番外 店主は毒される。
「へー、特待生ねぇ。そりゃあ俺も初耳だ」
ジュワジュワと焼けた肉を皿に盛り乗せながら、店主はカウンターの向こうへと投げかけた。
夜に向けた開店準備を終えた直後、我が家と言わんばかりに入ってきた三人の無遠慮客にも慣れた。最初こそ振り返ると同時に溜息が出たが、今は開店が遅れることも諦めて料理を作り続けている。片手間に時々酒瓶をカウンターに乗せれば、料理がある程度のろのろと遅れてもカウンター前に座る人相の悪い客は文句は言わない。
ついひと月ほど前に久々の来店を果たした彼らが、今度はあっさり姿を現したことには安堵よりも呆れが強かった。
しかも、今回に限っては自分が最も会いたくないジルベールからの依頼まで持ち帰ってきたこともあり、素直に客商売してやる気にもならない。
「すごいでしょ⁈!ケメトはすっごく頭が良いんだから!」
「セフェクだってすごいです!だって中等部の三年で上位なんですから‼︎」
はしゃぐ二人に、はいはいそりゃあ良かったなと適当に相槌を打ちながらベイルはやっと笑みがこぼれた。
勉強だの教育だのは自分には縁も遠く、更にはどういう機関であれジルベールの携わったものだと思えば寧ろ遠巻きにしたくなる。
店に入ってきてからヴァルの十倍は話す二人の口を封じるべく、店主のベイルは肉を盛った皿をカウンターに三枚並べた。「あいよ」と一言かければ、自分が配膳する必要もなくセフェクとケメトが飛び付くように席から皿を取りに来る。
「特待生取れてこのお店に食べに来れて今日は嬉しいことが二つです!」
「そうかい、一応ウチは酒場なんだがね」
三枚目の皿をカウンターのヴァルの前に置いたケメトは、そのまま弾む声をベイルに向けた。
今まで何度も行った切り返しではあるが、変わらずケメトはにこにこ笑って返すだけだった。酒場なのに料理の品数ばかり増やさせたヴァルへの遠回しな苦情すら、ケメトは笑顔で済ませてしまう。
いつもの嫌味にも慣れたヴァルも、ベイルの言葉は無視をしてグビグビと酒を仰ぎフォークを肉に突き立てた。馬の耳のほうがまだ聞く耳を持つと思いながら、ベイルはフライパンにまた油を注いだ。
「それで?今度は俺の店をお祝い会場にでもするつもりかおもしろ家族」
「俺じゃねぇ。文句ならセフェクとケメトに言うんだな」
ハッ、と軽く鼻で笑い捨てるヴァルは一口で肉を半分近く噛み切った。
カウンター席の上で足を組み焦げ茶色の髪を乱したまま行儀のぎの字も知らず酒を仰ぐ彼はいま、十八歳ではないいつもの姿だ。
プライドへ昨日配達をしたヴァルは、ステイルからのファーナム家リフォームを受ける代わりに、この三日間学校へ潜入しなくて良いのならの大人の姿に戻せと取引を行っていた。毎日年齢を変えているプライド達と違い、配達人である彼は頻繁にジルベールと接触もできない。
その為三日間の休暇すら十八の姿で過ごさなければならない筈だったが、そこでこの依頼は渡りに船だった。
ジルベールもヴァルを若返った姿でベイルに会わせるのは避けるべきと判断していたこともあり、休日最後の夜には瞬間移動でヴァルをジルベールの元へ届けるという条件でお互いに合意した。お陰で今こうしてヴァルは二人の学校終わりに早速、昨日話題に出た酒場へ訪れることができた。
ヴァルの返しに「元はといえばアンタが連れてくるからだ」と尤もな意見を言ったベイルだが、それもグビグビと鳴らす喉の音にかき消された。
「大体ガキ共の希望がなくても宰相からの依頼は変わらねぇぜ」
「ああそうだったな。……全く、情報収集なんざそれこそ金を払って貰いたいがね」
しかしジルベールには口が裂けても言えない。
あの男に一言でも逆らうくらいなら、自分は店を畳んでとっくに逃げている。そして、確実に見つけ出されて葬られるのだろうとベイルは思う。
