Ⅱ127.配達人は辟易し、
クソが。
胸の内だけで悪態を吐く。
ガシガシと頭を掻きながら、ヴァルは四限終了と同時に教室を出た。既に凶悪な顔つきと初日の騒動で警戒しているクラスの生徒達は誰もが彼を避けるように下がり、足を止め道を開ける。一人の不穏分子がいたお陰で、それ以外の生徒達の団結力が妙に強くなったクラスは、今は平和そのものだった。
授業も聞かず、選択授業にも出ず、昼休みすら誰とも関わろうとせず何処かへ消えてしまい折角現れたアネモネ王国の第一王子に睨みを飛ばすような命知らずの不穏分子のお陰である。
ズカズカと大股で廊下を抜けるヴァルは、その間も苛々と舌打ちを繰り返しながら先ほどのことを思い出す。
昨日は仕事を一区切りつけた後にセフェクとケメトを寮に送った彼だったが、その後にもう一国の配達も早々に済ませて帰ったのは早朝だった。元々、学校が開校されるまでは二人が一緒でも早朝や深夜も大して気にせず眠い時に寝て起きるの生活で仕事もこなしていた彼だが、今はそうもいかない。全く興味もない授業中に仮眠を取れる彼と違って、セフェクとケメトは日中も授業の為に起きていないといけない。
時には彼らを途中でフリージア王国に戻した後で仕事の続きに取り掛かる、を最近は繰り返していた。本音から「もう付いてくるな」と配達の同行を断りもしたヴァルだが、二人は頑として譲らない。二日に一度はケメトと接触しなければならないこともあり、今のところ毎日配達の同行を許してはいる。しかし深夜に差し掛かれば船を漕ぎ出す二人を見ると、そんなになるくらいなら大人しく寮で寝ていろと思う。
配達人の仕事が特別忙し過ぎるわけでもヴァル本人が仕事熱心なわけでもない。ここ最近は忙しかったのは確かだが、ただ今日中に済ませられる仕事をぐだぐだと「寝る時間」や「明日の授業」など〝規則正しい生活〟の為に費やすのが気持ち悪くて仕方がなかった。不健康な生活が身に染みついている彼にはどうしても合わない。
更には、プライドから任されている書状類は全て泥汚れすら許されない。そんな面倒なものをずっと肌身離さず持っていることも面倒だった。書状をさっさと片付け手を空かせて酒場で呑んだくれる為にも、できる仕事はさっさと片付け明け方まで適当な店で飲んだくれる方が性に合っている。
そして今日も、配達を終えて日付が変わる時間にフリージアに戻ってきた彼はその後に酒場で呑み続けた。そして学校に訪れてからやっと仮眠を取ったばかりである。ケメトとセフェクが安全な寮に居る間、寝ている二人を担いで酒場に入るという手間もない。身軽なまま単身で深夜から飲んだくれるという楽しみを数年ぶりに味わった彼は、それだけでも二人を学校に放り込めて良かったと心から思う。授業の時間も基本は仮眠である。
しかし、今日だけは睡眠が足りていなかった。
いつものように朝から人目につかない内に校内に入って寝ようと思えば、特待生発表の為に早朝から大勢の生徒で大賑わい。教室の中まで噂で持ちきりでいつもの三倍は騒々しかった。騒音の中で寝ることも慣れているヴァルだが、朝からうんざりさせられることに変わりはなかった。
二限目の男女別の選択授業だけはいつものように適当な空き教室で寝過ごすが、四六時中施錠されず見回りもない教室は少ない。一限後に眠り不足の身体で二限目に教室移動しまた仮眠を取り、昼休みにはまた人目のある場所を避けて仮眠し、また教室に戻った後に面倒ごとに頭を掻いてから仮眠を取り、……細切れの睡眠時間でやっと三限と四限と纏まって寝れると思った瞬間に王族による学校見学だった。
……レオンにバレたのはどうでも良いが。
この仕事が終わるまではアネモネ王国は避けようと思っていたヴァルだが、実際にレオンがティアラと一緒に現れた時には自分でも意外なほどどうでも良かった。
今のレオンより歳下になった姿で会うのは少なからず不快だったが、女性の悲鳴の正体だとわかれば「逃げよう」よりも「うるせぇ」が圧倒的に勝った。それどころか、目が覚めて自分のクラスに近付いてくる王族がティアラとレオンであればほっとすらした。これが普通の王族だったら、自分は平伏か、良くても椅子に座ったまま姿勢を正さなければならなくなる。むしろレオンならこの程度見られてもどうでも良いと思えた自分の方が不快だった。
寝起き且つ睡眠を邪魔されたことで、ただでさえ虫の居所が悪かったヴァルだが、更にはレオンがひょこひょこと自分に歩み寄ってくればひたすら「うぜぇ」と殺意が湧いた。気付いたならもうどうでも良いから寝かせろ、と負の感情をそのままにレオンを睨み上げたほどに。
結局そのままヴァルの意図全てを汲んで早々に去ってくれたことはありがたかった。お陰でその後はまた短くはあっても仮眠をとれた。
しかし、今はまたヴァルはうんざりと息を吐く。廊下から窓の外を見下ろした途端、早々に帰ろうとしていた足が一気に速度を落とす。何故ならば
……騎士団なんざ連れてきやがって。
まだ居たのか、と。校門にずらりと並ぶフリージア王国騎士団を見て思う。
ヴァルでなくても、その異様な騎士の数にまだ学校見学に訪れた王族二人が校内にいることは誰もが予想できる。
