Ⅱ134.首席生徒は混乱する。
助けて。と、何度思ったかわからない。
『っ……ゼドリッグ様に、……昨日はディオスっで気付かれた……‼︎もう、あの人は、僕らがどっちかわかってる……!』
それが僕の声か、クロイの声かもわからなかった。
僕の所為で、兄のくせに僕が我慢できなかった所為でクロイまで巻き込んで、段々と自分の特殊能力に侵食されているのもわかってた。
同調する中で、クロイがどれくらいそれを怖がっているのかも、僕のことを想って耐えてくれていたことも、同調を嫌がっていたことも全部わかってた。なのに、どうしても目の前の欲から逃げられなかった。
『もう嫌なんだよ‼︎‼︎だから同調もしないし意味もない‼︎どうせ皆にバレるしバレたら学校からも追い出されるしジャンヌの言った通りだ!全部が全部アイツの言った通りになってる‼︎このままじゃ本当に僕らはっ……』
クロイに拒絶されてセドリック様にも気付かれたあの時は、……井戸で蓋をされたみたいだった。
折角学校にも行けて、授業も楽しくて、セドリック様にもお近付きになれて、仕事だけに澱んで浸った人生に陽が入ったのに。
寒くて、つま先まで痺れるみたいで。頭ではもうその言葉だけで何が起こったかわかった筈なのに、拒絶したくて認めたくなくて、息もまともにできない身体でやっと絞り出せた言葉は白々しい言葉だけだった。
クロイが一生懸命、僕に伝わるように繰り返してくれたのに頭の中に繰り返されたのは「うそだ」と「嫌だ」だけ。
『もしやディオス・ファーナム殿でしょうか?クロイの兄君と聞き及んでおります』
『ゆっくり食べろ。だがマナーは気にするな。俺も時間を掛けて堪能させて貰う』
知られた。気付かれた。
だからクロイは逃げて来た。セドリック様が、きっと許せないと怒ったんだ。セドリック様が知ったなら、怒ったなら学校にも知られる。ならもう僕らはどちらも学校から追い出される。
もしかしたら、あんなに学校に行きたがっていた姉さんまでとも考えたら血まで凍った。
あんなに優しくしてくれたセドリック様が顔を険しくして軽蔑とか怒りの感情を僕やクロイに向けるのを一気に想像したら息もできなくなった。僕だけじゃなくクロイもセドリック様のことが大好きなのは同調した僕が誰よりもよく知っている。もしかするとそのままセドリック様の口から罰せられるかとしれない。
そんなことない、セドリック様が怒るわけないって思いたくて同調しようと伸ばした手もクロイに「触らないで‼︎‼︎」と叩き落とされた後で。
身体の端から端まで怖気が走って、確かめる方法なんて他になかったしセドリック様にもクロイにも嫌われて姉さんにも迷惑をかけて学校にも居場所がなくなって、僕の行き場が本当に何処にもなくなったんだと思い知った。
クロイが僕の仕事場に来てほんの数分も経っていないのに、一瞬で居場所が落とされたように感じた。積んだ荷物を下手に積み上げた後みたいにガラガラと落ちて壊れて飛散して、もう二度と元には戻らない感じと一緒だ。
僕の所為で、僕の為にクロイが〝クロイ〟を譲ってくれて、僕が同調を続けたがった所為で、とうとうセドリック様にもバレた。どちらか一つでも僕がちゃんと後先考えてクロイを巻き込まなかったら済んだことだった。
王族にバレて学校にバレてセドリック様に嫌われて姉さんにも迷惑かけてクロイまで追い詰めて。それが全部誰のせいかと思えば答えは怖いくらいに簡単で、なのに……それを受け止めるのがすごく、すごく
『もう〝同調〟の特殊能力を使うのは止めなさい。……いつか、混ざって戻らなくなるわ』
縋るように押しつけた矛先は、僕らに忠告してくれていた女の子だった。
八つ当たりだ、押しつけだ、逆恨みなんだと理解もできなかったくらいに怖くて息が詰まって頭が回らなくてただ、ただ
怖くて。
『なんっ……、……じゃあッ、この、こういう風に僕らがなってるのも、全部ぜんぶジャンヌがっ……』
逃げた。
『なんでそうなるの⁈今はジャンヌ関係ないでしょ!僕が言いたいのはアイツが警告した通りになったってことで』
『ックロイも言ったじゃんか!ジャンヌが最初から仕組んでるかもって!きっと、最初から僕らがセドリック様に見破られるのもわかってやったんだ!そうすれば王族に嘘ついたことになるし学校どころか国から僕らを追い出すことも……』
怖くて、全部が全部僕の所為なのが怖くて憎んで怒って逃げた。
たとえここでジャンヌをどうしても、殴っても謝らせても何をしても絶対違うことも何が変わるわけでもないことも当たり前だったのに。それすらわからなくなったくらいに怖くて逃げた。
