性格がバレちゃったし意味ないでしょ」
「えっ。あ、そっか。……でも良いだろー⁈アムレットだってどうせなら格好良くて紳士で素敵な兄ちゃんが良いだろ⁈」
「だから私はありのままの兄さんが良いんだってば。それより過保護なところを治してくれた方が嬉しいわ!」
「過保護ってことはねーし⁈兄ちゃんは兄ちゃんとして当然の心配をだなぁ……。挨拶する時だって仕事着で毎回一番上等なのを選んでるんだぞ?」
アムレットの友達に失礼がないように、と。そう言って青年は自分の背広を摘んで見せる。
それなりに上等な燕尾服から察するに、どこかの執事か付き人辺りだろうかとプライドは考えた。アムレットの友人に会う為に仕事着のままだということと、その発言から恐らく彼の私物で一番上等なのがその仕事着なのだとも推察できた。整った顔立ちにも似合う格好から余計に彼の言葉遣いだけが全てに浮いているとも思ってしまう。
「もう次からは自分の服もちゃんと買って。特待生になれてお金も浮くし、兄さんも自分の為にお金を使ってくれて良いって言ったでしょ。お願いだからもうこれ以上仕事増やして無理しないで」
「大丈夫だって。アムレットこそ奨学金は好きに使えよ?貯めるのは兄ちゃんに任せとけ」
アムレットは良い子だなぁ、と妹の説得も虚しく上機嫌でアムレットの頭を撫でる青年は全く譲る気はないのだとプライドは理解する。
既に何度も繰り返されているのであろう二人の会話に、アムレットがしっかり者に育った理由を垣間見た。彼女が何故どうしても特待生になりたかったのか、その答えが目の前にいる。明らかに妹の為に全てを掛けているようにしか見えない彼に、プライドまで少し心配になってしまう。
「アムレットが寮に無料で引っ越せて昼飯も良くなっただけで兄ちゃんは大助かりだ。俺の分だけなら適当で済むしモーズリー家なら奥様に食わせて貰えるしリネットさんとこなら安心だし仕事の合間にお前を迎えに行く必要もなくなったし」
こうしてアムレットに会えないのは寂しいけどな‼︎と最後は力強く締め括る彼にプライドは上手く煙に撒こうとしているのだなと心の中で思った。
アムレットが訂正するように、自分は迎えに来なくても良いといつも言っていたことを訴えたが兄は首を横に振る。それはできない、何故なら俺は兄ちゃんだからと全てをそれで押し通そうとする彼はプライドの目にはいっそ清々しく映った。
もうっ、とアムレットがそこまでいくとここでの言い合いを諦めるように息を吐いた。特待生になってから何度もやっているこのやり取りをまさかジャンヌの前でも見せることになるなんてと、後からじわじわと恥ずかしさまで込み上げた。いくら自分がしっかりしているつもりになっても、兄の前ではあくまで妹でしかない。
「まぁとにかくだな、ジャンヌ」
妹が折れたのを確認し、青年は話を切る。
話す相手をアムレットからプライドへと変え、唐突に視線を向けた。はい⁈と、突然の投げかけにプライドの両肩が上がる。彼女も彼女で一息つけばアムレットや彼について考えたいことは山ほどあった。
自分に向けられた二重の透き通った深緑の眼差しと目が合い、一度プライドは唇を結ぶ。まさか挨拶以外にも話しかけられるとは思わなかった。
青年はもう話し方も態度も誤魔化すつもりもないようにニカッと笑い、それから妹の頭に置いていた手を今度はプライドの上へと乗せた。不意に頭を撫でられ、手の心地よい感覚と真上から降らされる太陽のような笑顔にプライドの目が丸くなる。
「……ありがとうな」
その声だけは格好つけたわけでもない、たた自然と低められたものだった。
するり、するりと十四歳の小さな頭を撫でられ、金縛りにでもあったように固まるプライドに彼は言葉を続ける。
「教師にも断られたのに、頭の良い友達が教えてくれることになったってずっとアムレットは大喜びだ。寮になったら俺は今までみたいに傍にいてやれねぇし、本気で頼むから仲良くしてやってくれ。あとパウエルともな!」
そう言って視線を傍に立つパウエルへと話題を投げる。
突然自分の名前が出たことにパウエルも肩を揺らしたが、その反応にも慣れたように青年は「仲良いんだろ?」とプライドにも確認を取るように笑い掛けた。