軽口をどうでも良さそうに言いながら本音を隠す彼は料理を揚げる。ヴァルから渡された依頼通り、とりあえずは今掴んでいる情報だけでもと紙に走り書きする。ジルベールからの依頼はあくまで情報〝収集〟だが、一分一秒でも早く情報を渡さないと生きた心地がしない。
料理の片手間でペンを走らせるベイルを眺めながら、ヴァルは情報よりも油の中のコロッケが焦がされないかだけを考えた。ベイルからジルベールそしてステイルへの情報を受け渡ししている彼だが、基本的に中身を見ることは禁じられている。そして本人も全く興味がない。
今回のジルベールから依頼で受けた希望情報も、ヴァル自身にはどうでもいいことだった。たとえ問題が起ころうとそういうことは勝手にジルベールやステイルが上手くやるだろうと思う。
ペンを走らせるベイルは、今まで集め聞いた情報を頭の中で掘り起こしては整理する中で「アンタらからは何も無いのか」と身近な情報源に投げかけた。しかしヴァルは一言で切る。自分が十八の姿で学校に潜入していることもベイルは知らない。それに、ヴァル自身そういうことには今まで耳を立てようとすら思わなかった。
非協力的な客にすぐ諦めたベイルは「まぁアンタはそうだろうな」と肩を落とすと、今度は奥のテーブル前で食事を楽しむセフェクとケメトへ視線を投げた。
「そこの姉弟。生徒の中で噂ー……いや、そんな身内だけで聞いてもあの男が納得する情報にはならねぇか。なら……、……!あぁそうだ」
情報をいくつも繋ぎ合わせ纏め上げ、ペンで額に巻いた布の隙間からこめかみを突いたベイルはぶつぶつと呟いてから質問を変える。
ジルベールからの依頼した情報とは少し離れるが、それも含めて伝えた方がより価値のある情報になるだろうと判断する。
ベイルからのその問いに、二人は上げた顔をそのまま互いに見合わせた。「確か噂で隣の教室が」「僕の学級も」と二人とも覚えがあったそれにヴァルは無言で片眉を上げた。どうしてジルベールの依頼からベイルがそんな問いを投げたのかも不思議だったが自分も覚えがある。しかし話せば面倒になる為、口を結び酒の手を少しだけ緩めた。
二人の答えに満足そうに返したベイルは、そこで走り書きを終えると紙とペンを一度置いた。コロッケを焦がして不興を買う前にこんがりと揚がった状態で救出する。
「……それに何の関係がありやがる」
「あるんだよ。学校ができてから色々と噂や情報は溢れかえっちゃいるが……どうにも、きな臭い噂も出てきてな。この前なんて俺の所にまで〝商品〟リストはないかって尋ねてくる新規が居たくらいだ」
商品、という言葉にヴァルの肩がピクリと僅かに上がった。
どんな商品かは聞かずともわかる。自分自身も過去にはそれを飯の種にしていたのだから。
ベイルが続けて「勿論、俺が知る限りは全部潰れちまっているがね」と断ったが、それでもヴァルの表情は険しかった。自分はあと一月もしない内に学校から去るが、背後にいる二人は今後も学校に居続けるのだから。
面倒なことになる前、それこそいっそ自分が巻き込まれている今のうちにさっさと解決させるかとも考える。プライド一人に目を光らせていれば良いかと思っていたが、そうも言っていられなくなった。
……まぁ、その辺のゴロツキぐれぇなら……
一度自分の思考を落ち着けるようにそう考えれば、自然と視線が背後の二人へ向いた。
そこで見計ったように「ほらよ」と皿に盛られたコロッケの山と三人分の野菜スープが目の前のカウンターに並べられる。押し黙ったまま、料理の皿まで手を伸ばさず酒を一口仰ぐヴァルにベイルも後から気付いて口を意識的に閉じた。
今や学校は他人事ではなく、目の前の保護者が気にかける場所でもある。そして自分自身も、満面の笑顔でカウンターに料理とスープを取りに来る二人を見ればヴァルのが伝染ったかのように面倒な気分にさせられた。額に巻いた布を少し頭頂へと上げながら、片手で軽く爪を立てて誤魔化した。
勿論、プラデストに関して悪い噂ばかりではない。