今も廊下を行き交う生徒が噂をしては、「何処にいるのか探しに行こう」「見に行きたい」と騒いでいる。中には王族ではなく校門へ急いで騎士を見に行こうと話している生徒もいる。一人や二人程度ならば式典や祭りなどでも、騎士が城下に見回りで降りてくるのを見られる場合があるが大勢の騎士がひしめき合うのを見られることなど滅多にない。それこそ任務や救助、出動の時くらいのものだ。
そしてその騎士団が校門のみならず、校舎全体をまだ包囲しているのだろうとヴァルは見当づける。そうなると、レオン達だけでなく自分まで校舎からは逃げられない。
彼の顔は今や多くの騎士達に顔がわれていた。前科や殲滅戦に配達人途中の裏稼業一味の引き渡しだけではなく、防衛戦や奪還戦などの所為でかなりの数の騎士に顔を見られた。しかも今はフードも荷袋に隠し、もし被って出ても確実に怪しまれる。身長も殆ど変わらない十八の姿では、すれ違いでも自分だと気付かれる。流石に若返ったと瞬時に気付くかはわからないが、同一人物とわからないほど騎士の目は節穴ではない。
「……クソ」
いつものように早々に校舎から出られない。
これでは待ち合わせ場所までもケメトやセフェクより早く着くのは難しいだろうと思う。少なくともレオン達が騎士を連れて学校を去るまでは不可能だ。
やはり昨晩の内に仕事を片付けておいて良かったと思いながら、仕方なく手頃な空き教室に引き籠ろうと決める。
少なくとも校舎の中に騎士は入ってきていない今、校舎内にいる限りは見つかる心配はない。そう思い、資料室や用具室などの中から鍵が掛かっていない教室を探す。
高等部は設備関係が揃っていることと生徒の数自体が他の棟よりも少ない為、空き教室が比較的に多い。先ずはと足を止めた場所から一番近い教室へ手を掛ければ、残念ながら鍵が掛かっていた。最近は特に教師が未使用の教室を施錠することが増えていた。
諦め、次の教室へと足を動かせばちょうどガチャリと内側から扉が開いたところだった。〝資料室〟と書かれた教室から出てきた生徒は周囲をぐるりと見回し、ヴァルの顔を見るなりその凶悪顔に肩を上下した。顔ごと思い切り逸らし、パンパンに膨らんだリュックで早足で逃げるように去っていく。扉までちゃんと閉めずに去ったその生徒に、教師の使いかそれとも資料室で何かを盗んだのかとは考えたがどうでも良いと思い直す。それよりもと空いた教室へ躊躇いなく滑り込み、扉を閉めた。入ってみれば内側から鍵もかけられる仕様になっていたことに運が良いとニヤリと笑う。
プライドから施錠された部屋や区域に入るなとは命令されているヴァルだが、鍵が偶然閉め忘れられていた教室に入るなとは言われていない。資料室自体も、普段は高等部だけでなく中等部の生徒も教師の手伝いで出入りすることがある場所だ。仮にも高等部に所属している自分が入っても問題はない。
中から鍵を閉め、奥に進み、窓際の壁に腰を下ろして寄り掛かる。ここからなら校舎の外の気配が動けばすぐわかる。騎士が引いていったタイミングで自分も急ぎ校舎を出ようと
「使えねぇな。良いか?誰かに言ったら殺す」
あー?と、突然の声にヴァルは声を漏らす。
自分に向けての言葉ではない。それはすぐにわかったが、せっかく良い昼寝場所を見つけたと思っていたところでの声は嫌でも耳に届いた。
片眉を上げて声のした方へと振り返る。窓の外ではない、壁一枚向こうの隣の教室からだ。確かそこは鍵は掛かっていないが、代わりに完全の空部屋で、内側から鍵もかけられなかった筈だとヴァルはぼんやり思い出す。高等部と中等部で目がついた場所から入り込んではやり過ごしている彼には、隠れ場所はある程度頭に入っている。まだ隣も鍵はつけられていなかったのか、と考えながら何となくその声に耳を傾けた。
「ガキじゃなくても下級層の人間なら簡単に始末できちまうからなあ?」
ハハッ、と勝ち誇った短い笑いにヴァルはげんなりと息を吐いた。
またか、と。今までもこうして空き教室に身を潜めればたまにあったことだが、いい加減に自分の耳が届かない場所でやれと言いたい。いつもは校舎裏の方が多かったが、今日は騎士達がいるから自分と同じような理由で空き教室に連れ込んだのだろうと考える。
……めんどくせぇ、さっさと終わらせろ。
恐喝や弱いもの虐めの類に、ヴァルも自分から首を突っ込もうとは思わない。
既に一度目立ってプライドに怒られている上、自分も身を潜めての仮眠で忙しい中だ。基本的に脅されている相手がケメトかセフェクでなければどうでも良い。下級層にいた頃は日常レベルで見慣れた光景に今更どうとも思わない。ここがプライドの設立した機関の敷地内だと思えば若干苛立たしく思うところもある。だが、それでも基本的に一度もこの恐喝に干渉しないのは
「じゃあな」
あまりにもあっさりと終わるからだ。
殴る蹴る詰る犯すなど、それなりに煩くなれば黙らせる程度も考えたがある程度のやり取りであっさり終わってしまう。今もそれを最後に声の主であろう複数が扉を開いて去っていく音をそのまま拾えてしまう。暫く待てば、脅されていたであろう生徒の足音まで足早に去っていった。