『同調無しで僕がずっとディオスみたいにできるわけない!今だってセドリック様にバレたなら余計止めるわけにはいかないでしょ!』
もう同調無しじゃいられない。
同調できないのが怖い。僕なんかよりずっと大人で冷静で学校にも行けているクロイじゃない僕が、同調無しでクロイになれるわけがない。
いっそ、最初から僕もクロイも一つだったらこんなに怖い思いをしなくて済んだのにとすら思った。僕自身がディオスでいる価値が見つからなくて、ディオスで居ても情けないことや上手くいかなかった記憶ばっかりでこのままセドリック様にバレて嫌われるくらいならいっそ両方〝クロイ〟にしたいと思った。
クロイと同調が深くなればなるほど、ディオスは弱くて考えなしで駄目で、……そんな僕を〝僕〟よりもずっと価値があると思ってくれたのは
『『僕は、……どっち⁇』』
クロイ、だったのに。
同調する中で、何度も何度も僕の中のディオスを認めてくれて必要としてくれて尊敬してくれて大事にしてくれて、そんな〝ディオス〟がこのまま消えちゃうんじゃないかと怖がってくれた。
同調すればするほどクロイが僕のことを大事な兄と思ってくれていたことがわかって、だからこそ今僕はそのクロイの信頼も全部裏切っていたんだと思い知らされた。
クロイが消える、僕になる、僕がクロイになるのは良いけどクロイが僕になっちゃうのは嫌だと。
同調がまた酷くなっているとわかった途端、もう直視も出来ず気付けば走っていた。目の前にいた筈の、僕の手を掴んでいた筈のクロイもいなくて、ただただ現実から逃げるように足が回った。
走りながら視界が真っ赤になって、胃の中が煮えたぎるのが自分になのかジャンヌになのかもわからなくなった。
息が切れて休みたいくらい苦しい筈なのに、心臓の速さと同じくらいに足が前に前にと動いて何かに追い立てられた。クロイが追い詰められて姉さんにも知られたくなくてセドリック様にも嫌われてもう逃げる場所も頼るところもないのに、何処に向かっているのか自分でもわからなくなった。
ただ、〝ジャンヌの所為だ〟とそればかり頭に言い聞かせるように繰り返した。ジャンヌの所為だジャンヌがこうなるようにやったんだジャンヌがあんなこと言わなかったらセドリック様に会わなかったし嫌われなかったし僕らの同調だって学校にバレなかった。全部が全部がジャンヌの所為だとそう〝思いたかった。〟
『ジャンヌッ‼︎‼︎』
逃げて、逃げて、逃げ場所が欲しくて。
学校に入ってすぐジャンヌを見つけたら、すぐに飛び込んだ。
『僕らが何したんだよ⁈お前の所為でもう全部グチャグチャだ‼︎‼︎せっかく!せっかく上手くいくと思ったのにっ!最初からお前さえいなかったら』
ジャンヌの所為にしたかった。
自分の所為だと向き合うのが怖かった。ただ目の前の誰かの所為にしたかった。
ジャンヌが現れたから僕らは同調の所為で自分達がおかしくなったことを気づいてしまった。セドリック様との仕事を誘われなかったら同調のことだって知られずに済んだ。ジャンヌが余計なことを言って揺さぶったからクロイにも嫌われた。
僕らがこうなるってわかって敢えてあんな意地悪を言って引っ掻き回したんだと、そう思い込もうと口にすればするほどそれがまるで本当のようで。
『ッふざけるな‼︎‼︎取り巻きに守られて何もしないで僕らを笑って‼︎どうせそんなことやって王族気取りなんだろ⁇お前なんか、お前なんかなあ‼︎‼︎セドリッ……本物の!王族と比べたら‼︎』
『クロイか?』
僕が、僕らが憧れた王族に呼ばれた途端、一気に頭が冷えた。
こんな悪い言葉ばかり使って、女の子に怒鳴ってる悪人みたいな姿をセドリック様に見られたと思ったらまた恐怖が勝った。
ついさっき、クロイにセドリック様に気付かれたと聞いたばかりなのに。セドリック様が怒ってる筈なのに、こんなところで問い質されて生徒の目の前で王族の口から責められたりなんかしたら死にたくなると思った。
セドリック様の顔はただただ驚いていて尋ねる時の顔だったのに、僕には全部の表情が僕を責めて探っているように見えて仕方がなかった。
怒ってる、怒ってる、捕まる、責められる、嫌われる、嫌われる、僕も、ディオスも、クロイも、セドリック様に学校に罰せられてしまうと。
そんな〝自分〟のことばかり思って考えて怖気付いた僕に、生徒だけじゃなく教師にも見つかってどんどん逃げ場所が視界にすら入り切るくらいに狭められた。足が棒みたいになって、逃げられなくもなった僕の手を掴んでくれたのは
『クロイ!!話は外で聞かせてちょうだい!!』
僕らを追い詰めていた筈の、ジャンヌだった。
