Ⅱ166.私欲少女は急ぎたい。
「はぁ…………」
ギリッギリの帰還だった。私達が教室に駆け戻るのと、教師のロバート先生が教室に入るのは殆ど同時だった。いつもの「席に座るように」と投げられる前にと教室へ滑り込み、そのまま他の生徒に紛れるようにして席に着いた。
攻略対象者を見つけられれば良いだけのつもりが、まさかのイベント大発生に時間をかけ過ぎてしまった。急いだこととは関係なく息は切れるし心臓は跳ねるしでうるさい中、胸を両手で押さえる私は机に突っ伏したい気持ちをぐっと堪えた。
大丈夫ですか、後で話を聞かせてくださいと小さく囁いてくれる二人に頷きながら頭の中は忙しい。攻略対象者を無事見つけられたのは嬉しい。これで残すは一人だし、当初の目的達成まではあと少しだ。……けれど。
ネイト・フランクリン。
まさかここに来て、ファーナム姉弟に続いて要急案件がまだ居たとは。
いや、可能性としては充分あった。だってなんだかんだで現実と状況は違ってもゲームスタートまでたった三年であることは変わらない。第一作目でいえば、ステイルはお母さんを殺しているしアーサーは騎士団長を亡くしているしジルベール宰相はマリアを亡くしている。それくらいに猶予のない状況だ。特別教室にいる彼だって、もっと早く私が動けていればとも思う。
でも今はもう過去のことはどうしようもない、それよりも今だ。少なくとも、私の予想が当たっていればネイトは一刻も早く取り掛かるべき可能性が高い。ここまで来るともう一人の不明攻略対象者の状況も不安だけれどもとにかく今はネイトだ。
ロバート先生が計算方法の授業を進めるのに目を向けながら、頭の中では別のことを考える。ネイトを見た時から思い出した、キミヒカでの攻略対象者としての彼だ。
ゲーム時にはアムレットの一つ下の十六歳。
明るく元気な少年らしい性格で、お調子者な可愛らしい一面もあって主人公のアムレットともわりとすぐ仲良くなる。ただ、キミヒカの攻略対象者である彼の過去もなかなかに重い。悲劇が積木のようにいくつも重なっている。元々の不幸な境遇に重ねてラスボスに絶望へと陥れられ、それを知らず箱庭の中で良いように利用される。アムレットがルートに入らないと、真実を知ることもない。……知ったら知ったで、明るい性格から一転しての絶望が凄まじいけれど。もういっそ事実を知らなかった方が幸せだったかもの領域だった。
真実を知って再び絶望に突き落とされ、憎しみと悲しみに支配される彼の心を救い、手を差し伸ばして共にラスボスへ立ち向かうのがアムレットだ。あああああぁあ、そうだった。思い出した、ファーナムルートの陰湿に加えて今回のラスボスもすっごく悪趣味というか外道な子なのよね……。彼やファーナムの時は狡猾とか陰湿な性格の悪さだけど、ネイトに対しては外道且つ悪趣味そのものだ。何せ、ネイトルートに入らない限り、彼は何も知らず騙され続けたままラスボスを慕っているのだから。……この流れで考えると、最後の攻略対象者のラスボス悲劇もネイトと同じタイプだろうか。まぁラスボスプライドと比べたら可愛いものだろうけれども。
最低女王プライドと比べたら、彼女はさしずめ悪趣味小娘といったところだ。それぐらいラスボスプライドが酷い。本当に第一作目でいなくなってくれていて本当に良かったと私が思う。
「いいかー、今日までで足し算と引き算については大体理解できたな?ここで二桁以上の計算するのに簡単な方法が……」
へー、私知ってるかも、俺知らねぇ、と。ロバート先生の授業に生徒達から感嘆の声が漏れる。
中等部とはいっても他の生徒と同じく一定以上の教養は今まで受けてこなかった子達だ。これからこうして効率的な計算方法を最初から学んでいくのは絶対将来の役にも立つ。……もちろん、ネイトにとっても。
ゲームでも「興味ねぇよ!だってどいつも馬鹿ばっかだし」「うるせぇなあ、俺は忙しいんだよ。文句あるならどっか行けよ」と最初こそアムレットを突っぱねていた。まぁすぐあっさり仲良くなって「ばっ馬鹿!褒めても何もでねぇぞ⁈」とか「仕方ねぇなぁあ〜今回だけだからな!」とか「これ使えよ。目立たなくなるから」とアムレットにデレたり絆創膏をくれたりと心を許してくれるときめきイベントに移行したけれど。
そこからルートを進めていくにつれ本人の辛い過去とか事情とかも語られ、強がっていた本当の自分を見せてくれたり、崩れて泣くネイトに「貴方は悪くないわ。貴方は何も知らなかったんだから」と優しく寄り添うアムレットは本当に女神だった。ただし
絶対にあんな人生は認めない。
完璧にネイトの設定を思い出した私は、一気にその決意だけを心臓まで飲み砕いた。
アムレットの慰めは正しいし、本当にネイトは悪くない。けれど、最後までネイトルートの設定を覚えている私は彼にあんな利用されて嘲笑われるだけの人生は認めたくない。絶対に許されないし、正直今から殴り込みに行きたいくらいだったりする。
今はネイトの家もわからないし、まだ事実の確たる証拠もない。確認できたのはカラム隊長への態度だけだ。今日からでもネイトともっと話してなんとか少しでも状況を確認させてもらって、できることなら住所諸々まで教えて欲しい。