「さっきの子のことすげぇ心配してたし三人とも友達なんだよな?もしかしてパウエルが会えたって言ってたのってお前らの誰かか⁇六年前の……って、俺らも詳しいこと全然聞かされてねぇけど」
いえそれは……、とプライドも思わず言葉を濁す。
いまここで安易に情報を与えられない。そう判断した彼女は苦笑いだけで誤魔化した。
アムレットも自身が尋ねたかった問いをあっさり兄が投げかけてくれたことに唇を結び、じっと望むようにプライドを真っ直ぐに見つめた。しかし、逆に兄の方はもう曖昧に返された言葉に大して興味もないようにまた思ったことを口に出す。
「まさか二人も世話になるなんてなぁ~。パウエルとアムレットの友達が同じなんて思いもしなかったぜ。あ、お前達も俺のことは兄ちゃんと呼んでくれていいからな!」
「「呼ばなくて良いから」」
直後、アムレットとパウエルの言葉が重なった。
ビシッと自分を親指で指し示して決めポーズを取った青年に妹と友人は全く容赦がない。むしろその掛け合いも慣れたといった様子でため息混じりに言う姿に、プライドは本気で少し笑いそうになった。
主人公のアムレットだけでなく第三作目の攻略対象者であるパウエルまで気心の知れた相手といわんばかりの対応に、場違いとわかりつつも胸が浮き立ってしまう。ゲームと全く違う状況のパウエルにこんな仲の良い友人までいるんだと思えば、泣きたくすらなった。
その後もアムレットに「ジャンヌ、断っていいからね」と念押しをされれば、勢いのままに頷いた。
「なんだよ!良いだろー⁈ジャンヌ、さっきの銀髪と黒髪のやつにも遠慮なくそう言っといていいからな?困ったときはいつでも兄ちゃんに言ってくれ」
「兄さんったら、口調を戻すとこうなんだから。私の兄さんというだけじゃ足りないの?」
「いや兄ちゃんはアムレットの兄ちゃんなのが一番幸せだ!!」
「はい、ならもう要らないでしょ」
おしまい、と。いつもの締めくくりで兄の暴走を止めるアムレットはそのまま「そろそろ仕事でしょ」と促した。
兄の希望であったジャンヌへの挨拶を終えた今、これ以上余計なことを言う前に送り出してしまいたい。十四にもなって未だにべったりな兄はそれだけでも恥ずかしいが、このままいつもの妹自慢なんてされたらたまったものではなかった。
兄の背広に皺を作らないよう意識しながら背を押せば、そこで大事なことを思い出す。あっ!と息を飲み「兄さん、ちょっと」と約束を守るように指摘しようとしたが、その前に兄がまだ足りないと口を開く方が早かった。
「そうだジャンヌ!」
妹に背中を押された瞬間、帰れという意味だとわかった兄は妹とは全く違う意図でまだやってなかったことがあると思い出した。
手を勢いよくプライドへ伸ばし、ニッと明るく笑いかける。握手を求められているとすぐに理解したプライドも、茫然としながらその手を取った。
躊躇いなく握り返してくれる少女に、青年もやはり妹の友人は良い子だなと思えば夏の日差しのような明るさが笑みに強まった。
「引き止めてすまねぇ!けど、本当にこれからもアムレットを宜しくな。困ったらなんでも頼れ!妹の友達は俺にとっても大事だからよーく覚えておいておいてくれ」
何度も念を押すように妹を宜しく、頼ってくれと言ってくれる青年は熱量こそ強いが本当に良い人なのだなとプライドは思う。
アーサーだけでも紹介できたらと思うが、それも難しい。彼も今はエリックと共に校門から少し距離が離れた馬車の傍である。まだ校門前に佇むセドリック達の方が距離も近い。
アムレットが紹介した時に話した通り、生徒ですらない兄と今後関わることはそう無いとプライドも思う。しかしここまで親切に言ってくれる人ならば、是非また話す機会をゆっくり持てたら良いなとも小さく思っ
「フィリップ・エフロンだ」
………………。とその瞬間、プライドの笑みが固まった。
え、の一音すら出ないほど、驚愕に息まで止まった。
目の前で名乗ってくれた青年を見上げた視界のまま、端の方で気まずそうに苦笑いを浮かべるアムレットが映る。
そういえば今まで彼女は一度もステイルのことを〝フィリップ〟と呼ばず家名の〝バーナーズ〟と呼んでいたことを思い出す。