ハナズオ連合王国の王弟が体験入学している、婚約者候補を探している、校内で早くも生徒を従者として連れ歩いている。特別講師や門前にも騎士がいる、アネモネの第一王子がこの国の第二王女と共に見学に訪れたと。早くも民にとって、憧れの場所のようになっている。
更には食事が安くて美味い、設備が整い教師は優秀、警備が厳重、妙齢の男女が揃い、生徒の中に美男美女が何人もいる。貴族ともお近づきになれる、授業では無料で本が読める、どの学年でも無条件で文字の読み書きを教えてもらえる。
国でも生徒にとっての指折りの安全地帯であり、学校ができてから下級層の小さな子どもが物乞いや塵を漁るのを見なくなったと。割合だけでいえば、良い噂や評判の方が遙かに多い。しかしそれでも、たった一割の黒い噂を楽観視できるほどベイルもヴァルも平和な世界で生きていなかった。
余計なこと言っちまったな、と二人がテーブルに去った後ばつが悪そうにベイルは呟いた。未開封の酒瓶を一本カウンターに乗せれば、ぶん取るような勢いでヴァルが掴んで詮を抜いた。直接口を付けて飲みながら、敢えてベイルからの投げかけに言葉は返さない。
うざってぇ、クソが、とらしくないことで無駄に不安を煽られた自分の思考を酒で飲み流した。
「?ヴァル、食べないんですか?」
「ねぇ!今日のデザートは⁇」
保護者達の苦労も知らずコロッケを頬張り首を傾げるケメトと、当然のように呑気なリクエストを投げかけるセフェクに今度は大人二人揃って返事はしなかった。
一度料理の手を止めたベイルは自分にはらしくないと理解しながらも、仕方なくジルベールへの手情報を綴った紙に追記を始めた。セフェクとケメトもそれについて情報を持っていること、一週間後にはもっとまともな情報を集めておくから早々に対処して欲しいこと。そして解決したらヴァル伝てに自分へも報告をくれと。そこまで書いてからベイルは
「…………甘いもんの前に葉巻吸って良いか?」
「勝手にしろ」
珍しくヴァルから急かさない返事が返ってきたベイルは、窓のない酒場で厨房の奥に移動し懐の葉巻に火をつけた。
セフェクとケメトがいる間はなるべく吸わないようにしている。だが今は葉巻に逃げるべく、灯った煙を大きく一息で吸い上げた。口内に煙が充満し、思考が冴えてぼやけて丸くなるのを感じてやっと肩が下りる。深呼吸でもするかのように大きく煙を吸い込み吐き出しながら、横目でちらりとカウンター席を見やった。
「ねぇ!この後久々にステラにも会いに行きたいわ!」
「!僕もです。ステラにも学校について教えてあげたいです!」
「アァ?んなもん明日にしろ。折角の酒が不味くなる」
「ヴァルはもっとご飯も食べなさいよ‼︎」
美味しいですよ、と。ケメトが揚げたての料理をヴァルに食べさせようと隣に立つ。更にセフェクが反対隣からスープも食べなさいよと唇を尖らせる。
左右からキャンキャンと騒いでくる二人に鬱陶しそうに眉を寄せるヴァルは一度口から酒瓶を離し、ガブリとケメトが突き出すコロッケに齧り付いた。照準を間違えていればケメトの手ごと噛み切りそうな勢いだったが、ケメトもセフェクも全く驚かない。むしろ「美味しいですよね!」「ねぇデザートも聞いて」といつもの調子で笑い掛け、唇を尖らせた。
ついひと月ほど前までは、死んだかと思っていた賑やか家族の団欒にベイルは久々に頭が痛くなる。
……情報屋が〝報告〟を欲しがってどうする……。
まさか自分が、ケメトとセフェクの〝安全確保報告〟をよりにもよってあのジルベールに求めることになるとはと。
改めてついさっき書いた紙を握り潰したくなったが、煙で頭を空にして凌いだ。どうせあの男の顔は見なくて済むのだから、文字程度でならそれぐらい望んでも殺されはしないだろうと自分を全力で誤魔化す。
あの時に軽く追い払った新規から、もっと上手く情報を引き出しておくんだったと今更ながらに後悔した。
Ⅱ127-2.131-2