いっそのこと、後をつけさせて貰おうかと本気で考える。少なくともゲームでは長袖だった彼が、いまは半袖で腕剥き出しにしていたのが唯一の安心材料だろうか。まだ悲劇がそこまでは進んでいない証拠だ。
ネイトの悲劇はざっくり分けても三段階はある。その一番序盤である一段階こそがこれから解決すべき問題だ。一段目さえ解決できれば、二段目と三段目もきっと起きずに済む。できればラスボスが出会う前に解決したい。
事情に確信を持てないと、私も上手く動けない。私がここで「予知」と言って外してしまえば大変なことになる。彼らの未来を知っている理由が予知ではないということだけは絶対に知られるわけにはいかない。その為にも先ずはネイトの状況に一つでも確信が欲しい。既にゲームと色々違うところもあるし、ネイトがそうじゃなければ寧ろ望ましい。もしゲームと同じならもう一分一秒が惜しいし待っていられない。アムレットに出会う前に、……ラスボスに取り込まれる前に、彼がどれだけ傷ついて苦しんで来たか。
学校に入学した理由。出席だけは毎日する理由。授業には出ない理由。別教室にこもり続ける理由。そしてカラム隊長へのあの反応を考えるともう嫌な予感しか出てこない。胃の中がぐるぐる回るみたいに気持ち悪くなるし、心配過ぎて吐き気に似た感覚までする。
歯を食い縛り堪えても、今度は足が落ち着かなくて何度も机の下ですり合わせてしまう。今までの授業で一番一分一秒が長く感じるかもしれない。
もし恐れた事態の場合どうするべきか考えると、ものすごく遠回りな方法しか出てこない。前世の方が遥かにシンプルに済んだのにとどうしようもないことを考えてしまう。正攻法なら衛兵?騎士団⁇ジルベール宰相⁇駄目だどれも今の我が国の法に及ばない。
とにかく授業が終わったらすぐにネイトのクラスか、もしくは現れるだろう職員室に向かわないと。そこで少しでも彼に話を聞かせて貰いたい。明日明後日は学校も休みだし、城に帰ったらすぐにアーサーとステイル達にも相談して、特別教室の方はジルベール宰相達に……。
そうして一人で悶々とこの後のことを考えて策を練る。思考さえ没頭してしまえば、時間が経つのも早かった。
鐘が鳴ると、いつものようにロバート先生はピッシリと授業を区切る。
「では今日はここまでです。今回の計算式は覚えておいて損はない。しっかりと頭にいれておくように」
教卓に広げていた資料をまとめ、ロバート先生が教室から出た。
教師に続くように生徒達もガラガラと立ち上がる。計算が面倒だな、覚えられたかと尋ね合いながら帰りの支度を始める彼らに倣う。
私が席を立つと同時にアーサーが三人分のリュックを持ってくれ、何も言わずともステイルと一緒に続いてくれた。
席が近い生徒から吸い込まれていく扉へ向かう。クラスの生徒が順々と潜っていくそこを押し退けないようにしつつ、はやる気持ちを抑えなて順番を待つ。
すると、別の方向から「ッジャンヌ!」と突然声を掛けられた。何かと振り替えれば、アムレットが珍しく扉に一直線ではなく私の方へと駆け寄ってきていた。その途端、さっきまで隣に立っていた筈のステイルが気配を消してアーサーの影に隠れる。
「ごめんね!この後時間とかある?実はさっき話し損ねたことについてなんだけれど……」
『話したいことだったんだけどそれもまた後で!』
二限前にアムレットが言い掛けていたことを思い出す。
しまった、まさかこのタイミングでなるとは思わなかった。
今はステイルが居るし、しかも物凄く私は先を急いでいる。
ここは物凄く良心が痛むけれど断るしかない。せめて礼儀は尽くさないとと急ぎたい脚に意思を込めて止め、アムレットに身体ごと向き直る。
「ごめんなさい。私達他のクラスの子にすぐ会いに行かないといけなくて。今だけはちょっと」
本当にごめんなさい。そう頭も下げるとアムレットも察してくれたように「あ、わかった!」と少し焦り気味に返してくれた。
「私こそ急いでるところに引き留めてごめん。また来週ね!」
半歩引き、前のめりになりかけた姿勢を軽く反らすようにするアムレットに私の方が申し訳なくなる。
こちらこそ、と再び謝りながら私はまた急いで足を動かした。既に足を止めている間に廊下への扉は人の混雑も消えていた。
大分遅れを取ったなと思った私はもう一年のクラスではなく職員室へ直行しようと決める。今から急げばリュックを返してもらった彼に会えるかもしれない。来週こそ絶対にアムレットの話を聞こうと決めながら階段へと急
「ジャ・ン・ヌ!」
がばっ!と、叫ばれるよりも先に扉の真横から突然飛び付かれた。
飛び出す影に避けようかと思ったけれど綺麗な白髪ときらきら光った若葉色の瞳を捉えた途端、反射的に踏み止まってしまった。いっそ彼だと気付かなかったら避けられたのに。
「ディ、ディオス⁈どうしたの、いきなりっ……」
ディオスだとわかったらつい避けるのを躊躇ってしまった。
「捕まえた」と全くの悪びれもなく寧ろ満面の笑みで抱き着いてくるディオスに色々焦る。ディオスの顔だけでも至近距離にならないように片手で正面から押さえ防いでくれたアーサーと、一瞬本気で奇襲相手に身構えたステイルに、この不敬をどう誤魔化そうと考えてしまう。いや今はジャンヌだから良いのだけれども‼︎でもディオスには一度プロポーズドッキリで揶揄われてるし!