そして照れたように唇を結び顔ごと背けるパウエルを今度は確認すれば、何故彼がさっき体調不良のステイルを「フィリップ」と呼ぶのを詰まらせたかも納得できた。
二人の様子に、プライドは自分の聞いた名前が聞き間違いではないと核心する。
そして思い出す。もともと、四年前の殲滅戦でステイルがその仮名を名乗るようになったのは何に由来していたか。
先ほどまでは〝主人公に兄がいてパウエルとも知り合い〟という事実に埋め尽くされていた頭が、今更ながらやっと〝何故ステイルがアムレットを避けたがっていたか〟までに思考が巡り出す。
ただでさえ、優秀なラスボス女王の頭脳を駆使しても飲み込みきれなかった情報が一枚一枚剥がされては少しずつ消化され燃えていく。
ステイルの〝フィリップ〟という名が昔の友人の名であったと、四年前彼女は確かに本人から聞いていた。
「………………」
馬車の前で腕を組みながら、プライド達の会話に聴覚を尖らせていたアーサーは「フィリップ・エフロン」という言葉に口の中を一人飲み込んだ。
初日の夜、ステイルが自分の部屋に訪れた時のことを思い出す。一人で抱え切るには大きすぎた戸惑いを、相棒である自分にだけは打ち明けていたあの日のことを。
『アムレットは、俺の友人だった男の妹だ』
プライドは、思い出す。一瞬で計算を整える。
今まではステイルが深入りして欲しそうではなかったからこそ考えないようにしていた計算式を、今は混乱のまま勝手に組み上げてしまう。アムレットの年齢は今年十四歳、そしてステイルは十八歳。たった四歳の差である二人だが、ステイルが王族へ養子に来たのは僅か七歳の時。
アムレットは僅か三歳だ。
ステイルのことどころか、当時の記憶すら残っているかも怪しい。たとえ、過去の関係者だったとしてもステイルがそんな少女に覚えられているか心配するとは思えない。
そしてアーサーも、ステイルから打ちあけられた時点で三歳だった子どもが十年以上経ってステイルに気付く心配などないと思った。自分だって十年以来の知り合いの顔など朧げだ。しかも年齢操作までされている今、別段避ける必要も感じられない。ならば彼があそこまで印象付かれたくない、関わりたくないと思っていたのは一体誰を避けたかったからなのか。
『兄の名はフィリップ・エフロン。俺が今名乗っているこの名の持ち主だ。そして、……恐らくあいつはパウエルとも友人だ』
『ンでそう言い切れンだよ。アムレットとパウエルが一緒のところなんて見てねぇだろ』
「兄さん!紹介する代わりに約束したでしょ?もう人も殆ど居ないし、いい加減に仕事用は止めて」
アムレットが兄を見上げ、眉を狭める。
その言葉を皮切りにフィリップは「ああそうだった!」と思い出し、握手したプライドの手を離す。彼女の背に合わせて丸めた姿勢をぐぐっと正した。悪い悪い、と言いながら妹に悪びれもなく笑いかける彼は頭を掻く。そしてプライドは
『あの時、居たからだ』
目を、見張る。
突然目の前で起こった現象に、声も出ないまま思わず口を両手で覆ってしまった。
息を飲み、兄のフィリップから目が離せない。ふらつきそうになるところで右足に力を込め必死に堪えながらも、いくつもの点と点が線になる感覚に身震いまで覚え出す。まさか、と。連続する頭の閃きから連鎖するように遠い記憶が光り出す。
眼前で、黒髪の美男子が見覚えのあるちょび髭の生やした老紳士へと変わっていく姿に。
「この姿じゃ駄目か?こっちの方が威厳はありそうだろ?」
「駄目。私の友達にちゃんと挨拶したいのなら〝本当の姿〟になって。そうでもしないなら紹介しないって条件でも食い下がったのは兄さんの方なんだから」
プンッ、と少しムキにもなっている様子のアムレットが目の前の老紳士に顔を背け腕を組む。
声や服装こそそのままだが、その姿はさっきまでアムレットの兄として立っていた人物とは明らかに別人だった。そしてプライドはその人物にも覚えがある。
学校最初の日、校門前で食事をしていた時にパウエルへ大声で昼食を届けて欲しいと叫んだ男性だ。服装こそ違うが、その姿は間違いなく本人だった。
両手で覆ったままの開いた口が塞がらず、目もこぼれ落ちそうなプライドにアムレットは「驚かせてごめんなさい」と声をかけると、今度こそと兄に唇を尖らせた。