わざわざ僕をディオスとわかっていたくせにクロイと呼んで、教師に言いつけるわけでもセドリック様に並ぶわけでもなく、僕の手を取ってくれた。
しかもジャンヌだけじゃなくてあの取り巻きだと思っていたジャックまで背中を押して逃がしてくれた。……逃げる場所なんてない筈の僕の。
もう何が起こっているのかもわからなくて、頭がぐちゃぐちゃだった。混乱すればするほど視界も歪んで自分が今どうやって走ってるのかもどうして走っているかもどうやって息をしてるかもわからなくて、気が付けば頭の中に強く引っ掛かったのは
『触らないで‼︎‼︎』
同調を拒んだクロイの姿で。
なんでクロイはあんな酷いことを言ったんだろうとか、……なんで〝ディオス〟ばっかりこんな辛い目に遭わないといけないの、とか。
ぐちゃぐちゃにこんがらがった頭の中では、確かに〝二人分〟の思考が芽吹いてた。
もうわけがわからなくて、自分が息を吸ってるのか吐いているのか、どこへ向かって逃げているのか、何が起こって何が起こっていないのか、どうすれば良いのか悪いのか、……自分がディオスなのかクロイなのかもわからなくて。もう、自分の身体どころか頭も記憶も気持ちも何もかも僕のものじゃないみたいだった。
気が付けば本当に子どもみたいな言葉しかいえなくて、僕の中のクロイが胸を締め付けられた。このまま死んじゃいたいと思うくらいわからなくて辛かった中で、泣き言しか言えない僕に何度も何度も優しい言葉をくれたのがジャンヌだったのも、……どうしてなのかわからなかった。
『もうやめましょう、ディオス。……これ以上それに頼っちゃだめ』
『自分でもわかっているでしょう、ディオス。貴方だけじゃない、クロイも危険なことも。……引き返せなくなったら、今度は後悔だけでは済まなくなるわ』
『ちゃんとクロイと話しましょう、ディオス。お姉様に聞かれたくないのでしょう?なら、今話さないとだめよ。今止まらないと、……一生本当のクロイとも話せなくなっちゃうわ』
『お願い。もうやめましょう。貴方さえ決めてくれれば、……まだ引き返せるわ』
助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けてと。
頭でそう思いながらもジャンヌからの全部に「いやだ」しかまともに言えなかった僕は、きっと気持ち悪いくらいに子どもだった。
何度も何度も、目の前の女の子が手を伸ばしてくれているとわかっても取りたくなかった。取ったら最後、全部を諦めなきゃいけないことが怖かった。
もう全部、クロイも姉さんもセドリック様も学校も全部が僕を許さなくなった筈なのに、これ以上自分から手離すのが指先一つ動かしたくないくらい怖かった。
いやだ、いやだと言いながら、ジャンヌの所為だと思いたかった筈なのにただひたすら僕が思って、神様に願って、ねだって、縋って、叫び出したいくらい頭の中で繰り返したのはやっぱりずっと
『ディオスはどうした?体調でも悪いのか』
……
「……う……わぁぁ……」
目の前のことに、開いた口が塞がらない。
僕だけじゃない、クロイも目蓋がなくなったくらいに丸くした目で部屋中を見回していた。
あのフードを被った人が何かしてから、家が崩れるんじゃないかと思うくらいに天井も壁も床も全部が揺れ動いた。
まさかフィリップが強制的に僕らを追い出す為に家を駄目にするつもりじゃないかとも本気で思った。だけど揺れ出した家を見回せば……すぐにおかしいとわかった。
僕らの家が、ガタガタと震えながら〝隙間が無くなって〟いた。今まで風が入り込んでいた壁のヒビとか隙間とか、立て付けの悪かった扉とか、ギシギシ音を立てていた床とか、その全部が密着するみたいにひしめいて固まった。
歪に歪んでいた筈の柱も真っ直ぐ伸び直すし、まるで煉瓦造りの家丸ごとが一つの生き物で僕らはその体内にいるみたいだった。
家の中から逃げようか悩んで周囲をぐるぐる見回す僕らにフィリップは「ですから家の外に出したかったのですが」と肩を竦めて笑うし、騎士の人達も「おー!やっぱすげぇーなぁ」とか「これがあの……」と全然危機感持ってないで見物しているし、唯一顔が引き攣って笑っているのはジャンヌとジャックだけだった。
怯える僕らも平気そうにするフィリップ達に押されるように部屋の中には残ったけれど、揺れが収まるまでは姉さんを挟んで固くなり続けた。
揺れ自体は本当にほんの暫くで止んだけど、……その後にはもう目の前の現実を理解する方が時間が掛かった。
「どうぞ、受け取って下さい。僕らからの特待生祝いです」
全てを締め括るフィリップのその笑い方は、ジルに少し似ていた。
Ⅱ111-1.115