「ジャンヌが出てくるの待ってたんだ。びっくりさせようと思って」
「ディオス。返事する前にジャックにすごい勢いで止められたことを反省して」
アーサーにむぎゅぎゅっと顔を手の平で反らされながらも全く気にしないディオスにクロイが冷静に窘める。
その言葉を受けてか、それとも本当に今アーサーに顔を鷲掴まれているのに気付いたのか「あ、ごめん」と軽いノリで私から手放したディオスはそれでも笑顔だ。悪びれない反応に、ディオスに代わってクロイが「ごめん」と謝った。……何故か飛び付かれた私ではなく、アーサーとステイルに。
アーサーもディオスの顔を鷲掴んじゃった手前か「いえ!」と両手の平を胸の前に上げて見せたし、ステイルも眼鏡の黒縁を押さえながら「以後気をつけて頂ければ」と穏便に返してくれた。
それを受け、クロイは乗せるくらいの軽さで拳をディオスの頭に置く。
「何度も言わせないでよ。女の子に飛び付くのやめなって。特にジャンヌにはとも言ったでしょ。同調しないとそんなことも忘れちゃうわけ?」
「だ、だって捕まえないとジャンヌがどっか行っちゃうと思ったから……!ちゃんと、今度こそ言いたかったし……」
しゅん、と今度こそ強めに怒られたディオスの肩が丸くなる。
突然の登場と抱きつきに驚いたけれど、彼の言葉にそういえばと先を急いでいたことを思い出す。気が付けば教室には誰も出てこないし、もうアムレットどころか生徒全員に先を越されちゃっている!
まずい、と思って慌てて「ごめんなさい私達先を……」と後ろ足で後退しながら言うと、ディオスが凄く悲しそうな顔で「えっ……」と声を漏らした。やめてその悲しげな顔は反則過ぎる。
「僕ら、ジャンヌに話したいことあって!昨日は会えなかったし、さっきはアムレットの前で話せなかったし、三限後に選択授業から帰ってすぐ来てみたら居なかったし、次会えるのは来週だし、だから……その、ちょっとだけっ……!」
ずっっっるい‼︎‼︎
そんな捨てられた子犬みたいな目で言われたら断れないじゃない‼︎ついさっきアムレットに断ったばかりなのに‼︎
あまりにも甘え上手なディオスに思わず下唇を噛んでしまう。ティアラにおねだりされた時と同じ感覚だ。
ミステリアスキャラどこ行った!と叫びたくなったけれど、実際はこちらの彼らの方が本質だ。本当にどれだけ同調で自分を擦り減らしてしまっていたのかと考え込みたくなる。二人が二人らしく元気でいてくれるのは嬉しい!嬉しい……けれど今はそれどころじゃない‼︎ネイトを捕まえないと、本当に本当に今度は彼が
「〜〜〜っっ‼︎こ、れから職員室に行きますから用事が終わったら聞きますとにかく今は付いてきて下さい‼︎‼︎」
負けた。
ファーナム兄弟を置いていくわけにもいかず、勢いのままにディオスの手を握って急ぐ。「うん‼︎」と嬉しそうに足を前後させてくれる兄に続き、クロイが「ちょっとジャンヌ!ディオスの手‼︎」と叫ぶ声が追いかけてくる。無理やりディオスを連れ去ってるのを怒ったのかもしれない。
隣と背後で速度を合わせるステイルとアーサーも私が掴むディオスの手を凝視している。一般人を巻き込んじゃいけないのはわかるけれど、あくまで職員室に行くだけだし!それに今の最優先はネイト‼︎‼︎
教師に見つかったら怒られるレベルで職員室へ走る。そして私達は、
……既にネイトが私物を受け取って帰った後だと聞かされることになった。