約束を破るつもりかと妹が今度こそ本気で怒り出す前に、フィリップは再びその姿変える。
黒髪の美男子や老紳士と声や体格と服装こそ変わらないが、その姿だけはみるみる内に変化する。
遠目で見守っていたアーサーも、そして校門で気付かれないように視界にいれていたセドリック達も流石に目を疑った。まさかあれは、と。彼らはプライドの目の前にいる青年が特殊能力者であることを理解する。
老紳士の姿が再び変わる。整えられた髪が長さこそそのままに白髪混じりから煉瓦色へと変わっていく。瞳の色もグラデーションのようにじわりと色を変え、顔立ちも無数の皺が薄れ消えていく。最初の美青年の顔立ちとも違う、整ってはいるが男らしく素朴な顔立ちの好青年へと変わっていった。執事、というよりも体操のお兄さんのような印象だとプライドは思う。
これが本当の彼の姿だと、アムレットと同じ朱色の瞳を見て確信した。そして、同時に
「えーっと……残念がらせたらごめんな!改めてアムレットの兄のフィリップだ。見た通りまぁちょっと特殊能力があってああ見せることができるけど、こっちが本当の姿で。あ、でも大体は最初の姿で会うことになると思うから!」
言い出しだけ少し勢いの落ちた青年は、最後は「安心しろ!」とまた声を強めた。
今度こそ言動に合った姿である。勢い良く声を張ってもそれぐらいではもうプライドも誰も驚けない。彼が特殊能力者であることもそうだが、それ以上にその能力が誰の目にも衝撃だった。
居心地悪そうに頭を掻きながら「なぁもう姿戻していいか?」と妹に許可を求めるフィリップに、アムレットは「そっちが本当の姿でしょ!」と軽く指摘した。しかし兄が約束をしっかり守ってくれた以上、もう仕事も戻って良いわよと続けるべく口を開く。が、それより前にプライドが薄く細い声を放った。
「あの……」
気を抜けば震えてしまいそうなその声にフィリップもアムレットも、そしてパウエルも目を向けた。
なんとか作った笑顔すらぎこちなくなるプライドは、頭では踏み込んではいけないと思いながらも聞かずにはいられない。頭の中で組み合わさった点と点が線になる感覚に飲まれ、自分でも制御できずに口を動かし尋ねてしまう。
「ふぃ……フィリップ、さんの……ご年齢は……?」
なんてことのない質問に、キョトンと大きくフィリップは瞬きをした。
てっきりこの姿や特殊能力について落胆か驚かれると思ったが、そこで年齢を尋ねるとなると先ほどの老紳士の格好がよっぽど印象に残ったのかなと考える。人目を引く美男子でも気品溢れる老紳士でもなく、この姿が本物だとバレた以上夢を壊すも何もないがせめて自分が老人かという誤解だけは避けなければならないと、フィリップもすぐにその問いに答えた。
「今年で十八だ。これでもパウエルより年上だぜ‼︎‼︎」
背は負けてるけどな!と明るく笑い飛ばしながら隣に立つパウエルの肩に肘を掛ける。
パウエル自身が同年齢と比べて背丈も体格も恵まれているだけで、フィリップは平均である。黒髪美男子や老紳士だった時とも背丈自体は変わらない。しかし、その年齢を聞いた瞬間にプライドは本気で腰を抜かしそうになった。
「因みにこの能力のことは他の奴らには秘密にな」と頼まれ、なんとか頷きで返しながらもまだ心臓の音がうるさかった。パチパチと頭が放電するようにパニックを起こしつつ、遠い記憶が瞬いた。
『それに、僕が逃げたら今度は違う子が呼ばれますよね』
十一年も前、初めて養子として自分の元に表れた夜にステイルが語っていた。
枷の鍵を渡すから逃げてと提案した彼女に、彼が「だめです」と断った理由の一つは。
『友達で家族が妹しか居ない子がいて、彼も能力者で…僕の代わりに彼が呼ばれたら嫌だ…』
ステイルの、昔の友人フィリップ。
家族が妹しかいない特殊能力者。
両親が居なく、兄が親代わりと語っていたアムレット。
そして、第一王女である自分の義弟となる条件は、希少か優秀な特殊能力を持つ年下の男性。
〝姿を変え映す〟希少な特殊能力を持つその青年に
全てが繋がった。
Ⅱ117
Ⅰ92.
Ⅱ149.28.18
Ⅰ6




